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カクテル・バー『J moon』  作者: かがみ透
第四章『魔性の女 VS 無自覚人タラシ』
12/72

(1)日常の中の非日常

 彼女は、いったい、自分のどこを気に入ってくれたのか。


「自分のやりたいことが、ちゃんとあるし、かわいいし、根性もあるから」


 奏汰が、付き合うのに、根性なんかいるのかと聞くと、「あたしの場合はね」と、答えた。

 言われてみれば、なんだかんだ指令があったな、と思う。


「それと、あたしのこと、好きになるって、わかってたから」

「男みたいなセリフだな」


 笑うと、奏汰は、大事なものを抱えるように、蓮華を、柔らかく抱きしめた。


「俺、今、こんなに幸せで、いいのかな」


「いいのよ。あたしも、幸せだから」


 あっさりと、蓮華が言い切った。


 彼女が言うと、本当にいいのだと、彼には思えて来る。


 奏汰は、蓮華に口づけた。

 何度口づけを交わしても、愛し合っても、求めてしまうのを、奏汰が不思議だと言うと、蓮華も「そうね」と笑った。


 蓮華が、奏汰の首に、手を回した。

 口づけながら、二人は、次第に、ラグの上に倒れ込んだ。


 彼は、自分が、こんなにも、根気よく、相手の要求に答えられるとは、思ってもみなかった。


 過去の恋愛を振り返ると、何もわかってはいなかったに等しいとすら思えた。


 これまで、どの女にも抱いたことのない程、彼女を愛しく想っているという自覚がある。


 蓮華の方も、音楽も酒も、素直に吸収し、成長していく男は貴重だと言い、彼女への配慮ある触れ方、例えば、肩を抱き寄せるだけを取ってみても、感心しているのだという。

 奏汰にしてみれば、すべては、相手が蓮華だから、の一言に尽きるのだが。


 同時に、これまでの女たちとの稚拙な付き合いと、長続きしなかった原因は、女などいつでも付き合えるものだと、自分がおごっていたからではないのか、彼女たちには、ここまで大事に接していなかった、だから、長くは続かなかったのだと、思い返し、反省した。


「そう弾くより、この方が、ジャズっぽいベースラインになると思うわ」


 借りている消音機能のあるウッドベースに、アンプをつなぎ、小さい音で奏汰が練習しているのを聴きながら、蓮華が言った。


 奏汰が、弾き直す。


「そうそう! いい感じになったわ! アクセントも、普通だとそうだけど、ジャズの場合は、変なところにつけるといいの。例えば、こっちに」

「こんな感じ?」

「そう!」


「ベースとかギター弾かないのに、よくわかるね」


「鍵盤やってると、いろいろ応用が効くだけよ。バイオリンとかギター、ベースみたいな弦楽器って、(はじ)く弦と押さえる位置、つまり、両手使って初めて出したい音が出せるわけでしょう? ピアノやオルガンみたいな鍵盤楽器だと、鍵盤一つ押せばいいから。それに慣れちゃうと、弾くなら、鍵盤の方が早いから、なかなか弦楽器に取りかからないんだけど。音や理論は共通だから、わかるところもあるだけよ」


 コーヒーをすすってから、蓮華が続けた。


「奏汰くんは素直よね。あたしが、こんな風に、思ったことを言うと、『ギター弾けないくせに、口出すな!』とか、『言われなくてもわかってる!』とか、聞かないどころか、ふてくされちゃう男の子もいるけど。自分の実力がわかっていない子ほど、そんなだから、あたしも早く見切りつけちゃったけどね」


「うわー、こわっ!」


 奏汰は、笑った。


「俺も、始めは、蓮華に楯突いてたけど、何のために仕事辞めてまで、音楽目指してるのかって思ったら、吸収できるものは吸収して、成長しないとダメだって、わかったからさ。まだまだ、音楽は、俺の知らない未知の世界なんだなぁって、考えを改めたよ」


「それって、なかなか出来ることじゃないわよ。皆、変にプライド持ってるから。だけど、あなたみたいな姿勢って、どこの世界でも大事よね。自分の引き出しなんて、たかが知れてるんだから、他の人、自分より先輩とか、そういう人に伝授してもらったり、見て学んだりしないと。せっかく勉強できるチャンスなんだから、もったいないわ」


