赤月からの使者
三ヶ月ほど放置してしまいましたことを深くお詫びいたします。
なお、他の話も少しだけ手を加えております。
ご了承くださいませ。
木々が生い茂るこの場所で、小さな小鳥達が羽を休めているのが見えた。その小鳥達が会話する声が聞こえたと思えば、小枝と小枝の間を風が吹き抜けていく。
ざわざわと木々が音をたてると、小鳥は会話をやめ、一斉に大空へと飛び立っていった。
地面に視線を移せば、歩幅で跨げるほどの小さな小さな川が無数に流れる。
ラウイはそんな光景を見ながら、子供の頃に戻った気分でいくつもの川をひょいと跨いで遊ぶ。
ここはウィンティアとシデンが住まう〈オーヤリン〉と言う村。別名、『水の聖地』とも呼ばれている。
何故『水の聖地』と呼ばれているかと言えば、澄んだ小さな川が無数に流れているからだ。その川の源が、全て自然と水が湧き出る泉であった。
この川や泉は、村の人々から代々、飲み水や生活水として大切にされている。
目覚めてから三日間、ラウイはここでの暮らしを満喫していた。
温室育ちのラウイにとって、ここでの暮らしは驚くものばかり。
放し飼いにしてある鶏を追いかけて卵を採取したり、放牧している牛の乳を搾ったり。
ラウイにとって、見るものすべてが新鮮で、触るものすべてが新しく、ここでの暮らしがとてもきらきらと輝いていた。
「〈クイス〉の近くに、こんなのどかな村があったなんて。損した気分だわ」
ラウイは両腕を天高く伸ばし、大きく深呼吸をする。
「んーっ、気持ちいいっ!」
ラウイの表情は自然と綻び、笑顔で辺りを見回す。
「ラウイさんっ! ほらほら、夕飯のお魚を捕獲をしないと、ウィンティアおばさんに怒られちゃいますよっ」
「『働かざる者、食うべからず』とか言って、母さんに鳩尾に蹴り入れられんぞー?」
ラウイの近くに居たのは、相変わらず髪の毛がボサボサなチユと、目付きの悪いシデンであった。
「蹴られるのは、シデンだけよ。それに、私のこの力を上手く使えば、魚なんてすぐ獲れるわ」
自慢げに胸を張るラウイの顔を見て、シデンは更に目付きを悪くする。
「まあいいわ。見ていなさい、愚民っ!」
「……へいへい」
シデンに人差し指を向け、強気な態度で叫ぶラウイ。
そんな二人を楽しそうに見ているチユは、「お願いしますぅ、ラウイさんー!」と喜んで言っていた。
まかせなさい、と言わんばかりのどや顔でラウイは一番大きな川の前に立つ。そして、目を閉じて強く念じる。
(川に居る魚よ……、私の元へ!)
そう心の中で念じると、川からばしゃりと音が聞えた。その音が聞えたと同時に川の中から現れたのは、大小様々な魚であった。その宙に浮かぶ魚は、ざっと数えてその数は十匹以上。
その光景を見ていたシデンは目を丸くさせ、チユは瞳を輝かせて喜んでいる。
宙に浮かぶ魚はゆっくりとラウイの元に集結し、ゆっくりと地面に着地した。
すると、浮かんでいる時は硬直していたように動かなかった魚が、活き活きと飛び跳ねだす。
「わーっ! 凄いです、凄いですぅ!」
チユの瞳はキラキラと輝き、尊敬するような眼差しでラウイを見つめていた。
「ふふん、そうでしょう? この三日間、力を上手く使いこなせるように努力したから当然よ」
鼻高々に自慢しているラウイを尻目に、シデンは落ちている魚を拾い集めて籠に入れていく。
そのシデンの態度が気に食わないラウイは、次に拾おうとしていた魚に念を送る。
(魚よ、川に戻りなさい!)
