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放浪のレヲ  作者: 来生直紀
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Another One 異世界から来た種族の話 -a-

 大きな分かれ道の前に、ひとりの旅人が立っていた。

 ぼろぼろの外套を羽織り、腰の脇に一振りの剣を吊るしている。

 分かれ道の片方は深い森のなかへ、もう片方は広い街道へと続いていた。

 旅人は立ち止ったまま身動きひとつしない。

 死んでいるのかもしれなかった。


「レヲよ」


 旅人以外のだれかが口を開いた。艶のある女の声だった。


「なに? ヴラム」

 レヲと呼ばれた旅人が答える。


「いや、よもやおぬしが立ったまま死んでいるのではないかと心配になってな」

「なに言っているの?」

「ええい、ただの皮肉じゃ。いったいいつまで迷っておる?」

「迷ってないよ。慎重に考えてるだけ」

「そうか。じゃが、そう悩む問題でもなかろうに」

「そう?」

「森のなかの獣道と、整えられた街道じゃぞ?」

「うん。それと次の目的地には、森を抜ければ二日、街道を通れば四日はかかる」

「たしかにそうではあるがな。じゃが森は迷いやすく、また魔物が多く出没して危険じゃ。一方の街道ならば、人間の行き交いも多い」

「うーん」

「レヲ、おぬしの師の教えを覚えておるかえ? 常に油断せぬようにと」

「うん、もちろん」

「ほかにはなにがあった?」

「危険を切り抜ける術を考えるより、危険を避ける術に努めなさい」

「では答えはひとつじゃ。わらわがなにを言いたいか、わかるな?」

「え、ああ、そっか」

「言ってみい」

「つまり、安全第一」

「うむ」


 レヲの答えに、ヴラムは満足そうにうなずいた。


「いつぞやの出立の日にはよもやどうなることかと心配したものじゃが、ようやくすこしばかりおぬしの成長が見て取れて、わらわも嬉しいぞ」

「ありがとう。じゃあ行くね」


 するとレヲは迷いなく、森への道を進みはじめた。


「なんでじゃ!」



 ヴラムにはふたつの特徴がある。

 ひとつめは、ゆるかやな反りのついた片刃剣であること。

 一般的な刀剣としてはやや重く、わずかに緋色を帯びた昏い刀身を有している。

 ふたつめは、とてもよくしゃべる相棒だということだ。


「まったく、どうしておぬしはそうひねくれておるのじゃ。いつまでたっても非常識というか垢抜けておらぬというか野性的というか……」


 さきほどから、ヴラムはずっとこんな調子だった。

 どうやらレヲが森を抜ける道を選んだことが不満らしい。

 森に入って強い日差しから逃れたため、レヲは外套のフードを下していた。

 足場の悪い獣道を歩くたび、肩口程度に伸びた髪が揺れる。

 頭の後ろには大きめの髪留めがあった。以前、とある《種族》から譲り受けたものだ。本当は髪を結ったり束ねたりして使うものだが、使い方をよく知らないレヲは頭のうしろで適当に髪をくくっている。


