第96話 長谷川真昼、10.19の悲劇を味わう
なんで胸がこんなにざわつくんだろ。
京から宇佐山城まで猛ダッシュで向かってるんだけど、嫌な予感がビンビンする。
センイチも『嫌な空や』とか言ってるし……まさか本当にヤバい状況なんじゃ……!
私たちは必死の形相で駆け抜けていた。
***
琵琶湖の南、宇佐山城の空は鉛色に染まり、今にも泣き出しそうな重苦しい雲が垂れ込めていた。
眼下に広がるのは、浅井・朝倉・比叡山延暦寺の連合軍、およそ3万。
対する森三左衛門可成の手勢はわずか1000余り。
城門の前で三左は、信長へ献上するために懐に温めていた英霊ボール『ナッシー』にそっと触れた。
ボールは、どこか哀愁を漂わせる猛牛のような赤い光を放っていた。
『……三左よ。今日は10月19日か? 』
「日付? ……いや、今日は9月だが……」
『そうか、太陰暦か。ワシのいた世界の太陽暦やと、今日は10月19日なんや。……川崎の悪夢を思い出すわ』
ナッシーボールが、悔しさに震えるように明滅する。
『オオギさんのマジックが潰え、あと一歩で優勝を逃し、ワシら猛牛ナインが号泣した日や。……あの日の空も、こんなふうに重たかった』
「……そうか。無念だったのだな」
『ああ。せやけど、今日は泣かんぞ。三左、行くで』
「ああ、行こう」
三左は短く答えると、妻のえいと幼い息子たちに向き直った。
「よいか、勝三。母上と弟たちを頼むぞ。信長様が戻られるその時まで、何としてもこの城を持ちこたえさせるのだ」
父の言葉に、まだ少年の面影を残す次男の勝三が涙目で食い下がる。
「嫌でござる! 拙者も出るでござる! 父上や兄上と一緒に!」
「馬鹿者ッ!」
三左の拳骨が、勝三の頭に炸裂した。
「痛っ……」
「敵は3万だ。城だけで受ければ、数の暴力で押し潰される。わしらが打って出て敵の足を止め、その隙に城の守りを固めるのだ。……これは俺たち大人の、男の仕事だ」
三左はしゃがみ込み、勝三の目を真っ直ぐに見つめると、ゴシゴシと乱暴に頭を撫でて背を向けた。
「お前は強い。だからこそ、守るべきものを知れ」
長男可隆も続いて背を向け、救援に駆けつけた信長の弟・信治がその隣に並ぶ。
「行くぞ! 織田家の意地を見せつけてくれるわ!」
坂本口で、両軍が激突した。
浅井長政が長槍をブンと振るうたび、突風のような衝撃波が発生し、織田兵が吹き飛ばされる。
英霊ボール『フミオ』の力だ。
「義兄上……通させてもらう! これが、私の信じる正義! お市殿の天下取り、真昼殿をお市殿に届けるために!」
朝倉軍の山崎吉家もまた、英霊ボール『マツキ』を使用する。
「猛将森可成。姉川での借りを返させてもらうぞ」
「行かせぬ! 此処は森三左衛門可成が守る死線なり!」
攻めの三左の二つ名は伊達じゃない。
バットを振るい、迫りくる雑兵と僧兵に血の雨を降らせていく。
『ワシの守備能力、限界まで引き出すで。ありったけの技術で、守護神三左を見事リードしたるわ!』
「頼むぞ、ナッシー!」
『うおおおおおお! 猛牛の如く突き進めぇぇぇ!』
三左の十文字バットが、まるで巧みなミットさばきのように敵の攻撃を弾き、絡め取り、そして強烈なカウンターを叩き込む。
ナッシーの力が、三左の防御力と粘り強さを極限まで高めていたのだ。
「そこや! インコース高め!」
「はっ!」
ナッシーの的確なリードにより、三左は3万の敵兵の中を無双の如く暴れ回る。
どんなピンチでもマウンドを死守する伝説の守護神のように。
けれど、そんな三左の快進撃を止める男が現れた。
朝倉軍の宿老、山崎吉家である。
「……猛将森可成。妙な粘りを見せると思えば、新たな英霊ボールを手に入れたか」
吉家は冷ややかな笑みを浮かべ、懐からどす黒く、それでいて冷徹な光を放つ英霊ボールを取り出した。
「だが、ここで終わりだ。……この『アリトウ』の前では、奇跡など起きぬ」
英霊ボール『アリトウ』。
それは、かつて10.19の川崎球場で、ダブルヘッダーの死闘の末にバファローズの優勝の夢を阻んだ、オリオンズのミスターの魂。
情け容赦のない、ルールと執念の権化。
『……ナッシーか。ここでも夢を見るつもりか? 甘いな。試合は終わらせんぞ。徹底的に抗議してでも、貴様の勢いを削いでやる』
アリトウの光が放たれた瞬間、ナッシーの動きがピタリと止まった。
『ぐ、ぐああああ! か、体が重い! 時間が……時間が進まん! アリトウさん、またワシらの邪魔するんか!』
ナッシーの叫びと共に、三左の動きから精彩が消える。
アリトウの能力――それは『遅延』と『冷徹な現実』。
熱狂的な勢いを強制的に停止させ、相手の心をすり減らす絶望の力。
「くっ……身体が……!」
動きの鈍った三左を、比叡山の僧兵たちが狙い撃ちにする。
――バババババババンッ!
