2、AI作品を投稿する人に対して思ったこと
AIが日々、進化している。日々……というか、もう、毎分毎秒単位で進化している。
このエッセイも、AI作品の矛盾をツッコんでくすりと笑ってもらおうと思って作ったのだが、なんかもう、「矛盾はあるけど、ツッコむほどでもないか……」とか「『これだからAIが作るものは感情がなくて無機質だ』ってツッコめないほどハートフルな話をぶっ込んできよるな……」となってきた。
しかも、ラストに「お読み頂き、ありがとうございました。」とお礼も言うてきよる。ツッコむのも、なんだか忍びなくなってきた。
今や、AIを使うのが当たり前の時代だ。仕事はもちろんのこと、私生活でも多用している。
使い方次第では便利なのだが、なろうの世界で問題視されているのが、AIに書かせて人間は投稿しているだけというAI作品だ。
ポイントやアクセス数を稼いで、なろうリワードが欲しいらしい。知らんけど。
AIだから、それなりに上手に文章を作成するので、それなりにポイントやアクセス数もあるらしい。
思ったんだけど、どんなにおもしろくない話を書いた人でも、その話を読むためにはその人が必要なんだよ。
でも、AIが作った話をそのまま投稿する人や、いくつかの単語を打ち込んで、「これで話を書いて」と言って書かせて投稿する人って、いなくてもいい存在なんだよな。
正直、必要ない人たちなんだよな。
「オレが単語を打ち込んだし」
「読者の俺が自分の読みたいやつを一番知ってるから俺が打ち込むし」
って思うんだよな。
本人が書いた話なら読みたいよ。でも、AI作品なら自分で打ち込むから君はいらんわってなるんだよな。
「オレが投稿したし」
「AIの下っ端やん」
って思うんだよな。
AIの雑用をしてるみたいなんだよな。
AIと人間には意思決定の違いがある。
AIは与えられたタスクを遂行することしかできない。つまり、できることをするだけだ。
しかし、人間はできなくても、「自分のやりたいことをやる」という意思が備わっている。
自分の作品を投稿する人たちは、自分の意見を聞いてほしいという意思がある。
自分の作品を読んでほしいという思いがある。
AI作品を投稿する人たちに問いたい。
それは本当に自分の人生で自分がやりたいことなのか?
AIのように、できることを遂行しているだけではなくて?
AIには利他的な意識はない。与えられたタスクを遂行するだけだ。
だが、人間は誰かのために行動することでやりがいを感じられる。
読者を感動させたい、笑わせたい、喜ばせたい、驚かせたいという情熱がある。
誰かの希望になりたいという情熱がある。
もし「AI作品で読者を感動させたい……!」と本気で思っているなら笑ってしまう。
おそらくそんなことは思っていないだろう。
ただ、なろうリワードが欲しいだけなのだろう。
なんか……可哀想になってくるんだよな。
多くの人がいろいろアイデアを出し合って商品化したものを、大量に買い占めて、オークションで売る奴らと被るんだよな。
新しいものを生み出す能力がないから、買い占めて売るっていう、タスクを遂行することしかできないんだよな。
正直、いらない存在なんだよな。
どんな職業でも、働いてる人たちは必要な存在だ。
生活をしていく上で、皿洗いなども必要な作業だ。
だが、買い占めて売る作業は必要ない作業だ。いらない存在だ。
どんなにおもしろくない作品でも、0ポイントであったとしても、自分が書いた作品である限り、その人は必要な存在だ。
だが、どんなにポイントが高くても、AI作品である限り、その人は必要ない存在だ。
AIの作品には名作があるのかもしれない。
だが、それを投稿するだけの人間はいらない存在だ。
AI作品を投稿する人たちって、新しいものを生み出す能力がないから、タスクを遂行することしかできないんだよな。
意思や情熱を持たないAIみたいなんだよな。
人間じゃないみたいなんだよな。
俺は人間だから
俺には意思があるから
俺は誰かの希望になりたいから
俺は自分で書くわ
読んでくださって、ありがとうございました。
AI不使用です。




