第21話「翼」
一歩、一歩。
ふらつきながらも、ミュラは懸命に地面を蹴る。
目に溜まった涙を振り切って。
テテロペは、理解不能の叫びをあげた。
ミュラの呼吸は荒く、今にも倒れそうだった。
それもそうだ。
最近はろくに食事も摂らず、儀式の為に大量の酒や、葉の煙を吸ったのだ。
「いぐなぁあ」
テテロペが必死の形相で追いかけてくる。
ミュラはつい、後ろを振り返ってしまった。
「あっ」
テテロペの恐ろしい迫力に、ミュラの足元がもたつく。バランスを崩す。転ぶ。
誰もがそう思った。
「アミアン!」
ノアは叫ぶ。その横を、とてつもない速度でアミアンが走り抜ける。すんでのところで、アミアンはミュラを抱きかかえる。
そのまま切り返し、ついでにノアも抱きかかえ、走り出しす。
「ミュラお姉ちゃん!」
少女の声がミュラを呼び止める。
抱きかかえられたノアとミュラは、声のあった方へ視線を向ける。
ウルカは老婆にしがみつき、泣きそうな目でこちらを見ていた。
「祟りじゃ祟りじゃ……」
老婆は震えながら両手を握り合わせ、天に呼びかけている。
「……ごめんなさい」
ミュラは知っていた。
次の神子の候補に、セルミネ村のウルカがいることを。
少し前に祭司から聞かされていた。
見捨てるのか。裏切るのか。
亡霊たちが囁いてくる。
ミュラは何度も頭を振る。
ごめんなさい。ごめんなさい。
きっとこの行動は、ミュラの良心を生涯に渡り、苛め続けるだろう。
そんなことなど露知らずのアミアンは、速度を上げる。
広場の前には、戦士たちが待ち受けるように並んでいた。
「我々の神子を返せ!」
戦士たちは、羽筆を装備し、剣や槍を構えていた。
その戦士たちに、アミアンは迷うことなく突進していく。ミュラは気が気ではなかった。
アミアンは戦士たちの射程圏内に入る直前、人間離れした跳躍力で飛び越える。
その姿に、戦士たちは唖然としていた。
そのまま森へ入っていく。すかさず戦士たちも、追いかけてくる。
二人を抱えた重荷と、整備されていない獣道が、アミアンを減速させた。
自然の草木が、三人の逃亡を許すまいと顔や身体を痛めつける。
戦士たちが距離を詰めてきた。数本の弓矢が三人を通過する。
地の利は、この大自然で育った戦士たちにあった。
「ノア」
ミュラがノアに話しかける。
「わたしを離してって伝えて」
「ダメだ」
「そうじゃない。わたしが先導する」
確かに先程から戦士たちは、木の上を利用して移動し、アミアンに追いつこうとしていた。
ノアはそのことを、アミアンに伝える。
直後、ミュラは雑に木の上へ投げられた。
「アミアン!?」
ノアは思わず声をあげる。
だがミュラは、器用に着地し、慣れたように木渡りをはじめた。
しなやかな身体裁きは、森の住人そのものだった。
「すごい……」思わずノアの口からこぼれる。
一人分負担が減ったアミアンは、ミュラの先導のもと、下りの獣道を駆けた。
先程より、気持ち走りやすい道が増えた。
しばらく逃亡を続けるも、戦士たちも必死になって食らいついてくる。
ミュラは焦りを感じていた。
彼らは包囲網を敷いて、自分たちを崖へ追い詰めようとしている。
それでも前へ、進むしかなかった。もう振り返ることは出来なかった。
茨の道を抜けた先に崖がある。まるで未来の自分を現しているように思えた。
やがて、視界が晴れていくのがわかった。
崖が近づいて来る。
「追い詰められる!」
「ミュラ! 戻ってきて」
ミュラは地上に降下した。五年ぶりにしてはよく身体が覚えていたほうだったが、体力も限界だった。
タイミングに合わせて、アミアンが片腕で受け止め、抱えた。
「そっちは崖、死ぬよ!」
「大丈夫。アミアン、そのまま行って!」
「は? 正気なの?」
「行ってアミアン!」
「ゔぅらぁあ」
アミアンはノアの指示通り、切り立った崖へ辿り着く。
そして迷うことなく、宙へ飛んだ。
ミュラは悲鳴を上げる。後方で戦士たちも叫んでいた。
獣に抱えられた二人が、夜空を渡る。その姿を、満月が照らしていた。
当然、アミアンは空を飛べるわけもなく、大自然へ向かって急降下していく。
ミュラは体験したことのない重力を感じ、命の危機を悟った。
いくらなんでも、無茶だ。例え人間離れしたアミアンであっても、無事では済まない。
それは、抱えられた自分たちにもそのまま言えることだった。
そんな中、ノアはじっと目を瞑って集中していた。
右手に羽筆を握って。
それに呼応するように、赤色の粒子が筆先から溢れはじめた。
いつかの記憶に見た、あの輝かしい姿を想起する。
右手を前に広げる。
溢れ出した粒子は一度収縮された。
「はぁっ!」
直後、眩しいほどの輝きが放たれた。
ミュラは耐えきれなくなって目を瞑る。
粒子は集合体となって、巨大な何かへと形成されていく。
崖にいた戦士たちは、呆気にとられた。
赤白い巨大な翼が、ライリー島の夜空を飛んでいた。
ーーー
数日間、大した成果を得られなかったオリフィス班を乗せた船内は、重苦しい雰囲気に包まれていた。
ズバエン領のナロルカ島とエペサ島を見て回ったが、アミアンとノアの目撃情報は掴めなかった。
頼みの綱である、ズバエン港からの連絡もなかった。
これからどうするべきか。再び話し合う必要がある。
ナギサは、どのタイミングで切り出そうか窺っていた。
その前に夜の海を眺め、気持ちを落ち着かせる。
暗闇に包まれた島影と、大陸部の微かな街光。
そろそろ陸に戻り、家のベッドでゆっくりと眠りたい。誰もがそう思いはじめた頃だった。
ナギサの目は、大きく見開かれる。
「オリフィスさん!」
遠方の夜空に、眩い輝きが発光している。
こちらからは島に隠れて見えないが、あの赤白い光は、筆力に違いなかった。
それも一度に膨大な筆力量を消費したのが、発光具合から推測出来た。
「どこだ」
「あそこは……」
ナギサは脳内の地図に検索をかける。
「ライリー島です!」
オリフィスは、舌打ちをしたあと「むかえ」と指示を出す。
ナギサは操縦席へ走り出す。
カルロとミロンも、食事の手を止め、物珍しそうに窓際にやってくる。
「お前たち、準備しろ」
いつの間にか、船内の重苦しい雰囲気は霧散し、新たな緊張感に包まれようとしていた。




