54 じゅんけっしょう だいいちしあい が おわった!
1人目は、Amelia。
2人目は、Brigitte。
3人目は、Caroline。
名前の無い孤児が引き取られてくると、その院では適当にそう名前が付けられた。
名前という名の、記号。
所詮名前とは記号でしかないと、どこかの赤髪も口にしていたが――それを当然のように行う場所というのは実在していた。
26人目は、Zara。
そして、一周するとまた27人目はAmeliaだ。
面倒を極力排除するための事務的な、番号振りならぬ名前振り。
そのIruneは、現在孤児院の"所持"している2人目のIruneだった。
過去にもIruneは何人もいた。
彼女らがどういう生き方をしているのか、既に死んでいるのか、それは2人目のIrune……Irune"B"には分からなかったが――ろくな生き方をしていないであろうことだけは、何となく幼い彼女にも想像出来た。
自分がどんな両親の間に生まれた人間なのかなど、知る由もない。
1日1回、上で生きている人間の残飯を纏めた臭い生ゴミのような食事を貪った。
カトラリーも何もない。家畜と同じく、食堂という名の小屋の真ん中に流される生ごみを、他の子供に取られまいと必死で奪い合うことだけが、彼女が感じ取れる"生"であった。
劣悪な環境下。
それでも一定数、まともな食事ができる子供が居た。
孤児院の経済は、孤児を売り飛ばすことと――とあるビジネスで成り立っていて。
そのビジネスというのに"使える"子供だけが、比較的人間らしい生活を許されていた。
代わりに、ビジネスとして"貸し出された"先では、おおよそ人間性という名の尊厳を奪い去られるという代償付きではあったが。
Irune"B"もその例に漏れず、小汚い神父に招かれてその"営業"を始めることになった。まともな食事を出来る子供たち、その一員にならないかと誘われて。
歳は40程度だろうに、殆ど抜け落ちた歯。常に酒精を帯びた赤ら顔と、弛んだ出で立ちからくる醜悪な臭い。それでも彼が神父であり、孤児院の院長である以上、彼の言葉に従う他は無かった。
"貸し出された"先で、地獄を見た。
彼らの名は、例外なく"貴族"といった。
家畜の真似をして笑いを取る、己の尊厳と引き換えに餌を得る、そういった真似ならまだいい方で。
当時"貴族"の間で流行っていたのが、自分が"借りた"子供同士を殺し合わせるという、なんとも愉快な遊戯だった。
彼らはそれを――"闘剣"と呼んだ。
何度も殺し合った。誰よりも"強く"なくちゃ生きていけない。
Irune"B"をいたく気に入り、毎度彼女を借りた"貴族"はそう言い続けた。
誰よりも"強く"なれば生きていける。そう、誰よりもだ。と。
己を高める、などという高尚な志はそこにはなかった。
どこまでも他人を陥れ、蹴落とし、自らが席に手を伸ばす。
そういう強さが、"強さ"だと叩き込まれた。
決して、彼らの言う通りにしようと思っていたわけではない。
だが、ある種それは正しいとも思っていた。
誰よりも"強く"。それは、今目の前にいる肥え太った"貴族"とかいう飼い主様よりも。いつもIrune"B"の返却と一緒に金を受け取る下卑た神父よりも。毎日のように食事を争う子供たちよりも。
強く。誰よりも強くなればいい。そういうことだろう。
――自分の出生を、彼女は知らない。どんな両親を持っているのか、彼女は知らない。
だが、あの日。
唯一と言って良い、孤児院の大切な友人を。
"闘剣"などと彼らが口にするお遊びで手にかけざるを得なくなって――深い絶望に沈んだ、あの日。
気付けば心の奥底から吼え立てる衝動のままに、己を借り受けた貴族ごと、多くの大人を殺戮したあの日。
恐怖に染め上げた表情とともに、自分を殺そうと必死に抗った"貴族"たちを、丁寧に丁寧に鏖殺したあの日から。
"アイルーン"の血を見ると、あの日の全ての感情が突き抜けて。
記憶が消し飛ぶくらいに"心地良い"のだ。
――唯一の友人は。骸と変わるその日まで、Irune"A"と呼ばれていた。
――闘技場スペクタクラ。
「あ゛はァ……!!!」
リヒターが吹き飛んだと同時、スペクタクラを一瞬の悲鳴が突き抜けた。
しかしそこは"王国の二番手"。片手を一度着きながらの宙返り。
着地の際には眼前に迫りくるアイルーンを視界に捉え、振るわれる拳をグラディウスで迎え撃った。
