56 おまえ の かち は なんだ?
いつか、彼女は言った。
『――負けるのが嫌いなのよ』
『……負けを正当化するヤツが嫌い。負けを見るのが嫌い。負けるのが嫌い。……負けを、認めるのが大嫌い』
『あたしは――勝つ為なら何だってやる悪党よ。弱者が大嫌い。強者を殺し尽くしたい』
――負けられない人生だった。
負けたら、終わりの人生だった。
負けることなんて許されない人生だった。
一度負けただけで、ベアトリクス・M・オルバは"死んだ"のだ。
それでも、敵対者の靴さえ舐めて生き延びる。
生き延びるためなら何でもする。何でもしてきた。
いつか"勝つため"だと彼女は言った。
フウタは、彼女の言葉の意味をずっと考えていた。
理解は出来た。
負けられない人生であったと。
そしておそらく、何度も負け続けたのであろうと。
その負けを、"認めない"ことで、まだ負けてないと己に言い続けて、必死で這い上がってきた人生なのだと。
でなければ、負けを認めるのが大嫌い、だなんて言葉は出てこない。
負けを認めたら、その時点できっと彼女の人生は終わってしまっていたから。
フウタは考えていた。
けれど答えは出なかった。
だから、問うた。
『お前の"勝ち"は、なんだ?』
負けは、聞いた。
彼女にとって、敗北とは死なのだと。
勝つ為に今も戦い続けていると。
負けの反対は、勝ち。そのはずだ。
けれど彼女にとって勝ちとはつまり、生存すること?
負けたら死ぬというのなら、単純な方程式。
だがならばもっと、賢いやり方があるはずだ。
オルバ商会をあれだけ大きくする理由も、こうしてスペクタクラを盛り立てる理由もないはずだ。
フウタには、考えても答えは出なかった。
なぜ最初から素直に聞かなかったのか。それを問うのは野暮というもの。
もし自分に思いつくようなら、何も言わずに彼女の願いを叶えようとしていたからだ。
ああ、だからいつもカッコつかない。
瞳に映る赤の少女は、驚いたように目を丸くして。
零れかけた涙を拭ってから。
『あたしにとっての勝ち、それはね』
その儚いくらいの笑顔を、フウタはきっと忘れない。
――闘技場スペクタクラ。
昼を挟んでの準決勝第二試合は、二試合目にして本日のメインイベントだ。
実況解説席で手元のスクロールを纏めていた彼女は、小さく息を吐く。
そしてどこか物憂げな表情で空を見上げた。
「……こんな顔してる場合じゃないってのに」
すぐに我に返る辺りが理性的ではあるものの、決して憂鬱が霧散したわけではない。
分かってはいるのだ。今日この試合が、大一番であると。
そして、自分の考えてきたやり方が、最も"勝算"が高いと。
あとは一も二も無く実行するだけ。
そうすればきっと――と、知れず握りしめていたスクロールを手放す。
本来、彼女に台本など不要。一応走り書き程度に記入してある台本は、トラブルがあった時の為に進行を妨げないよう記載しているだけ。
スクロールの殆どはリアルタイムで記入しているメモ書きだ。
この試合での所感、観客の動き。そう言ったものを"メモする"と頭に入れておくことで、試合中もバトルフィールドだけでなく客席に気を配るようになる。
そしてその時肌で実感したことを常に記入して、次に活かす。
金儲けの為。ああそうだ。
この先のスペクタクラの運営、自分の立場、オルバ商会。
考えれば考えるほど、金なんて幾らあっても足りはしない。
スクロールのメモを見れば今後に活かせそうなことは数多く、今日の試合にだって不安はない。
ない、はずだ。
「……」
ライラックが怖くないと言えば、嘘になる。
自分の行動がどこまで見抜かれていて、どこまで掌の上なのか分からない。
