04 フウタ は タベルナ に やってきた!
――パスタのおうち。
今後のスペクタクラの運営のこと、闘剣についてのすり合わせ、そして幾つか報告するべきこともあったフウタは、パーティの翌日にパスタの邸宅を訪れていた。
宿泊することこそ無くなったが、なんだかんだと頻繁に訪れるこの家。玄関に迎え入れてくれたのは、護衛と言う名の食客であるリーフィだった。
「……よう」
「どうした、元気ないな」
「あー、おれは良いんだ。おれは」
どこか参ったように頭を掻いて、彼女は笑った。
情けないとも取れる気弱な笑みに、フウタは首をひねる。
「パスタに虐められたら俺に言えよ」
「ガキかよ!! そういうことじゃねえよ! むしろ、ありゃあいつがいじめられたってことになるのか……?」
「なに?」
「あ、ちょ、おい!」
リーフィを置き去りに、フウタはエントランスの螺旋階段を駆け上がっていく。
全力というほどでもないが、足早に二つ跳び。フウタの長い足でそうして上ってしまえば、瞬く間に彼女の部屋の前だ。
「開けるぞ」
「……え、フウタ?」
か細い声。不遜な彼女らしくもない。
二の句を継がせることなく部屋の扉を押し開いたフウタは、すぐさま部屋の中を見渡した。
相も変わらず整理整頓はされているようで、服が散乱しているだとか、スクロールが散らばっているだとか、無気力が引き起こすような部屋の汚さとは無縁らしい。
いつもふんぞり返っているデスク。いない。
だいたいカップケーキを食べているソファ。いない。
普段ぬいぐるみが鎮座しているベッド。いない。なんならぬいぐるみもいない。
どこに行ったんだ、と首をひねる。ただ、声は間違いなくしたのだ。
ぐるりと視界を巡らせて――
「おお!?」
「……なによ」
いた。
扉を開いたが故の死角。部屋の隅っこに、ぬいぐるみごとひざを抱えてしゃがみ込む少女の姿。
「なによじゃねーよ。なにしてんだお前」
「ほっといて」
「ほっとけるかよ。どうしたんだ。ていうかどうしちまったんだ」
およそ見たことのない凹み方だった。
くすんくすんと鼻をならし、テディベアに顔を埋めたまま彼女は呟く。
「……昨日」
「おう」
話してはくれるようだ、と息を吐き、フウタは部屋の扉を閉じて彼女の隣にしゃがみ込んだ。
ぼけっと天井を見上げながら、彼女の言葉に耳を傾ける。
「――ウィンドが来たのよ」
「おお、ウィンドさん。オルバ商会の用心棒、復帰したんだってな」
「……うん。で、ルリも居た」
「そりゃ居るだろうな。ルリちゃん1人にしてはおかないだろうし」
「……ルリが」
「ルリちゃんが?」
おおよそ想像もしていなかった名前が飛び出してきて、フウタは首を傾げた。
虐められただのなんだのと、リーフィが要らぬ前情報を寄越してきたのもある。
ウィンドとルリの親子なら、今のパスタと仲良くこそすれ、喧嘩――ましてや一方的にパスタが虐められることなどないだろうと。
「――『パスタちゃんが友達に大人気』」
「……あー」
なるほど、確かに彼女の年代にはやたらウケているとの評判は聞いていた。
親の娯楽に付き合わされる形で赴いた闘剣の場を、同い年くらいの女の子が盛り上げている。
となれば人気になるのも、みんなが"パスタちゃん"を好きになるのも、至極当然といえば当然の話ではあった。
ただ。
フウタで結びつく話なのだ。彼女が想像できないはずもない。
にも拘わらず、どうしてこんなにも凹んでいるのか。
「別にいいじゃないか。その子たちに、なんかこうサービスの1つでも――」
「ルリは、違ったのよ」
「は?」
違う。
いったい、何のことだろうか。
首を傾げ、彼女を見やるフウタに、なんとも儚げなパスタの笑み。
「あいつは、困ったような、失望したような顔をあたしに向けて言ったわ。『ベアトお姉ちゃん、どうしてそうなっちゃったの?』」
「ぐはっ……」
これは、きつい。
実際に聞かされていないフウタでさえ胸を押さえるほどの衝撃である。
「……あたし、やっぱり間違ってたのかなあ」
ぎゅっとぬいぐるみを抱えて天井を見上げる、あまりにも幸の薄い笑顔。
リヒターがこんな顔をしていれば、フウタも「おぉ……もう……」と顔を覆う事態だろうが。