「ぐっ――」
「――!!!!」
"重い"。
まるで蝙蝠か何かのように、最早聞き取れないほど甲高い奇声を上げながらの渾身のストレート。
受け止めたリヒターが感じ取ったのは狂気でも殺意でもなく、単に膂力の増した単純なる"力"だった。
頭の中のリミッターがはじけ飛んだ。
そんな印象を抱かせるのは彼女の今の凄まじい力と、そして。
「……」
リヒターは視線を下ろす。
剥きだしになっている太ももから、ぼたぼたと垂れる赤。
痛みがない、などということはないはずだ。なのに、まるで意に介さず、万全な状態と変わらない動きで地を駆るその姿。
「――!!」
「ぐっ、おおおお!」
下からかち上げるように振るわれるアッパーカットを、グラディウスの腹で受ける。
ばぢん、と鈍い音が鳴り響くことそのものは、今までと変わらない。
ただ拙いのは、リヒターの力をもってしても"受けそこなった"ということ。
グラディウスを持つ腕ごと高い位置へと浮かされた瞬間、神速のステップからの突きさすような後ろ蹴りがリヒターの腹部を襲う。
「ぐ、ふっ……!!」
それが、まともに受ければ腹を貫通する一撃だとリヒターは分かっていた。
だからこそ、忸怩たる思いで取った受け身。
強烈な鈍痛に視界がはじける。
吹き飛び転がる2、3転。
グラディウスの柄の尻で石畳を擦り何とか静止した彼は、しかし痛みの中でもすぐさま顔を上げた。
「――!!」
瞳が、交錯する。
目の前の敵を殺すことしか考えていないその血走った眼光は、色こそ違えど戦う時のフウタの金色のように軌跡を描く。
野生の獣、それもおよそ人間が相手取るようなそれではない化け物を相手にしているような感覚に、リヒターは己の不幸を笑う。
瞬間、右肩から叩き込まれるは玉でも蹴り飛ばすような鋭い蹴り。
きりもみ回転してまたしても吹き飛ばされるリヒターに、観客席から悲鳴が起きる。
『お、お兄ちゃんあれっ――!!』
『アイルーンは完全に、足の痛みを感じてないな。でなければあんな動きは――』
『じゃなくて!! リヒター大丈夫なの!?』
『ん? ああ』
ごほ、とせき込み、疲れを知らぬ獣の如く飛び掛かってきたアイルーンを転がって回避したリヒター。
『リヒターさんは、あれで倒れるほど柔い人じゃない』
殴られ、蹴られ。
絞め技を食らったことも含め、随分と体力を奪われた。
しかしそれでも、グラディウスを手放すようなことはしない。
冷静に、暴走するアイルーンを見定める。
「なるほど、凄まじい技量だな。アイルーン・B・スマイルズ」
あのプリムが、守りの切り札を切らざるを得ない理由も頷ける。
「しぃ――!!」
右に飛んでくる拳を避ける。重い蹴りにはグラディウスで対処。右足を弾かれたと思えば、既に左足が回転して襲ってきている。
こいつは翼でも生えているのか? と疑いたくなるような空中殺法は、無手である彼女であればこそ。
防ぐリヒターの肩を足掛かりに、蹴り上げから一回転してみせる姿は確かに"アリア"と呼ばれるのも分かるほどの1人舞台っぷりだ。
「口調も振る舞いも立派に令嬢のそれだが、これだけはいただけないな。ダンスは1人で踊るものではない」
初めて彼女の登場を見た時、どこか別の国の貴族令嬢かと誤認した。
リヒターでさえそうなのだ。彼女の所作、礼節は、財務卿の目から見ても完璧の一言だった。
どうしてそこまで自らを磨き上げたのか、リヒターは知らない。
だが、闘剣士であったことと――そしておおよそアイルーンの所業を聞いて、リヒターは自分が勘違いしていたことを知った。
彼女はどういうわけか、貴族のような振る舞いをする――平民以下の立場から這い上がってきた女である、と。
「ダンスを踊っているつもりはありませんわ!! ただ唱うだけ。わたくしはただ――沈み、泡と消えるまで!!」
「ぐっ――」
あはははは! と壊れたような笑いと共に、疲れ知らずの人魚姫はひたすらリヒターを"沈め"にかかる。
その拳の一撃が、その蹴りの一撃が、1つ1つがリヒターの体力を奪い、気力を奪い、そして痛みを蓄積させていく。
「さあ――唱いましょう!!」
「……そうか」
いっそう勢いよくグラディウスでアイルーンの拳を弾いた。
瞬間僅かに生まれた空隙。
リヒターの"次"に備えるアイルーンを前に、彼は息を吐いた。
「唱う。泡と消える。なるほど人魚姫とはよく言ったものだ」