けれどそれでも己を信じて突き進むしかない。
昔からやってきたこと。
何度叩き潰されようと、這い上がってきた。
もしかしたらその負けたくないという思いそのものを利用されている気がしなくもないが、そんなものを気にし出したら何も出来ない。
胆は据わっている。
正直、今からライラックと正面切ってやり合うことに不安を覚えているわけではないのだ。
だったら初めから、彼女と戦わない道を選んでいる。裏からひっそりと刃を忍ばせる方が、圧倒的に楽だ。
けれどこの状況を選んだ。ライラックを相手取ることが、不安なわけではない。
そして不思議なことに、フウタと共にライラックに挑むことが怖いわけでもなかった。
裏切りを疑っても良いはずなのに。
全て彼の芝居でした。心変わりしました。最初からあの女の犬です。
その可能性を、いつかの自分なら常に考えて動いていた。
こんな、彼の手を離したら最後、真っ逆さま。なんて状態に自分が飛び込むことなんて、考えもしなかった。
けれど今は、どうしようもなく分かってしまっている。
彼が芝居なんて出来る人間ではないことを。
あの女の夢を想っても、言いなりではないことを。
そして。
『1つは。俺の夢を叶えてくれた。1人でずっと足掻いていた、届かなかった夢に。届かせてくれるって言って……今日、叶えてくれた』
あの感情も、過去も。全部知ってしまっているから。
今更、何を心変わりすればいいのか分からないくらい、彼の一番欲しいものが明確であること。
だから、そこも心配は要らない。
ならば何故、彼女がここまで憂鬱な表情をしているのか。
「取りつけてきたぞ。……ってなんだその顔」
「うるさい」
「仮面もはがれてるし。ぬいぐるみ抱く?」
「黙れ」
「でも抱くんだ……」
顔が完全に9歳のそれでなくなってしまっているのだ。
カモフラージュの為に自らの羞恥を犠牲にするくらい、今更なんでもないとばかりにクマのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
そのまま、柔らかい頭に顔を埋める。
フウタは、呼び出されたライラックの元から戻ってきたのだろう。
"取りつけてきた"という台詞に心当たりがないわけではない。
そしてそれこそが、彼女の憂鬱の原因だった。
「……ねぇ」
「なんだ?」
顔を埋めたまま、か細い問いかけ。
表情が見えない彼女に、隣に腰かけたフウタは呑気に問うた。
次の試合に臨むのがどちらなのか分からなくなるくらい、彼は自然体で。
「本当にやるの?」
「お前が弱気かよ」
「弱気なわけじゃない。でも」
ちらりと横目に見れば、僅かに見える彼女の口角が歪んでいるように見えて。フウタは、見えないように首を振ってから。
「らしくねえなおい」
「……」
「黙って従え、って言ってりゃいいんだよ。お前は」
「……」
「お前の部屋でも。夜中の書斎でも。……食堂でも厨房でもそうだったろうが。今更変にお前に気を使われたところで、嬉しくねえよ」
「そういう色々があったから。あんたのせいよ」
「そうそう俺のせい俺のせい」
ぐ、と歯噛みする彼女に対し、フウタはどこ吹く風だ。
本当に気にしていないとでも言いたげな彼に、彼女もいい加減諦めたように嘆息した。深く、深く息を吐く。
「……分かったわ」
「おう。勝つ為に必要なんだ。良いじゃねえか」
「あたしが、勝つ為に」
「俺"たち"な? 二度と間違えるなよ寸胴鍋」
「うん。…………あれ、今なんつった?」
「何でもない」
聞き覚えのないフレーズで呼ばれた気がして思わず彼女は顔を上げる。
その表情には、まだどこか元気はない。