フウタはゆっくりと立ち上がると、その辺に何体か居るぬいぐるみの一匹の手を繋いで戻ってきて。
同じように、膝ごと抱きかかえて隣に座った。
「……わかんねぇなあ」
責任の一端は自分にある。
そんな想いの拭えないフウタは、ぼんやりとそう呟いた。
あの天真爛漫で可愛らしいルリに、そんなことを言われたら。
きっとしばらく立ち直れない。
実際に立ち直れない女が、隣にいる。
「あいつとの接し方が悪かったのね……最初から9歳のパスタちゃんで居れば、良かったのかしら……」
「そうだな……初めて会った時からパスタちゃんならな……」
土台無理な話である。
だがそれにツッコむ気力もフウタには無かった。
ぼんやりと2人、ぬいぐるみを抱えて天井を見上げる。
敗北の味は、苦い。
「おい、結局話は――お前らなにしてんの!?」
それは、いい加減焦れたリーフィが部屋に入ってくるまで続いた。
――"食堂"リュート。
王都の一区画にある、細い路地。
狭い小路に狭い店が乱立するこの横丁は、陽が落ちればその日の労働を終えた者たちの憩いの場だ。
大半の店は、安さと量が一の自慢。
そんな場末の横丁に、フウタとパスタの姿はあった。
「騒がしい場所ね」
「良いことじゃねえか」
ふん、と鼻を鳴らして隣を歩く彼女に、フウタは苦笑する。
すると彼女は軽くフウタを一瞥して、こともなげに告げた。
「別に、悪いことだとは言ってないんだけど。――元々、ここは相当治安悪かったらしいし。今は少し収入も増えて、騒がしくて良いことなんじゃないの?」
「……そういうことならもう少し言い方あるだろ」
「うるさいったらありゃしないわ」
「それはもう悪口だろうが」
小馬鹿にしたように笑ってみせる彼女は、そっと耳に髪をかけて辺りを見渡す。
目的の看板は、この辺りにあるはずであった。
「それにしてもあんた、こんなところを根城にしてるわけ?」
「さっきも言ったけど、根城にしてんのはイズナだよ」
「しょっちゅう来てるならあんたも一緒よ」
「……そう言われれば、そうかもしれないが」
「王城住まいが聞いて呆れるわね」
「ただの居候だからな……」
王城が所有物というわけでもなければ、家賃を払っているわけでもない。
悲しいヒモの性である。
「で、なけなしのお小遣いはこんな場所で、と」
「せめてライラック様を連れてこられるような場所を見つけられればなあ」
「こんなところに?」
ちょうど、酔っ払いの男性に声を掛けられ、笑顔のパスタちゃんが手を振っていなしたところであった。
「――いや、うん、まあ。流石にこんなとこ、お前以外連れてこれねえよ」
ごった返して治安の悪い、衛生管理も怪しいような店の数々。
案の定小言を垂れるパスタならまだマシだ。
コローナを連れてくるのも憚られる。
ライラックなど、言わずもがなだ。
「ま、そうね。小汚いところに慣れる必要もないし」
「そういうことだ」
「ていうか。あんたがライラックに店を紹介するなんて烏滸がましいんじゃないの?」
「ぐっ……やっぱりそうか?」
「舌に最高の自信があるわけでもないのなら、やめておきなさい。あいつの社交辞令が目に浮かぶわ」
「………………くそぅ」
ぐうの音も出ない正論に、肩を落とすフウタ。
そんな彼を見て、パスタはどこか仕方ないとばかりに緩く笑って。
「ま、男の甲斐性を満たしたいっていうなら、あたしが幾らでも付き合ってあげるわ」
「店選び付き合ってくれるのか!?」
「――紅茶に砂糖入れる店限定で」
「始まる前から終わってんじゃねえか!」
ぎゃあぎゃあと騒いでいれば、目的の店は目の前だ。
扉の上に吊り下がったまるい木板に、赤文字。
場末感漂うボロボロのスイングドアの向こうでは、まだ夕刻だというのに出来上がった客が大騒ぎだ。
がらがらと小汚いベルの音を鳴らして入れば、いつものように店員の少女が顔を見せる。
「お、フウタさんじゃーん――あれ!? あれあれあれ!?」
この店が、闘剣の客で溢れる酒場であるということは、先にパスタには告げておいた。
秘密にする理由もない。サプライズなんてして少しでも擬態をしくじれば、笑いでは済まなくなる。
だからすぐにでも"パスタちゃん"になると思っていたが――
食い入るようにまじまじと見つめる店員の少女。
そしてその声に気付き顔をあげる常連たち。