ぐ、と握りしめるは自らの決闘剣。
――彼女の求めるものを、考えていた。
わざわざ"貴族"と同じような振る舞いを見せ付けるようにしながら、自らは闘剣士として一線を張り続けた。そして、どんな手を使ってでも相手に勝つことを重視するそのスタイル。
殺しは、勝ち。
彼女の理念を考えれば、おおよそ。
背景こそ分からないが、彼女の生き方については見当がついてきた。
「……ランダー流決闘術は、殺しの技だ」
剣が、横薙ぎに走る。
「国を、民を守るため、外敵は全て駆逐する。その為に効率を極めた殺人術だ。お前と何も変わらない」
「っ――!!」
カウンターの如く放たれた剣閃を、アイルーンは後ろへの宙返りで回避する。
振るわれた直後、前のめりになったリヒターは、着地直後のアイルーンと目を合わせた。
不愉快なものを見る目で、アイルーンは呟く。
「自らの功績をあげつらっておいて、わたくしの殺しと敢えて同列にするのは、貴方自身の格を上げるためのプロモーションかなにか?」
「いいや。殺しは殺しだとも言えるし――お前とて、何かを守る為に殺している。それは――」
「やめましょうか」
ふう、とため息。
言葉を遮るアイルーンは、手甲の調子を確かめるように両手をかち合わせて呟く。
戦意闘気はどこへやら、といったような、日常会話で相手に呆れるような、そんな仕草。
リヒターが片眉を上げるのと同時、彼女は告げる。
「せっかくこんなに楽しいのに、興覚めになるような冷や水は御免被りますわ」
「……楽しいか?」
「ええ。……とっても。ただ」
リヒターを見据える瞳から、闘気が掻き消える。しかしてあるのは純粋なる殺意。
ただ目の前の男を殺さんとするその瞳に、思わずリヒターも身構えるほどの――吹き荒れる感情。
「上から導いてやるとでも言いたげな"貴族"だと認識すると、ただ単に殺したくなるのでやめましょう? 貴方も、剣も取れない状態で死にたくはないのでは?」
「そうか。まあ、お前がそう思うなら、それでいい。だが、そうだな」
楽しい戦い。楽しい殺し合い。
彼女が望むのはそれだという。
だが。そう。忘れてはならないことが1つ。
「僕もお前同様、闘剣を楽しむことが至上命題ではない。僕はただ、お前を下すことだけが目的だ」
「あ゛はっ。ええ、ええ。わたくしはそのくらい単純な方が――」
喜悦の声を漏らすアイルーンの言葉を遮るように、リヒターは告げる。
「ただ。僕は"貴族"だ。導いて欲しければいつでも言え」
「――っ!」
一時たりとも、それを忘れたことはない。それを否定することもない。
宣言するリヒターに、アイルーンはがくりと俯く。
「ふふ……うふふ……」
ゆっくりと……ゆっくりと上げられた顔には、凶悪なまでの笑み。
「ころす」
だん、と石畳を蹴ったアイルーンを、グラディウスが迎え撃つ。
正面から飛んでくる拳をグラディウスで受ければ、すぐさま蹴りが飛んでくる。
承知とばかりに一閃、刃で足を脅しにかかるリヒターだが、そこで彼は目を見張る。
「あ゛はっ!!!」
自らがどうなろうが知ったことかとばかりに刃に欠片も目を向けないアイルーンは、そのまま腕の創傷を見向きもせずに拳を振り抜く。
どん、と強烈な威力に吹き飛ぶのはリヒターだ。
頬を殴られた感触は鈍痛ではなく、鈍く何かを砕かれたようにさえ感じる凄まじいもの。
もんどり打って倒れる彼に追い打ちとばかり垂直に叩き落とされる正拳突きは、なんとか反射で転がり避ける。
砕かれたのは石畳だ。
飛び散る飛礫を好機とばかり口角を歪めたアイルーン、そのまま浮き上がった石ころを1、2、3、と次々蹴り穿ちリヒターを狙う。
くるりと前転起き上がったリヒター、これを全てグラディウスで弾く見切りの技。
だがその一時の隙こそが、アイルーンがこじ開けたかった防御の穴。
グラディウスで最後の飛礫を打ち払った瞬間、目の前に飛んでくるのは飛礫ではなく痛烈な踵落とし。
だがリヒターもこれは承知。飛んできた時点でおおよそ飛礫がデコイであることは察していた。
かといって飛礫を受けるわけにもいかず罠にハメられた形なれど、意識が向いているか否かでは行動の間が大きく違う。
脳天目掛けた踵落としをステップバックで回避、またしても砕ける石畳を目前に、グラディウスを身構えたところに鋭い鎗のような蹴りが飛ぶ。
