episode:0-8
南へ。ロンディニウムを避け、王都よりも南へ。港町に入った。リリアンはそこで陽気な男に遭遇した。
「なあ、お嬢ちゃん。ちょっとだけ。ちょっとだけ俺の話聞いてほしいんだけど!」
ナンパするような言葉に、リリアンはその男を睥睨したが、彼はめげなかった。褐色の髪に紫の瞳をした男で、男と言うか、たぶん、リリアンとそう年が変わらないので少年と言うべきだろうか。背が高く、体つきもしっかりしているが、やや童顔気味である。
「頼むよ! 美人さん!」
地声がでかい。人の多い港町の通りなのに、よく聞こえる。まあ、港町自体が騒がしいのであまり注目は集まらないけど。あまりのうるささに、リリアンはついにキレた。
「しつこい! 軍警に突き出すぞ!」
「お! やっと反応してくれた~」
珍しくぶちぎれたリリアンなのに、逆に彼は喜んだ。リリアンは「ああ?」とガラの悪い声を上げる。顔立ちが整っているので、妙な迫力だった。
「ウィルに似てるけど、やっぱり女の子だよな」
「……お前、誰だ?」
突然ウィルの名が出てきて、リリアンは怪訝な表情になった。彼はニヤッと笑い、「俺に興味持ってくれたか?」と身をかがめて顔を近づけてきた。リリアンはそれを避けて一歩後ろに下がる。と、誰かに肩をつかまれた。
「お前、何をしている」
「……買い物」
「お前じゃない。そいつだ」
リリアンの肩をつかんだのはアレックだった。すっかりなじんでいる彼は、戻りが遅いリリアンの様子を見に来てくれたらしい。もともと面倒見が良いのだろう。
アレックはリリアンが怒鳴った男を睨んだ。男は衝撃の声を上げる。
「彼氏持ちかよ!」
リリアンは本気でこの男を殴ろうかと思った。
「おい、お前ら何やってんだ!」
今度は噂のウィルがやってきた。
「お前、人の妹ナンパしてんじゃねぇ!」
「いやあ、美人だな! さすがはウィルの妹!」
基本温厚なウィルが男の頭を思いっきりはたいた。アレックどころか妹であるリリアンすら引いた。でも、よく考えたらリリアンも先ほど柄にもなく怒鳴ったのだった。
「……ウィル、そいつ誰?」
リリアンが尋ねると、ウィルは男の襟首をつかんだまま言った。
「まあ、俺達の同僚だな」
同僚ということは、アーサーの護衛役だろう。おそらく、王都を脱してこの港町に潜んでいた……と思われる。
「リリアン、こいつに変なことされなかったか?」
「されていない」
むしろ、リリアンがぶちぎれて怒鳴った。
「ちょっと声かけたら、怒鳴られちゃってさぁ」
ウィルの同僚がへらりと笑う。リリアンは冷たい目になった。ウィルが「珍しいな」と言ったが、すぐに続けた。
「まあ、お前うるさいし」
「なんかみんなにそう言われるんだよなぁ」
本気で分からない、というように彼は言った。まあ、無駄話はこれくらいにして。
「とりあえず戻るぞ」
「買い物、途中なんだけど」
買い出し中だったリリアンは、手に持ったバスケットを軽く振って言った。気づいたアレックがバスケットを彼女の手から取りあげ、自分が持った。
「買い物は終わりだ。こっちが先。王都の情報が入ってきたからな」
ウィルが真剣な表情で言った。リリアンとアレックは目を見合わせ、うなずいた。
「わかった」
うなずいた後に、尋ねた。
「それで、誰?」
まだ名前を聞いていなかった。
△
リリアンをナンパ……もとい声をかけてきた男は、マティアス・リードと言うらしい、ウィルが言っていた通りアーサーの護衛の一人で、みんなからはマティと呼ばれているとのことだった。ちなみに、年はリリアンの一つ上でアーサーと同い年。
今、リリアンたちが隠れ家として使っている家は、元は空き家だったもので、ウィルが本名の『ウィリアム・カーライル』の名で堂々と借りてきたものだ。
そこは、リリアンが家を出た時よりも二人ほど人数が増えていた。彼らと初対面であるリリアンとアレックは眉をひそめた。誰だ。
