第91話 長谷川真昼、セクハラされる
岐阜城の大広間は、さっきまでの長良川でのキャッキャウフフな空気は微塵もない。
私の髪はまだ少し湿っているけれど、心は完全に乾ききって砂漠状態だ。
信長様は上段の間で、かつてないほどの怒気を放っていた。
手渡された書状を、バキバキと音を立てて握りつぶす。
「……荒木村重め。俺を舐めやがって」
「荒木村重?」
たしか摂津守護・池田勝正さんの部下の人だよね?
そういえば朝倉攻めに勝正さんは来てたけど、村重さんはいなかったなあ。
私がキョトンとすると、半兵衛君が冷ややかな声で解説してくれる。
「摂津の池田勝正殿が腹心の荒木村重に城を乗っ取られ、追放されました。村重は宿敵の三好三人衆と手を組み、織田家からの離脱を表明したのです」
なんとね。長政さんの裏切りが波紋を広げている感じか。
「村重の寝返りはただの寝返りではありません。……これは、巨大な包囲網の狼煙です」
半兵衛君が地図を広げる。
摂津、河内、和泉……西国の勢力図が一気に赤く染まっていく。
「村重の背後は三好三人衆だけではなく、石山本願寺が動いている気配があります」
「本願寺……! あの生臭坊主どもか!」
信長様が立ち上がり、即座に号令を発した。
「全軍、出陣だ! 久秀と合流し、裏切り者どもを叩き潰す!」
「ええっ⁉ 水着回は! 読者サービス回はもう終わりなの⁉ まだ半分も楽しんでないよ!」
私の悲鳴は無視され、編成が発表された。
「岐阜の留守居は新五郎、および浅井・朝倉への牽制は、権六、右衛門尉。三左は宇佐山城を守護せよ!」
「「「はっ!」」」
「京は十兵衛、伊勢は久助、若狭は五郎左を残し、それ以外の面子は出陣の支度せよ!」
こうして私たちは、不穏な空気が渦巻く摂津へとひた走ることになった。
***
大和国、多聞山城は白漆喰の壁が輝く壮麗で、立派な櫓に手入れの行き届いた美しい庭園。
なんていうか、洋風なお姫様が住んでそうな場所だった。
久秀さん、案外少女趣味なのかな?
なんて呑気なことを考えながら通された大広間。
「くっくっく、お待ちしておりました」
「これはこれは信長様、息災で何より」
なんとそこに、悪い顔をして笑う久秀さんと、隣に討伐対象であるはずの荒木村重本人が平然と座っていたのだ。
「て、てめえ! どういうつもりだ!」
「なぜ裏切り者がここにいる!」
又左さんと成政さんが叫ぶ。
「えっと、裏切りが嘘だったとか? でも、摂津守護だった勝正さん、私たちの後ろで泣いてるよね?」
私も混乱して叫ぶと、村重は太々しい笑みを浮かべて平伏した。
「裏切りなど滅相もない。……信長様に忠誠を誓いにこうして馳せ参じた次第」
「ほう……ならばなぜ、三好三人衆と手を組んで勝正殿を追放した?」
いつも温厚な勝三郎恒興さんも、かなり怒り気味だ。
うんうん、わかるよ。勝正さんと名字おんなじ池田だもんね。
勝の字も被ってるし、親戚じゃなくっても気になるよね。
村重は平伏したまま、答えてくる。
「はい。摂津は勝正様ではなく、勝正様のご子息の知正様にお譲りするように説得しただけでございます。三好三人衆の力を借りたと思われたのは慮外です。これはあくまで摂津国の問題」
白々しい! 説得っていうか、実力行使で追い出したって聞いたよ⁉
証拠も全て揃ってるどころか、被害者までこっちは確保してるんだよ!
その追放されて逃げ込んできた池田勝正さんに、信長様は見下ろして冷徹に告げた。
「勝正。……戦国乱世の常だ。知正に家督を譲り、隠居せよ」
「なっ……信長様! そんな……!」
「奪われたお前が弱い。村重の才覚が上回った、それだけのことよ。受け入れよ」
勝正様が絶望の表情で崩れ落ちる。
厳しい。でも、これがこの時代の実力主義なんだ。
『力の衰えたベテランは、頭角を現した若手にポジションを奪われる。……グラウンドでなんども見た光景じゃ』
センイチ? 弱った勝正さんに塩を塗るのはやめて上げて。
秀長? そこで肩にポンと手を置くのは逆効果だと思うよ?