剣の腹で受け、その後ろに左手も添えた形。完全なる防御で全てを受けきった――しかしそう思ったのがまたしても罠。
あまりにも軽い感触に気付くと同時、アイルーンの本命はこのあとの左足だと察する。
まるで螺旋を描く矢のように回転したアイルーンの足は側頭部へ、リヒターの身体がぐるんと回転し吹き飛んだ。
わっと上がった悲鳴も歓声も意に介さず、アイルーンは追い打ちとばかりに着地から跳躍。
リヒターが転がった地点目掛けて振り下ろす踵はまたしても空を切る。
相変わらず緊急回避が上手いと歯噛みするアイルーンだがその思考は冴え渡り、転がった先の一瞬の隙を突くスライディングのような低空ドロップキック。
頭を揺さぶられ判然としない意識の中、それでも追い打ちがくることだけは読んでいたリヒターはこれを反射のグラディウスで受け止める。
だが威力が威力、彼女の全身全霊の入った一撃を受け止めるにはあまりにも頼りなく、グラディウスを持った腕ごと後ろへ持っていかれるような反動を受け全身が無防備。
喜悦に歪むアイルーンが放つ蹴りを、グラディウスで受ける時間がないと見るや紙一重で回避するリヒター。
だがそれは行った己でも理解できる最悪手。
ほんの僅かな隙すらも逃さないとばかり足が首傍から絡まり締め上げる彼女の締め上げに、だがリヒターも容赦はしない。
絡みつく彼女の顔の位置を把握するや、空の左手で彼女の顔を掴み――殺気を丸出しにして石畳へ叩きつける前動作。
決闘術の使い手が、殺しに来た自分を殺さないなどと甘いことは考えないアイルーンはすぐさま拘束をほどき両手で着地からの《独奏曲》。独楽のように回転するその足に対応できるほどの時間は貰えなかったリヒターはもろに腹部にボールを蹴とばすような蹴りを食らい吹き飛ぶ。
2、3転がったところにまた追い打ちが、というところで――。
『す、すごいすごいすごい!! どうなってるのコレ!?』
『凄いだけ言ってても伝わらないぞ』
『え……あ……ごめんなさい……死にます……』
『そこまで凹まなくてもよくないか!? ――どうなってるかで言えば、アイルーンが徹底的にリヒターさんを追う展開だな。リヒターさんの読みも鋭いし、相手に追われる展開というのを熟知してるんだろう、最小限のダメージで切り抜けようとしているのが良く分かる』
『でもずっとアイルーンに追われてるね』
『逆にアイルーンは1人も逃さない、という追う展開に慣れているからだな。お互いが巧者でありつつ――やはりというべきか、なんだかんだ攻撃を受けてしまっているリヒターさんがだいぶ不利だ』
『だいぶ、ってほどなの?』
『ああ。今この瞬間だけを切り取ればいい勝負なんだがな。……蓄積した疲労とダメージが大きすぎる。特に、頭と腹に貰い過ぎた』
解説兄貴のコメントに、会場が一気に気落ちする。
彼の信頼度はこれまでの功績が――それからダメな解説との比較もあり――証明していた。だからこそ、彼の言うだいぶ不利、はそれだけで希望の灯を吹き消す力を持っている。
問題は解説兄貴が未だに盛り上げの妙を理解していないところで、試合を魅せるための解説ではなく、普通に状況を説明している部分だろうか。
試合中盤で「これはもうダメですね」と場を冷めさせることがどれだけ罪か、分かっていない。
だからこそ隣の少女は大慌てで言葉を繋ぐ。
『じゃ、じゃあもうダメなの!?』
『いや――まだ手はある。それをリヒターさんも、みんなも分かってるはずだ』
『そ、か。出したら勝てる、そういう技があるもんね!』
『ああ。まあそれはアイルーンも同じなんだが』
『おにいちゃ……ああでもアイルーンはそれ出さなくても勝てそうな感じってことでしょ!?』
『あいつがそんな油断をするとは』
『はいはいはいはい! どーなるんだろーね!!』
何故か強引に言葉を遮られたうえでふとももを盛大につねられたから、何か失敗はしたんだろう、と反省する解説兄貴。
反省しても理由が分からないから後で聞こう、と情けないところはあるにせよ。
とはいえ、とフウタはリヒターを見据えた。
ここまでタコ殴りにされたリヒターの勝利はやや厳しい。
解説した通り、勝ち筋はおそらく《ランダー流決闘術:一筆》のみ。
しかしそれは発動条件が難しいのだ。
流石にその発動条件を解説で暴露するのは彼にとって致命的だから伏せてはいるものの――アイルーンも気づいているのではなかろうか。
