第84話 長谷川真昼、勝家と信盛に酒樽をプレゼントする
これは私が信長様と共に千草峠で狙撃され、命からがら岐阜へ逃げ帰っていた直後の話。
南近江の野洲河原という場所で、もう一つの熱くて、とんでもなく渇いた死闘が繰り広げられていた。
――南近江、野洲河原。
そこは水源のない干上がった荒野だ。
猛暑が大地を焼き、砂嵐が舞う。
織田軍の別働隊を率いる柴田権六勝家と佐久間右衛門尉信盛は、六角残党の執拗な挑発に乗せられ、この死地へと誘い込まれていた。
「水……水をくれ……」
「もう一歩も動けねえ……」
織田兵たちが次々と脱水症状で倒れていく。
竹筒の水はとうに尽きていた。
周囲を囲むは、六角承禎・義治親子と四国から舞い戻った三好三人衆の大軍。
退路を塞ぐは、雑賀の傭兵・鈴木孫一率いる鉄砲隊だ。
「どうした織田の連中! 喉が渇いたなら三途の川まで案内してやるぜ!」
孫一が愛銃を構え、正確無比な狙撃で水汲みに行こうとする決死隊を撃ち抜く。
孫一の横で、銀色に光る英霊ボール『オニヘイ』が浮遊していた。
『……ここを通すわけにはいかん。我が守備範囲は鉄壁。蟻一匹逃さんぞ』
オニヘイボールが放つ冷徹な波動は、まるで全盛期の名遊撃手の如く、織田軍のあらゆる退路を塞いでいた。
「くそっ、あの鉄砲使いとボールめ……! 完全に計算し尽くされた配置だ。付け入る隙がねえ!」
副将の信盛が、乾いた唇を噛み締めて呻く。
兵たちの士気は限界だった。
誰かが「もう降伏して水を貰おう」と呟き、弱音は疫病のように陣中に広がっていく。
陣の中央には、最後の希望である巨大な水瓶が三つだけ残されていた。
理性を失いかけた兵士たちが、水瓶に群がろうと手を伸ばす。
「待て」
地響きのような声が響いた。
ゆらりと現れたのは、総大将の柴田勝家。
手には丸太のように太い、特注の金属バットが握られている。
「し、柴田様……。せめて一口……」
「水を……水をください……」
兵士たちが懇願するが、勝家は鬼のような形相で兵士たちを見回した。
「貴様ら、この程度の渇きで負け犬になるか? 織田の野球はな……9回裏ツーアウト、追い込まれてからが本番だろうが!」
勝家はバットを大きく振りかぶった。
狙いは敵ではない。
兵士たちがすがりつこうとした、命綱の水瓶だ。
「俺たちが次に飲むのは、こんな泥水じゃねえ! 敵の血か、勝利の美酒のみよぉぉぉ!」
――ガゴォォォォォォン!
凄まじいフルスイングが炸裂した。
陶器の砕ける音と共に、貴重な水が乾いた砂地へとぶち撒けられ、瞬く間に吸い込まれて消えていく。
「あ……ああ……」
兵士たちが絶望の声を上げる。
退路も、水も、全て失われた。
死ぬ。ここで干からびて死ぬんだ。
すると勝家がバットを敵陣に向けて突きつけた。
「水がねえなら、奪えばいいじゃねえか! 目の前にはたっぷりと水を蓄えた六角と三好のボンクラどもがいるぞ! 生き延びたければ、奴らを殺して奪えぇぇぇ!」
プツン。
兵士たちの脳内で、何かが切れる音がした。
絶望が、生存本能という名の殺意へ反転する。
「……そうだ。あいつらを殺せば水が飲める」
「奪え……奪えぇぇぇ!」
「うおおおおおお! 水を寄越せぇぇぇ!」
織田軍が、人間であることをやめた。
渇ききった喉から獣のような咆哮を上げ、修羅の形相で突撃を開始したのだ。
「ひぃぃぃっ! な、なんだこいつらは⁉」
「目が……目が人間じゃねえ!」
高を括っていた六角・三好軍が、予想外の狂乱に悲鳴を上げる。
