10 第一章・結び
無理矢理に大穴を穿たれた大気が轟音の悲鳴を上げる。
その大穴を埋めるべく、大気は周りの空気を巻き込んで強い気流を生みだし、瞬時に暴風と化した。
激しい戦いが各地に大きく拡大してゆく様子を"戦嵐吹き荒れる"などとファンタジックに喩えたりするが、本当に暴風によって薙がれてしまった場合は、おちおち地上で戦ってなどいられないだろう。
事実、ティハラザンバーが空を引き裂いたと錯覚させるほどの極大な衝撃波を放っている間、地上の戦闘は凍りついており、敵味方の区別無くそこにいたすべての者が灰塵へと消えてゆく翼の怪物たちを仰ぎ見ていた。
「何だありゃ?………ティハラザンバーのヤツか!うわ、えげつねぇーなぁ」
凄まじい剣を振るって、この戦いの機先を制したじっさんこと白獅子の御大将だけは、そんな状況にあってゲラゲラ笑っている。
後に、間近で成り行きのすべてを目撃していたジャガーの獣人ベニアからのこちゃんが聞かされた話によれば、力任せでティハラザンバーの両手の平を組み合わせたと同時に、20を下らない翼の怪物たちが衝撃波の通る辺りの空中へ突然集まったという。
それも、怪物たちの意志とは関係無く、まるで見えない大きな手でかき集められた様に不自然な体勢での集結だったらしい。
もしかすると、手の平を組み合わせる事に強い抵抗が生じていたのは、翼の怪物たちへそんな影響を及ぼしていたからなのかも知れない。
それが本当ならば、単なる強い攻撃と言うよりも、ティハラザンバーの能力による一方的な蹂躙に近い。
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「おお、天晴れなものよ」
ドラゴン系クラスターの尖角兵団を率いる豪傑ベルクも、つい先ほど自身で見極めた若者の迅速なる頭角の顕現には、期待も相俟って思わず賛称の言葉をもらした。
特に戦闘中では、指示や鼓舞といった必要な事以外を喋らないベルク本来の性格とあって、周りの者を驚かせる。
やがて暴風が収まり、それまで恐らく翼の怪物をアテにしつつ何とか踏みとどまっていた襲撃者の部隊は、動ける者の全員が一目散に戦闘を放棄して壊走を始めた。
さすがに一撃で全滅させられるとは、想像していなかったに違いない。
ティハラザンバーの見せた力は、その心を折るに十分な脅威だった訳である。
そのまま放っておいても広がる荒野で自滅しそうなものの、異次元踏破傭兵団"魔刃殿"としての面子があるのか、尖角兵団は、ベルク自らの指揮で即時に襲撃者たちの追撃を開始した。
「魔刃殿に手を出した愚か者がどうなるのか、その末路と共に世へ知らしめよ!」
全身を鱗に守られるドラゴン系の獣人は、抜きんでた筋力と耐久力といった生来の身体能力が戦いに於いても優位に働き、戦闘に慣れない者でも生き残り易い特性を持つ。
そして、それが続けば歴戦の勇士へと難なく育ってゆき、最終的には、一騎当千の猛者へと完成する。
吼えるベルクの号令で、尖角兵団の猛者の群れが一斉に牙をむいた。
しかも、逃げる敵の背中へ向けての文字通り掃討戦とあって、敗者の結末としては、抵抗できない所を一方的にひねり潰されてゆく最悪の類である。
最初に手を出してきた自業自得ではあるにせよ、悲惨と言うほかない。
尖角兵団では、各々に自前の強固な鱗があるため鎧に類する装備が必要ないのか、軍服的な布の服をお揃いで誂えている。
入団の時期によって色が変わるらしく、現在の新人たちは白を基調としていた。
ほぼ返り討ちの危険がない追撃とあり、白い兵団服を身に纏う者らは、張り切ってポイントを稼いでいる姿が目立つ。
新人でもドラゴン系クラスターの面目躍如と言うべきか、襲撃者たちは金属の甲冑で全身を固めているにも係わらず、その装甲ごと身体をかち割られたり潰されたりとみるみるその数を減らしていった。
常軌を逸したティハラザンバーの衝撃波に比ぶべくもないものの、蹂躙という意味では、こちらがまだ現実的な様相なのだろう。
そんな中で、白い兵団服にも係わらず、率先して掃討戦に加わらない者がいた。
一応、標的の方から近づいて来れば、手にした槍で片付けるもののそれ以上の動きはない。
