55 いんたーばる
「ま、じかよ」
リーフィ・リーングライドは、その光景を目の当たりにして言葉を失っていた。
ダブルノックアウトそのものに驚いているわけではないことを、隣に立つ双剣使いの男も理解している。
あのアイルーン・B・スマイルズはまさしく化け物であった。
アロウズは幸いというべきか、試合会場を共にしたことは無かったが。
それでもいつ当たるとも分からない強敵を徹底的に調べていたし、リーフィにとっては言わずもがな、王都最初のトラウマだ。
その彼女と、昨日本選一回戦で刃を交えたばかりの男の試合。
正直に言おう。リーフィは、驚嘆し、悔しさに歯を食いしばっていた。
アイルーン・B・スマイルズは、この際仕方ない。認めよう。ハナからリーフィなど眼中になかっただろうことは。
ただ。覚悟を決め、最高のコンディションで挑んだリヒター・L・クリンブルームの全力も、リーフィでは引き出せなかったということが、まざまざと見せつけられたのだ。
まさしく、激闘であった。
プリム戦では防戦に回っていたアイルーンの、攻撃で魅せた引き出しの数もそう。
リヒター・L・クリンブルームが、敵を倒すと決めた際に出した技の数々もそう。
そして互いの読み合い、技の出し合い、立ち回り。
その全てが、互いに油断すれば食われると分かっているからこその真剣勝負であったことは――武人リーフィの目から見れば一目瞭然だ。
そして、あの恐ろしい女が何を思ったのかは分からないが、吹き荒れた闘気から察するに、リヒターが挑発したのも間違いはないだろう。
あのアイルーンを相手に正面から挑発というだけで卒倒ものだというのに、ボロボロになりながらも最後には罠にかけ、あと一歩のところまでアイルーンを追い詰めた。
リヒターがそれだけの実力を見せたと同時、相打ちとはいえ"一筆"を掻い潜ったアイルーン・B・スマイルズにも感服以上の感情を持つことが出来ない。
一度"一筆"を受けたからこそ分かる。
あれをどうにかする、などというのは己の技量では不可能。少なくとも、希望を見出すことが出来なかった。それは決して、"一筆"を食らったら終わり、と知っていたからではない。
けれど、ごく自然に。こちらとて必死に刀を振るっていたにも関わらず、どうにもならなくて敗北した。
それがどうだ。
自らの腕を斬り飛ばされても構わないと踏み込んだ覚悟のもと、相打ちとはいえ"一筆"から逃れることに成功してみせたのだ。
その胆力も、実力も、リーフィには未だ足りないということ。
「どっちが勝っても、文句は言えね――」
「おい、動いたぞ」
準決勝の名に恥じない、凄まじい試合だったと感じ入るリーフィをよそに、腕を組んでいたアロウズが呟く。
果たして結果は。
「…………」
「まさかリヒター様の一筆から逃れようとは」
リーフィたちの居る一般客席上層部からは遠く、バトルフィールドに程近い"優待席"。その、内廊下に出る通用口の傍。
こちらでも、武人の気配を漂わせる2人の少女が、立ったまま試合の経過を見つめていた。
エントランスホールから程近いこの場所まで連れてくるのが限界だった、というべきか。別にこのまま引っ張っていけば優待席に入ることくらいは出来ただろうが、何となく試合が始まったタイミングでミオンが見入ってしまって――隣の彼女は、別にそれでも構わないとばかりにぼうっと試合を眺めていた。
試合を見ている間、連れてきた少女は無言だった。
時折ミオンが話題を振っても、よくて生返事。
ミオンとしては、それでも構わなかった。瞳に色がなくとも、試合に視線が向いているだけで十分。
少なくとも、それ以上に彼女や主を手伝う必要はない。
あとは当人の問題だ。
"指揮官"として。まだ使える駒かどうかを、判断するのみ。
「ダブルノックアウトですか。しかしプリムさん。これはあれです。普段から気絶しまくっているリヒター様の方に軍配が」
「……そうだね」
冗談めかして指を立て語るミオンに、少女――プリムは目を合わせ、柔らかく微笑んだ。
まるで病床の令嬢だ、とミオンは思う。
確かに、心が健康かという意味なら、病床がお似合いではあるのだが。
「さて、しかし」
このダブルノックアウト。
実際、"指揮官"の判断としては微妙なところだ。
どちらが立つ可能性もあると思っている。幾つもの要素を考慮し、軽くその髪に触れた彼女に、ふと問う声。
「……なんで、私を連れてきたの?」
「なんで。ふむ、難しい問いですね。ですが、こう答えましょうか」