「そう思うよ」


 ウッドベースの練習後は、エレキベースに持ち替える。


「ねえねえ、チョッパーやってみて!」


 蓮華が、わくわくしている。

 弦を、強調して(はじ)く奏法だ。

 奏汰がやってみせると、蓮華がはしゃいだ。


「やっぱり、カッコいいわ! ステキ! もっと弾いて!」


 ただの練習でも、充分、彼女は喜んでいた。

 奏汰にとっては、年上であっても、彼女のストレートな表現には、可愛さも感じられた。




 二人の時は、奏汰は、蓮華を「蓮」や「蓮華」と呼ぶ。

 十歳も年が下だからと、引け目を感じることのないよう、蓮華がそう勧めた。

 蓮華の方も、年上の発言と取られないような、奏汰と対等な話し方をし、彼の話には、よく耳を傾けていた。


 平日は不規則に、日曜日はほぼ毎週、蓮華が奏汰の部屋に泊まり、定休日の月曜日は、予定がなければ一緒に過ごしていた。


 だが、蓮華の意向では、決して同棲はしない、自分の時間も互いに持つようにしようということだったので、一人暮らしの奏汰は、たまに料理を作ってもらえたり、自分の作ったものを二人で食べたりするくらいの変化であり、洗濯や掃除は、これまで通り自分でしていたので、生活面では、さほど変わりはなかった。


 それでも、二人で過ごせる時間は、彼には新鮮であり、音楽や酒の勉強も出来る面でも、ただ愛し合うだけよりも、充実しているつもりでいた。


 彼にとって、彼女は、なくてはならない存在となっていた。


 彼女にとって、自分はそこまでの存在であるとは、彼には、いまいち思えなかったのだが。




 ある時、他の従業員が帰った後、優が、いつものスマイルで、唐突に切り出した。


「きみたち、付き合ってるでしょう?」


 奏汰は心臓が止まるほどびっくりし、蓮華もさすがに驚いていた。


「見てればわかるよ。良かったね」


 にこやかな彼に戸惑いながらも、二人は安心した。

 他の従業員には気付かれていない。


 バーテンダーの目は侮れない。それと、女子の勘も。


 以来、奏汰は、優と時々飲みに行くようになった。

 寿司屋風居酒屋で、寿司をつまみながら、冷酒を傾ける。


「優さんが、男と飲むのって、珍しいでしょ?」

「そうだね、バーテンダー仲間と研修会する以外では、一人で飲むことが多いから」

「女の人ともでしょ?」

「まあね」


 からかう奏汰に、優は笑いながら返した。


「蓮ちゃんと付き合ってると退屈しないでしょ?」


 優は、店では「蓮華さん」と呼んでいるが、仕事を離れると「蓮ちゃん」と呼ぶ。

 「はい」と答えた後で、少し、奏汰が真面目な顔になる。


「年上と付き合ったことって、あります?」


「あるよ。十九の時、最初に付き合ったのが、七歳年上の人だったよ」


「いきなり、年上ですか!?」


 はあと口を開けて優を見る。

 ああ、でも、彼なら有り得るかも知れないと、すぐに思い直した。


「音大のピアノ科にいた時に、アルバイト先だったバーでジャズを知ってね。それまでクラシック一辺倒だった自分の音楽感と学校の授業とに、疑問が湧いてきていた。譜面通りに弾くことだけが、本当に音楽してるって言えるんだろうか……とかね、生意気にも、そんなことを考えていた時期だったんだよ」


 彼女は、彼の働くバーのライヴで、常連のピアニストであり、ボーカリストだった。その彼女の影響で、より彼の音楽観が広がったのだという。


 音楽大学では、男子学生が少ないことは奏汰にも想像はつく。彼の周りには当たり前のように女子がいても、互いに同志であり、ライバルでもあるため、恋愛にまで発展するケースは多くはなかったのかもしれない。


「でも、あんなにピアノ上手くて話しやすいし、やさしいし。優さんなら、モテモテだったんじゃないですか?」


「いや、伴奏でモテたことはあっても、付き合うまではいかなかったよ。お互いに同級生はあくまでも同級生であって、恋愛の対象として見ることはなかったんじゃないかなぁ。女子の方の理想が国際コンクールで優勝した外国人のピアニストだったりしたからね。全然敵わないでしょ?」


 そう笑って、優は、超淡麗辛口の日本酒を一口飲んだ。


 そのような中で出会った年上の大人な女性は、優でなくとも新鮮であり、魅力的であったことだろうと、奏汰は心の中で大きく頷いた。


「その年上の彼女って、どんな人だったんです?」


「当時二六歳だったけど、今の蓮ちゃんよりも『大人の女』だったし、もう少し女性らしい人だったよ」


「あ、ああ……なるほど」


 目が合った二人は、苦笑した。


「年上なのにどこか危なげで、守ってあげたくなるっていうか。結局、彼女は、僕よりも年上の人のミュージシャンのところに行っちゃったんだけどね。どこが悪かったとかも言われず、元彼のところに戻った感じだったんだけど。僕とは一時的なことだったみたいで」


 ドキッとした奏汰は、俯いた。


「それって、せつないですね……。一時的か……。優さんほどの人でもそうだったのかと思うと、年上と長く続けるのって、やっぱり難しいんですかね……」


「どうしたの? まさか、もう何かあったの?」


 優が心配そうに、奏汰を覗き込む。


「あ、いいえ、何もありません。ただ、俺が彼女を好いているほど、彼女の方は、俺のこと、そこまで想ってるわけじゃないと思うんです」


「そうかな?」


「だって、俺の方が十歳も下だと、彼女が俺から何か学ぶとか得るものがあるとか、そんなことはないじゃないですか? 頼れるでもないし。なるべく、年のことは考えないようにしてるんですけど……」