艶やかな濃い青と白銀の鱗がツートーンでしなやかな肢体を覆う、それは、若い女性のドラゴン系獣人である。
鱗と同様の青い角は、頭部の両側面より二本ずつ後方へ計四本が優美に、それでいて遠慮の無い感じに伸びている。
顔はドラゴンのそれなものの、凹凸の少ないつるりと鋭利な刃物の様であり、青黒いまっすぐな長い髪をたてがみの如くたなびかせる。
深い湖の水面を彷彿とさせる濃い水色の瞳は、逃げまどう襲撃者の背に囚われる事なく、側防塔の屋上にポカンとつっ立っているティハラザンバーへ向けられていた。
「あれは、神獣・大ティハラの衝撃波……………………
ティハラザンバーとは、つまり………そういう事でしたか」
今日、尖角兵団の遠征より帰還してからの話なのだが、ぽっと出の新人が白獅子の御大将と渡り合ったという噂は耳にしていた。
そもそも、不真面目さで粒ぞろいと名高い猫系クラスターであり、白銀鎧の聖女伝説にあやかったと思しき安直な名前のティハラザンバーを、最初は取るに足らない手合いであろうと侮ってもいた。
しかし、たった今、それは早計だったと思い知らされたのである。
「アインさん、ご覧になりまして?
今のは、いったい何ですの………凄まじいなんてくらいじゃ言い表せない力でしたわ??」
アインスブラウ、"アイン"と呼ばれたそれが、青の印象的なドラゴン獣人の名である。
「ガラ、あれが今期の育成組へ入ったという、ティハラザンバーらしいですね」
「…ああ、噂は、わたくしも聞いていますわ」
アインと同じく白い兵団服のガラもまた、尖角兵団に連なる、若い女性のドラゴン系獣人である。
この掃討戦にあまり乗り気ではないのも、アインと同様らしかった。
見た目は、メタリックなショッキングピンクと薄い桃色で構成された鱗と、頭部から太く豪快に左右へそそり立つ二本の角という派手さに加え、長い金色のクセっ毛がゴージャスに纏められている。
顔は、本人曰く"シュッとしている"らしいドラゴンのそれであり、ルベライトの様な濃い紅色の大きな瞳が圧倒的だ。
ちなみに、ルベライトとは宝石のピンクトルマリンの事でありチャムケアシリーズにもアイテムとして登場するので、のこちゃんがガラを知れば思う所もあるのかも知れない。
「いくら打診されても興味はありませんでしたが…ガラ、私は、育成組へ参加する事にしました」
アインの急な宣言に、ガラは少し目を丸くする。
「あら、どういう…いえ、アインさんが参加するのなら、わたくしもしない訳にはゆきませんわね」
背丈もさほど変わらないアインの視線の先をガラが見やれば、当のティハラザンバーは、慌てた様子でちょうど屋上の奥へ下がる所だった。
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『まさしく、かつて大ティハラが自在に操っていた衝撃波そのものだったぞ…のこ』
などとトレーナーがお気楽な高評価をのたまっていた頃には、襲撃者たちから戦う意志が失われて総崩れになっており、魔刃殿勢も掃討戦へと状況を推移させていた。
「………………!?」
ハッと我に返ったあと慌てて後へ引っこんだものの、のこちゃんは心此処に非ずな状態で、ティハラザンバーの足取りも明らかにふらついている。
ティハラザンバーが見せた超常現象的な力には、狼獣人のセイランとジャガーの獣人ベニアも想定範囲を超えていたと見えて、さすがに驚きを隠せない様子だ。
もっとも、のこちゃん自身ビックリを超越してしまって、精神状態の呆然から自失に至る過程で言えば、現在は丁度まん中くらいな感じである。
押しちゃいけないボタンをうっかり押して、取り返しのつかない事態をその手で招いてしまったものの、どう考えても挽回はできない上に、これから自分が何をすれば最善なのかまったく見当がつかない焦燥感が近いだろうか。
「申し分ない、ティハラザンバー。
この結果の前に、疑念をはさんでくる者はおるまい、よくやった」
「………はぁ」
狼系獣人クラスターの長であり"育成組"の指導を受け持つ老矛は、上機嫌でティハラザンバーを褒めた後、呆けたティハラザンバーの生返事を咎めることもなく、今日の所はこれまでと解散の旨をその場の皆に伝えた。
のこちゃんはベニアと共に、セイランも老矛に付き従って、各々が帰路へとつく。