だがそれでも、憂鬱は殆ど拭えたらしい。
「ライラック様は、本気で頂点狙ってる」
「……そう」
頂点。
それはつまり、チャンピオンという立ち位置であり、そして。
『あの女のコロッセオじゃなくて。皆があんたを越えようとする催しに変えてしまえつってんのよ』
――フウタを超えること。
それはきっと、実力というだけではない。
先ほどライラックは言っていた。
『つまり、如何にわたしがスペクタクラを盛り上げるかという部分に、プランというのは関わってくるわけですが』
自分が、このスペクタクラの顔であると。
「じゃ、そろそろ控室行くわ。解説に宜しく」
「……フウタ」
「ん?」
立ち上がったフウタに、声。
振り向けば、真っ直ぐに己を捉える――姉と同じ蒼の瞳。
「……あんたに賭けて、いいのね?」
分は悪い賭けだ。
けれどそれでも――拾いに行く。
「おう」
さあ、準決勝第二試合の始まりだ。
第一試合の衝撃から1刻。
昼休憩を挟んだこの時間帯には既に、妙な緊張を孕んだ雰囲気はほどけていた。
ざわざわと思い思いに言葉を交わす観客たちの話題は、次の試合のものへと移り変わっている。
決勝の相手が、アイルーン・B・スマイルズだったとしても。
王国最高の使い手であるライラックと、予選最強のイズナを下したフウタのどちらかならばきっと大丈夫。
そんな安心感にも似た希望が彼らの中にはある。
だからこそ、だろうか。こうして楽しみに次の試合を待っているこの時間は、比較的穏やかと言えた。
例えるならそう、休日の自然公園に溢れる、ピクニックシートを広げた家族の群れのように。
『みんなー!! お待たせー!!』
そこに、響く声は拙くも張りがある可愛らしいもの。
耳聡く元気な子供たちはすぐに「パスタちゃんだ!」とそのつぶらな瞳を輝かせる。
既に女児を中心にやたらな人気を確立しつつあるパスタちゃんは、スペクタクラの闘剣目当てにやってくる父親にも有難い存在だった。
女所帯の家族サービスであろうと、スペクタクラにやってくることにもはや何の抵抗もない。
この闘技場に足を運ぶ女児の八割は既にパスタちゃん目当てであると知ったパスタちゃんご本人が頭を抱えることになるのは、またもう少し後の話だが。
『準決勝第二試合!! 始まるよー!!』
わー、と響く大歓声。
フィールドに浮かび上がるは対戦カード。
壁上に吹き上がる炎と爆音が、観客の心を穏やかなものから闘剣の熱へと強引に引き戻していく。
『実況は引き続きあたし! パスタ・ポモドーロがお届けします! でもみんなも知っての通りぃ、お兄ちゃんがね! 居ません!』
わっ、と歓声と、微笑ましいものを見るかのような笑い。
闘技場の皆さんご存知、解説兄貴が居ないのは当然のこと。
今頃は控室で出番を待っているであろう彼を思い浮かべていた観客たちに、パスタの声が続く。
『なので、今回解説にはこちらの方に来ていただきましたー! どうぞ!』
『……』
『あ、えっと、これに手を翳して』
『……うか? うぉ、マジで声出た。こりゃすげえ』
『自己紹介お願いします!』
『イズナ・シシエンザン。フウタみてえな解説は出来ねえが、まあ宜しくなァ』
イズナ・シシエンザンと聞いて、観客も盛り上がる。
それはそうだ。まさか優待枠でない人間が解説にやってくるとは思わない。しかし、彼は"予選最強"とも呼ばれていた男。アイルーンが決勝まで勝ち上がってしまったことでその地位が揺らいでいる気がしなくもないが、それでも彼の試合は全てが観客の心を奪った。
であればこその歓迎の歓声に、イズナは答える。
『で、こっちがモチすけ』
『モチすけです』
え、なに????
