第110話 長谷川真昼、アーチストと怪童をゲットする
大和国は、底なしの沼のように混沌としていた。
松永久秀さんを三好三人衆への降伏という屈辱に追い込んだ筒井順慶だったけど、勝利の美酒は長くは続かなかったみたい。
順慶の参謀、盲目の僧・木阿弥は鋭い嗅覚で風向きの変化を悟っていた。
「……順慶様。京の二条御所から、腐臭が漂っております」
木阿弥は杖を西に向け、白濁した瞳で見えないはずの京を見据える。
「将軍・義昭公の心は闇に沈みました。あの泥舟に乗れば、我らも共倒れになりましょう。……今、真に頼るべきは、比叡山を焼き、摂津を平らげた織田信長にございます」
進言を受けた順慶は、驚くべき早さで掌を返した。
即座に信長様に使者を送り、「久秀は三好と通じる不義理者! 拙僧が先鋒を務めますれば、信長様もご出陣くだされ!」と、ちゃっかり織田の武力を利用して宿敵を潰そうと提案してきたのだ。
岐阜城で報告を受けた信長様は、上機嫌で大笑いした。
「順慶め、義昭を見限ったか。よかろう、出陣だ。信玄が動く前に大和を平らげるぞ」
そうして始まった大和への進軍なんだけど……。
「ねえ信長様、歩くの遅くない? ハイキングじゃないんだよ?」
私は馬上で欠伸を噛み殺しながら文句を言う。
進軍速度が亀なのだ。
順慶からは「早く来てください! 久秀を潰す好機なんです!」って矢のような催促が来てるのに、信長様はのらりくらりと行軍し、久秀さんが籠もる多聞山城へ牙を剥く気配がまるでない。
「フフ、真昼殿。これは戦の形をした舞台ですよ」
隣で半兵衛君が扇子で口元を隠し、意味深に微笑む。
「信長様は久秀殿を滅ぼす気など毛頭ありません。筒井と松永、大和の二大勢力を共存させ、西を安定させる。……そのためには、両者に貸しを作る必要があるのです」
「よかった。戦いにならないんだね。久秀さんって私のお父さんを傭兵プロデュースさせた、お母さんすら騙す知り合いのおっさんにそっくりだったから、真正面から戦うの嫌だなあって思ってたんだよね」
「クスッ。状況はまさしく、真正面から戦うと致命傷になる感じですね」
***
そして数日後。
いつもこういう役回りを押しつけ……もといこの人しかできない仲介役を承った光秀さんの奔走により、佐久間信盛さんの陣所で、歴史的な三者会談がセッティングされた。
茶の湯の香りが漂う陣内だけど、空気は硫酸みたいにピリピリしている。
というのも、久秀さんが英霊ボールを所持しているからだ。
しかもそれは――
「ねえ、センイチ? フトッサンって美濃で以前会ったよね? あの時は誰かの支配下で意識なかったけど、今はあるみたい。足利義輝さんが持ってたって噂だけど」
そんな私の疑問に、フトッサンが答える。
『将軍が死んでから意識がなかったが、この久秀に救われての。こうして大和におるんじゃ』
へえ、苦労して誰かの支配下から脱出したってことか。
「……クックック。順慶、坊主のくせに殺気立っておるな」
荒々しい闘気を隠そうともしない英霊ボール『フトッサン』の持ち主、松永久秀さんが不敵な笑みを浮かべる。
対する筒井順慶の代理、木阿弥の手には、黄金に輝く『タブチ』が浮かび上がり、美しい放物線の情念が火花を散らしている。
するとセンイチが飛び出し、タブチに体当たりした。
『ブチ! お前ブチか! 元気にしとったかワレェ!』
『お、おー! センちゃん! 久しぶりやねえ! まさかこんな乱世で会えるとは!』
センイチとタブチ。
燃える闘将と天才アーチスト。明治と法政、大学時代からの親友コンビの再会に、さらにもう一つのボールが転がり出た。
『やれやれ。騒がしいと思えば……ようやくの再会か』
以前、長政さんから回収していた『読みのコウジ』だ。
『コウジじゃねえか! 68年ドラフト同期トリオが集結か! 懐かしいのう!』
センイチ、タブチ、コウジ。
三つのボールが空中でグルグル回りながら、ギャーギャーと言い合いを始めた。
『ブチ、お前ちょっと太ったんちゃうか? 回転が重いぞ!』
『失礼な! これは重厚感と言うてくれ! コウジこそ、相変わらずスカした回転しよって!』
『ふん、儂は常に読み通りの回転をしているだけじゃけえ。センイチ、お前こそすぐに熱くなって暴投する癖は直ってないようだな』
『何だとコラ! 表出ろや! ……あ、ここ表か!』
まるで同窓会のような騒ぎにフトッサンが、少し離れた地面でポツンと転がっていた。
『……ええのう、同世代は。ワシ、ちょっと世代が上やから話に入りづらいわ……。ライオンズの話とか、通じんのかなあ……』
