第九話 解囲
戦争を知る者はこう言う。一人の勇者で戦況を覆すことはできない。
古代を知る者はこう言う。一人の勇者が状況を変えてしまう。
じゃあ、中世と近代の合いの子のようなこの世界で、俺は何ができる?
「耐えろ、援軍はそこまで来ているぞ!」
俺は必死に飽和攻撃に耐えている味方へ呼びかけて、再び敵の隊列に突撃していく。
……フィオナの軍に対する総攻撃が始まってから、いったいどれほどの敵が過ぎただろう。転がる死体は敵味方入り乱れ、夢の跡も希望のかけらも見つけられやしない。
現状は軍事学的に見て最悪ってやつだろうな。フィオナの部隊は完全に包囲されちまってる。空を矢が覆い、火球魔法の火の玉が降ってくる。機動力を削がれた騎兵なんて良い的だ。
俺はこの苦境を打開するため、フィオナに生存のための作戦を提案した。
もはや迫り来る包囲を止めることはできない。よって、下手に逃れようとして戦力を消耗するようなことをせず、一ヶ所に留まって力戦し、援軍の到来を待つ。
ただ、無抵抗で包囲されるということは、全周包囲……どこを見ても敵ばかりという状況になる。当然、包囲する側にとっては有利だ。数で勝る利点を生かし、殲滅戦を企てることができる。
そこで、「軍師殿に新開発の魔法をかけてもらった」という触れ込みの俺が、敵の軍列に突撃を繰り返し、少しでも攻勢を削ぐこととした。まあ、囮だ。泥臭い役割なのは重々承知している。
元の世界の歴史じゃあ、織田信長や豊臣秀吉が経験した、金ケ崎の撤退戦が思い浮かぶところだろう。
しかし、あの戦いは秀吉ならびに徳川家康がシンガリを務めたとはいえ、完全に包囲されるような状況には至らなかった。状況はなお悪いと言える。
一方、秀吉は俺を持っていなかった。たった一人で万の軍勢と互角に渡り合える、文字通りの万夫不当の勇者がいれば、軍事的常識なんてちり紙交換に出してしまえるはずだ。
俺だって男の子だ。こういうシチュエーションは燃える。
この作戦を提案した時のフィオナの表情ときたら、始めは騎士の誇りを見せ、続けて乙女の哀惜へと変わっていった。
悪くない。俺は白馬の王子様ってわけだ。ホワイトナイトだ。
そうして戦いが始まり、俺は繰り返し繰り返し、あちらの敵こちらの敵と突撃を繰り返している。
「何だテメェ!」
「死ねオラァ!」
美学も何もない声だけが、敵の口から発せられる。
俺は剣を振るっていた。来る前に支給してもらった剣ではない。あれはもう折れた。
失っては奪い、奪っては失う。
幸福みたいだ。
いや、かっこつけすぎだな。
金みたいだ。
うん、こっちの方がよほど真実を映し出している。
「かっこ良く生きてよぉ」
俺が剣を振るうと、一度に三人四人の敵兵が吹っ飛んだ。甲冑ごと両断される兵士も多かった。
「かっこ良く死にてぇよなぁ」
息が荒れてきている。
デュランの肉体を手に入れて、結構な時が経った。
初めて、疲れを感じる。
当然だ。常人なら何度死んでいるかわからないほどの無茶をしている。
「だけどよ、無理なんだぜ」
近くまで寄れば、敵は弓を使えない。魔法も近接戦闘には向いていない。この世界における魔法の立ち位置とは、元の世界における銃器に似ている。手軽で、誰にでも扱えるが、使い方を誤れば暴発する。
「俺たちは死ぬんだ。汚らしく、誰にも知られることなく」
心が昂ぶっている。
贖罪のつもりか?
違うな。同情しているのか?
戦場にいると、俺は自分のことがわからなくなりそうだった。
俺はかつての世界の俺のままなのか?
それとも、デュラン・スクルトゥヌスと融け合って、まったく別物になっちまったのか?
わからねぇ。
わからねぇが……。
「だけどよぉ」
今やれることをやるしかねえだろ!
「せいぜい悪あがきして生きようじゃねぇか!」
そう言いながら、俺は二つの首を跳ね飛ばすんだ。もっと生きていたかっただろうにな。
「うおおおおっ!」
戦友を殺された悲しみが、男たちの戦意を奮い立たせる。俺がいることで、ますます戦況が悪くなっているのではないかという疑念に駆られる。自分を信じる心が揺らぐ。
けど、他の何に拠って立てって言うんだ?
スケートリンクを滑るように、俺は敵を見ながら前を見たまま後ろに進み、その場から離脱する。くるりと回って味方のもとへ。
我ながら器用なことだ。
改めて思う。こんなにも強くなったのはなぜなのだろう。死を経験したからか?
だが、死を経験しただけで爆発的に覚醒するというのなら、もっと超人が増えていてもいいはずだ。
俺は特別な人間じゃなかった。今は特別な人間であると言わざるをえない。
夢見てやまなかったスペシャルさを手に入れたってのに、こうして戦いながら余計なことを考える意識すらあるってのに、空虚さが胸を突くことがある。
かつての世界の哲学者、ショーペンハウアーがこんなことを言っていた。
優れた人物はそれゆえに社会に溶け込むことなく、隠退への希求を捨て去ることができない。
そうなりつつあるのかな。
うぬぼれか?