その道すがら、ベニアは、ティハラザンバーの様子を気遣ってなのか、何か思案げな様子で黙ったままである。
猫系クラスターが住む棟に戻ると、軽い挨拶だけして、二人は素気なく別れた。
自分の部屋へ到着したのこちゃんは、ドアを閉めると、そのまま寝台へティハラザンバーの身体をえいやぁと投げ出す。
黒豹獣人のパニアから昨日あてがわれたばかりの部屋とは言え、一人になれれば、やはりホッとするものなのだ。
ゴロンと仰向けに体勢を変えると、深いため息を吐きながら、その顔を両手で覆う。
「手が震えてる…」
のこちゃんは、ティハラザンバーの両手を見ながらポツリと呟いた。
『案ずるな、初陣では誰しもそんなものだ。
この先、無事に生き延びるためには、慣れるしかない…のこ』
トレーナーの説明では、戦争に兵器として利用すれば敵を躊躇無く屠り、野生だと誰彼構わず襲いかかって殺戮する性質の悪い怪物との事であった。
そしてあの場合、襲われる前に対処できたのは、色々な意味で正しかったとのこちゃんも思っている。
しかし、である。
「あんな簡単に、消しちゃったのか………………わたしが」
己の意志を持って現実に生きていたいきものを群れごと跡形もなく抹殺してしまえるその力は、正直な所、のこちゃんにしてみれば単純に恐ろしかったのだ。
傭兵などという立場にあれば、いずれこの力で人を討つ状況は、どうしても避け得ない事だろう。
例えそれが自分を倒そうと向かってくる敵で、この身を守るためにやむを得なかったとしても、結局はそれをくり返してしまう自分を想像しただけで恐ろしい。
『ふむ、力は、強かろうが弱かろうが、力である事に変わりはない。
強い力に臆すれば飲み込まれ、弱い力を貶めば、本来できたはずの事もままならなくなる。
それが必要な力ならば、相応に使いこなすだけなのだ…のこ』
励ましとも説得とも取れるトレーナーの言葉に、初代チャムケアが初めて意志のある敵幹部怪人を葬ってショックを受けていた時、変身アイテムを兼ねたパートナー妖精のヨイフルは「あいつは発生した混沌のエネルギーに還っただけヨル」と、明るい口調で気にするなと主人公を言いくるめていたなぁとか思い出す相変わらずなのこちゃんである。
言われてみれば、敵の殲滅は、チャムケアも通った道なのだ。
言われていないが。
それはそれとして、現実では、間違いなく難しい事だろう。
ただ、思えばチャムケアの歴史は、市井に暮らす凡庸な少女たちが、偶然得たその身に余る力を自分の意志で正義のために生かしてゆく記録だったはず。
そう考えると、いまの自分ができる事、やるべき事に一条の光明を見出せる気がした。
「使いこなす………か」
それが何であれ、恐ろしいと感じるのは、己がそれを知らないからという話をのこちゃんも聞いた事がある。
知らないなら知れば良い。
知っても尚それが恐ろしいのならば、そしてそれが必要なものならば、その時は、恐ろしさを踏まえた上で正面から向き合うしかない。
避け得ないのであれば、その時その時で最善を尽くすしかないのだ。
その上で、なるべく穏便な解決方法を探ってゆく。
現代日本の中二女子キャパシティーに準拠したそのていどが、現時点では、のこちゃんのリアルな限界だろう。
のこちゃんは、もう一度深いため息を吐くと、両手の平でティハラザンバーの顔をばしんと叩いた。
「ここでやらなきゃ、乙女の名折れだよ!」
それから『スカウトチャムケア♯』に登場する主人公ケアメルティの決めゼリフで自分に気合いを入れ、果断なる気概を以て、ティハラザンバーの身体を寝台から勢いよく立ち上がらせる。
この、ティハラザンバーという身に余る力の制御には、のこちゃん自身が強くなるしかない。
そして、そのためには訓練が必要であり、始めるなら少しでも早い方が良いに決まっている。
このままなし崩しで本当に怪人生を歩んでしまっては、チャムケアの気高き魂を受け継ぐ、のこちゃんの本懐ではない。
チャムケアは絶対に挫けないのだ。
『ふむ、余がいなくなっても、今の力を上手く使いこなして、しぶとく生き延びるのだぞ…のこ』
あれ?とのこちゃんは、この流れに既視感を覚えた。
