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#62 エピローグ

「こんにちは」


「ごきげんよう。勉強は進んでいますか?」


 会って早々に勉強の心配をされた。卒業試験と国試を控える身としては気の重い話である。

 私から視線を外した青連院ホウカは病室の窓を見やる。


 やっと暖かくなってきた五月の昼下がり。今年は桜の開花が早く、ここから見える桜の花はとうに散ってしまった。


「今日は随分早かったですね」


 集合の予定は三時だが、現在二時を少し回ったところだった。


「所用が早く片付いたので、早い便で来ました」


 二十六歳にして関連企業四社のトップに立つこの超人は、いくら忙しくなろうとも月に一度はここに来ている。青連院さんはいつもと同じようにベッドの枕元に立つと、しばし兄の顔を見つめる。


 兄が昏睡状態になって十年。はじめの頃は青連院さんに反発していたが、こうして足しげく通い、目覚めない兄に憂いの表情を向ける彼女の様を見ているうちに、そんな気力は失せていった。


 兄と同じ高校に通うようになると、なぜか生徒会が私を勧誘してきたが、どうやらこの人が裏で色々画策したらしい。この前も知り合いの医者からという態で国試対策問題集を貰った(新品だったけど)。

 生徒会では青連院ホウカの信奉者がたくさんいて、彼女の武勇伝と兄への文句をよく聞かされた。すでに懐かしい思い出だ。





「おや、これは久しく見てない花です」


「うわぁ!」


 青連院さんの視線を辿って後ろを向くと、いつの間にか一人の大男が立っていた。

 この人は毎回毎回心臓に悪い。


「驚かさないで下さいよ。何回言わせるんですか」


「すまない」


 謝っているが次も同じことをやる。私には分かる。

 やたらと大きいこの人は栄坂穣。十年前の文化際で会って以来、ちょくちょく兄の見舞いに来ている。毎回違う花を持ってきてくれるので、病室が華やかになる。


「スズランですか。ありがとうございます」


 栄坂さんから鐘状の小さい白い花をたくさんつけたスズランの花束を受け取る。


 普段から口数の少ない人だったが、それでもポツポツと兄との関係を聞かせてくれた。栄坂さんは兄に対して恩があるらしい。不良に絡まれているところを助けられて以来、恩返しをする機会を待っていたようで、栄坂さんの中では未だにそれが果たせていないようだ。


 また、なぜか兄や青連院さんたちとダブルデートしたことがあるらしい。その中で兄が植物に興味を持ってくれたことが嬉しかったらしく、妹である私にも食べられる植物について頼んでもないのに教えてくれる。このスズランは食べられないけど。


 今は地元大学で植物学の助教をしているようで忙しい日々を送っている。この前最新のペーパーを見せてもらったが半分以上チンプンカンプンだった。





「あれぇ、お二人とも早いですね」


 開いた扉から一組の男女が現れた。


「こんにちは。今日は東京からわざわざありがとうございます」


 二人に深々と頭を下げる。


「いやぁ、妹さんも久しぶりだね。三年ぶりくらいかな。栄坂君も久しぶり」


 栄坂さんが二人に会釈する。


「わたくしも東京から来たのですが、御礼は無しですか?」


 青連院さんの嫌味が始まった。いや、私が悪かったのか?


「はいはい。ありがとうございます」


「まるで心がこもっていません」


 面倒な人だ。無視無視。こんなやり取りをもう何度繰り返してきたことか。


「まだ寝てるんですか? いい加減起きて下さいよ」


 池さんが兄のベッドに近づいて話かける。確か前に来た時も同じことを言っていた気がする。そこに深刻な雰囲気はなく、今日の昼ご飯はどうする、という感じだった。


「ありがとうございます」


 池さんと一緒に来た相良さんがお土産を私に渡す。鳩サブレだった。


 相良さんは池さんが東京に行った後も時々ここに来ていた。昔は刺々しい雰囲気が苦手だったが、話してみると、意外と可愛らしい女性だった。


 今は池さんと東京で住んでいるらしい。三年前に池さんが東京でデビューを決めたときに「そこの小僧のおかげだ」、と感慨深く言い放っていたのが印象的だった。兄のことをいつまでも小僧って言うのはやめて欲しいけど。