鉄砲の一斉射撃。
三左を庇おうとした長男・可隆の胸に、赤い花が咲く。
落馬した若武者を、敵兵が無情にも串刺しにした。
「ぐっ……父上ッ!」
「可隆あああああああ!」
「三左殿、下がるのです!」
側面から崩されそうになった三左を救おうと、信治が突撃するが、山崎吉家の部隊に完全に包囲された。
「兄上……申し訳ありませぬ……!」
信治もまた、無数の槍に貫かれて散った。
息子と、主君の弟。大切な命を二つ奪われ、三左の目が血走る。
『あかん……あかんて……!』
ナッシーが絶望の声を上げる。
『またや……。また目の前で夢が散るんか。川崎球場のダブルヘッダー……最後の最後で……』
三左は満身創痍になりながらも、バットを杖にして立ち上がった。
「おのれぇぇ! 貴様ら、全員地獄の特等席に招待してやるわぁぁ!」
鬼神と化した三左は、満身創痍の体で暴れ回った。
三左の気迫に、3万の敵軍が一瞬怯む。
壮絶な姿に敬意を表した長政が、アリトウの冷たい光を遮るように叫ぶ。
「見事な武人だ! もういい、勝負はついた! 降伏せよ、森可成!」
長政の言葉を、三左は即座に拒絶した。
「断る! わが主君は織田信長様ただ一人! 命はくれてやるが、義は渡さん!」
三左の咆哮が、雷鳴のように轟く。
「尋常に一騎討ちといこうか」
穂先を下げ、一人の武将が進み出る。
ボロボロの鎧をまといながらも、その瞳だけは澄み切っていた。かつて今川に仕えていた古強者、朝比奈泰朝である。
三左は、泰朝を見て笑みを浮かべた。
「是非もなし」
一合も交えることなく、勝敗は決した。
三左の腹に槍の穂先が突き出す。
森三左衛門可成。
織田家の守護神の、壮絶な最期だった。
血を吐き、崩れ落ちる三左の懐からナッシーボールが転がり落ちた。
ボールは泥にまみれながら、走馬灯のようにかつての本拠地を映し出していた。
『……日生球場……藤井寺球場……。ワシらのホーム……。三左……守りきれんかった……。ああ……バファローズ……すまん……マユミ……オオギさん……合併後のバファローズはバファローズやない』
ナッシーの光が、涙のように揺らめいて消えかかる。
山崎吉家が歩み寄り、ナッシーボールを拾い上げた。
「……悲しい色をしたボールよ。貰い受ける」
アリトウが、その中で低く呟く。
『悪いな、ナッシー。ワシも川崎の仲間を救うのに、力が必要なんだ』
織田家の守護神は、10.19の悲劇を再現するかのように、夢半ばで無念のタイムアップを迎えた。
***
宇佐山城内に、冷たい雨音とともに悲報がもたらされた。
侍女たちが泣き崩れる中、三左の妻・えいは唇を噛み締めて立ち尽くしていた。
「……泣く暇があるなら、矢を束ねなさい! 鉄砲に玉を込めなさい!」
「奥方様……!」
「あの人が……三左殿が命を懸けて稼いだ時間を、無駄にする気ですか⁉ 泣くのは信長様が来て、敵を追い払ってからにしなさい!」
気丈に振る舞うその目からは、止めどなく涙が溢れている。
勝三もまた、壁を拳で殴りつけていた。
ガンッ! ガンッ! ガンッ!
拳の皮が裂け、血が滴り落ちても彼は止まらない。
「うおおおおおお……! 父上……! 兄上……! それがしも出陣していれば……!」
ガンッ! ガンッ! ガンッ!
「見てろよ……朝倉、浅井、比叡山……! それがしが……全員、ミンチにしてやる……!」
雨は止まない。
宇佐山城は血の涙を流しながら、決死の籠城を続けていく。