昨晩も、のこちゃんが気合いを入れた所で、トレーナーは何れ自分が消えてしまう運命にあると告白してきたのだ。
「な、何か………良くない感じですか、トレーナーさん?」
どこか不穏さを感じるトレーナーの物言いに、のこちゃんは、恐る恐るお伺いを立てる。
『良くないと言うほどの事ではないのだが…のこ』
よくよく話を訊いてみれば、先ほどの全力で放った衝撃波で、押し入れにあった余剰エネルギーが半分ほど失われたとの事であった。
「いやいやいやいや、だからダメじゃないですか!!」
『しかし、安心して良い。
特殊結界の大きさがかなり縮んでしまったのだが、双剣が飛び出さぬ様に形状の調整は上手くできた。
どうやら、余には、その辺りの管理も可能らしい…のこ』
これから細かな調整は余に任せよとトレーナーにどや声で言われた所で、安心材料にはまったくならない。
こんな事でうっかりトレーナーが消える事態になれば、恐れていた通り、早々にのこちゃんが独りでティハラザンバーをやる羽目になってしまう。
「訓練の前に、先ず、こっちを何とかしないと!」
慌てて、のこちゃんは、部屋を飛び出した。
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ストレートブーツが、石材の床にコツコツと足音を響かせる。
猫系クラスターが使う棟の廊下を、ベニアは、黙々と自分の部屋に向かって歩いていた。
静けさが支配する、直近の荒野にて現在も続いているであろう殺戮の喧噪とは、まるで無縁の世界の様だった。
もう慣れてしまったのか、建物の壁と床が素材むき出しの無骨な造りでも、特にこれといって思う所は無さそうである。
「………………(本当に、猫系って、他人の気配しないよねー)」
のこちゃんのみならず、育成組へ参加している者は全員が新人であり、ベニアもまた魔刃殿に在籍して日が浅い方であった。
育成組の参加者は、それぞれのクラスターがこれぞと見こんだ将来有望な若者であり、謂わば幹部戦士の候補たちなのだ。
しのぎを削るライバルしか周りにいない環境とあり、親類であるパニアのコネクションだけではどうにもならない、そんな実力を問われる集まりに名を連ねている時点で、ベニアも並みの器量のはずもない。
実際の所、ティハラザンバーと分かれる前の思案げな様子は、これからの己の身の振り方を模索しての姿である。
ティハラザンバーとは、昨日紹介されて、今日ほんの一時行動を共にしたに過ぎない。
ベニアにしてみれば、すべてはこれから次第としか言えない間柄だった。
同じクラスターから育成組へ参加するならば、仲の良い方がお互いに有利な事は間違いない。
最初にベニアから相棒ポジションを希望したのは、そんな打算があったからこその、本心である。
どんな育ち方をしたのか、ティハラザンバーの怖い姿に似合わない素直な性格には、不思議に思いつつも好感が持てた。
その辺りは、中二女子を素体として最近でっち上げられた存在だと、ベニアどころか魔刃殿の全員が知る由もない事なので戸惑うのも仕方がないのだが。
見た目と違って意外とつきあい辛くもなさそうで、セイランとの模擬戦で見せたその実力も及第を超えてきたとなれば、ティハラザンバーと組む事にはこれといった問題もないはずであった。
「………………(あんなのを見せられたらねー)」
よもや、訓練スペースで少し見せたあの力があそこまでの凄まじさだったとは、誰が予測できただろうか。
ベニアが目撃したその真なる恐ろしさは、もちろん破壊力もさる事ながら、すべての翼の怪物を衝撃波の射線上へ引き寄せて、そのまま空中に固定してしまった事である。
あれでは、狙われたら最後、逃れられるものも逃れられない絶対的な破滅の強要だろう。
まさしく、ベニアは、想像を絶するという経験をさせられた。
「………………(アレを見て、興味を持ったヤツは多いだろうねー)」
ただ、ティハラザンバーは、明らかに諸刃の剣であるのだが、それと同時に強力なカードには違いない。
要は、扱い方によって、どうにでもなり得るのだ。
「………………(パニアおばさんも、その辺を織り込んで、姪のアタシを紹介したんだろうねー)」
昨日、パニアの事をティハラザンバーは、それと分かる憧憬の念を以て女幹部と賞賛していた。
