15話 「まったくもって同じじゃないです」
そうして四週間が経った今、サイラスはアリシアからすべて聞いたのだと、語った。
「――どうしてなのかを聞くべきだったと、今は思っている」
テーブルを挟んだ先で静かに言うサイラスに、シェリルはわずかに目を伏せる。
聞かれたとして、答えたかどうかわからなかったからだ。
家の内情を人に話すのは、貴族社会においてなるべく避けたほうがいい。学園にいる間はそこまで気負わず接することのできる相手でも、外に出れば様々なしがらみが生まれ、他人の足をすくわなければならない事態もありえる。
できる限り弱みをなくし、隠し、生み出さないようにしなければならない――次期当主になる身としてそう考えた結果、隠していたかもしれない。
「過ぎたことは、構いません。それよりも……このたび贈っていただいたこちらですが、私に受け取る理由はありませんので、お返しいたします」
だから明言することを避け、サイラスに会いに来た本題に戻した。
テーブルの上に乗った木箱を少しだけ、サイラスのほうに寄せる。サイラスはそれをちらりと見たあと、首を横に振った。
「それは君に贈ったものだ。……君が奪われたものすべてを把握するのは難しいが、さすがに自分が贈ったものは覚えている。だから……いつかの祝いの品として、君に持っていてほしい」
「……妹と、アリシアと似たようなものを持てとおっしゃるのですか?」
「あいつが奪ったものはすべてこちらに回すように言ってある。……それでも似たものを持ちたくないとか、センスが壊滅的で嫌だとかなら、さらに手を入れて別物にしてもいい」
机の上に置かれたブローチを頑なに受け取ろうとしないサイラスに、シェリルは小さく息を吐いた。
これを受け取れない理由は、アリシアのことだけではない。
もっと根本的な問題がある。
「……婚約を破棄した相手に貢いでいた、だなんて噂が立つのは……私にもサイラス様にもよろしくありません」
婚約の破棄を宣言したのが前か後かは問題ではない。短い間に貢いだ事実と婚約を破棄した事実が重なれば、よからぬ噂を立てる者も出てくるだろう。
「ですから私は、受け取るわけにはいかないのです」
「……それは、すまなかった。そこまで、考えが回らなかった」
苦々しい声に、シェリルはふと、アルフの言っていた「目先のにんじんしか見えていない」という言葉を思い出す。
つまりは、そういうことなのだろう。アリシアから話を聞き、義憤に駆られ、突っ走った。その結果が今なのだと考え、シェリルはため息をこぼす。
「私のことはどうぞお気になさらず。他のものも後日お返しいたしますので……今日はこれで失礼いたします」
ブローチを机の上に置いたまま席を立つ。一礼し立ち去ろうとした背中に「シェリル」と彼女を呼びかけられた。
まだ何があるのかとシェリルは振り返り――
「シェリル・アンダーソン。俺は君に、剣を捧げる」
地面に膝をつき、口早に言うサイラスにシェリルは驚いて目を丸くした。こちらを真っ直ぐに見据える青い瞳と真剣な表情。
いったい何を考えているのか――シェリルが問いかけるよりも早く、サイラスの口が開かれる。
「俺は昔、君を守ると誓った。だが結局は、この様だ。目も合わせたくなくなるような不甲斐ない俺では、君の婚約者にはふさわしくはないことはわかっている」
サイラスの青い瞳の中には、顔を強張らせているシェリルが映っている。
いつからだろうか、サイラスの目を苦手だと思うようになったのは。
真っ直ぐに見てくるその青い瞳に、家族からないがしろにされている自分が情けなくなり、そんな自分を見透かされたくなくて、目を逸らすようになった。
「それでも、俺は君を守りたいと思う。だからせめて、婚約者ではなくとも、君の剣として、騎士として、守らせてほしい」
向けられる真剣な眼差しに、シェリルは胸の奥に重いものが落ちるのを感じ、苦笑を浮かべた。