「……?」
小首を傾げるプリムに、ミオンは告げる。
「答える義務はありません」
「……そっか。じゃあ」
分かんないや。
それだけ言って、プリムは闘技場に背を向けた。
『た、立ったあああああああああああ!!』
叫ぶ少女の声と共に、観客席からもどよめきが沸き起こる。
鋭く目を細めるフウタ。――2人目が立ち上がる様子は、無い。
レフェリーもその様子を確認して、宣言する。
『勝者――』
だが。
立ち上がった者は、そうでない者の方へとふらふらと近寄って。
「あ゛はっ!!」
気を失ったままの男の腹部を蹴り飛ばした。
『なっ!?』
レフェリーも慌てて割り込む。
「ちょ、ちょっとキ――ひっ!?」
だがその泥沼のように何も映さない不気味な瞳に射抜かれて、全く身動きが取れなくなる。
否。見えていないのだ。
立ち上がった"勝者"、アイルーン・B・スマイルズには、レフェリーなど最初から見えていない。
「あ゛ははははは!!」
気を失ったままのリヒターの頭を踏みつけ、令嬢としてのしとやかさの欠片もない品のない笑い声だけが響き渡る。
「なぁ……おい……!! 強いのはアタシだ!! テメエみてえな、クソ貴族に!! ようやく、勝ったんだ!!」
足甲に包まれた足が、そのつま先が、リヒターの腹部を蹴り飛ばす。
「――ざまあみろ"貴族"! ざまあみろ"レッドリード"!! あ゛は、あ゛ははは!!」
何度も、何度も、何度も。
そのレッドリードというのが、彼女を貶めた貴族の名であることを知る者もいない、そもそもこうして彼女が何故文字通りの死体蹴りをしているのかも、観客はおろか実況席にすら分からない。
『ね、ねえあの、ちょっと!!』
声を上げる実況の少女はレフェリーに止めろと訴える。
隣の男は一瞬動こうとしたのだ。だが何故か、あの光景を見て座ったまま。
どういうことかと睨みつけても、彼はただ試合を見据えるばかり。
「ふ、フウタ!」
「行くつもりだったさ。でも」
そう彼が目を向けたバトルフィールドの先。
アイルーンは哄笑とともに、意識のないリヒターを蹴った。
「ざまあみろ、これで……これで、ようやく、……"エイナ"は……あ゛はっ。あ゛はははは!!」
頭を打った衝撃が、最後のきっかけであったことは間違いないだろう。
今の彼女の狂乱は、おそらくリヒターを誰かと勘違いし、ここをどこかと勘違いし、そして、今がいつかも、判然としていない。
だが、そんなもの観客にとっては知ったことではない。
あのリヒター・L・クリンブルームを。試合をした相手である"貴族"をああも手ひどく侮辱することを許す人間など1人もいない。
怒号が響き渡る中、彼女は笑い、嗤い、ひたすら哂って――ふと、気付いた。
彼女と、倒れ伏した男の間に割って入る影に。
「あ゛はっ!」
問答無用でその少女に手を伸ばした。
だが激闘の末、力の入らない手の力などたかが知れている。
ぱん、と弾かれた手に、目を瞬かせる狂気の女。
「あ゛ははァ……ころす……まだ護衛が居たかァ……」
護衛。
そう呼ばれた彼女は。
「――」
しかし何も答えることなく、アイルーンの頬を張った。
見てくれからは想像できない威力だったのだろう。
スペクタクラ中に響き渡ったその音と、真横に吹き飛んだアイルーンに、観客がどよめく。
勢いよく石畳に打ち付けられた彼女を、逆光に見下ろす少女は告げた。
「そこまでだ下郎。こちらにおわすお方は、貴様の言うレッドリードなどという蒙昧とはかけ離れた真の"貴族"。リヒター・L・クリンブルーム様だ」
「あ――ぁ?」
張られた瞬間、頭を揺さぶられた衝撃で、未だ意識の混濁したままのアイルーンは――目の前の女が何を言っているのか理解に苦しんだ。
まあ、いいか。殺せば。
再度伸ばされたその手を、今度は少女が掴み取る。
そして次の瞬間仕掛けられた足払いに膝をつき、腕の関節を極められ強制的に座らされた。
その間、ほんの1セコン。
「これ以上リヒター様の名誉を汚してみろ」
皮の手袋をはめた彼女は、アイルーンを見下ろし告げる。
「潰すぞ。女」
くらくらとしていた意識が、ようやくはっきりしてくる。
二重三重に見えていた目の前の少女の顔の輪郭がしっかりと合わさって。
そしてようやくアイルーンは状況を理解した。
「……これは?」
「貴女の勝利です、スマイルズ。決勝戦に進みなさい」
ただ冷たく、事務的に紡がれた言葉に、アイルーンはそうかそうかと頷いて、倒れたままのリヒターを目にし――その視線をふいっと入場門に向ける。
