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遺書

 すでに熊岸刑事が小野坂元刑事に、亡くなった小野坂美友の部屋に入る許可をもらっていた。小野坂美友が主に使っていた二部屋は二階にあり、階段をあがると問題の二階の手すりを横目で見ることとなった。


「遺書は?」

「これだ。まだ小野坂には見せていない。あの状態で読めるとは思えないからな」


 証拠品をおさめる袋の中に入っている紙を見る。見て分かる質感からして、俺の小説に出てきた一文に似た文が書かれていた紙と同じものだろう。


 こちらは砂橋が持っている紙とは違い、定規を使っているわけではなく、特徴的な丸文字が書かれている。紙の縁には、星の形をした小さなマークがいくつか書かれていた。


「お父さん、お母さん。ごめんなさい。私は親不孝者です。どうか怒らないでください。私は旅立ちます。誰かが悪いというわけではなく、私が悪いのです。……まぁ、遺書だよね」


 俺の手元を覗き込んだ砂橋が読み上げた。

 この遺書を拾ったのは砂橋だが、細かい内容までは読んでいなかったのだろう。


「何が原因で死ぬのかは書かれていないが……」


 玄関扉を開けて、すぐにぶら下がった娘の死体を見てしまう両親からすれば、彼女はとんでもない親不孝者だろう。


「ここが小野坂美友が趣味で使っていた部屋だ」


 熊岸刑事がビニール手袋をはめた手でドアノブを捻った。


 部屋の真ん中にはグランドピアノが置かれており、棚にはピアノの楽譜がおさまっているファイルや楽譜が載せられた雑誌などが綺麗に並べられていた。

 棚の全てが雑誌や楽譜で埋まっているというわけではなく、等間隔にブックエンドが置かれており、何もない空間にはぽつんと手の平にのるサイズの箱があった。

 四つの細い金の脚に金の縁取り、模様の意匠をこらした小さな箱は、赤色、青色、白色など合計九つの色があった。

 グランドピアノの傍に置かれたキャスター付きの棚にはメトロノームやボイスレコーダー、カメラなどがしまわれていた。


「オシャレって感じするね。グランドピアノもあるし……ピアノのための部屋って感じ。もしかして、熊岸刑事の後輩って結構なお金持ちだったり?」

「見合い結婚だというのは聞いたことがある」


 怪我で刑事を辞めて防犯対策会社に勤めている小野坂が大金をかけてこの部屋と家を用意したとは考えにくかった。役職を持っているということなら、それも頷けるが。


「普段はこの部屋でピアノを弾いていて、寝室は隣の部屋らしい」

「箱入りお嬢様って感じするね」


 俺は砂橋の言葉に、棚に等間隔に並んだ箱を見た。

 雑誌が並んでいる部分と箱の空間が市松模様のようになっている。相当なこだわりを持っていたのだろう。


「日記などがあるとしたら、隣の部屋か」


 熊岸刑事と俺が何冊かノートらしきものを見つけて、確認したが、どれもこれも楽譜が書いてあったので、元に戻していた。


 隣の部屋には、ベッドと机と棚があった。ピアノがある部屋と同じように棚には小物と本が交互に並べられていた。こちらは楽譜ではなく、小説や画集などがあり、その中には日記らしきものもあった。


 日記を手に取る。一日一ページ、起こったことをまとめているようだ。


 亡くなった小野坂美友は、ピアノを演奏して、その映像を配信していたらしい。働いてはいないらしく、ほとんどの時間をこの家で過ごしていたらしい。


「見てくれ。去年、見合いをしたらしい」

「親子そろって見合い結婚か」


 日記はちょうど一年前のものだった。そこには見合いをした小野坂美友の心情が語られていた。


『お母さんの実家の伝手で紹介されたお見合い相手の片淵かたぶちさんはとてもいい人だった。ピアノの話にも興味を持ってくれたし、私が演奏動画をあげることにも寛容な態度を示してくれたわ。だけど、やっぱり、心配なことがあるの……。でも、お母さんがこの人と結婚したら幸せになれるって言うから、それが最善なのも分かるわ。ああ、どうしようかしら……。』


 読んでいて「心配事があるのなら、その中身を日記に書いてくれ」と痒いところに手が届かないむず痒さを感じた。


 亡くなった相手に対して言う事ではないかもしれないが、俺達が探しているのは彼女を死に追いやった原因だ。もしくは殺された原因。悩んでいる内容さえ日記に書いていないとなると、原因への心当たりが死んだ本人以外の証言しかない。


 他になにかないかと日記を探ってもめぼしいものはなかった。


 ただ分かったことは、亡くなった女性がずいぶんと聞き分けがいい人だということだ。

 死体を見る限り、小野坂美友は俺や砂橋と同年代だろう。


 そんな人間が父親と母親に従って、見合い相手との結婚に心配事を抱えても拒否できないとは。俺も砂橋も親というものの気持ちを考えずに反抗をしまくった性質だから、彼女の「親が言うから親に従おう」という気持ちは理解しがたいものだった。


 今回、彼女は両親への人生最大の反抗をしたと言えるだろう。両親だって、どんな形であれ、彼女に生きてほしいと願っていたはずだ。死ぬということは子供を愛している親への最大の反抗と言えるだろう。


 しかし、この自殺は、殺人の可能性がある。


 俺は手元の遺書と日記の文字を見比べた。

 特徴的な丸文字は、日記に書かれているものと同じだった。まさか、この日記まで他人が用意したものではないだろう。となると、この遺書を書いたのは、小野坂美友本人だ。遺書を本人が書いていたのであれば、殺人事件の可能性が揺らぐ。


「ねぇ、弾正」


 部屋の外から呼ばれて、俺は初めて砂橋のことをピアノの部屋に置き去りにしていたことに気づいた。


「これ、オルゴールだったんだって」


 そう言いながら、砂橋が手に持っていたのは金の縁と脚の青色の箱だった。


 右手には箱。

 左手には銀色の金属の塊。小さな機械。


 砂橋の言葉が正しいのであれば、オルゴールの中身。

 俺と熊岸刑事は顔を見合わせた。


「壊したのか……?」

「壊そうと思って壊したんじゃないよ」

「わざとじゃなくても壊したのか?」

「壊れたね。床に落としたから」


 俺は頭を抱えた。


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