と会場の心がシンクロしたのは、言うまでもない。
『え、えーっと! そういうわけで、実況解説はこんな感じで行きますね!』
急に不安にざわめく会場の空気を強引に推し進めるパスタ。
『そして! 今回からですね!』
がさがさとスクロールを漁る音がわずかに響くこと数セコン。
『レフェリーに、えーっとぉ? ……え、これ全部読むの?』
はぁ、とため息を吐いたパスタちゃん、お仕事なのでやることはやる。
『国民の夢、国民の希望を一身に背負う財務卿リヒター・L・クリンブルームをどうぞ宜しく。本日の審判ジェネラル・ミオンより。……だそうです。はい。ジェネラルって名前とかじゃないよねこれ……』
にこやかにフィールドで手を振る、執事服の少女。
リヒターも試合がある以上、仕事は積み重なっているだろうにこのレフェリーを引き受けたのは何故なのか。
レフェリーを首にしたという話は聞いていたが、まさか代役に本人が入るとは思っていなかったパスタである。
リヒターの試合ではないから、公正な審議をしてくれると信じつつ。
『というわけで、みんなお待ちかね!! 選手の入場です!!』
待ってましたとばかりに観客が沸く中、左手の入場門が最早お馴染みとなる白煙を伴った爆発を噴き上げる。
『皆さんの記憶に新しい1回戦。ハプニングこそありましたが、その剣の業、冴え渡ったコンツェシュの刺突は多くの人の目に焼き付いたことでしょう』
かつ、かつ。
優雅に一歩一歩を踏み進めるその様は、第一試合のアイルーンを彷彿とさせるもの。
しかし何故だろう。やはり王女というべきか、その歩みの洗練された雰囲気は、アイルーンよりも淑やかで、そして美しい。
『王国最高の使い手として称される彼女は、実はこの試合を心待ちにしていたと言います。その理由は、皆さんはご存知ないかもしれません』
この試合。
決勝でもなく、初戦でもないこの試合が楽しみだった。
導き出される答えはただ1つ。対戦相手に他ならない。
だが、確かに観客には、フウタと彼女の接点は分からない。
『それは――優待枠にお兄ちゃんを推薦したのが、ほかならぬ彼女であるから。そしてその時に彼女はあたしにこう教えてくれました。――是非栄えある舞台で、彼と試合がしてみたいと』
おお、とどよめきの声。
フウタ・ポモドーロの名は、誰も知らなかった。
完全に無名のところから、解説役として突然現れたのが彼だ。
どこでスカウトしたのかは知らない。
だがあのイズナ・シシエンザンを下した男を、別の場所で既に見出していた。
流石はライラック王女だと思うと同時、それだけこの試合を"王国最強"が楽しみにしているという事実に観客たちの熱も上がる。
『栄えある舞台とは、なんでしょう。王国の伝統である御前試合のことでしょうか。それとも、王国の劇場で主役を張ること? ふふ、ごめんね。みんな分かってるよね。――それで満足するなら、この人はこんな場所を作ってないって!!』
わっと湧き上がる歓声に、彼女は優しく手を振って応える。
グローブに包まれたその白い手からはとても武人としての素養は感じ取れないかもしれない。
だがそれでも彼女は王国最強。この武闘大会に参加した全ての武人を従える至高の剣。
『彼に優待枠の1つを明け渡したのはこの日の為。栄えある舞台とは、もちろんこの場所。この日。そして、お前らの目の前だ!!!』
バトルフィールドの石畳へと足を踏み入れ、軽くステップを整えるような小さな跳躍。その身軽さは、あのプリム・ランカスタよりも上を行く。
『対戦相手の実力は、皆も見たことでしょう。ひょっとしたら、彼女よりも上かもしれない。そう思った人も少なくないはず。けれど彼女は"王国最強"。その名を証明するために、ここで膝を折るわけにはいかない!!』
さあ!
『その名は既に天高く、しかして求めるはこの武人たちの山頂。天界から舞い降りた姫君の剣は果たして頂点に辿り着くのか!! ライラック・M・ファンギーニ王女殿下の登場です!!』
爆発的な歓声と共に、宮廷魔導師たちのバラまく花吹雪。
舞い上がるひらひらと白い花弁を背景に、コンツェシュを抜く彼女の姿は流麗で。
その大騒ぎと注目を浴びる彼女の姿があるからこそ――パスタは一度、俯き、深く息を吐いた。
「……良いのね?」
その呟きは、届くことはない。
だが、彼は気にしないと言った。そして、これが勝ち筋だと言った。
ならばもう、止まる理由はない。
だってそれは、パスタが――パスタ・ポモドーロが示した道だから。
白い花弁が全て舞い散り、一瞬の沈黙が会場を支配したそのタイミングで、彼女は小さく、しかし魔導器によってはっきりとその言葉を形にした。
