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第6話

 9


 荒潮(あらしお)(しお)八百道(やおじ)八潮道(やしおじ)(しお)八百会(やおあい)()速開都比売(はやあきつひめ)という神

 持ち加加(かか)呑みてんかく加加(かか)呑みてば


 大祓詞(おおはらいのことば)の本当の美しさは、声に出して読み上げたとき現れる。

 特にこのくだりは圧巻だ。

 しお、に韻を踏ませ、修飾句をつづら折りのように重ね合わせた前半部分は、日本語の響きの豊かさをあますところなく見せつける。

 ツミとケガレを世界中から集めた奔流が、幾筋も幾筋も無数に絡まり合ってうねるさまが、絵巻物のように表現されている。

 後半部分では、表現は一転して漫画的になり、視点は劇的にズームアップされる。

 色も大きさも違う無数の潮流が集う場所に女神(じよしん)が待ち構えている。

 潮という潮がアキツヒメの巨大な口に瀑布のごとく流れ込み、ぐわっかっか、くわっかっかと飲み込まれていく様子が、迫力満点に描かれている。

 壮大であり、音楽的であり、神秘的であり、象徴的であり、まさにファンタジーの世界だ。


「もし。

 貴いおかた」


 アキツヒメがいるなら、会いたい。

 会って、犯してしまった過ちを、罪を、飲み干してもらいたい。

 アキツヒメが飲み込んだツミもケガレも、根の国底の国に運ばれ、なかったかのように消え去っていくのだから。


「もし。

 もし。

 お目を覚まされませんか」


 口にしてしまったあの言葉が取り消せるなら。

 すべきことができなかったあの夜が取り消せるなら。

 俺は。

 俺は。


「もし。

 もし。

 お気を確かになされませ」


 この柔らかなぬくもりは何だろう。

 まるで至高のおぱいに抱かれているような。

 このおぱいをつかめば、失われたものは戻ってくるのだろうか。


「きゃっ!

 お、おやめくだされませ。

 おやめくだされませ。

 そ、そこは。

 そこは。

 そのようになさっては、なりませぬ」


 ああ、だめだ。

 だめだ。

 こんなものではない。

 もっと奥に。 

 もっと奥に。

 俺の求めるものはあるはずだ


「あああっ。

 なりませぬ。

 なりませぬ。

 ああっ。

 ああっ。

 ああああああ」


 どんっ、と音がして、俺は激しい苦痛に襲われた。

 まるで(かみなり)に打たれたかのようだ。

 その痛さで目が覚めた。

 どこだ、ここは。

 家屋の中だ。

 俺は布団に寝かされている。

 目の前には、目の端に涙をため、ちょっぴりほほを染めた美少女がいる。


「い、いったい何が」


「あ、あの。

 いきなりあなたさまに(いかづち)が落ちたのでございます」


 ほんとに(かみなり)だったよ!


「ああ、まあよくあることだな」


「えええっ。

 そ、そうなんですか」


「うむ。

 ところで、そなたは誰か」


「あ、はい。

 クシナダと申します」


 うおっ。

 ヤマタノオロチだよ。






 10


 やっぱりオロチでした。

 クシナダの父親はアシナヅチといい、この村の(おさ)だ。

 山にすむ怪物オロチには、年に一度、秋祭りの三日後に生け贄を捧げなければならない。

 それが今夜なのだという。

 昨年はクシナダの姉が生け贄になった。

 今年はクシナダの番だ。


 俺は浜に一人で打ち上げられていたそうだ。

 オロチの餌になる前にせめてもの功徳を積もうと屋敷に運んで介抱してくれたらしい。

 それはいいんだけど、あの津波はどうなったんだろう。

 おのころ島全体が壊滅的な打撃を受けるかと思ったんだけど。

 アシナヅチの言うには、突然サドが爆発して津波が襲い掛かってきたとき、海神(わだつみのかみ)が現れ、体を長く伸ばして海岸線全体を覆って、津波からおのころ島を守ってくれたということだった。

 海神(かいじん)

 いいよね、海神は。

 海神はロマンだ。

 アルゴ探検隊の大冒険でも、吠える岩が船を押しつぶそうとしたとき海神トリトンが現れて岩を押しとどめるシーンは、わくわく感満点だった。

 偉大なり、特撮の巨匠レイ・ハリー ハウゼン!