「ブルックス公爵の遣いで、サムとジェニーだ」
当たり前だが、サムは男性でジェニーは女性だった。たぶん、ウィルと同じくらいの年齢だろうと思われた。
「ハイランドが陥落しました」
ジェニーと呼ばれた眼鏡をかけた女性が口火を切った。ハイランドはブルターニュ島の北側にある。王都ロンディニウムはロウランドにあるため、どちらかというと、ロウランドが中央だという意識が強い。そのため、ハイランドとロウランドは一つの国になってからもあまり仲が良くない。
ハイランドがマイケル・トラジェット側に着いたとなると、心配なのはカーライル侯爵領だ。ちょうど、ハイランドとロウランドの境目に位置している。要するに挟み撃ちにされたことになるのだ。
「……まあ、俺、本名で家を借りてきたからな。かく乱のためにいくつか家を借りたけど、牽制のつもりなんだろうな……」
ウィルが顔をしかめて言った。カーライル家はアーサーの護衛ウィルの出身家だし、ウィルはアーサーと共に落ち延びていることが確認されている。当然の反応だろう。
「今の状態が長引くと、殿下が再び宮廷を掌握するのが難しくなってしまいます」
そう言ったのはサムだ。今の状態で、政治体制が慣れてくると変わろうとしないからだろう。いくら今はひどい治世であっても、長く続けば『慣れてくる』可能性が皆無というわけではない。
彼らは、アーサーに行動を起こせ、と促しに来たのだろう。リリアンはちらっとアーサーを見た。彼女は、リリアンに吐露したことがあるように、本気で自分が王になる必要性があるとは思っていない。この状況で挙兵しろ、というのが無理だろう。
おそらく、いま、全体像を正確に把握しているのはウィルだけだろう。リリアンはそこまで把握しているわけではない。彼女の役目はウィルが見落としているところを、冷静に指摘することだ。
それに、最近はアーサーの同世代の友人、という役割もあるような気がしている。リリアンがアーサーの友人たり得ているかは不明だが。
アーサーが答えずにいると、ウィルが「まあ」と無意味に笑った。
「少し仕掛けをしてきたから、たぶん、向こうさんもそれに引っかかってくれるだろ。何しろ、今までこちらに関して何の情報がなかったんだからな。飛びつくだろ」
ちなみに、その細工をしてきたのはリリアンである。彼女も、ウィルの読み通りこのあからさまな罠に飛びつくだろうと思っていた。何も、リリアンもウィルも相手が馬鹿だとは思っていない。ただ、飛びついて、こちらに対する罠をさらに仕掛けるだろうとは思っていた。彼女らは、その罠をさらに回避するだけだけど。
王都の様子を聞き、情報交換を行ったあと、リリアンはサムにじっと見つめられていることに気付いた。彼女はサムの方を見て首をかしげる。
「ああ、サム。こいつは俺の妹でリリアン。可愛いだろ。こっちはアレック。ま、一つよろしく頼む」
ウィルがリリアンの肩に手を置いて言った。リリアンは軽く頭を下げる。
「リリアン・カーライルです」
「言っとくけどサム、うちの妹は誰にもやらん」
「何言ってんのウィル」
ウィルの謎の発言に冷静に返すリリアン。サムがちょっとあわてた様子を見せたが、リリアンの冷静過ぎる指摘に一気にテンションが下がった様子だ。ジェニーがぷっと噴出す。
「確かに、可愛いわね、リリアン」
「からかうな!」
サムがジェニーにかみついた。リリアンはウィルを見上げた。ウィルが乱暴にリリアンの頭を撫でる。サムがリリアンに好感を持ってくれたことはわかった。
「ウィル、リリアン、話を中断させて悪いが……私たちは、どう動くべきだろうか?」
アーサーがむしろ話の軌道を修正してきた。ウィルが冷静に言う。
「まずは、荷造りですかねぇ」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
リリアンは少し間違った貴族教育を受けていると思われます。