すると、シデンが籠に入れた魚も一緒に宙に浮かぶと、すぐに川の中に飛び込んで行ってしまった。
「ちょ! お前!!」
「ふん、可愛げがないからこうなるのよ」
「可愛げがねぇのはお前だよ! この貴族野郎!」
「うるさいわね、このガキっ!」
火花を散らして睨み合う二人を見て、チユは困り果てた顔をしながら呟いた。
「……助けてください、お母さん」
◆◆◆
日が沈み始めた頃、なんとか魚を捕まえることに成功したシデンは、ずぶ濡れになった服を絞りながら家路へと歩く。
そんなシデンの姿を哀れみながら見ていたのはチユである。
「シデン、寒くないですか?」
「……なんとか、な」
チユの問い掛けに、ずぴ、と音を立てながら鼻をすすり、答えるシデン。
そんなシデンの姿を見て、ニヤニヤと笑っているのはラウイである。
「ふふふ、まさかこのガキも浮かび上がらせて、なおかつ、川に落とせれるとは……! もしかして私の能力、最強かも?」
「その能力、使うと命に関わるとかの副作用とかあれば良いのに」
「ざぁーんねんっ! そんなことがないから、楽しくて仕方がないのよ」
「悪戯ばかりに使う奴に、天罰とかお願いしますよ。神様……」
「悪用ではないし、可愛い悪戯なんだから、神様だって許してくれるわ」
ラウイが鼻で笑いながらそう言うと、シデンは立ち止まってから後ろを振り返る。そして目をつり上げながら噛みつかんばかりに吼えた。
「太陽の業火に焼かれてしまえ。そして、死ねっ!」
「きゃー、怖いわー! チユ、助けてー」
ラウイはまるで台詞を棒読みしているかのようにそう言うと、可愛い仕草をしながらチユの影に隠れる。
「チユっ! 頭がイカれちまう病気がうつるから、早くそいつから離れろ!」
シデンはチユの両腕を掴み、ラウイから引き離そうと引っ張り出す。
だが、それを良しとしないラウイも負けじとチユの服を引っ張った。
「チユだってね、クソガキの虚言には付き合ってられないの!」
「うるせえ! この偽貴族! 暴言ばかり吐きやがって!」
「いーたーいーでーすーっ、やーめーてーくださーいぃぃ」
二人に引っ張られ、痛そうに叫ぶチユ。前と後ろから引っ張られるチユの腕は今にも抜けてしまいそうだった。
三人がそんなことをしていると、突然、木々がざわつめきだす。
木々で羽を休めていた鳥たちは、慌てるように一斉に飛び立っていく。その姿はまるで、何かから逃げるように見えた。
生暖かい空気が村一帯に漂うと、辺りにつんと鼻につく臭いがする。
その臭いを嗅いだとたん、ラウイの表情が一転した。
「……血の、臭い」
ラウイはこの臭いを嗅ぐと、思い出したくなかった記憶が蘇る。
――血溜まりの中に倒れ込む、父親の姿だ。
「いやっ!」
急に目を見開くと、ラウイはチユから手を離し、両手で耳を塞ぐ。
「ど、どうしたんですか? ラウイさんっ」
ラウイの異変にすぐ気付いたのはチユであった。
ラウイはその場にしゃがみこむと、ガタガタと震えだす。
「村の様子がおかしいな……」
シデンも村の様子がおかしいことに気が付く。チユもいつになく真面目な表情で辺りを見回した。
次の瞬間、一つの家から悲鳴が聞える。
シデンは反射的にその家に向かう。小さな扉を勢いよく開けると、中には血の臭いが充満していた。
薄暗い家の中に一歩足を踏み入れると、シデンは絶句する。
シデンやウィンティアとも交流があった、仲睦まじい夫婦の変わり果てた姿がそこにはあった。そこら中が血にまみれ、直視できないほど無惨な亡骸と化していた。
その傍らには彼らの愛息子が佇み、ただ泣きじゃくっている。
この光景を見たジデンは、胃袋の方から込み上げるものを感じると、鼻と口を塞ぐように手を当てた。
込み上げる吐き気をぐっと我慢するシデンには、悲しさと怒りが込み上げてくる。
「なん、だよ……これ」
シデンがぼそりと呟くと、その亡骸の近くから立ち上がる影を見つけた。