「ひぅっ……」
パスタはフウタの袖を掴んで後ろに隠れた。
うわあ、とフウタは思った。うわあ、と。
「あ、ご、ごめんね驚かせて!! ねえ、パスタちゃんだよね!? 闘技場の!」
そう言われて初めて、パスタはハッとしたような表情を作ると、柔らかな笑顔を浮かべて頷いた。
おもしれー女だ。フウタは素直にそう思った。
「う、うん! パスタ、ですっ……ええっと――知ってくれてて嬉しいです!」
瞬間、歓声。
フウタが来た時とは、それはもう比べ物にならないほどの。
「パスタちゃんだ!!」
「マジか、フウタが妹連れてきた!!」
「むしろ妹が本体だろ!! よくやった!」
「きゃー!! パスタちゃん近くで見るとむっちゃ可愛いー!!」
わらわらと。
闘技場のアイドルパスタちゃんに群がる店の連中。
流石は闘技場の常連だらけで構築された――もといイズナの知り合いで固められただけあってか、パスタのことはよく知っているらしい。
「あ、あはは。ありがと!」
照れたように微笑んでみせれば、それだけで客は大喜びだ。
ボロい商売だ、と思っている反面、羞恥で死にかけている彼女の心中を思うと――思ったところで、別にどうということはないが。
フウタは顔を上げ、周囲を見渡した。
「あれ、イズナはまだか?」
そう問うと、厨房から顔を出した店主のおっさんが頷く。
「ああ。本当ならもう来てても良い時刻だが」
「ふーん。まあ、じゃあ待たせて貰うついでに、店のおすすめを」
「もう作ってんだよ!! てめえと違ってパスタちゃんは大歓迎せにゃならねえ!!」
「……あそう」
この差はなんなんだろうか。
差別に凹むようなメンタルではなくなっているが、ぞんざいに扱われる感じは中々に中々だ。
「おにいちゃんたすけて」
「おお!?」
妹(偽)の救難信号に振り向けば、客に埋もれかけているパスタの姿。
「おい。あんまべたべたするなよ」
努めて冷静に。
そう告げれば、お兄ちゃんのお怒りに客も引いていく。
「やー、やっぱり妹思いのお兄ちゃんだな!」
「クールぶってても結局だな!!」
頑張れよ、と肩を叩かれ、食卓に戻っていく彼らの背にフウタは小さくため息。
"クールで不遜"。
そんなキャラクターを貫こうとしているはずが、最近では"冷静に見えるがシスコン"みたいなキャラクターになりかけていて、どうしてこうなったと頭を抱える日々である。
「……まあ、これはこれで良いんじゃない」
あっちこっち、わやくちゃにされて髪の毛がぴょこぴょこ跳ねているパスタは、小声で呟いた。
「普段の対応がこれで、戦いの中で尊大なキャラで居続けるなら、それはそれで美味しい気がするし。妹大事にしてよね、お兄ちゃんっ」
「へいへい」
肩を落としたフウタは、パスタと連れ立って奥の席へ。
今日の本題は、イズナと話もあるが――具体的には音楽のことについてだ。
ライラックが宮廷音楽家を使わない、と断言したことはパスタには既に伝えてある。
ある種それはパスタにとって朗報であり、そして難しい問題でもあった。
オルバ商会のツテを使えば、楽団は担保出来る。
ただ問題は、作曲できる人間が居ないことであった。
彼らの音楽は、誰もが知る曲を壮大に演奏することこそが目的であり、そこに独創性は必要ない。
誰もが知る曲であることの重要性は、フウタももう分かっていた。
誰もがご存知の解説兄貴だからこそ、闘剣でも声援がもらえたのだ。
「曲が作れる人間さえ居れば、か」
「コローナの話は聞いたけど――まあ、そのまま使うわけにはいかないわね。だから問題は」
――作曲、作詞。即ち、音楽の作り手。
そう結論付けたフウタが、ぼんやりと壁に掛かったリュートを見上げた時だった。
勢いよくスイングドアが開かれる音。
「オヤジ!! ベッド貸してくれ!!」
飛び込んできたイズナ・シシエンザン。
何事かと立ち上がるフウタもはっきりと見えた。
彼が抱きかかえているのは、1人のぐったりした少女。
そして。
「アニェーゼ。水の用意をお願いします」
「う、うん、分かった」
後から入ってきたモチすけが、彼女の持ち物らしいリュートを抱えていた。
どういうこと、と目を白黒させるパスタの横で、フウタは腕を組む。
これはどうやら。
「あいつ、またなんかやったな?」