「森が魔物が多いから危険だと、何度も忠告したであろう?」

「でも、人間が多いのだって、同じくらい危ない」

「屁理屈を言うでない。危険の質がちがう」

「それに、こっちの道でも、なにかいいことがあるかもしれない」

「なにかとは?」

「わからないよ。でも、なにか」

「呑気じゃのう……。はぁ、これでまた今夜も野宿が決定じゃぁ~」


 ヴラムが大げさに嘆いた。

 いくぶん近道とはいえ、徒歩で日が出ているうちに抜けるのは難しい森だった。

 途中で一泊は確実、天候や状況次第で二泊必要になるかもしれない。


「ヴラムは、野宿はいや?」

「当たり前であろう。由緒ある高貴な業物であるわらわが! こんな湿った土とも泥ともつかぬ地面の上で! あぁ、なんと可哀想なわらわ……」

「じゃあ、ぼくがヴラムを抱えて眠る。それなら汚れない」

「そういう問題ではあらぬ。これはポリシーやアイデンティティーといった問題なのじゃ」

「ヴラムのいうことは、ときどき難しくてよくわからない」

「それはおぬしよりずっと長く生きておるからな」

「長く生きると、野宿が嫌になるの?」


 レヲがそのように聞くと、ヴラムはすこしだけ黙った。


「そうではない。そう……単純に、増えていくのであろうな。多くのものを見るがゆえに、嫌になるものも増える」

「じゃあ、その分好きになるものは増えないの?」

「そんなことはない。……じゃが、一番のちがいは、わからぬものや知らぬことに、期待ができなくなる」

「どういうこと?」

「おぬしのように、『なにが起こるかはわからないが、いいことがあるかもしれない』とは、なかなか考えられぬようになるということじゃ」


 ヴラムは当たり前のように答えた。

 レヲはすこしのあいだ、じっと言葉の意味を考えていたが、


「ヴラムのいうことは、ときどき難しくてよくわからない」

「ふふんっ。ならば、わらわをもっと丁重に敬うことじゃな」


 ヴラムがいつものように高飛車に言ったときだった。

 レヲがぴたりと足を止めた。

 同時に息をひそめる。

 ヴラムもなにも言わずに黙った。

 近くに、生き物の気配があった。

 大型の動物。魔物かもしれない。

 レヲはかがんで茂みに身を隠しながら、気配の方向に目を凝らした。

 林の奥でなにかが激しく動いていた。

 否、戦っていた。

 片方は、人間の男だ。

 もう一方も人型のシルエット。だが人間ではない。

 ファーゴブリン。

 小柄な身体に強い筋力を持ち、全身を硬い体毛で覆った魔物だ。

 手にした棍棒と、その牙で獲物を襲う。獲物には人間も含まれる。街の外に出ることの多い冒険者や商人が標的になることが多い。

 男のほうは、冒険者のようだった。

 手にしたダガーを振り回し、懸命に応戦している。

 だが動きが拙く、ファーゴブリンに傷を与えられていない。

 また、見たところ装備も取り立てて立派なものではないようだった。もしかしたら、まだ駆け出しなのかもしれない。


「あれがおぬしのいう“いいこと”か?」

「さあ、でも……」


 どうしよう、とレヲがつぶやいた。

 今度こそ、レヲは“迷って”いた。 

 レヲがなにを迷っているか、ヴラムにはすぐにわかった。


「どっちを助ければいいのかな」


 レヲがつぶやいた。

 レヲがどちらかに肩入れする具体的な理由がないことは、ヴラムにはわかっていた。

 ややあって、仕方なしにヴラムは口を開いた。


「どちらも助けぬ、という道もあるぞい」

「そうだけど……」


 やがて、攻勢が明確になってきた。

 男のほうが押されはじめた。

 呼吸も激しく乱れているのが横からでも見てとれた。

 ファーゴブリンの棍棒が男の胸元をかすめた。男は大きくよろけて転倒し、後ろの大木の幹にがつんと頭を打ち付けた。

 レヲは決心した。

 念のため、もう一度周囲に気を配る。

 実は男には仲間がいて、襲われている振りをして助けようとしたレヲを捕らえる、そういう罠でないことを確認した。

 レヲは鞘走りの音がしないよう、ゆっくりとヴラムを抜いた。

息を大きく吸い、大きく吐く。それから短く吸って、息を止めた。

 ヴラムを下段に構え、一息に距離を詰めた。

 先に気付いたのは、ファーゴブリン。

 遅れて冒険者の男も血の気の引いた顔を上げる。

 もう間合いに収めていた。

 ヴラムを斜めに振るう。

 鎧の役割を果たすファーゴブリンの体毛の目にさからわぬよう、刀身を流した。

 剣先を当てて引く。

 皮膚と肉を裂く手ごたえ。 

 浅く斬った。

 ファーゴブリンはレヲをにらみつけ、唾液をまき散らしながら甲高く咆哮した。

 退かない。

 わかってくれていない。

 レヲがすこしだけ残念そうにした。

 冒険者の男はなにが起きたのか理解できないという様子で呆然としている。

