12話 「そういえば、次の休みにとは言われなかったわね」
シェリルは自分が何を口走ったのかに気づいて口を塞いだが、遅かった。サイラスの口上は完全に止まり、重々しい沈黙が落ちている。
わざわざこんなことを言うつもりはなかった。どうせ言ってもしかたない。
それなのに口をついて出てしまったのは、これまでの――ひと月に一度しか会っていなかった時のサイラスとはあまりに様子が違い、困惑してしまったからだろう。
これまで、シェリルとサイラスの間に親密なやり取りはなかった。互いの近況報告をするだけで、互いの趣味を知ろうとも、好みを知ろうともしていなかった。
それなのに、今日に限ってサイラスは歩み寄りの精神を見せている。
もしももっと早く――それこそ、継母とアリシアが現れた頃であれば、シェリルもそれに応じたかもしれない。
だが、すでに何年もの時が過ぎている。しかも婚約の破棄を言い渡されてから歩み寄ろうとされても、今さらとしか思えなかった。
「……ああ、そうだな」
苦々しく呟かれた言葉にシェリルは視線を落とす。
今さらと言うのなら、シェリルにしてもそうだ。
彼女もサイラスに自らの近況を語りはしても、家庭の事情を話そうとはしなかった。そしてシェリル自身、サイラスが何を好きなのか聞こうともしなかった。
それなのに一方的に責めるような口振りをしてしまったのだから、反論の一つや二つ出てくるだろうと、シェリルは続くサイラスの言葉を待つことにした。
だがシェリルの考えとは裏腹に、サイラスは何も言わない。グラスに入っている氷がカランと鳴る音と、周囲の楽しそうな話し声だけが耳に届く。
そうしていくらかした頃、ようやくサイラスの口が重々しく開かれた。
「……たしかに、今さらだ。そう言われてもしかたないということは、わかっている。……俺は、お前の現況を、知ろうともしなかった」
「いえ――」
「だが、だからこそ、婚約を破棄するのだからこそ、その失態を挽回したいと……いや、償いたいと、そう思うわけだ」
アンダーソン領とアシュフィールド領は距離が離れており、内情を垣間見ることすら難しい。そして父も継母も、あからさまな態度を取ってはいなかった。ただただアリシアに甘かっただけで。
シェリルが自ら話さない限り知りようがない。そうとわかっていながら自らの置かれている境遇を話さなかった。
自身にも落ち度があると認めようとするが、遮られる。
「つ、つまりだな……このまま知らぬ存ぜぬで見てみぬ振りはできない。知った以上、改善を試みるのが……お前の婚約者でいる間の、俺の役目だと、いうことだ」
「でしたら――」
「とりあえず、飯を食おう」
婚約者だからという義務感でそんな面倒なことをするぐらいなら、今すぐにでも婚約を破棄すればよいのでは。
そう言おうとしたシェリルだが、サンドイッチを食べはじめるサイラスを見て、同じようにサンドイッチに手を伸ばす。
どちらも何も言わず、ただ黙々と食べ続け、グラスに残っていたジュースを飲み干してひと息つく。
次は何をするのかについて、まだ話していない。だからシェリルは視線をテーブルに向けたまま、次の予定について話すことにした。
サイラスに何か提案されるよりも先に。
「……今日はもう疲れたので、帰らせていただきます」
疲れたのは本当だ。
アリシアの介入に、サイラスのわけのわからない言動。
慣れた部屋に戻ってベッドに体を沈めたい気持ちでいっぱいだった。
「ならば、寮まで送ろう」
「いえ、構いません。代金は置いておきますので、お会計だけお願いします」
「いや……誘ったのは俺だ。払う必要はない。それよりも……よく食べて、よく寝るといい。疲労回復にはそれが一番だ」
「ご助言、ありがとうございます」
そういうわけにもいかないと、お金を出して食い下がりはしなかった。何を言っても、サイラスは頷かないと思ったからだ。
そして問答を繰り広げるだけの気力が、今のシェリルにはなかった。
だから最後に一度頭を下げて、シェリルは喫茶店を後にした。
一週間が過ぎ、次の休みを迎えたシェリルは、部屋着から着替えようとクローゼットを開けた。だがそこで手を止め、クローゼットの中にある服をぼんやりと眺める。
「そういえば、次の休みにとは言われなかったわね」
三週間連続で会っていたので同じような感覚でいたが、今日の約束は取り付けていない。
先週も先々週も、サイラスがいつ来るのかわからず急いで支度を終えていたが、何も言われていない今日はその必要がないのだと気づき、クローゼットの扉を閉める。
朝食は部屋に運ばれてくるので着替える必要はない。遅くても、昼食までに着替えればいい。
「どうしようかしら……」
だが、それでは手持ち無沙汰だった。
他の女子生徒が主催する茶会の招待も今週はなく、学園にある図書館から本を借りてきてもいない。
週末になれば課題で出された刺繍をやってもらうためにアリシアが来ていたが、今週はそれもない。
四週間前の自分は、こんな時にどうやって過ごしていたのか――考えはじめたところで、扉を叩く音が聞こえてきた。
「何かありましたか?」
シェリルが扉を開けると、そこにいたのは女子寮の管理を任されている使用人だった。
使用人は深く頭を下げ、部屋に入ることはせず用件だけを口にする。
「シェリル・アンダーソン様。お荷物が届いております」
何かを注文した覚えもなければ、実家から何か送られてくる予定もない。
そもそも、実家から送られてくるものといえば、日用品などの必需品を買いそろえるための金銭ぐらい。わざわざ呼びに来られるほどのものではない。
いったい何が――首を傾げながらも、荷物を受け取るために、シェリルは先ほど閉めたばかりのクローゼットを開ける。
危険物の持ち込みは禁止されているため、荷物は預かり所で管理者と共に中身を確認する決まりがある。
だから使用人に先導されながら預り所に向かったわけだが。
「必要ないとは思うけど、まあ規則だから……」
そう言って申し訳なさそうに差し出されたのは、大きな花束だった。
色とりどりの、と言えば聞こえはよいが、種類も大きさもばらばらな花束にシェリルは首を傾げる。
まず間違いなく、実家からではない。かといって、花を贈ってくる相手にも心当たりはない。
メッセージカードも何も入っていない花束に、シェリルは受け取るのを躊躇する。そして、差出人に心当たりはないかと管理人に聞いた。
「えーと……ああ、そういえば納品書が……」
ノートをめくりながら管理人が口にしたのは、学園都市にある一番大きな花屋の名前。
そして注文した人の名前は――サイラス・アシュフィールド。紛れもない、シェリルの婚約者の名前だった。




