20話 「……俺は、何をしているんだ」
サイラスはシェリルが自分のことを親の決めた婚約者で、月に一度しか会わない相手としか思っていないことをわかっていた。
だから、自分の好きだという言葉にシェリルが反応してくるとは思わず、動揺した。
そして浮かんだ涙と、諦めの混じった緑色の瞳に完全に気が動転した。
角を曲がり、シェリルの気配を感じなくなってようやく、サイラスは自身が何を口走ったのか理解し、大きく息を吐いた。
支離滅裂なことを言い放ち、しかもそれをごまかすように笑いながら走り去った。
もはや、意味がわからない。シェリルの目には奇行にしか映らなかっただろう。サイラス自身そう思うのだから、どうしようもない。
胸に渦巻く羞恥から、その場で項垂れる。
「……俺は、何をしているんだ」
「本当だよ。いや、ほんっとうに何してるの」
聞こえてきた声に顔を上げると、少し離れたところにアルフが立っていた。
呆れているのかなんなのか、微妙な表情をしている彼にサイラスは苦笑を返す。
「聞いていたのか?」
「聞こえたんだよ。せっかく気を遣って終わるまで待ってようと思ったのに、あんな大きい声で騒がれたら、嫌でも聞こえてくるよ」
シェリルと話していた場所は、アルフといたところからそう離れていなかった。
だが普通に話していたら聞こえない距離ではあった。
「恥ずかしいところを見せたな」
「何を今さら」
アルフがシェリルからどこまで聞いているのかはわからないが、わざわざ助言しに来るくらいだ。それなりに聞いてはいるのだろう。
それならば、今さらだと思うのも当然だ。
何しろ、どうすればいいのか必死に考えたのに、即座に失敗し続けた。
稚拙な行動の数々は、恥以外に表現のしようがない。
「それで、さっきの発言だけど……本気?」
さっきの発言というのは、婚約の破棄の撤回、そして勉学の時間を増やすというものだろう。
サイラスは少し考えてから、頷いて返す。
動揺しての言葉ではあったが、本心であることに変わりない。
好かれたことをまやかしだと思うことはないのだと、愛されるに足る存在なのだと、知ってほしかった。
そのためにはどんな努力も惜しむつもりはない。努力してこそ、意味がある。
言動だけでなく行動で、好かれるべき存在なのだと証明したい。
「まあ、ある意味僕が焚きつけたようなものだし……放課後――鍛錬が終わってからでいいから、僕の部屋に来なよ。教科書とかはこっちで用意しておくから」
何気なく言われ、サイラスは目を瞬かせた。
「手伝って、くれるのか?」
「全教科教える余裕があって、武術科生相手でも気後れしないのなんて僕以外にいないでしょ」
今年度の科目の選択はすでに終わっている。教師を私的理由で独占するわけにもいかず、かといって武術科と学術科の両方で学んでいる生徒はそのほとんどが次期当主で、教える暇はない。
かといって学術科専攻の生徒は武術科生に対して苦手意識を持っている者も多く、アルフの言う通り、適任と言えるのは彼ぐらいだろう。
「……迷惑をかけるが、よろしく頼む」
「別にいいよ。頑張るのは僕じゃなくて君だし、先を保証するわけでもないから」
たとえそうでも、アルフが教えてくれるというのは感謝してもしきれない。
何しろ、シェリルに向かって啖呵を切ったはいいが、サイラスはこれまで鍛錬しかしてこなかった。何から手をつければいいかもわからない状態だ。
再度感謝の言葉を告げて頭を下げると、アルフが「まあ」と小さな声で言った。
「君と彼女がどうなるのかはわからないけど……もしも路頭に迷ったら、うちで雇えないか聞いてあげるよ」
「雇うと約束してはくれないのか?」
アルフが本気で言っていないことはわかっている。だからサイラスも軽口で返すと、アルフが皮肉げな笑みを浮かべた。
「一文官になる予定の僕が騎士の人事権を持てるわけがないでしょ。それにうちは大勢雇えるわけでもないし、武だけの騎士はいらないんだよ。ちゃんと教えたことが身についたら、約束するかどうか考えてあげてもいいよ」
「そうか、ならなおのこと精進しなければならないな」
サイラスがそう言ったところで、昼休憩が間もなく終わることを知らせる鐘の音が鳴った。
それじゃ、と手を振ってアルフが立ち去り、その背中に三度目の感謝の言葉を向けて、サイラスも武術科に戻るために歩きだした。
全教科という言葉に疑問を抱いたのは放課後の鍛錬が終わる頃で、気づいた時には手遅れだった。
歴史、作法、文学、算術に地理に芸術――そこまでは、必要なものだとサイラスにもわかる。
わからないのは、何故今、自らの手に針と糸、が握られているのかだった。
「これは……学ぶ必要があるのか?」
針に糸を通そうと悪戦苦闘しながら、首を傾げるサイラス。それに対し、正面に座るアルフが「当然」と頷いた。
「たとえば、これを見てどう思う?」
差し出されたのは、花をくわえた鳥の刺繍がされたハンカチ。
なんとか通った糸が外れないように注意しながら、サイラスはハンカチに視線を落とす。
「鳥と花だな」
「うん、そうだね。それ以外は?」
「それ以外……」
ハンカチには鳥と花しか刺繍されていない。青い鳥がピンク色の花をくわえているようにしか見えない。
色も付けくわえたほうがいいのだろうかと悩んでいる間に、ハンカチが引っ込められる。
「淑女にとって、刺繍は嗜みの一つだ。刺繍をしない貴族令嬢はいないって言っても過言ではないぐらいにね」
「それは知っているが」
「つまり、女性と話すにあたって刺繍は学んでおいて損のない技術だということだよ。たとえ感性が死んでいても、どんな技術が使われているのかわかれば、そこを褒めることができるし話を膨らませることができる」
逆に、刺繍をする大変さを知っていれば、多少失敗していても頑張ってくれたのだと快く受け取ることができる。
そう語るアルフに、サイラスはなるほどと素直に頷いた。
そして、鬼教官と呼ばれるアルフの手腕は、勉強でも遺憾なく発揮された。