確かに、傭兵団などという戦闘を生業とする組織にあり、女の身ながら一つのクラスターを仕切っているという事実は、運を含めた実力しかものを言わぬ世界にあって生半可な台頭ではないだろう。
幼い頃からパニアの武勇伝をよく聞かされていたベニアとしては、ティハラザンバーが憧れる気持ちもよく分かる。
まぁ、チャムケア基準の憧れなので誤解も甚だしいのだが、それはさておき。
どうせならば、自分も魔刃殿の中核へと駆け上がり、憧れのパニアと肩を並べるくらいになりたい気概がベニアにはあるのだ。
そのためには、際立った力が必要になってくる。
幸い、ティハラザンバーとベニアの価値観には、通底するものがあると感じられた。
ならば、この幸運な巡り合わせに乗っからない手はない。
環境に戸惑う様子のティハラザンバーには、何かにつけ世話を焼く感じで仲良くなっていき、同じクラスターの相棒として定着さえしてしまえば良いのだ。
ベニアは、これから育成組でティハラザンバーと共に、上手くやるつもりであった。
ベニアが思案していた己の身の振り方とは、巧くその力を最大限に有効活用させてもらう、その方法である。
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「………………(それにしても、白獅子の御大将やパニアおばさんが期待をかけるだけあって、あいつ使えるよね…)」
「ベニア!ご飯を食べられる所ってドコ!?」
のこちゃんはトレーナーが消えない様にするため、しっかりご飯を食べたり、ちゃんと睡眠して意識的にエネルギーの回復を図からなければならないと、先ず食堂に当たる場所を探して棟の中を走り回っていたのだ。
そんな最中、たまたま姿を見つけた、しかも色々と親切に教えてくれたベニアに食堂の所在を質すのは、自然な事である。
突然のティハラザンバー出現に、仰天したベニアがその場で1メートルくらい飛び上がったのは言うまでもない。
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件の爆発事件から数日が経過した午後、7月の終盤にも係わらず、すでに真夏と言わんばかりの強い陽射しが街を容赦なく焼く。
日によってゲリラ豪雨などと呼ばれる雨天も少なくないのだが、現在は、雲ひとつ無いくすんだ青空が広がっている。
そこは、都内を何れかへ向かって走行している、高級リムジンのリアシートであった。
広い車内は、質の良い革張りの内装と合せ、シートもゆったりとした相応なソファーであり、スーツ姿の成人男性が複数人乗車していても窮屈さの欠片もない。
空調の効いた紫外線と熱をカットするサイドウィンドウから光が柔らかく照らすその快適な空間は、ひととき酷暑を忘れさせ、さながら移動する応接室といった所である。
その中に、私立スタープレーン学園初等部の夏期制服を着用した低学年と思しき少女が、大人たちに混ざってちょこんと座っていた。
両方の膝に大きめの絆創膏が貼られていて痛々しさがあるものの、肩までのびたクセのあるストロベリーブロンドの髪が窓から差し込む陽光に反射して、その身に纏う雰囲気はキラキラと華やいでいる。
抜ける様な白い肌と強い意志を宿す大きな碧い眼が印象的なその少女は、男性の一人から一冊の手帳を小さな手で受け取ると、真剣なまなざしで見入り始めた。
「それが、現場で発見された生徒手帳です。
身分証の証明写真に写る女子生徒は、お嬢様の仰っていた方で間違いありませんか?」
「剣持虎の子…これがあのひとの………………はい、間違いありません、この方でした」
それは、爆発事件の現場にて警察が押収していた、表面が焦げてしまったのこちゃんの生徒手帳である。
「確かに、重症者と死亡者の中に、この方…剣持虎の子さんはおられなかったのですね?」
「はい、当日作られた生存者の名簿と併せて、何度も確認した旨の報告を受けています」
「そう………………やはり、あの時、消えてしまったのかも知れませんね」
少女は、顔を上げ、手帳を渡してきたスーツの男性へと向き直る。
「これは、こちらでお預かりしても?」
「ええ、その方はあの場に存在していませんでした。
ならば、押収されるはずもない物でしょう。