家の中が薄暗かったが、シデンの瞳にその姿がはっきりと映る。
それは、金色に輝く長い髪の男であった。その男には、その夫婦の血であろう赤い液体がべっとりと付着している。
その金色の長髪の男はシデンの方を向き、その方向に一歩一歩足を進めた。
「お前が……やったのか?」
泣き声が響く家の中、シデンはその男を睨み付けて言う。
だが、その男は表情一つ変えずにただシデンを見つめているだけだった。
「やったのかよ!?」
シデンが叫ぶと、男は何も言わずにシデンの横を通り過ぎようとする。
だが、頭に血が上っているシデンは、自分より背の高い男の胸ぐらを掴み叫ぶ。
「黙ってるんじゃねぇよ!!」
だが、男は冷ややかで、禍々しい赤い色の瞳をシデンに向けてから言葉を吐いた。
「離せ」
「なんなんだよ、お前は……っ!! どうして、どうしてこの人達をっ!?」
シデンは怒りのあまり、その男に殴り掛かろうとする。
その姿を見て男は溜め息を吐き出す。
すると、男の背後から黒い翼が現れる。
漆黒の闇を思わせるその翼を動かすと、男はシデンの額に指を当てた。
「どけ」
男がそう言うと同時に、シデンは額を貫かれるような痛みを感じた。そう思った次の瞬間、シデンは額を強く押されたかのように後ろへ飛んでいく。
「なっ……!」
家から放り出されるかのように後ろへ飛び、そのまま地面に倒れこんだシデンは額の痛みに悶える。
「シデンっ!」
悶えるシデンを見つけたチユは、心配したように駆け寄る。
男は漆黒の翼を羽ばたかせながら家の外へ出ると、そこに居たチユの姿をその目で捉える。すると、眉一つ動かさなかった男の表情が変わっていく。
「お前は……」
驚いたような表情をして、男はそう言う。
その男と目が合ったチユは、シデンを守るように身構えた。
すると、男は次に悲しそうな表情を見せてから言葉を続ける。
「生きていたのか」
その言葉を聞いたチユは、何のことかさっぱりであった。
でも、不思議とその男を知っているような気がして、チユは口を開く。
「……あなたは誰、ですか?」
「オレは……――」
切なそうに言葉を詰まらせる男。そして何かを言いかけたが、その言葉を聞くこととはなかった。
「き、〈鬼神〉……〈鬼神〉だあぁぁっ!!」
村の異変に気付いた中年の男が、声を荒げて叫ぶ。
その叫び声を聞いた男は、言いかけていた言葉を飲み込むと、また無表情で言葉を吐いた。
「オレは、お前を殺す者、だ」
その言葉を聞いた瞬間、苦しむシデンは痛みを堪えながら叫ぶ。
「チユっ……っ! に、げろ…………っ!」
だがそれと同時に男は漆黒の翼を羽ばたかせながら一気にチユに詰め寄る。
シデンもチユも、もう駄目だと思ったその時だった。
男の頭上に、大きな岩が出現する。ふわふわと浮遊するその岩はまるで天高くから糸で吊り下げているようにも見えた。
男はすぐに自分の頭上に現れた岩を見つける。
すると、その岩は糸がぷつりと切れたかのように、男に向かって落ちてくる。
男はまた表情を変えずに漆黒の翼を広げると、落ちてきた岩に手をかざした。
すると、岩はすぐに砕け散り、辺りに粉塵をまき散らす。
「チユに手を出すなぁっ!!」
その声の持ち主は、ラウイであった。岩を男の頭上に落したのは、ラウイが力を使ったからだ。
ラウイの足は、離れたチユやシデンから見ても、震えていることがわかった。
「ほう。お前、〈白月の加護を受けし者〉か」
「い、言ってる意味がよくわからないけど、早く、早くどっか行きなさいよっ、〈鬼神〉! さ、さもなくば、もっと凄いもの……お見舞いするわよっ!?」
漆黒の翼の生えた男に対し、威勢よく叫ぶラウイ。だが、出てきた言葉とは裏腹に、体と声は余計に震えていた。
「死に急ぎたいようだな、人間。……では、先に殺してやろう」
男の赤い瞳が鈍く光ると、低い声でそう言う。そして、ラウイの方に手を向ける。
「死ね」
それを聞いたラウイは、恐怖のせいか頭を抱えてしゃがみこんだ。