 池さんを音楽の道に引き込んだのは兄らしい。兄が何でそんなことをしたのかは未だに分からないけど。





「うーす」


 おおよそ病院には似つかわしくない黒のレザージャケットにギターを背負った女性が現れた。まさかここで弾くつもりではあるまいな。


「氷雨さん。もう少し普通の格好で来て下さいよ」


「あん? 堅いこと言うなよ。病院にも癒しは必要だぜ」


 その格好で癒される患者が居たら会ってみたい。


「何ですか、そのギターは。あなたのスケジュールではギターを弾いてる時間などないはずです」


「うるせーぜ。あたしは弾きたい時に弾くんだよ」


 青連院さんの言葉に、氷雨さんは子どものような駄々をこねる。迷惑な人だ。これでも日本を代表するバンドの片割れというのだから、世の中おかしい。


「うわぁ、止めて下さいよ」


 氷雨さんは腹いせとばかりにその場でギターを取り出そうとする。


「個室だからいいだろ。兄貴が起きるかもしれねーぜ」


「いや、良くないですから。他の患者さんの迷惑ですよ」


 結局相良さんにギターを取り上げられて、氷雨さんは渋々諦めた。本当に弾くつもりだったらしい。


 氷雨さんは学生の頃から血の気が多かった。高校三年の文化際でブーイングする野球部に対してブチ切れて暴れまわっていた。あれは怖かった。そう言えば、兄と一緒に球技大会に出た時も暴れまわったと、自慢していたっけ。





「揃っているようだね」


 続いてメガネをかけた厳つい男が現れた。サングラスをかけたらどこかの組の人に見えなくもない。


「おせーぜ。スイはどうしたんだよ」


 そのヤ○ザに氷雨さんが突っかかる。まだ二時半だから遅くはないんだけど。


「実家に寄ってくるそうだ。姉君を連れてくるとのことだ」


「えぇ……。もしかしてお父さんとか来ないですよね?」


 池さんが心底嫌そうに聞く。


「ああ。連れてくるな、と言っておいた。私も会いたくない」


 メガネの人が病室を見回すと、私と兄に視線が止まる。


「久しぶりだね、妹君」


「はい、阿法さん。お久しぶりです」


 阿法典清。私は五年位前に一度しか会ったことがない。


 正直、この人のことは良く分からない。高校二年の文化際の前に高校を辞めて大学へ行き、そこで九年間研究を続けてつい最近サイエンスに論文を出して学位を取った。国内外からのオファーを全部蹴って、今は氷雨さんのいるバンドの警護をしている。

 青連院さんから聞いた話だが、何がしたいのかさっぱり分からない人だった。


 でも、彼は兄に最も近かった人間だと聞いた。もし時間があれば一番話したい人だ。前に病室で会った時はたった五分で帰ってしまったから。





「遅くなりました」


 扉の向こうから顔だけ出して、こちらをうかがっている人が現れた。


「何やってるの。早く入ってよ」


「わっ、押さないでよ」


 つんのめるようにして、部屋に入ってきた。

 伊庭姉妹だ。

 こうやって見るとまるで普通の人だけど、妹の伊庭スイコは高校在学中にメジャーデビューした才器で、今や日本で知らない人はいない存在だった。


「みんな、久しぶりだね」


 スイコさんはニコニコしながら挨拶する。かなり緩みきった顔をしていた。


「伊庭さん、羨ましいですよ。来月から世界ツアーなんですよね。僕も行きたいですよ」


 池さんが軽い調子で言う。


「行く? いいよ。ホウカさん。池君連れて行ってもいいよね?」


「良くありません。ハイキングと一緒にしないで下さい。一人増えるだけでいくらかかると思っているのですか?」


「ええぇ! お金は私が出すからいいよ」


「そうですか。では現地の宿泊施設の予約もお願いします。たったの三十五ヶ所です。あと機材の調達や警備の増員などもご自分でして下さい」


「…………お腹すいたなぁ。お昼ご飯まだ食べてなかったし」


 スイコさんが病室をキョロキョロと見回して、私が持っているものの前で目を止まる。


「た、食べますか?」


 相良さんからお土産で貰った鳩サブレだから何となく悪い気がするけど。

 でも、スイコさんは美味しそうに食べているのでいいか。


「やあ、久しぶりだね。元気してた?」


 スイコさんがベッド柵に手をかけて、身を乗り出すようにして兄に話し掛ける。


「今度ね、世界一周するんだよ。いっぱい写真取ってくるから見せてあげるね」


 スイコさんが兄に真心の笑顔を向ける。その不意打ちが、私の胸を打つ。


 下を向いて皆に顔を見られないようにする。

 それに気付いたスイカさんが私の肩に手を回す。スイコさんの一番辛い時期をずっと間近で見てきた人だ。私が何を思ったのかを悟ったのだろう。


 兄が倒れた日。青連院さんの連絡を受けて病院に来たスイコさんは堰を切ったように泣き咽んだ。それから毎日のように病院に来ては黙って何時間も兄の様子を見ている日々が続いた。

 兄がこうなってしまったのは自分のせいだと、ひたすらに自分を責めて、私や母に何度も頭を下げるのだ。


 他の人達から話を聞くと、確かに兄はスイコさんのために色々と動いていたけど、結局は自業自得としか思えなかった。だから私はスイコさんを責めたことなどない。


 スイコさんは一度は音楽を辞めようとしたけど、兄の一言でそれを思い止まったらしい。兄が何と言ったのか聞いたけど、スイコさんはすまなさそうにしながらも、口をつぐんだ。自分で言った言葉を忘れてしまった兄に、いつか直接言いたいらしい。