裁定を出した信長様に半兵衛君が前に進み出る。どうやら不満があるようだった。
「信長様、お待ちください。荒木村重は危険です。この男には主を敬う義なし、力ある者に付くだけの変節に理なし、三好三人衆の力を借りながら約定を破る信なし、人の世の決まりごとを平然と破る条なし。己の欲望のみで動く劇薬。生かしておけば必ずや災いとなります。処刑が妥当でしょう」
わーお。半兵衛君がここまで言うって珍しいな。
義、理、信、条か。
毎年クラスの女子たちと、義理チョコ交換する企画してやり遂げてたっけ。
行きが手提げ紙袋一つなのに、いつも帰りは手提げ袋5つ以上になったっけ……。
でも、全部食べたよ私。
うん、私は義理信条全部あるね。
さすが私だ。半兵衛君が私を信頼してる理由もこれなんだね。
村重は眉一つ動かさないで泰然としている。
「義は主への忠義、理は物事の道理、信は誠実さ、条は法度を守る。……信長様、半兵衛殿の申す通り、全てがない人は珍しいかと」
秀吉さんも半兵衛君に同意する。
代わりに口を開いたのは、久秀さんだった。
「お待ちなされ、半兵衛殿。この戦国乱世、強い者につくのが道理。半兵衛殿の言う綺麗事では、今後降伏する者を片っ端から処刑せねばなりますまい」
久秀さんはニヤリと笑い、村重の肩を叩いた。
「義なし、理なし、信なし、条なし、結構ではございませんか? そんな欲深き者を従わせてこそ、信長様、乱世の終息になると思いませぬか? 摂津の国人衆は、そんな村重殿に屈服しているのです」
信長様は「フン」と鼻を鳴らし、手元にあった火縄銃をガシャリと構えた。
そして私のほうへ手を伸ばす。
「真昼、それをよこせ」
あまりの緊迫した事態に呆然として、私が久秀さんから貰って手に持ったままだった紅白饅頭を信長様はひったくると、火縄銃の銃先にブスリと突き刺した。
「ああっ! 私の癒やしの糖分が!」
信長様は饅頭の刺さった銃口を、村重の鼻先に突きつけた。
「食え」
銃口の黒い穴が、村重の口元を狙っている。
震えて落とせば、その口に鉛玉をぶち込んでやる――無言の圧力。
それを村重は震えもせずに大きな口を開け、パクっと饅頭にかじりついた。
銃口が口の中に入っても動じず、咀嚼して飲み込む。
「……美味でございますな。真昼様の食べかけゆえ、甘みもひとしお」
「うわぁ……この人、心臓に毛が生えてるよ……しかもセクハラ発言まで……」
私がドン引きする中、信長様は銃を下ろし、愉快そうに笑った。
「面白い。久秀、俺に村重を使いこなしてみせろってか? よかろう。……荒木村重、貴様に三好三人衆討伐の先鋒を命じる。行け!」
「ははっ! この村重、必ずやご期待に添いましょう」
村重は悪びれもせず、堂々と退室していった。
背中は野心で膨れ上がっているように見えた。
「チッ。狂ってる野郎だな」
「気味悪い奴だぜ」
又左さんと成政さんの暴れん坊2人すら不気味がるって、荒木村重……相当ヤバいんだろうな。
半兵衛君が信長様に近づき、小声で釘を刺す。
「……信長様。あの男には常に警戒をお忘れなきよう。あれは飼い犬の手を噛む狼です」
「わかっている」
それを聞いた久秀さんが、やれやれと肩をすくめて軽口を叩く。
「半兵衛殿は、それがしにも『警戒せよ』と忠告していそうですな?」
半兵衛君は扇子を開き、久秀さんを見て微笑んだ。
「いえ。貴殿は村重とは違います。貴殿は理と条で動くお方。損得勘定が合う限りは裏切りません」
「おや? 義と信はないと? ハハ、正解ですな」
久秀さんは「一本取られた」とばかりに笑った。
くえない大人たちだなぁ……。
信長様が立ち上がり、バットを掲げる。
「よし! 狙うは三好三人衆が籠る野田城と福島城! ここを落とし、畿内の膿を出し切るぞ!」
織田軍が出撃準備に入る中、野田城と福島城の方角から、異様な熱気と共に聞き覚えのある絶叫が響いてきた。
「ぜっこうちょおおおおおおおおおおお!」
「げっ! あの声、また龍興⁉」
さらに、ドスの利いた怒号が重なる。
『喝だ、喝! 気合が足らんのじゃあ!』
私の懐で、センイチがビクリと身構えた。
『……今の声、ポッポさんじゃ。選手時代、四方八方に喧嘩売って、ポッポを殴る会が設立されたほどの存在。監督になってからも激昂して退場になること幾数多。ヤバいのがいるぞ。気を引き締めい……!』
「なんだ、センイチがよくする武勇伝とおんなじじゃん」
『一緒にするな! 儂の激昂はパフォーマンス5割、ガチ5割。なのにポッポさんは、バッターがデッドボールをくらった次の瞬間には、マウンドで相手ピッチャー殴る闘争本能しかないガチの漢じゃ。……ブルッ』
「……だからさあ。英霊ボールたち、戦国乱世の人たちよりヤバいの多くない?」
私はガックリと項垂れた。
水着回の天国から一転、修羅場への直滑降。
私の青春、どこに行っちゃうのー⁉