 ファーゴブリンがレヲに飛びかかってきた。 

 そうすることが、される前にわかった。

 レヲはヴラムを突き出した姿勢で、引かずに踏み込んだ。 

 体重を乗せてファーゴブリンの肩を突き刺す。

 一瞬、体温を感じた。

 生き物の生暖かさ。

 すばやく引き抜く。

 血と体液が飛び散り、頬にかかった。 

 ファーゴブリンが弱々しい悲鳴を上げる。

 ファーゴブリンはよろよろと後ろに下がると、迷いなく背を向けて一目散に森のなかへと消えていった。

 レヲはほっとし、長い息を吐いた。 


「たすかった……」


 男はうつろな声でつぶやき、その場にがっくりとうなだれた。

 それこそ死んでしまったように。


 *


 しばらく経って、冒険者の男はようやく落ち着きを取り戻した。

 レヲも手当てを手伝ったが、どれも軽い傷だけだったので、男はすぐに自力で立って歩けるようになった。


「ありがとう。本当に助かった。本当にありがとう」


 男は繰り返し礼を口にした。


「俺は冒険者のヒロキという。きみは?」

「レヲです。こっちは、相棒のヴラムです」

「どうもありがとう。レヲさん、ヴラムさん。きみたちも冒険者かい?」

「いいえ、ぼくは旅をしています」

「そうか、旅人さんか。俺は冒険者だが、実はまだ冒険者ギルドに登録したばかりの駆け出しなんだ」

「ふん。分不相応、自業自得じゃな」

「ああ、それは認めるよ。いまの自分の実力を試してみたくなって、ついこんな森にひとりで足を踏み入れてしまった。馬鹿だった。本当に迂闊だったよ」


 男はヴラムの手厳しい言葉にも素直にうなずいた。

 心底反省している様子だった。


「それにしても、きみは強いんだな。ずいぶん若く見えるのに」

「いいえ、ぼくは標準です」

「標準? ああ、あれくらいはできて当然、ということか。たしかに強くなければ旅人は務まらないんだろうな」


 レヲはとくに同意しなかったが、男はひとりで納得した。

 男は、レヲたちがやってきた道を引き返し、一度近くの町まで戻るつもりだと言った。

 戻る途中でべつの魔物に襲われない可能性はゼロではなかったが、距離的にはそう遠くないので大丈夫だろうとレヲは思った。すくなくともこのまま道を進むよりは安全だ。

 レヲが一緒であっても、一緒でなくとも。


「では、ぼくたちはこれで。さようなら」


 レヲがあっさりと言って背を向けると、男はあわてて引きとめた。


「待ってくれ。ぜひ、なにか礼をさせてくれ」

「そういうつもりで助けたのではありません」

「だが、このままでは道義に反する。なにか礼を……」

『……テイケ……』


 するとどこかから、声が聞こえてきた。

 その声はまるで呪詛のように、薄暗い森のなかにこだました。

 艶のある、しかし不気味な女の声だった。


「ひっ、な、なんだいまの声!?」

「さあ」

『…………オイテ……イケェ……』

「ほら! また聞こえた!」

『……オイテイケェ…………アリガネスベテ、オイテいたっ』


 レヲが剣の柄を叩くと、途端に声はやんだ。


「い、いったいなんだったんだ……」

「気にしないでください」

「ああ……。しかし、申し訳ないことに、いまの俺はろくに金も、金になりそうな品物も持っていないんだ」

「なんと、助け損じゃ!」


 レヲがふたたび剣の柄を叩いた。


「気にしないでください」

「だがなにか、俺に役に立てることはないだろうか? こう見えて、俺はこれまで沢山のことを経験している。助けてもらったあとではあまり説得力がないだろうが……」


 男は頑として礼にこだわった。

 だがレヲに、人から貰いたいものも、して欲しいこともなかった。

 あったとしても、それは自分よりもこの男に必要ではないかとレヲは思った。

 困った末、レヲはあることを口にした。 


「では、あなたのことについて教えてください」

「俺のこと?」

「はい。ぼくは、いろいろな《種族》に出会うために旅をしています。マスター……ぼくの師範にあたる人から、そうするようにと教えられました。でも、ぼくはまだ世界をよく知りません。あなたがどういう《種族》なのかを、もっと教えてください」

「なるほど……」 


 男は顎に手をあてしばし思案した。

 どこか話しづらそうな雰囲気だった。


「その、おそらくきみには信じられない話だろうけど……」

「構わぬぞ。レヲはともかく、わらわほどともなれば、理解できぬことは滅多にないからの」

「はい。構いません」

「わかった。実は……」


 男は決心を決めたように表情を固くしながら、口を開いた。


「俺はここではない、べつの世界からやってきたんだ」




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