 ああ、海岸線を覆うほどの海神かあ。

 津波から島を守るシーン、見たかったなあ。


 それにしても、馬鹿やっちゃったなあ。

 初心者でも絶対にやらないミスだ。

 数年前、あるERゲームでこんなことがあった。

 クライマックスでパーティーは強大な魔獣と戦っていて、魔術師の女は魔力(マナ)が足りなくなった。

 近くに羽が生えた小さな蛇がいたので神獣だと目をつけて、相手のステータスも確認せず杖を突き付け、


「このものの生命力(マナ)をすべてわれに与えよ」


 とマナ・ドレインを発動した。

 ところが、その蛇は上位神の変化だった。

 身に余るマナを取り込んでしまった魔術師は黒こげになって横たわり、パーティーは全滅した。

 そのゲームをデザインしたのは、サミュエル・ラデクだ。

 正体の知れない相手のエネルギーを全部吸うなど、今はもう誰もやらない。

 テストしてないスキルを全力で使うのも同様だ。


 まあ、それはそれとして、クエストだ。

 よし。

 これは、勝つる。

 オロチといえば、あれだ。

 酒で酔わせる。

 寝たところで首を落とす。

 テンプレ万歳。

 と思った時期が俺にもありました。


「こ、これだけしか酒はないのか」


「うむ。

 サルタ殿。

 何しろ三日前が村祭りじゃったからのう。

 酒という酒は飲み尽くしたのじゃ」


 ありったけの酒を用意してほしいという俺の要望に応えてアシナヅチが差し出したのは、徳利に半分もない量の酒だった。

 こんなもんで、どないせいっちゅうねん!


 だが、少しアシナヅチと話してみて、希望がわいてきた。

 豊葦原エリアの神族は、俺が教えるまでもなく自分の神力を知っているようだ。

 アシナヅチは封印のスキル持ちだった。

 ただ、オロチの実体は分からないため、封印のしようがないのだという。


「では、いつくか教えてくだされ。

 まず、この辺りの地形について」






 11


 今、俺は、女物の着物を着て、猛スピードで走っている。

 そのあとをオロチが追っかけてきている。

 オロチは、とんでもない大きさだった。

 キングギドラに匹敵するだろう。

 八つの首と八つの尾を持つ大怪獣だ。

 こんなもんと戦えるか!


 曲がりなりにも神族だけあって、俺の体力や走る速さは補正されているようだ。

 下りの山道を、岩陰や木立を利用してオロチの目をくらましながら、ここまで走ってきた。

 さすがに息が切れてきたが、やっと草むらに着いた。


 俺が合図をすると、村人たちが点火した。

 油の力を借りて勢いよくまきが燃え上がり、草むらはあっという間に火の海となった。

 村人たちはただちに避難した。

 彼らは俺と違い、人間族だ。

 会ってみて初めて分かったが、まるで生命力が弱い。

 俺のステータスは低いようでも、神族は神族だけのことはあるようだ。


 立ち上る業火に包まれ、オロチはといえば。

 燃えさかる草むらに身をたたき付けた。

 すると、大量の水がほとばしり、一気に炎は鎮火してしまった。

 オロチには、まったくダメージがないようだ。


 うむ。

 計算どーりー。

 と、この場は言っておく。


 炎と煙にまぎれて、俺は大きく距離をかせいだ。

 さあ、蛇野郎、こっちに来い!