信盛もまた、腹をくくって采配を振るった。
「退き佐久間の本領は、引くことのみにあらず! 敵の狙いを逸らすことよ! 散開せよ! 権六がホームランを打つまで、儂が繋ぐ!」
信盛の巧みな指揮で兵が分散し、孫一ら雑賀衆の狙撃の的を絞らせない。
オニヘイの鉄壁の守備範囲すら、死を恐れぬ兵の数と勢いに圧倒され、突破されていく。
「オニヘイの予測を超えやがった⁉ なんだこの馬鹿どもは!」
孫一が焦る中、勝家は一直線に敵の本陣へ突っ込んだ。
六角家の大将・三雲定持が槍を繰り出す。
「愚か者め! 乾いて干からびた身体で何ができる!」
「乾いてるからこそ、身体が軽くてバットが振れるんじゃ!」
勝家は槍を紙一重で躱し、定持の懐に飛び込んだ。
「場外へ消えろォォォ!」
剛腕一閃。
勝家の金属バットが三雲の兜を捉え、首ごとスタンドインさせた。
「敵将、討ち取ったりぃぃぃ!」
大将を討たれた六角親子と三好三人衆は、狂戦士と化した織田軍に蹂躙され、恐怖のあまり武器を捨てて逃げ出した。
「こ、こやつら人間ではない! 修羅じゃ!」
「逃げろ! 四国へ逃げろぉぉ!」
こうして敵軍は崩壊し、遠くの丘から戦況を見ていた孫一は、呆れ果てて銃を下ろした。
「……自分の水を叩き割って笑ってるヒゲ親父とか、関わり合いになりたくねえな」
『うむ。六角と三好が逃げたなら、我らが残る理由もなし』
オニヘイも同意し、雑賀衆も速やかに戦場を去っていった。
戦いが終わり、夕立が降り始める。
勝家と信盛は、天を仰いで雨水を口いっぱいに受け止めた。
「……ふぅ。生き返ったわ」
「無茶苦茶な男よ、お主は」
信盛が苦笑し、勝家は晴れやかな笑顔を向ける。
「これで後顧の憂いは断った。行くぞ、お館様が待つ岐阜へ!」
***
数日後の岐阜城で、ボロボロになりながらも凱旋を果たした勝家さんたちを、私は城門で待ち構えていた。
「勝家さん! 信盛さん! おかえりなさーい!」
「おお、真昼殿! ただいま戻ったぞ! 酷い目にあったわい!」
勝家さんがガハハと笑いながら馬を降りる。
私は秀吉さんたちと一緒に用意していたご褒美を指差した。
「喉が渇いて大変だったって聞きました! だから、信長様にお願いして、とびっきりの水分を用意しましたよ!」
「おお! 気が利くではないか!」
勝家さんと信盛さんの目が輝く。
私がどーん! と披露したのは、山のように積まれた酒樽のタワーだ。
祝勝会はビールかけって、センイチから教わってたからね。
「伊勢と美濃の銘酒、飲み放題です! さあ、水分補給してください!」
私の言葉に、勝家さんは一瞬キョトンとした後、腹を抱えて爆笑した。
「ガハハハハ! 水分補給が酒か! 違いない、これぞ武士の水よ!」
「こりゃあ一本取られたわい。脱水した身体に酒とは、真昼殿も鬼じゃのう!」
信盛さんも嬉しそうに酒樽の蓋を開ける。
「さあさあ、遠慮なく! 今日は無礼講ですよ!」
私は柄杓でなみなみと酒を注ぎ、2人に手渡した。
勝家さんはそれを一息に飲み干し、プハーッと息を吐く。
「うめぇ! やっぱ水よりこっちだな!」
こうして野洲河原の激戦は、大量の酒と共に笑い話へと変わっていった。
後方の憂いを断ち切った織田軍は、いよいよ全戦力を北へ――裏切り者・浅井長政と、朝倉軍が待つ姉川へと向ける準備を整えたのである。
……まあ、翌日、勝家さんたちが酷い二日酔いで「水……水をくれ……」ってゾンビみたいになってたのは、内緒の話だけどね。