そちらのお役に立てるのなら、どうぞお納め下さい、お嬢様」
「ありがとうございます」
少女は、無垢の白いハンカチを取り出すと、のこちゃんの生徒手帳を大事そうに包み、手元のポーチへしまった。
そして、その場の全員へ視線を一巡させた後おもむろに、しかし、表情を硬くして話し始める。
「此度のあの爆発は、恐らく私個人を狙った敵の仕業と踏んでおります。
皆様には、対策や後始末でこれからも斯様なご迷惑をおかけするかも知れませんので、先ずお詫びを…」
少女はぺこりと頭を下げる。
しかし、警察の関係者らしいその男性は、慌ててそれを止めさせた。
「いけません、お嬢様。
敵が奸計をめぐらせ凶行に及ぶのは、お嬢様が我らの要と理解しての事です。
ならば、我らは全力でお助けこそすれ、迷惑をかけるなどと気負われるそのお気遣いこそが心外とお心得下さい」
他の男性たちも追随する。
「お嬢様が御神託を得なければ、我々は敵の存在にも気づけず、備える事もできなかったのですよ」
「それだけお嬢様は、敵の脅威なのです。
どうか、気概を以て、我々にお任せ下さい」
周りの男性たちから次々と続く励ましの様な忠言に、少女は困った様に笑うと、もう一度ぺこりと頭を下げた。
「わかりました。
これからも皆様の力をお貸し下さい」
しっかりとした物言いの中に垣間見える年齢相応の屈託の無さが、スーツの男性たちには眩しかったらしい。
やや緊張感が支配していたリアシートスペースの空気が、つかの間、ゆったりとした優しい空気に包まれる。
「しかしながら、この身に御神託を得たとは言え、相手はこれまで私たちの文化に顕れた事のない異界の神です。
人の世界に侵入していた敵に警鐘を鳴らしていただけたその事自体は、本当にその敵の存在を確認できた時点で有難かったのですが、それでも未だ全面的に信用して良いものか分かりません………」
少女の言葉に、再び緊張感がその場に戻される。
「ともあれ、私たちの計画は順調に実現しつつあります。
どうか皆様も、この期に及んでは、ご油断されませぬ様にお願いいたします」
凛とした少女の下知を受け、スーツの男性たちは、一斉に謹んで承諾する意の姿勢を取った。
それにしてもと、少女は、自分を救ってくれた剣持虎の子が、この神託から始まった一連の状況に巻き込まれたのではないか?と疑う気持ちを押さえられないでいた。
あの瞬間、少女の身を案じて笑ってくれた、あの人を犠牲にしてしまったのではないかという恐れである。
間違いなく、剣持虎の子自身にとっても、あれは災禍に見舞われた恐ろしい瞬間だったはずである。
最初、少女には、彼女が何故笑っていたのか分からなかった。
しかし、どう思い出してみても、どう考えても、その手で爆炎から救った自分の無事を知って安堵していた様に感じるのだ。
少女は、現実でそんな人を見た事がなかった。
己が最悪の状況の中で、たまたま目の前にいただけの他人を助け気遣える、そんな優しい人を。
平時に於いて、口では何とでも言えるだろうし、かくあるべきと日頃から努力している人もいるだろう。
では、その瞬間が我が身に訪れた時、実際に行動できるだろうか。
かく言う少女にも、そんな自信は無かった。
だからこそ、少女の碧い瞳は、あの人の最後に見た笑顔を忘れる事ができない。
もしも人の優しさが強さならば、少女は、あの笑顔に応えられるだけの強さを自分も持たなければならないと心に決めた。
現在、謎の敵に対する不退転の決意を促しているのは、あの時の情景が大きく占めている。
そして、それは今後も変わらないであろうと確信できた。
しかし、だ。
もしこの事態に神を名乗る超越者が介在しているのならば、あの様な人は、まっ先に救われるのではないかと強く思うのだ。
これまで遺体が発見されていないのならば、もしかすると、あの人は何処かで救われているのかも知れない。
しかし、その確証は、何も無いのである。
最悪、神託すらこちらを利用するだけの目的であり、かの存在も敵の敵にすぎない可能性すらあり得ると少女は考慮していた。
「異界の神リナリーシア…できる事ならば信じたいものですが」
その少女の小さな呟きが、周りの大人たちへ届く事はなかった。
次章へ続きます。