怪童・フトッサンから漂う哀愁が半端ないけど、気を取り直したみたいでタブチに向かい合う。
『タブチ! お前の打球は線が細い放物線のようじゃ! 男ならライナーでスタンドの金網突き破らんかい!』
フトッサンが挑発すると、タブチが優雅に回転して言い返す。
『フフ……美しくないわ。野球は芸術ですぜ、怪童さん。ワシはヒロオカさんの教えで変わったんや! 芸術を貫いてチームプレイしろっとな!』
一触即発の空気を、ガンッ! という鈍い音が叩き割った。
信長様が金属バットを床に叩きつけたのだ。
「順慶、久秀を攻めるのはやめろ。久秀、順慶への手出しもこれまでだ」
信長様の眼光が、2人を射抜く。
「貴様ら、いつまで近所迷惑な小競り合いを続けるつもりだ。両者とも俺の配下となれ。嫌だというなら――今ここで、この俺が引導を渡してやる」
信長様の覇気に、順慶が脂汗を流して沈黙する。
久秀さんも「チッ」と舌打ちしつつ、肩をすくめた。
「……クックック。まあよい。義昭公の松永討伐という企てを台無しにできただけで、今は十分よ」
***
とりあえずの合意は得た。
でも、英霊たちの因縁は言葉だけじゃ収まらない。
信長様は手打ちの儀として、一打席の神事――つまり野球勝負を提案した。
ピッチャー信長様、キャッチャー私。
対するバッターは、木阿弥と久秀さん。
「いくぞ! プレイボール!」
第一打席、木阿弥。
盲目の軍師がタブチの能力を解放する。
「天を穿つ巨砲!」
カキィィィン!
放たれた打球は信長様の剛速球を捉え、遥か上空へと舞い上がった。
高い。高すぎる。雲を突き抜けるような、美しい放物線。
でも――。
「甘い!」
レフトの信盛さんのグラブに収まる。
信長様の覇気がボールに重圧をかけ、打球の伸びを殺したのだ。
「アウトォ!」
審判の光秀さんが高らか右手を挙げた。
続く第二打席、久秀さん。
フトッサンの怪童力が炸裂し、丸太のようなスイングが空気を切り裂く。
「粉砕してやるわぁ!」
ズドォォォン!
しかし信長様のストレートは、バットをへし折る威力でミットに突き刺さった。
三振。勝負あり!
私は駆け寄り、地面に転がった2つのボールを回収した。
「タブチとフトッサン、回収させてもらうからね」
私は2つのボールを拾い上げた。
ふう、久しぶりに英霊ボールを回収したよ。
『そうや、センちゃん。小娘。言うことがあったわ』
『ああん? 手打ちしたんやから告げ口は聞かんぞ?』
『違うわ。情報や……』
タブチが何か言おうとした瞬間。
久秀さんの背中が歪んで見えた。
『……あ、あれ?』
タブチの光が、急に砂嵐のように乱れた。
『なんや? 頭にモヤがかかったみたいに……言葉が出ぇへん。……シンキング……ベースボール……? 思考が……霞む……』
タブチはブルブルと震え、それ以上言葉を発することができなくなった。
『スウ……スウ』
あっ、眠っちゃった。
『勝負に負けたら眠りにつくっつーても早すぎやろ、ブチめ』
センイチが嘆息する中、信長様が告げる。
「久秀、順慶! 今後は争うことを許さん! 言っておくが、俺に相手の陰口は通用せんからな!」
「「ハハッ!」」
こうして大和に平和が訪れ、私たちは岐阜へと帰還する。
その途中で半兵衛君が「木阿弥なる者……放置でよろしいので? 恐らくかの者の正体は……」と信長様に囁いていく。
「案ずるな半兵衛。あれはただの親バカよ。順慶に向ける顔、俺の親父や平手のジジイにそっくりだったさ」
「目を病み、死んだことにして息子を影から守っていましたか。筒井順昭……惜しい人材でした」
「え⁉ 第二の父って順慶さんが言ってたけど、ガチのお父さんだったってこと⁉」
私の問いに、信長様も半兵衛君もニヤニヤ笑うのだった。
そういや、私のお父さんも学校のイベントには必ず出席してきたもんなあ。
親の子への愛って……深いね。
***
去りゆく私たちを見送る多聞山城の天守。
松永久秀さんは、懐からもう一つのボールを取り出し、ニタリと笑っていた。
息子の久通に預けて難を逃れていた、真の相棒『ブレイザー』だ。
『クックック……フトッサンを犠牲にしてミーを残し、順慶からタブチを奪わせた。上等ね』
「ああ。パワーは失ったが、順慶の最大戦力も消えた。これで大和は頂いたも同然。……ブレイザー、しばらく潜伏していろ。機が熟すまでな』
久秀さんは満足げに頷いた。
足利義昭の久秀排除の目論見は崩れ、大和の二大勢力は信長様の剛腕によって無理やり織田家に組み込まれた。
西と南の憂いは、一応消えた。
けれど東の空はかつてないほど黒く、重く淀んでいる。
ついに甲斐の虎が、美濃と遠江に向けて軍を動かそうとしていた。