「――あらぁん? アシュラちゃん。どうしてここにいるのかしらぁ?」
誰もがもう駄目だ。と思った刹那の時であった。
その声が聞こえると、男は行動をピタリと止める。
「聞こえてるのかしら? 〈鬼神〉のアシュラちゃん」
声の主はウィンティアであった。
ウィンティアはよく手入れのされている剣を片手で持ち、それを慣れた手付きで肩に乗せる。
「お前は、傭兵の――」
「昔の話はやめてほしいわ。歳を感じるじゃない。でも、アシュラちゃんは今も昔もそのままの姿ね。羨ましいわ」
〈鬼神〉アシュラと呼ばれる男はその言葉を聞いて眉をひそめる。
ウィンティアとアシュラが会話している中、ラウイは勇気を振り絞り、チユとジデンのもとへと急ぐ。
「チユっ! 大丈夫? ……あ、ついでに、ガキも」
「俺はついでかっ! ……いってぇ」
ラウイに突っ込みを入れるジデンだが、力を入れたせいか額に痛みが走る。
「そんな元気があるなら、大丈夫ね」
生意気そうに睨むシデンの肩をポンと叩き、ラウイは笑いながら言った。
「チユは大丈夫です。……あの、彼は誰なのですか?」
チユは〈鬼神〉アシュラを見ながら二人に問いかける。
「あれは〈鬼神〉だ。……魔を司る、赤月からの使者だ。俺は初めて見るがな」
「私は本で読んだことしかないんだけど、確か『赤月から産まれし魔の者。漆黒の翼を広げ、人間を無差別に殺す』って書いてあったと思うわ。怪物のような姿だと思っていたけど、実物は人のような姿をしているのね」
それを聞いたチユは、「そうですか」と言うと、〈鬼神〉アシュラとウィンティアに視線を向けた。
チユ達の視線が集まる先では、未だにアシュラとウィンティアの睨み合いが続けられている。
「どけ、俺はあいつを殺さなければならない」
真っ赤に光る瞳を、真っ直ぐウィンティアに向けて言う。だが、それに負けないくらい真っ直ぐな瞳で、ウィンティアもアシュラを睨む。
「それは出来ない話だなぁ。私にとっても、他の二人にとっても大切な宝物だからね」
「……では、遠慮なく殺す」
そう言うとアシュラは背中から生える大きな漆黒の翼を広げ、ウィンティアに指を向ける。
「ジデン!」
それと同時にウィンティアは剣を構え、大声でそう叫ぶ。
「二人を連れて逃げなさい!」
ウィンティアが二言目を言うと、アシュラの手に黒と赤が混ざりあったような禍々しい光が集まっていく。
それを聞いたシデンは痛みを堪えながら、「でも」と言う。
「あなたは男でしょう? 女の子二人を守らないで、なにをするの」
「だけどっ……」
シデンは拳を握り締めた。
彼の瞳には、寂しそうだが、大きなウィンティアの背中が映る。その背中は、何かを決心したようにも見えた。
そんなジデンの心境を察してかはわからないが、子供の顔も見ないまま、ウィンティアはまた言葉を発した。
「あなたは誰の子供なの」
シデンはその言葉を聞くと歯を食い縛るが、深呼吸をして心を落ち着かせ、ウィンティアの言葉に強く答えた。
「負けん気の強いウィンティア・トォズと、正義感の強いザン・トォズの子供だよっ……!」
そう答えてからシデンは、チユとラウイの手を引いて走り出す。母親を背に向け、振り返りもせず。
その光景を見てはいないが、ウィンティアの表情はどこか穏やかであった。
「それでいいのよ、ジデン」
「逃がすかっ!」
アシュラは手に集めた赤黒い光を三人に向ける。
だが、彼らを隠すようにウィンティアが立ちはだかった。
「手出しはさせない。私なら足止めぐらいにはなるでしょ」
「死ぬ気か」
「あなたを止めるのが私の役目。それで私が死んだとしても、構わないわ。……それに」
そう言うと、微笑みながらもウィンティアは言葉を続けた。
「死んだら、あの世でササランと会えるかもしれないしね」
「……ならば、言葉通り会わせてやろう」
アシュラそう言うと赤黒い光を放つ。そして、その光は村中を包み込んでいった。