『……ある、昔話をしましょう』
どん、と右手の門が爆ぜる。
誰が出てくるかは分かっている。ライラックがどれだけ楽しみにしていたかも説明した。彼がどうして優待枠に選ばれたのか、きっと観客は知った。
けれど。
『――ただ強いだけで華がない』
その言葉に、聞き覚えのある人間はそうは居ない。
だが隣に居たイズナは弾かれたように隣のパスタを見据えたし、そこかしこに包帯を巻いた金の少女は会場の隅でゆっくりと顔を上げた。
そして――この会場の中には。
ほんの僅かとはいえ、フウタという男を知っている者もいる。
遠い異国とはいえ、同じ闘技場なのだ。趣味としている客が居ても不思議ではない。
だから、何れ露見すると分かっていた。
ならばこちらから話してしまう。それも、考えてはいたことだった。
『かつて、とある国のコロッセオでそう貶されたチャンピオンが居ました。無敗神話を築き上げた彼の得物は、相手の得物を模倣する。その凄まじい、実力に裏打ちされた技はしかし派手さにかけ、闘剣士としての人気はままならなかった』
ぽつぽつと語る口調。
言われてみればと思い返すのは、イズナとの試合。
イズナの方が見栄えしたというのは、覆しようのない事実だ。
『戦って、戦って、戦って。それでも、報われなかった。"お兄ちゃん"は、嫌われ者だった』
すん、と小さく鼻を鳴らす彼女はしかし、心の中で己に唾を吐く。
そうだ。これが勝ち筋だ。
暗い過去を逆手にとって情を誘う。
昔なら顔色1つ変えずにやっただろう。泣き真似だって上等だ。
さも自分も当事者のようなふりをして、観客たちの心を揺さぶる。
けれど。
はっきり言ってしまえばそれは、悪手だった。
どうしたって感情というのは出てしまう。どんなに演技が上手くとも、その"当事者性"、その"感情"というのは、周りを乗せなければ白けるだけだ。臨場感、募った想い、記憶を掘り起こせばすぐに甦るあの日の心。
パスタは決して"演技が上手い"わけではない。その才能があるわけではない。
だからこそ、彼女の本当の心というのは、こうして相手を感情に乗せようと思えば思うほど露見してしまう。
イズナは眉を下げた。
アイルーンは目を細めた。
あの日コロッセオに居た観客は――そっと目を伏せた。
『コロッセオを追放されて、行き場もなくて。放浪の果てに訪れた王都で、ようやく日の目を浴びたんだ。みんなが、お兄ちゃんを好きになってくれた』
良かったね、お兄ちゃん。
その彼女の言葉が、観客たちの心にリフレインする。
そう――悪手、"だった"。
観客たちを見れば一目瞭然だ。
皆が皆、今。フウタに声援を送っているのだから。
「兄貴ー!!」
「ようこそ王都!!」
「追い出したりしねえぞ!!」
――どうしたって感情というのは出てしまう。どんなに演技が上手くとも、その"当事者性"、その"感情"というのは、周りを乗せなければ白けるだけだ。臨場感、募った想い、記憶を掘り起こせばすぐに甦るあの日の心。
――パスタは決して"演技が上手い"わけではない。その才能があるわけではない。
――だからこそ、彼女の本当の心というのは、こうして相手を感情に乗せようと思えば思うほど露見してしまう。
そんなもの。
前の試合で『良かったね、お兄ちゃん』という言葉に観客が乗せられている時点で、端から無関係な話だった。
既に彼女の心が寄り添ってしまっているのだ。もはやあの日彼女がフウタと一緒に居たかどうかなど、些事に等しい。
『あたしは――お兄ちゃんが勝って、みんなが沸いて嬉しかった!! だから! 今日こうして声援の中で試合が出来て嬉しいよ!! お兄ちゃん!』
かつて華がないとけなされた選手が居た。
追放された男が居た。
しかしどうだろう。煙の中から現れた青年の、あの堂々とした歩みは。
『今日、"栄えある舞台"で! その活躍をどうか見せて!! フウタ・ポモドーロ!!』
爆発的な声援が、フウタと――そしてパスタに向けられる。
それはきっと、国内で最も大きな人気を誇る王女を、あらゆる意味で超える――勝ち筋。
お願い。
最大限に湧き上がる歓声の中で、彼女は小さく呟いた。
一度でいい。
一度でいいから。
勝たせてよ。
視線の先に、向き合う2人。
彼が一度だけ顔を上げた。実況席と目が合い、頷いた。
勝とう。
その心が、通じた気がした。
――お前の"勝ち"は、なんだ?
――あたしにとっての勝ち、それはね。
その儚いくらいの笑顔を、フウタはきっと忘れない。
――負けしか味わったことがないから、わからないのよ。
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