14話 「走るか話すか、どちらがいい」
遡ること四週間前。
喫茶店に一人残されたサイラスは、どうしたものかと頭を悩ませていた。
どうしても「今さら」というシェリルの言葉が頭から離れない。
今さらだと言われてもしかたないことは、サイラスもわかっている。自らの不甲斐なさに、何度後悔し悩んだのかわからない。
「……とりあえず、出るか」
空になった食器を前にサイラスは立ち上がり、店を出た。
そして行くあても思いつかず学園に戻り、いまだ鍛錬場を利用していたダニエルとアリシアを見つけた。
「おー、おかえり」
手を挙げて言うダニエルに、サイラスはアリシアを見ていてくれたことに対する感謝の言葉を告げる。
それに対しダニエルは気にするなと言うように手を振り――走っていたアリシアが肩で息をしながら戻ってきた。
「もう、いいですよね!? 走らなくて……!」
「そうだな。それよりも……聞きたいことがある」
「ちょ、ちょっと待ってください。その前に、少し休憩を……」
シェリルの状況を改善させるためには、まず彼女がどういった状況に置かれているのかを正確に把握する必要がある。
しかし、シェリル自身に聞いたとしても答えてはくれないだろう。
だが目の前にいるアリシアはシェリルの家族で、生活を共にしていた。しかも、シェリルを変えた元凶である可能性が高い。
「走るか話すか、どちらがいい」
ぐてっと地面に座りこむアリシアを見下ろしながら言うサイラスの横で、ダニエルが乾いた笑いを漏らす。
だが余計な口を挟む気はないのか、アリシアに水を渡しただけで、無言を貫いた。
助け船はないと察したのだろう。アリシアは水で口の中を潤すと、何が聞きたいのかとサイラスに尋ねた。
「お前がシェリルに何をしたのか、洗いざらい話してもらおうか」
「別に、そんな大それたことはしてないですよ――」
アバークロン国には、贈り物をする機会が年に数回ある。誕生日や祝祭に、日頃の感謝もこめて家族や親しい人に贈ることが多い。
当然、親しい人の中には婚約者も含まれており、サイラスはシェリルと婚約関係を結んでからは欠かさず何かしら贈っていた。
いつからか、シェリルは贈ったものを身に着けなくなった。成長したことによって合わなくなったのだろうと最初は気に留めていなかった。
だが新しく贈っても、身に着けたのは一度か二度だけで、それ以降は見なくなった。
そうなれば、答えはひとつしかない。
自分の選んだものは彼女の趣味に合っていないのだと思うしかなく、サイラスは次第に菓子などの処分に困らないものを選ぶようになっていた。
「――お姉さまばかりいいもの持っててずるいなって、そう思っただけです」
だから姉の持っているものをもらったのだと、アリシアは語った。
その内容に昔のことを思い出し、サイラスは額を押さえて大きなため息を落とす。
自分が贈ったものがどうだったかを聞けばよかった――と考えるのは、今さらだ。
たとえ壊滅的にセンスがなくても鍛練さえしていれば彼女のためになると、盲目的に考えていたのは自分だ。それを今さら、こうすればよかった、ああすればよかったと考えてもどうしようもない。
ひっくり返ってしまった盆を元に戻すことは誰にもできない。ぶちまけられた水は、たとえ手ですくおうとも、元には戻らない。
ならばせめて、どうにかして盆ぐらいは元の位置に戻せないだろうか、とサイラスは頭を切り替えた。
「……そもそも、ドレスなどは着る者に合わせて仕立てるものだ。シェリルのものをお前が着て合うわけがない」
「でもだって、実際に着てみたら姉さまのドレスのほうがゆったりしてて、窮屈じゃなかったんです。それってお姉さまのほうがいい生地を使ってたってことですよね。だからやっぱり、お姉さまのほうがずるいじゃないですか」
「お前のほうが肉が少ないからだろう」
「肉って」とダニエルが苦笑する横で、アリシアが目をぱちくりと瞬かせる。
それから自分の腕などを見てから、アリシアはポンと手を打った。
「そういえば、昔っからお姉さまのほうが胸とかあったような」
「いや、そういう意味で言ったわけでは……」
