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夢の終てまでも  作者: 木原式部
3.夢の終てまでも
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 蛍はビルの前で紫と別れると、真っすぐ近くの地下鉄の駅へと向かった。

 紫を振り返ると、紫は駅とは反対の方向へ歩いていく。

 いつもそうだ。自分と紫はビルの前で正反対の方向へと向かう。

 紫は違う駅か、もしくはバスを利用しているのだろうかと思っていたが、お嬢さまと呼ばれているくらいだから、この近くの徒歩圏内に家があるのかもしれない。

 いや、「それに私、家を出て行ったし……」と言っていたから徒歩圏内のマンションか何かに住んでいるのだろう。

 ――気になる。

 蛍はやっぱり紫が気になった。

 今まで紫には四回くらいしか会ってない。何回か会えば紫の何かがわかるかと思ったが、会えば会うほど紫という女の子がわからなくなる。

 今日もはあの赤いスポーツカーに乗っていた男が「葉賀稔はがみのり」という名前で、(今は解消しているようだが)紫の許嫁で、紫がお嬢さまと呼ばれるくらいの立場の人間だと言うことがわかっただけだ。

 でも、それ以外は何もわからない。

 むしろ、気になることがもっと増えてしまっただけだ。


 蛍は地下鉄に揺られている間も紫のことを考え続けた。

 そして、自宅の前まで来た時に、自分はどうしてこうも紫のことばかり考えているのだろうか、と不思議に思った。

(――だって、気になるし)

 無表情でクールかと思えば、突然怒ったり頬を紅潮させたり。

 今日はいきなりお嬢さまと呼ばれているし、しかもそのお嬢さまと呼んだ男性と許嫁だなんて。

 もちろん、夢のことも気になる。

 あんな女の子と会ったのは初めてだな、と蛍は思った。

 見ていて飽きない、というと言い方が正しいかはわからないが、見ていて飽きないし、ずっと一緒にいても飽きない。

 ずっと紫の傍にいても良いような気がする。



「――ただいま」

 蛍が玄関のドアを開けると、キッチンから母親の紅葉もみじの「お帰り」という声が聞こえて来た。

「ごはん、まだだよね? 用意するから食べれば」

「うん」

 蛍は紅葉に言われて、自分が空腹だとやっと気付いた。

 蛍はキッチンで夕食を食べながら、居間で母親が何かのテレビ番組を観ているのをぼんやりと眺めていた。

「そう言えば、お姉ちゃんから電話来てね」

 テレビの画面を観ていた紅葉がふと蛍を振り返った。

「えっ? 姉ちゃん?」

「うん、『蛍は仕事大丈夫なの?』って言ってたよ」

「姉ちゃん、そのためにわざわざ電話して来たの?」

「ううん、別の用事があってそのついで。あのもさ、あんたを心配するなんて、子ども出来てから心配性になったよね。昔は何も考えてないような楽天家だったのに」

「心配性って……」

 弟の会社が倒産して失業したら、心配性でなくても多少は心配するだろう、と蛍は苦笑いした。


 蛍は夕食を食べ終わってお風呂に入ると、そのまま真っすぐ自室へ行った。

 そして、疲れたなと思ってベッドにそのまま倒れ込んだ。

 でも、いつも通り眠気はやってこない。

 時計を見ると、まだ夜中の12時を回ったばかりだった。自分にとってはまだまだ活動できる時間だ。

 蛍は手を伸ばして本棚から適当な本を一冊引き抜くと、ベッドの中で読み始めた。


 ――静かだ。

 母親はもう寝ているのだろう。家の中はまるで音と言うものが世の中からなくなってしまったかのように静まり返っていた。

 そんな静まりに反抗するかのように、蛍が本のページをめくる音だけが時々微かに聞こえて来る。


 夜中の静かな時間には慣れている。

 この静寂の中こそが自分の時間であるかのような気がする。

 昔から、小さい頃からずっとこの静寂を一人で過ごして来たんだ。

 むしろ、この静寂が破られる時が怖い。


 ――昔は何も考えてないような楽天家だったのに。


 蛍はふと母親が言った言葉を思い出した。

 確かに蛍の年の離れた姉は楽天家だ。蛍はどちらかというと大人しい方の部類に入る人間だったが、姉は活発で友だちも多く、母親の言うように楽天的な性格だった。

 と、蛍も昔はそう思っていた。

 でも、違うんだ。

姉はそこまで楽天的な性格ではない。この静寂の中で時々聞こえて来た姉の声は決して楽天家が発するようなものではなかった。

 蛍は読んでいた本のページをめくる手を止めた。

 母親は本気で姉のことを楽天家と思っているのだろうか。

それとも、見た目は楽天家だと思っているだけなのだろうか。

 姉の本当の声を知っていて、楽天家と言っているのだろうか。

 自分と同じように姉の本当の姿を「見て見ぬ振り」しているのだろうか……。


 蛍はしばらく考え事をしながら本をめくっていたが、やがてやっと襲ってきた眠気に身を委ねた。

 眠気は突然やってくる。

 そして、目が覚めた瞬間はいつも朝だった。

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