出発の朝
夜が明け、いつもより重たい瞼を持て余しながら、マコは新たな仕事先へ向かう朝を迎える。
ファンタイム・プレックス……娯楽を詰め込みすぎた結果、四階建ての巨大施設となったというその場所は、マコにとって未知そのものだった。
そして、彼を迎えに現れたのは──。
……端末が規則的なアラーム音を出し続けている。しかしマコが起きる様子は全くない。彼は深い眠りに入っているようだった。
その様子を見兼ねたガーディがマコに声をかけ始めた。
「マコ、起きてください。九時からファンタイムプレックスのオーナーが迎えに来られるのでしょう? そろそろ起きないと、間に合いませんよ」
「ん……」
マコは眉間に皺を寄せて唸った。
「……仕方ありませんね」
その一言と共にアラーム音が大きくなり、耳元でそれを聞いたマコは飛び起きた。
「おはようございます、マコ。目は覚めましたか?」
「……おかげさまでな……!」
マコは耳を押さえながら挨拶を返す。
「約束の時間まで、あまり余裕はありませんよ。急ぎましょう」
「……」
マコは端末を手に取り、ジッと画面を見つめた。
(ここまでのサポートをするような設定つけたっけ……)
ガーディを完成させたとき、自分はどんな精神状態だったか……とマコは額を押さえて記憶を遡った。しかし虚しいことに、数日前の記憶はただ急いでいたことしか思い出せず、彼は溜息を吐いた。
「マコ?」
「……いや、何でもない。準備に取り掛かるよ」
マコはそう言って布団を畳み始めた。
約束の時間の五分前。準備を終えたマコは荷物を持ち、待ち合わせ場所に向かおうと玄関を開けたその矢先――。
「――六道マコくん……で間違いないでしょうか?」
突然声をかけられ、驚いたマコは僅かに身を引いて、声をかけてきた相手と距離を取った。
「あぁ、失礼。驚かせるつもりはなかったのですが」
「……どちら様で?」
「私ですか? 私は暫くの間、貴方を雇用するファンタイムプレックスのオーナー、アガレスです」
マコはアガレスの瞳を見た。そんな彼の様子を見て、アガレスは愉快そうに笑う。
「成程……そうやってさりげなく相手の目を見て、心を読むわけですか。サトリとかいう妖怪に似ているのですねぇ」
「私が嘘を言ってないのは分かりましたか?」とアガレスはマコに尋ねる。
「……まぁ。姉から聞きましたか、俺のことは」
「少しだけね。貴方自身からも聞きたいので、ぜひ車の中で教えてもらえると幸いです」
アガレスはマコの前から少し離れ、彼の先に道を示した。屋敷の門の外には、いかにも高級そうな黒の車が走るのを今か今かと待っているのが見える。
「……失礼します」
マコが車に乗り込んだのを確認したアガレスは、そのまま彼の隣の席に座り、運転手に車を出すよう指示を出した。
「……ファンタイムプレックスってのは、どこにあるんです?」
「マジカルストリートはご存じですか? メカニカルタウンの隣にある、魔法に精通した者が暮らす街なんですが」
「名前だけは」と短く返すマコ。それに対してアガレスはやや呆れた様子で言った。
「……そんなに警戒しないでくださいよ! 全く、私にゴーストは取り憑いていないというのに……まぁ疑心暗鬼になるのも無理はありませんが」
「――なら」
マコはアガレスの前に自身の手を差し出した。
「それも本音かどうかを確かめるために貴方の心の奥底を覗いても?」
マコは続けざまに言った。
「俺は他人と手を繋ぐことで心の奥底を覗くことができる。表面上は上手く取り繕えていたとしても……精神はどうなのか。確かめておいて損はないでしょう」
獲物を見定めるように桔梗色の瞳が細められ、アガレスは生唾を呑んだ。しかしすぐに張り詰めた空気を壊すように、マコが大笑を始める。
「すみません、少し冗談が過ぎました。俺のことを理解してもらうには、これがちょうどいいかと思いまして」
「……いいですねぇ! 私そういうの嫌いじゃないですよ、中々粋なことをしてくれるじゃありませんか、マコくん!」
アガレスは満面の笑みを浮かべながら、マコの手を取った。
「ちなみになんですが……これで今、私の心の奥は読めていらっしゃるんです?」
「いいえ? そこら辺の調整も自由自在なので、今はただ握手をしているだけですよ」
「ほぅ……面白い能力ですね。ぜひともうちの従業員たちの不安を取り除いていただきたいものです」
アガレスはやや声量を落とした。
「例の騒動が起きてからというもの、従業員……特に夜間の警備をするものが怖がってしまい、機械に頼る外なくなってしまいまして」
「不安っていうのは伝染しやすいですからね……」
……様々な会話を交わす間に車が目的地へ到着したのか、運転手が申し訳なさそうに口を挟んだ。
「おや、もう到着ですか。いつも以上に早く感じましたね」と感想を溢しながら、アガレスは一足先に車を降りた。そんな彼を追うように、運転手に一言礼を述べてからマコも車から降りる。
「……!」
マコは目の前にそびえたつ建物を見上げた。「圧巻でしょう?」と自慢げに言うアガレスの言葉に、思わず彼も頷く。
「ファンタイムプレックスは四階建ての巨大アミューズメント施設! 娯楽を詰めに詰めたら広くなりすぎてしまいました……」
「やりすぎるのは私の悪い癖です」とアガレスは呟いてから、切り替えるようにマコの肩を掴んで言った。
「早速ジャズくんたちにキミのことを紹介させてください! 案内はその後です!」
「ちょっ……⁉」
ズルズルと引きずられるようにマコは入口へと連れていかれ始めた。
自動ドアを潜ると、広々とした空間がマコを出迎える。土産品が置かれているコーナーやカスタマーセンター、二階に当たる部分にはレストランと、確認できる範囲の時点で広いことが分かる。
「詳しい案内はまた後ほど。ジャズくんたちの楽屋は地下にありますから、まずはそちらに行きましょう」
アガレスは専用のカードをエレベーターに通した。
エレベーターの扉が開くと、五つの部屋が並んでいるのが見えた。ヘビとワシ、シャチやオオカミにウマといった、それぞれ一枚の扉に対応するようにマークがついている。
「今日は顔合わせのため、店自体も閉めていたんです。恐らく全員揃っていると思うんですが……」
アガレスが呟いた矢先、「あれ? オーナーじゃないですか」と誰かの声がした。
「おぉ、ホルスくん! 他のメンバーは揃っていますか?」
ホルスと呼ばれたワシのアニマヒューマノイドはシャチのマークがついた扉を指さして答えた。
「今はオルカの部屋に集まってゲームしてたんですよ。そっちのヒトは? 新しい従業員さんですか?」
「彼のことは皆さんの前で紹介しますから、とりあえず他のメンバーを呼んできてください」
「はーい」とホルスは素直に楽屋へと踵を返していった。