五万の罵詈雑言も意に介さず、ゆらりと立ち上がった彼女は痛む頭を押さえながら、ただ1人立ち去っていった。
「――あ、あの」
声をかけるレフェリーからくるりと背を向けて、少女はリヒターを抱き上げる。まるで姫を抱えるようなその膂力に驚く大衆を差し置いて、さくさく控室に戻ろうとする彼女は、ふと思い立ったように振り向いた。
「そうです、レフェリー」
「は、はい!」
「貴方、クビです。昼までに荷物を纏め、職場を去るように」
にこやかにそう言い放つと、執事服の彼女は今度こそリヒターを抱きかかえるようにして、入場門の方へと消えていった。
準決勝第一試合は、波乱の中に幕を閉じた。
本日は2試合のみが予定されているということもあって、この試合の後は昼の休憩が用意されていた。
どよめきの中に終わった第一試合のせいで、集客力に手酷い打撃を受けるのではないかとも懸念されたが――幸い第二試合は王女と解説兄貴の試合だ。
何とか持ちこたえた、と言っていいこの状況に頭を抱えていたのは、何も"経営者"に限った話ではなかった。
「……あー。どうしましょう」
ティーカップをソーサーに戻した少女は、スペクタクラに造った責任者用の執務室でそう呟いた。
「ライラック様がぼやくなんて珍しいですね」
「まあ、人間ですからね……」
「思った以上に凹んでませんか!?」
ふう、と息をついた。
水面に映る自らの表情は、あまり明るいものではない。
せっかく次は己の試合で――最も楽しみにしていた相手であるというのにこの気分はいただけない。
本当は呼びつけるつもりもなかった目の前の青年を呼んでしまった辺りに、今回の凹み具合が如実に現れていると言って良い。
「アイルーンの行動は、予想出来ませんでしたか?」
「……薄々、こうなるのではないかという危機感はありましたが。思ったよりもリヒターが善戦してしまったと言いましょうか」
「それはそれで酷くないですか」
「だって!」
思わず駄々っ子のように声を上げてしまったライラックは、ふと冷静になって首を振った。
「……だって、わたしに一度も勝ったことのないリヒターが、わたしを蹴り飛ばしたアイルーンにあそこまで食い下がるだなんて」
「ぶぇあ? 今なんか聞き捨てならないこと言いませんでした? ライラック様を蹴り飛ばした?」
「あー……心配してくれて嬉しいです」
「ライラック様を喜ばせたくて言ってるんじゃないんですよこっちは」
にこ、と微笑んでみせたライラックだが、残念だが目の前の男に今更お姫様の猫被りは通用しない。
ライラックとしても、別にもう隠しておく理由もない話だ。
零したのは意図的でありつつ、反面ここまで目の前の相手に話したくなるくらいには困惑していたと言っていい。
つまるところ。
アイルーンとやり合ってみたところ、イカれたように見えて戦いそのものは冷静であると判断した。
けれど、リヒターによって引き出されてしまった闇が予想以上にパンチが効いてしまっていた。
「予防線として、パスタを助けた勇者の名を伏せておいたのは幸いですが」
「なるほど、その辺のリスクケアだったんですね」
「……むぅ」
不満、とばかりに唇を撫でるライラック。
こうなることを想定していなかったわけではない。
実際、アイルーンの試合が1つ1つダーティになることは承知の上であったし、殺しに発展するようならフウタなり自分なりが止めるつもりでは居た。
「とはいえ最悪のケースではありますか」
「えーっと、闘技場の運営に関わるような?」
「はい? ……いえ、闘技場の運営はベアトリクスがどうとでもするでしょう。そうではなく」
「え、ああ、違うのですか」
「流石に、そんな根底が揺らぐようならそもそもアイルーンを本選に出していませんし」
では何が問題なのか、と首を傾げるフウタであったが。
その理由こそが、こうしてフウタだけを呼びつけるに繋がる理由でもあったのだった。
ポットから紅茶を注ぎ、注ぎ口から茶葉の塊が飛び出して不快そうな顔をするライラック。こういう時、メイドが居ればと切に思う2人。
「このままいけば、リヒターの陣営を強化することに繋がりますからね」
「え? リヒターさん?」
「十中八九そうなるでしょう」
口元を隠すような頬杖。むくれっ面にも見える年相応の表情は可愛らしいが、語る内容は城内政治だ。
「ええと、何でそうなるのかは分かりませんが……それが失敗?」