とそこまで考えて、瞳を金色に染め上げる。
そして、ふう、と息を吐いた。
『なるほど』
『お兄ちゃん?』
『……それを狙って、ここまで殴られっぱなしでいたのか』
頭がぐらぐらと揺れ、視界の周囲が赤く染まったように朧げだ。
それでもなお戦いを続けているのは一重に己が"貴族"であるが故。
《ランダー流決闘術:一筆》の発動条件は、そこまで難しくはない、とリヒターは考えている。
ただそれは相手に知られていないことを前提とした話だ。
あの技の発動条件が知られている相手を前に、一筆を発動するのは正直至難の業だ。
おかげでライラックにもプリムにも殆ど負け越し。
それは自分でも自覚していたし――どうやらアイルーンもリヒターの動きとこれまでの試合から見抜いている節がある。
だが、それでも。
ここまでキレたアイルーンを相手になら、隙はある。
「あ゛はっ!!」
飛び掛かろうとするアイルーンは、既にボロ雑巾と化したリヒターを相手に踵落としを叩き込まんとする構え。
空中からのその一撃を、転がって回避するしかないと分かっていてのその攻撃は――もはや油断とは呼べないだろう。
これだけ殴りつけ、これだけ体力を奪い去った。
ここまで何度も同じように回避をし、徐々に徐々にその速度を落としていった。
すべてがわざとというわけでもない。
あまりにも彼女の一撃一撃は重かったし、何よりリヒターの技量では彼女の猛攻から逃れる術は無かった。
けれど、だからこそというのはある。
だからこそ、たった一度の機会を狙っていた。
――跳ね起きた。
「っ!?」
リヒターの軽いステップ。そしてほんのわずかな、跳躍。
それが踵落としのタイミングと噛み合って整った――条件。
ランダー流決闘術:一筆の発動条件は、グラディウスの届く距離にて――その瞬間、互いの両足が空中にあること。
《ランダー流決闘術:一筆》
『入った――!!!』
『これは、リヒターさんの作戦が実ったな』
わ、と沸き起こる歓声の中で、リヒターはグラディウスを振るう振るう振るう振るう。
アイルーンはしまったとばかりに歯噛みしながら、しかしそれでもどうにかして糸口を見つけんと四肢をフルに使って彼の猛攻を耐え続ける。
完全に立場が逆転したその状態で、必死にもがくアイルーンに――リヒターは容赦はしない。
「"闘剣"は、楽しいものだ。僕らが出るような場所ではないんだよ、ここは」
「わたくしの知っている"闘剣"は、最初から無責任な観客を喜ばせる人殺しの遊戯でしたわ」
「それとこれとが違うことくらい、お前も分かっているはずだ」
「ええ。でも。わたくしは強く。誰よりも強くならなければならない。あそこにも、ここにも、ちょうど強者がごろごろいるのですから……下すにはちょうどいい」
「――そうか。ならば、ここでお前の下剋上は終わりだ」
「下剋上? あ゛はっ。だからそういう上からの物言いが――っ」
その瞬間。
リヒターの剣が、彼女の腹部をかすめた。
IBと刻まれた刺青の真上を斬りつけるようなそれに、思わずといった風に彼女は自分の腹へと目をやった。
まるで、刺青を心配でもするかのように。
だがそれは大きな隙だ。逃がすリヒターではない。
「これまでだ」
振るうのはグラディウスでの脳天への一撃。
柄のない剣とはいえ、低い位置で殴られれば無事ではすまない。
だが。
――血が、迸った。
「あ゛はっ!!!」
瞳には狂気。
目の前には殺意。
そして――"貴族"。
はじけたような視界の中で、アイルーンは嗤う。
このままでは殺される。なら、ただで殺されてなどやるものか。
腕の一本くらいくれてやるから――
「沈みましょう。泡と消えろ、クソ野郎」
《鎮魂歌》
が、と後頭部を掴んだところまでは観客席からも見えた。
だが同時、グラディウスの石突が彼女の頭を直撃したのも見えていた。
アイルーンがリヒターの顔面を地面に叩きつけると同時。
彼女もまた、凄まじい一撃に――横並びに倒れ伏した。
『だ、ダブルノックアウト……!?』
『この場合どうなるんだ?』
『え、えーと。少し待つんだけど、このままなら引き分け再試合。もしどっちかがこの数ミニトで立ち上がるようならそっちの――』
わ、とスペクタクラに声が上がる。
ゆらりと立ち上がったのは――。
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