単純に肉付きとか筋肉量についてだったのだが別の受け取り方をされたようで、サイラスは咳払いを一つ落とした。
「そうでなくても、人のものを欲しがるな。彼女が持っているものは彼女のために用意されたものだ」
「でも……それでもやっぱり姉さまのほうがずるいです。生まれた時から貴族だったんですから――」
なおもずるいと続けるアリシアに、サイラスはどうしたものかと頭を悩ませた。
贈り主でもあるサイラスにずるいと言えるのは、悪いことをしたという意識がまったくないということだ。少しでも罪悪感なりあれば、ごまかしたり濁したりするだろう。
ため息が落ちそうになる中、口を開いたのはサイラスではなく、ダニエルだった。
「君さ、ずるいずるいって言ってるけど、何がずるいのかよくわかんないんだけど」
自らの膝をつかい頬杖をつき、じとっとした目をアリシアに向けている。
洒落者と名高いダニエルは、基本的には女子に優しい。走らせている間も、ある程度優しくアリシアに接していただろう。
その相手から非難の眼差しを向けられ、アリシアは言い募っていた口を閉ざした。
「ずるいってのは、俺みたいなのを言うんだよ」
ダニエルは伯爵家の嫡男だ。そして、年の離れた姉が一人いる。
「俺の姉さんは、次期当主になる、はずだった。あと半年で学園を卒業って時に俺が生まれなければね」
当主の座は長男が継承するのが基本だが、男子がいなければ長女が継げる。だから男子のいない家庭では、長女が次期当主としての教育を受けるわけだが――子とは、いつ生まれるかわからないものだ。
男子が生まれれば、次期当主の座を明け渡さざるを得なくなる。だがもしもそれが、婿を迎え、子が生まれたあとであれば、どうなるだろうか。
現当主が引退しない限り、次期当主は次期当主のままだ。家庭を持っていようと、次期当主のままなら、男子が生まれれば退くことになる。
今さらどうにもならない状態で放り出されれば、誰でも不満を抱く。
そういった不満が募りに募り――いつしか、学園を卒業さえすれば、その後で男子が生まれようと次期当主の座を譲らなくてもいいようになった。
「俺は姉さんの将来を奪った。それなら、ずるいって言われてもしかたないと思うよ。……だけど、君の場合は違うだろ。君の姉は生まれもった義務と役目をまっとうしているだけで、君から何か奪ったわけじゃない」
ちなみに、ダニエルの姉は卒業するとさっさと結婚し、今は夫のもとで文官並みにばりばり働いているそうだ。
余計な義務もないし気軽でいいと言っている、とサイラスはダニエル本人から聞いていた。
だがこの口振りからすると、どうしても割り切れない負い目がダニエルにはあったのかもしれない。
そして目の前で、根拠のない理論が繰り広げられ、腹に据えかねたものがあったのだろう。
ダニエルに睨まれるように言われ、アリシアが少しだけ体を縮こまらせた。
「でも……同じ父親を持っているのに、お姉さまだけ貴族として育ったんだから、ずるいじゃないですか」
だがそれでも、めげることなく口を尖らせるアリシアに、サイラスはため息を落とす。
凝り固まった考えは、口先だけでほぐすのは難しい。ならばやはり――
「これから毎日、とは言わないが、数日に一度でもいいから鍛錬場に顔を出せ。心身共に鍛え直せば、多少はよくなるだろう」
「え!? なんですか、それ! 横暴です!」
「……アシュフィールド家から贈られてきたものを不当に奪った罪を問われたいか?」
家族間でドレスやアクセサリーの貸し借りをすることはよくある話だ。とくに上から下に調整しなおしたドレスを与えることは、珍しくもなんともない。
他者から贈られてきたものをお下がりにするのは失礼な行為ではあるが、古くなったものを仕立なおしただけだと主張されれば、覆すことはできないだろう。
公爵家という立場をフルに使えばごり押すこともできるだろうが、あまり使いたい手ではない。
だがそんな脅しでも、アリシアには効果があったようだ。
ぐむむ、と悩んだアリシアは結局鍛錬場に顔を出すようになり、自分の正当性を他の武術科生にも主張した結果、「それはないわ」と駄目だしされるのであった。