 あ、もう少しゆっくりでいいですよ。


 俺は再び逃走態勢に入った。

 ここからは森だから、あの巨体では追ってきにくいだろう。

 と思ったけど、片っ端から木をへし折りながら追ってきやがる。


 何回も死にかけたが、体力も尽きかけたころ、それは起こった。


 オロチの体が、だんだん小さくなっていったのだ。

 小さく小さく。

 さらに小さく。

 もはやイモリ程度の大きさだ。


 俺は腰の竹筒をはずすとふたを開け、その中にオロチを入れた。

 もう一本の竹筒の中身を、とくとくと注ぐ。

 酒だ。

 これだけ小さくなったオロチなら、この量の酒でも酔っ払うだろう。

 竹筒にふたをして、アシナヅチが作った封印の札を貼ると、俺は疲労と緊張が緩んだ反動で、へたり込んでしまった。






 12


 オロチの実体は山脈や鉱山であるという説と、川だという説がある。

 アシナヅチから、この地方を流れる川の数が八本だと聞いたとき、それがオロチの本体だと見当を付けた。

 アシナヅチには、村人への指示を出してもらったあと、上流に行ってもらい、八本の川を呪的に封じてもらったのだ。

 草原の火を水の魔力で消したとき、オロチが水性だということに確信が持てた。

 あとは、アシナヅチの封印が効力を現すまで、オロチを引きつけつつ、ひたすら逃げたわけだ。


 これほどの大きさに縮まっていれば、オロチを殺すこともできるかもしれない。

 だが、それをすれば、この地から水の恵みが失われる危険がある。

 だから、俺は、オロチを祭るようアシナヅチに言った。

 アシナヅチは、俺の言いたいことを理解し、オロチ神社を作って村の鎮守といたしまする、と答えた。

 祭られればオロチは祟ることをやめ、この地の安寧を守るだろう。

 その強力な呪的エネルギーによって。


 村人に感謝されたのもうれしかったが、何よりクシナダの憧れのまなざしに、俺は深い満足を感じた。

 晩飯は魚と白飯だった。

 そういえば、高天原での食事には米がなかった。

 この村は、見渡す限り、豊かな水田が広がっている。

 今は収穫も済んで、わら束が積み上げられているが。


 食事が終わったら、寝室に案内された。

 のはいいんだが。

 なぜ、クシナダがここに?

 白い着物を着て、布団の横に正座している。


 こ、これは。

 も、もしかして。


 いいの?

 ほんとにやっちゃって、いいの?


 と、心の中で尋ねたが、もちろんいいわけはない。

 ERゲームでは、完全成人向けのイベントは御法度なのだ。

 だが、ストーリー上必然性があれば、多少のことは許される場合がある。


 クシナダは手を突いておじぎし、髪留めのこよりをほどいた。

 美しい黒髪がさらりと広がる。


 じ、時間だいじょうぶだよね?

 俺はすかさず時間を確認した。

 よし。

 かなりぎりぎりだが、九時まで少しある。


 どきどきしながらクシナダにすり寄ると、左手を彼女の背中に回した。

 ちっちゃな背中だ。

 まだまだこの()は少女なのだ。


 怖かっただろうね。

 あんな怪物に食われちゃうところだったんだもんね。

 嫌だったろうね。

 逃げたかったろうね。


 もう大丈夫だよ。

 悪いやつは、おじさんがやっつけちゃったからね。

 もう秋祭りがきても、生け贄を出すことはない。

 これからずっとだ。


 うつむいた彼女のあごに右手をあてると、上を向かせた。

 目を閉じたまま、彼女は逆らわずに顔を上げた。

 その桜色の唇に、俺は自分の唇を。


 突然彼女の姿が消え、真っ暗になった。


 〈オフタイムに入りました。ガイドに従ってセーフティーエリアに移動してください〉


 うわーーーーーーーっ!

 オフタイムになっちまった。

 ま、まだ時間あったじゃん。

 返せーーーー!

 俺のクシナダちゃんを返せーーーー。


 現在時刻を表示させると、やっぱりまだ九時五分前だ。

 くそっ。

 くそっ。

 オペレーターズ・ジャッジだ。

 何てことしやがる。

 このオペレーターは、絶対女だ。

 男だったら、こんなむごいことをするはずがない。

 俺だったらやるけど。

 とにかく、レポートで徹底的に糾弾してやるから、覚えてろ!

 しばらく俺は心の中でわめき回ったが、どうなるものでもない。

 諦めて、ガイドにしたがってセーフティーエリアに移動することにした。

 実のところ、オフタイムはとても楽しみにしてたので、思わず早足になった。


 一日では終わらないERゲームには、オフタイムが設けられる。

 このゲームの場合、夜の九時から朝の七時までがオフタイムだ。

 オフタイムに入ると、ゲームの景色も人物も見えない。

 認識からはずしてしまうように、身に着けたVR機器が作用するのだ。

 今の俺には、歩くべき順路以外、何も見えないし、聞こえない。

 セーフティーエリアは、この屋敷内にあったようだ。


 着いた。

 あこがれのセーフティーエリアだ。

 中に入ると、順路は消えた。

 明日のプレー再開まで、ここを出ることはできない。


 セーフティーエリアでは、ロールプレーは中止される。

 プレーヤーたちは、本来の自分に戻る。

 シャワーを浴びたり、食事をしたり。

 医療ユニットでケガの手当をしたり、体調チェックをしたり。

 温度や湿度も快適に管理されたリゾート空間なのだ。

 食品類はかなりの幅でリクエストも可能で、当然俺もたっぷりと注文を入れておいた。

 パーティーの仲間たちと、酒を酌み交わしながら、一日のプレーを振り返って雑談に興じるのだ。

 機転の利いたプレー、英雄的な行動、沈着冷静な判断などは、大いに仲間からたたえられる。

 設定やクエストの中身を振り返って批評し、あそこでこうしたらどうなった、などと言い合う。

 解釈を戦わせ、キャラクターの能力を確認し合い、翌日のプレーのための作戦を練り上げていく。


 セーフティーエリアで過ごすオフタイムは何ものにも代え難い楽しい時間だとプレーヤーたちは言う。

 実際、ゲームをするのはオフタイムの楽しみのためだ、と言い切るプレーヤーもいるほどだ。

 プレーヤーが申告すれば、オフタイムの開始を早めることはできるが、遅くすることは一切できない。

 九時になったら容赦なくオフタイムは始まってしまうのだ。

 だが、ストーリーの進行の都合や、中断しては危険なプレーをしていた場合などに備え、オペレーターは、十分以内の幅でオフタイムの開始時間を調整する権限を与えられている。