「まあ失敗ですね。正直な話をすれば、スペクタクラの関係者はわたし側であればあるほど良い」
「うわあ」
「うわあとは何ですか」
「いやその」
頬を掻き、告げる。
「なんですかね。素直になったなあ、と」
「いけませんか?」
「いえ全く。ちっとも」
「ふふ。……その言い方、コローナみたいですよ」
「それは反応に困りますね……」
どういう形かは分からないが、このまま行くとリヒターの陣営を強化することに繋がる。それが嫌だと彼女は言った。
リヒターとは最早仲良しなのでは? と思わなくもないフウタだったが、どうもそういうわけでもないらしい。
「今回の組み合わせが決まってから、わたしの中では幾つかのプランがありました」
「プラン」
「ええ。ランダムにこういうのを決めるというのは初めてだったもので……どう流れを作ってスペクタクラを盛り上げようかと」
なるほど、とフウタは頷いた。
要は今回、本当にトーナメントがランダムに割り振られたからこそ、彼女が何をするにも即興であったと。
「とはいえ、先も言いましたが根底から覆されるような事態を招く諸々は全て排除し終えていましたから……油断もあったと思うのですが」
「はあ、油断」
「今回のプランAは、わたしが華々しく決勝でアイルーンかプリムを打倒することです。最も簡単で、最も分かりやすい。わたしがただ強くて可愛いと民衆に印象付ける」
「なるほど、強くて可愛いです」
「…………復唱は、求めていません」
「自分で言ってそんな照れます?」
こほん、と咳払い。
「プランBは、貴方との試合を事実上の決勝戦として盛り上げてしまうこと。実際わたしにとってはここが最大の山ですし」
「光栄です」
「つまり、如何にわたしがスペクタクラを盛り上げるかという部分に、プランというのは関わってくるわけですが」
じとっとした半眼がフウタを見据える。
何か悪いことしたかな、と首を傾げるフウタだが――ここで1つフウタは頭に入れておくべき発言があったので、そちらに意識が飛んでいた。
「貴方と準決勝で当たるにあたり……プランを練るより貴方を倒す方法の方で色々と煮詰まって時間がなく」
「はあ、それは」
「どのみちもう特に憂いもないとなれば、時間というのは過ぎ去るものですから。今回のアイルーンやリヒターのことをあまり考える余裕もなく」
「なるほど」
「貴方のことを考え過ぎたせいですね?」
「いや聞かれても」
ふむ、とライラックはそっと手を組んだ。
「闘剣に私情は持ち込まない。そういう縛りのもとでやってきましたが。
やっぱり徹底的にわたしの中で組むべきだと思います?」
「それ、俺に聞いていいんですか?」
「ええ。貴方がいい」
選択を委ねるようなことを、彼女が言うのは意外だった。
フウタは知らぬことだが、どうにも"素直になれ"というどこぞの皇子の言葉は存外に効いていたらしい。
そうですね、と一言間をおいてから、彼は言った。
「闘剣士に、トーナメントを弄る権利はありません。ですから、今回のライラック様のやり方は、個人的には凄く好ましいと思います」
「……です、か」
「はい」
わずかに困ったような顔をして。
「では、諦めた方が良さそうですね。リヒターの件に関しては」
「……随分、気にされるんですね」
「それはそうですよ」
だって、と彼女は続けた。
「――リヒターを敵に戦うのが、一番面倒です」
「敵……」
「ですからそうならないように立ち回ってはいます。それこそ、彼に一筆を撃たせないのと同じことですよ」
ただ、それでも。
リヒターの周りに、闘技場関係者が固まることはあまり美味くはない。
実のところ今回のライラックの悩みというのはその程度だった。
ただ、その程度であっても悩みになるような慎重さが、これまでの彼女の命を守ってきた。
そういう話であった。
「さて、ではそろそろ試合ですね。……本当に、楽しみにしていました」
「俺もです」
試合の直前にこうして話をするだけでもイレギュラーだ。
もう席を外すべきだろう。
そう考えたフウタはしかし、ふと思い出した。
――元々、呼ばれなくとも彼女のところに来るつもりであったこと。
そしてその理由。
「ライラック様。1つ提案があります」
その言葉に小さく反応したライラックは。
先ほどまでの柔らかい印象とは一線を画す冷たい瞳で振り向いた。
覚悟はしていた。
だってこれはライラックの為の提案ではない。
――あいつの為の提案だ。
NEXT→5/16 11:00
名作のレビューせんきゅー!!!!