「それは……一時の衝動で口にしてよい言葉ではありません」
剣を捧げる――それは、剣を扱う者の忠誠の証だ。たとえ自らの失態を悔い、挽回したいと思っているのだとしても、軽々しく口にしてはいけない。
「違う。衝動などではない。今は剣を持っていないから後で、にはなるが――」
「あなたは、ご自分が何をおっしゃっているのかわかっているのですか? 公爵家の方が、私に――侯爵家の娘に剣を捧げるだなんて、あなたの一存で決めてよい問題ではありません」
婚約に関しては、元よりアシュフィールド家に利のない話だった。だから破棄しようと、たいした問題にはならない。
だが剣の誓いはそうもいかない。剣を別の女性に捧げた男を、どこの家が婿として受け入れるだろうか。そして生家で働くにしても、当主でない者に忠誠を誓っている騎士を重鎮には置けない。
そうなると、サイラスはシェリルの――アンダーソン家の騎士になるしかなくなる。婚約がなくなり自由の身となった三男が、格下の家の騎士になることをアシュフィールド家当主は快くは思わないだろう。
「……父上は認めてくれると思うが」
「婚約を破棄したいとおっしゃったのはサイラス様です。それなのに誓いを立てるだなんて、前代未聞です。お認めになるわけがないでしょう」
地面に膝をついたままシェリルを見上げるサイラスの目が泳ぐ。困惑しているかのようにあてどなくさまよう視線に、シェリルはため息を落とした。
「私は聞かなかったことにします。ですから、サイラス様も言わなかったことにしてください」
これも、贈り物同様突っ走った結果なのだろう。一時の感情で口にしてしまい、引くに引けなくなったのだろう。
だからこれで終いにして、すべてなかったことにすればいい。
「……俺と君の婚約は、君を守るためのものだ」
だがサイラスはさまよわせていた視線をシェリルに定めると、静かな声で言った。
「女当主になれば、よからぬ者が近づいてくることもある。……女は、男に力で負けることが多い。代理権を求めて無理矢理に子を産ませ、謀殺する。……そういった事例が昔には多かった。今も、そうならないとは限らない。だから、父上と君の母君は話し合い、早期に君の婚約を結ぶことに決めた」
アシュフィールド家当主とシェリルの母親が昔馴染みだったことは、シェリルも知っている。
そういった縁で結ばれた婚約であることも、知っていた。
だが、利の少ない婚約なのにどうして結ばれたのか、までは知らなかった。
「容易に排除できず、しかも幼少期からの婚約者となれば、手を出すのは難しくなる。そのうえで俺が選ばれたのは……年が近かったのもあるが、下手な野心を抱くことのない――剣しか能のない男だったからだ」
そう語ると、サイラスは眉尻を下げ、肩を落とした。
「その結果がどうだったのかは、君が一番よくわかっているだろう。寄り添い支えになり、君の窮地にもいち早く気づける相手のほうが、婚約者としてふさわしい。……だが、その相手が武に優れていて、周囲に対する抑止力になるとは限らない。だから、俺が君の騎士として抑止力になるのなら……騎士になるのも婚約者でいるのも同じことだと、父上は認めてくれるはずだ」
利が少ない、どころではない。サイラスの話が真実だとするのなら、アシュフィールド家にはまったくといっていいほど、婚約を結ぶ理由がない。
それなのにどうして自分の息子を使うような真似をして、シェリルを――アンダーソン家次期当主を守ろうとしたのか。母親とアシュフィールド家当主の間でどんな取り決めがあったのか。
様々な思いがシェリルの頭を駆け巡る。
「まったくもって同じじゃないです」
だが抱いた疑問より先に出てきたのは別の言葉で、それに対してサイラスはきょとんとした顔で首を傾げる。
その顔に、シェリルはそういえば、と出会ったばかりの――シェリルの母親が生きていた頃のことを思いだした。