 とはいえ、その時間調整が行われることは、めったにない。

 なにしろ、プレーヤーは高額な料金を払ってゲームに参加しているのだ。

 一分といえどそれを削ることは、とてつもない不満を呼ぶことになる。

 ま、俺はプレー料金を払ったわけじゃないけどね。

 あの切り方は、あんまりだ。


 だけど、忘れよう。

 せっかくのオフタイムだ。

 俺は二日以上かかるようなゲームはしたことがない。

 当然、オフタイムも初体験だ。

 いつか味わってみたいと思ってたんだ。


 まずは冷蔵庫を開ける。

 おお、ビールにシャンパンにワインに。

 豪華な食べ物も入ってる。

 最初に食べるのは、これだ!


 俺はキャビアのふたを開けた。

 ロシア産ベルーガ。

 最高級品だ。

 なんて粒が大きいんだ。

 そば粉のクレープに、こんもりとキャビアを乗っけると、サワークリームを塗りつけ、ぱくりと食べた。


 う、ま、い、ぞ〜〜〜〜!

 シャンパンの栓を抜き、フリュートグラスに注いだ。

 乾杯!

 お疲れさま〜〜〜。

 黄金の液体を喉に流し込む。

 しゅわっと、炭酸の爽快感とシャンパンならではの苦みのある芳香が口と喉に広がる。

 くう〜〜〜。

 こたえられん!


 俺はもう一度冷蔵庫を開けた。

 あれは、どこだ。

 注文しておいた、あれは。

 あった!

 これこれ。

 ふぐの刺身だ。

 きれいに盛りつけてラップをしてある。

 お、内臓も添えてあるじゃん。

 いい仕事してますねー。

 ラップをはずし、たれの入ったミニボトルのふたを開ける。

 たれは小皿に盛ったりしない。

 どうするかというと。

 皿全体に振り掛けるのじゃ〜〜。

 どばどばと、ふぐの刺身にたれをかける。

 ひたひただ。

 箸で三、四枚の刺身をかき寄せ、もみじおろしとあさつきを添えて口に運ぶ。

 うわっ。

 ほっぺが落ちる。

 ああ、何という歯ごたえ。

 そして、シャンパンを飲む。


 みんなー。

 知ってるかー?

 てっさとシャンパンは、ベスト・オブ・ベストマッチだ。

 俺は世界に叫びたい気持ちだった。


 ここでちょっと腹にたまるものを食いたい気分だったので、ステーキ肉を三分の一だけ切り取って焼いた。

 ビールを飲みながら食った。

 最高だ。


 本当なら、この場に、パーティーメンバーが一緒だったはずだ。

 PC枠のメンバーはもちろん、SC枠のヒミコも一緒のはずだった。

 そうじゃないと、PCじゃないって公言するようなもんだからね。

 たとえ見え見えでも、パーティーメンバーに入ったSCはPCのふりをするもんだ。


 どうして今夜は一緒にしてくれないんだろうと考えて、すぐに答えが分かった。

 今パーティーは分断状態にあるわけで、メンバー同士が顔を合わせてしまったら、合流の打ち合わせができてしまう。

 てことは、俺以外は別のセーフティーエリアに一緒に入ってるわけか。

 俺も一緒だったら、楽しかったろうなあ。

 本名聞き出したりして。

 バストサイズも聞き出したりして。

 シャンパンを勧めて、ちょっぴり色っぽくなった胸元を観察したりして。

 酔った振りしてさりげなく接触したりして。

 一緒だったらよかったな。


 ……さてと。

 次は何を食べようかな、と。

 いろんな珍味や高級品をリクエストしといたからなあ。

 ああ、楽しみだ。

 楽しみだけど。


 なんか疲れたな。

 今日はもう寝るか。


 俺は早々に食料を片付け、さっとシャワーを浴びて、就寝の態勢に入った。

 明日は、仲間と合流できるといいな。







次回9月19日

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