「援軍はまだか!」
味方のもとにたどり着くと、火球魔法をもろに食らったのであろう戦友を抱き、慟哭する兵士の姿があった。彼もまた矢を何本も受けていた。目がうつろだ。失血も多い。助かるまい。
「もう少しだ。あと少しだ」
俺の胸元まで来ていた言葉を、目の下に濃いクマを浮き立たせた兵士が言った。彼は弓兵のようで、短弓を手にしていた。
だが、矢が切れている。剣に持ち替えようと体を震わせているが、彼の両手は継戦の意志を拒んでいるらしい。
レオノラ、まだか!
俺は疲労が全身に広がるのを感じた。敵へ突入するたびにそちら側からの攻撃は弱まるが、俺がいなくなるとすぐに傷穴をふさいでしまう。堂々巡りだ。
かといって、俺が一方にだけかかずらっていると、反対側の敵軍が押し出してきて、フィオナの部隊が完全に折れてしまう危険性があった。
さあ、もう一度だ。
俺は敵中に身を躍らせた。本物の万夫不当なら、この程度で疲れたなどと甘いことを言っていられない。疲労を感じているのは、向こうの世界から持ってきた俺の弱い心なのだ。こちらに来て手に入れた強靭な肉体は、まだ動けると強硬に主張している。
ああ、俺は弱かった。今は強いんだ。
退職届の書き方を検索するだけして、結局使わないような真似は二度とゴメンだ。
日々の憂さを掲示板に書き込むことで晴らす。あんな毎日は蹴り飛ばしてやりたい。
本物の勇者なら、本物の智者なら、それができる。俺は本物になってやる。他人の年収を聞いて卑屈に笑い、時に愚痴ばかり並べ立てる日々からの卒業を果たすんだ。
億千の人間にとっての英雄にはなれなくても。
歩けなくなった隣の仲間を助けられる人間でありたい。
「後ろから敵だ!」
誰かが叫んだ。敵兵の絶叫だった。
蒼天の下、帝国の旗が咲いている。それはフィオナの軍勢とはまるで違う方角から現れ、全周包囲を達成していた十三王国軍の外側を、さらに半周包囲する形で展開していた。
レオノラが来たんだ。
やったぞ、という思いが勇気と元気を奮い立たせる。
「ドキドキさせてくれるじゃねぇか」
敵兵の腹にド級の蹴りをくれてやり、俺はもう何度目かもわからない味方へのダッシュを敢行する。今や敵が混乱する番だった。彼らは敵を囲んでいたはずが、自分たちが囲まれ、挟撃を受ける形になっているのだ。
「援軍が来たぞ!」
俺は肺の空気をすべて吐き出す勢いで叫んだ。
フィオナが俺を見る。馬上の彼女は深く頷いたように見えた。
「こんな死に損ないを助けるために……ありがたい!」
「反撃の時だ」
「もちろんだとも」
俺はすっかり興奮してしまって敬語を忘れていたが、フィオナは気にするそぶりも見せなかった。この世には戦友とそれ以外だけで、戦友の間にはへりくだりは不要と言っているかのようですらあった。
「騎兵突撃をかけるぞ。向こうに見える帝国の旗めがけて突っ切れ!」
フィオナが剣を掲げた。
騎兵隊がそれに倣い、己の剣で天を突き刺した。
突進。
ここまでずっと機動力を殺され、包囲下で削られるだけだった騎兵たちが、初めてその本領を発揮する。
いいぞ、やっちまえ。
敵と味方が分かれている。味方が強烈な反撃を加えようとしている。こんなわかりやすい状況だから、俺はたちまち「なぜ戦うのか」「戦働きとは何なのか」という哲学を捨て去り、目の前の現実に声を高くした。
「こっからは俺たちのターンだろ?」
俺ももう何度目かになったかわからない敵中への突撃を行う。
フィオナの騎兵隊はすでに敵の中枢にまで肉薄していた。敵は進むも退くもままならなくなる、前後の帝国軍に圧迫され、陸に取り残された魚のようにもがいている。
包囲が、開く。
ついに敵の包囲戦術は崩壊した。こうなると、恐慌をきたすのは俺たちじゃない。あいつらの方だ。
戦いはパニックになった方が負ける。パニックに陥るということは、すなわち組織的な戦闘や機動が不可能になるということだ。烏合の衆と化した敵は、もはや追撃されるための存在でしかない。
十三王国軍が潰走していく。
フィオナ隊の損害もかなりのものがあったが、十三王国の部隊も多くの死傷者を出したらしい。枯野には死体や重傷者が数多く放置されていた。
「勝ったぞ!」
九死に一生を得た女騎士が、勝利を讃えた。
「帝国万歳!」
「勝利万歳!」
死線を越えた兵士たちが追随した。
はあ、何とかなった。しんどい。戦うのは飯やトイレと同じだ。余裕をもってできるに越したことはない。時間に追われ、他人に迫られ、焦りに焦らされる状況ではかえって体に悪い。そのうち胃にも穴が空くだろう。
追撃戦はフィオナたちを救った解囲軍が担当した。フィオナ隊には追撃を行うだけの余力が残っていないのだ。
「ありがとう、伝令殿」
フィオナが馬から下りた。
「おかげで敵を蹴散らすことができた」
「できる限りのことをしたまでです」
「伝令殿は軍師様にお仕えする人だろう?」
「よくご存知ですね」
「軍中でも有名だからな」
どうやらレオノラに言われてあちこちを駆けずり回る俺の姿は、こうした分隊の連中にまで知られる程度には有名な様子だった。
悪い気はしないが、照れくさくもある。
いずれ歴史の大波にさらわれて忘れ去られてしまうんだろうが、なあに、ザルモニア公の部隊を虐殺した男として名を残すよりはマシさ。
さあて、噂の軍師様に報告を行うために帰るとしますか。