「大丈夫だと思うよ」


「優さん、お世辞上手いから」


 奏汰が、横目で優を見る。


「今は、本音で話してるよ」


 ホントかな? と疑いたくなる奏汰だったが、優の視線は穏やかだった。


「じゃあ、ちょっと聞きたいんですけど……。蓮華と長く続けるのに気をつけた方がいいこととかってありますか?」


「そうだねぇ、つまらない見栄や、プライド、変な理想は、まず捨てた方がいいね。そんなもの持ってるとわかると、容赦なく攻撃してくるから」


「ああ、そんな感じはしますね!」


「束縛したり、細かいことにいちいちこだわったりとかも、やめた方がいいね。他にも言ったらキリがないけど、まあ、彼女がどんな行動をしても寛大な心で接することが出来れば、うまく行くんじゃないかな?」


「それって、一番、難しいんじゃ……?」


「そうだね。でも、それは彼女だけじゃなく、他の女の人にも通用することだと思うよ」


「そうかぁ。男って大変なんだなぁ」

「あははは、そうだよ」


 二人は、ぐいっと、辛口の酒を飲み干した。




 奏汰がアパートに戻ると、蓮華が来ていた。

 淡い色のチュニック風シルクのパジャマ姿で、DVDを見ている。


 レースと刺繍を施された胸元が色っぽく、つい見蕩れてしまう。


 次に、何気なくTV画面を見て、奏汰は飛び上がりそうになった。


「ねえねえ、これ、ベッドの下に落ちてたよ。一緒に見ようと思って、先に見始めてたの」


 奏汰が友達に押しつけられたアダルトビデオだった。


「そ、それは、大分前に、友達が押し付けてきたのを忘れてて……!」


 必死で言い訳するが、蓮華は、にっこり微笑んだ。


「男子は、そういうの、順番で回したりしてるんでしょう?」


 以前付き合っていた彼女に見付かった時、大変なことになったのを、奏汰は思い出した。

 「最低!」となじられ、貸した友達のことも悪く言われ、ケンカになった覚えがある。


 幸いなことに、蓮華はそんなことでは怒らないようだった。


 男子の習性に理解があるのは助かるが、甘えてしまって良いものなのか、とも思う。

 蓮華と観賞するのは、なんだか気恥ずかしかったが、見え透いた安易な展開を面白がっている彼女の様子に、多少は罪悪感のようなものが消えていった。


 きゃっきゃ笑って見ていたと思うと、見終わった後はケチをつけていた。


「ああいうのは、愛がないから、やっぱり面白くないわ。実際とは違うって割り切って見ればいいんだけど。といって、恋愛ドラマみたいな展開も先が読めてわざとらしいし……ああ、明日香ちゃんのドラマはリアルで面白いけどね」


 蓮華の友人である美人脚本家の話だった。時々飲みに来て、カウンターの隅でパソコンを打っていることがあるのを思い出した。


 彼女の書いた深夜のドラマに、明日香も蓮華も、ちょっとした役で出たことがあるのだという。


「明日香ちゃんが男に騙されちゃう水商売の人の役で、あたしも、男に裏切られる令嬢の役だったの。たいしたセリフはなかったけど、面白かったわ~」


 蓮華がころころ笑う。


「優ちゃんも家で見ててウケたって言ってたわ。ドラマ自体はドロドロで、笑えるものじゃなかったんだけどね。あたしたちの役のギャップに笑えたんだって。そうだわ! 奏汰くんカッコいいから、いつかドラマに出させてもらったら? ちょっとした役なら、急いで探してる時とかあるから」


「えっ、いいよ、俺、演技はちょっと……」


「音楽も演技も、表現であることには違いないわ。なんでも、やれることはやっておくのもいいわよ。いつ、どこで、音楽関係者の目に止まるかわからないんだから」


「う~ん、そ、そうか……」


「そうそう! うちのタケルくんもね、ストリート・ミュージシャン役で、ちょこっと出たことあるのよ!」


「タケルが!? へー、すげえな! あいつイケメンだもんなぁ! じゃあ、ギターの音も流れたんだ?」


「そう。長くカメラ回した割りには、ほんのちょっとだったって、タケルくん、苦笑いしてたけどね」


 何かと、常に話は尽きることがなかった。


 大人の女性としておおらかな印象の蓮華は、実際に付き合ってみると、実年齢より若く思える——悪く言えば、幼いところもあり、と思えば、熱く本音を語り、時には、男友達のように感じることもあった。


 一緒にいて、意外にも、それほど気を遣わずに済んでいる。

 奏汰にとって彼女は面白く、また可愛くも思え、平穏な日々は過ぎていった。


 その日が来るまでは。

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