 少しずつ時が経ち、周りの助力もあってスイコさんは立ち直っていった。何より兄がスイコさんに言っていた、いつか偉大なるミュージシャンになる、という言葉が彼女を動かし始めた。


 高校生在学中にプロデビューしてからはギターと歌の両面で活躍し、一度別々の道を歩いた氷雨さんと七年の月日を経てバンドを結成した。


 その間もスイコさんはここに通い続けた。仕事の合間をぬって、自分の出したCDをイヤホンで兄に聞かせたり、こっそりギターを持ってきて演奏したりもした(病院スタッフに怒られた)。音楽で昏睡から目覚めた人がいたらしい、と青連院さんから聞いてからは自分の歌に限らず、兄を音楽漬けにした。時にはダンボール箱いっぱいのCDを持ってきて聞かせ続けた(病院スタッフに怒られた)。


 十年かけてスイコさんはここまで来た。兄に笑顔を向けられるようになった。

 ねぇ、そろそろ起きてよ。





 集まったはいいけど、特に何をするかは決まってなかった。


 十年経つので集まろう、というのが発起人である青連院さんの言葉だったが、それ以上は何もなかった。

 阿法さんがさっきから自分の書いた論文について喋っているが青連院さん以外誰も聞いてない。だって何を言っているのか分からないし。


「あ、忘れてた」


 私に国試対策を伝授していたスイカさんが突然声をあげる。


「これを渡されたんだった」


 スイカさんはハンドバッグを漁ると、小型のビデオカメラを取り出した。


「何ですか、それ」


「お父さんに押し付けられてね。皆で見るがいい、ってさ」


 配線類も揃っていたので、ベッドの足元にあるテレビにつなげてみる。

 むむ、色々とコードがあって良く分からない。メカとか苦手なんだけど。


「俺がやろう」


 代わってくれた栄坂さんは慣れた手つきだった。

 テレビに映像が映る。画面が暗く、最初は何が映っているのか分からなかったが、すぐに思い至った。


「これ、十年前の文化際ですよ!」


 皆が私に注目する。


「体育館ですよ、これ」


 すぐに思い至ったのは、十年前のあの日、私が見た光景と似ていたからだ。これを撮った人は多分私の近くに居たんだ。


「もしかしてお父さん、軽音部のステージを盗撮してたの? 許せないんだけど」


 スイコさんが訝るようにテレビ画面を凝視する。

 スイコさんとお父さんは仲が悪い。スイコさんのデビューをめぐって二人は大喧嘩したのだ。それが今でも尾を引いている。


 映像の手ブレはいかにもホームビデオみたいだ。舞台では演劇部が公演中だった。


「ほう。名高い二人の初セッションとは眼福だね。さぞ素晴らしいものだろう」


「ねぇ、これやめない? こんなの見たって面白くないよ」


 阿法さんの期待に、スイコさんはテレビの電源を切ろうと手を伸ばした。


「待って下さい。わたくしもぜひ拝見したいです」


 青連院さんが遮ると、さすがにスイコさんはそれ以上反対しなかった。が、他の人に助けを求め始めた。


「ひーちゃんだって嫌でしょ。自分の高校の時の演奏なんて」


「私は別にいーぜ」


 氷雨さんはニヤニヤしていた。

 私だって聞いていたから知ってる。氷雨さんは当時からかなり上手かった。演奏にしても歌にしても。一方でスイコさんは…………個性的だった。


 見れば阿法さんも青連院さんも心なしか笑っているような気がする。性格悪いなぁ、この二人。


 スイコさんが、お父さん絶対許さない、と一人で呟いていた。スイコ父に悪気はない気はするけど、余計スイコさんを怒らせてしまったようだ。可哀想に。


 映像では軽音部の公演が始まった。


『うおおぉぉぉおおおおぉぉぉ!』


 突然映像から中年の濁声が発せられる。何やら興奮しているようだ。

 チラッとスイカさんとスイコさんを見ると、二人とも画面から顔を背けている。あ、やっぱりスイコ父の声なんだ。

 撮影者の精神状態を表すように画面のブレが酷くなる。もう少し落ち着いて欲しい。


『スイコ、スイコ、はぁ、はぁ』


 息が荒くなっている。スイコ父は完全に不審者のようだった。

 正直引いた。

 映像では三曲目の演奏を終えて、スイコさんのMCが始まっていた。スイコ父の呼吸が一層激しくなっていく。この声カットできないかなぁ。


 スイコさんの歌が始まる。今の彼女からしたら黒歴史以外の何物でもないだろう。実際、会場では笑っている人もいた。

 現実のスイコさんは下を向いていた。恥ずかしいのだろう。


「ぅぅ……」


 ――――ッ!!


 何の前触れもなく、いきなりだった。その方向を向くのが怖くて、一瞬だけ躊躇する。

 見ればその場にいる全員の顔がベッドに向いていた。

「兄さん……」

 この十年間、どんなことにも反応しなかった兄が薄く目を開き、その目から涙をこぼしていた。




 了

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