王城散歩"パスタ・ポモドーロ"
――王城内部廊下。
1人の少女が歩いていた。
すっぽりと被った外套のフードで髪も顔も隠し、あまり人の目に触れないようにと足早に。
別に何か悪さを働いたとか、これから働くとか、そういうわけではない。
後ろめたさがないかと言われれば、欠片も無いとは言い切れないけれど。
ただ人に顔を見られたくないというだけで、それ以上でもそれ以下でもなかった。
この内部廊下には、あまり衛兵は訪れない。
使用人用の諸々の部屋が並ぶ通路で、取り立てて重要な何かが置かれているわけでもないから、兵士を置く理由はあまり無い。
加えて言えば、ここは王城の内側。ここに見回りの兵士を置くくらいなら、外側に配備する。
そしてこの時間の"侍従"たちは自分たちの住み込み場所に戻ることなどなく、忙しく職務を全うしている。
以上の理由から、人の目に触れることなく彼女は廊下を行くことが出来ていた。
そんな彼女の顔が、ふと何かに気付いたように上げられる。
鼻腔をくすぐる甘い香り。
油とミルクと、砂糖と、小麦粉。
彼女のお気に入りのお菓子にも通じる材料の気配を察して、小首を傾げた。
お菓子を焼成する時の香りだ。
おそらく元を辿れば使用人用の厨房だろう。
そこからどこかに焼き菓子を持っていく最中、という可能性も否めないが――少し低めに見積もって良いはずだ。
王侯貴族に差し出すものなら、この区画の厨房では作らない。
昼休憩に菓子を作れるほど、"侍従"の1回の休憩時間は長くない。
となると。
見知った顔が厨房に居る可能性が一番高いと考えて、彼女は面倒臭そうにため息を吐いた。
元々今日は、その見知った顔に用があるのだ。
彼女が両手で抱きかかえた分厚い本には、幾つもの栞が挟まっている。
これをその見知った顔に押し付けて、自分の家に帰るのが今の目的。
部屋に置いても良いのだが――自分との約束の時間が迫っていることは彼も承知のはずだ。
となれば、この匂いは……。
不愉快そうに口角を下げて、彼女は足早に向かう。
その先は使用人用の厨房。
部屋に本を置いて帰るという選択肢も無くはない。だがそうならないように、部屋に"魔女"を配置している可能性はかなり高い。
本の送り先と顔を合わせる方がマシか、自分を引き留めようとする"魔女"と顔を合わせる方がマシか。
そんなの、考えるまでもなかった。
「……あんた何してんの」
そして案の定というべきか。
捜し人兼想定していた人物は、ものの見事に使用人用の厨房でお菓子作りに勤しんでいた。
ちょうど焼き上がったらしいケーキを窯から取り出して、調理台の上に窯皿を置いた彼と目が合った。
見上げるほどの長身痩躯。魅力に欠ける無個性な顔立ち。整えた様子もない髪。
相も変わらず、呆れるほどの没個性だ。
「お、パスタ。ちょうど良かった」
「なにがちょうどいいのよ。あんたに渡すものはここに置いておくわ」
調理台の1つの上に、埃っぽい本をどんと置く。
ここに"魔女"でも居れば煩わしい叱責が飛んでくるだろうが、居ないのだから楽なものだ。
それだけ告げて、厨房に背を向けようとする彼女に、当然のように声がかかる。
「待てよ」
「…………なに?」
「そこまで嫌そうな顔するか?」
「察してるなら送り出してくれても良いんじゃないの?」
「お前に気遣いする理由ないし」
「あっそ」
ふん、と鼻を鳴らして、調理台に寄りかかる。
腕を組んで、ついでに視界の邪魔をする外套のフードを取り払った。
長い赤髪が目に入らないよう、軽く顔を振るう。
「で?」
「でってお前、見りゃ分かるだろ。それこそ察しろよ」
「あんたに気を遣ってやる理由なんてないでしょ」
「そうかよ」
互いに。
その声色はまるで独り言だ。相手に対するあるべき思いやりというものが欠けていて、"別にこいつにどう思われても構わない"という意思が透けて見える。
案外と、そのくらいの関係の方が気が楽だと思っていたパスタはしかし、フウタの手元の窯皿を目にして不愉快そうに表情を歪めた。
「まあ見たまんまだ。カップケーキ作ったから食べてみないか?」
「……ちっ」
カップケーキ。
――そうじゃないかとは思っていた。
目の前の男は自分が好きな食べ物を知っていて、かつこれから自分と会うことが分かっていた。
そこで香ってくる小麦粉と砂糖。むしろ、察しない理由がない。
けれど、それがたまらなく苛立った。
「あんた最近なんなの?」
「何が?」
「何がって……!」
思い返すのはつい最近のこと。
"魔女"と連れ立って、呼び出した先でパスタ・ポモドーロを用意して待っていたこと。
あの時のことは、ルリに対しての御礼ということで無理やり片を付けた。
けれど、今回は違う。
「パスタ・ポモドーロ作ったりカップケーキ作ったりって話よ。媚びてんの?」
「お前に媚びる理由なんてないだろ」
「じゃあ何でわざわざカップケーキなのよ。他にも色々あるでしょ」
「コローナが初心者向けに幾つか教えてくれただけだ。たまたまお前が来るタイミングなら、選ばない理由もないだろ」
「…………」
選ばない理由もない。
一見して理にかなっているようにも思える彼の言い分。
ただ、それは近しい間柄なら通る話だ。
所詮、自分と目の前の男はただのビジネスの関係。それ以上でもそれ以下でもないと割り切っている。
焼き菓子はフウタのプライベートだ。
そこに、自分の入り込む余地はない。
「残念だけど、あたしは好きな店のカップケーキが好きなのであって、カップケーキそのものが好きなわけじゃないから」
「……」
「あんたとあたしは、そんな仲じゃない。あんたこの前言ってたけど……」
白けたような視線を向けて、突き放すようにパスタは告げる。
『……そんなのを恩に感じてたら、首が回らなくなるわよ』
『俺別に聖人じゃないから、親しい相手にしか律儀にこんなことしないよ』
「親しい相手だなんて、思わないでくれる?」
「そうか」
好意を無碍にするパスタの言動。
しかし、フウタはどういうわけか、何一つショックなど受けていないような顔だった。
それが、余計に苛立たしい。
「そうよ」
「じゃああれだ。カップケーキの舌が肥えてるんだ、少し感想言ってってくれよ実験台さん」
「………………」
大義名分とばかりに彼は言った。
半眼で睨みつけても、痛くもかゆくもないようで。
見え透いた建前だ。だが、建前というのは、分かっていても効果がある。
つかつかと歩み寄ったパスタは、彼の持つ窯皿から1つのケーキをひったくった。
「言っておくけど、あんたとあたしは味覚は大して変わらないから」
「分かってるよ。でもほら、食べてきたものの質が違うだろ」
手にしたカップケーキを睨みつつ告げるパスタ。
そう。
意外なほどに、食の好みという点ではフウタとパスタは一致していた。
味覚の感性が似ているのだろう。レッスンの時に食べるものを選ぶのは困らない。
だからこそ、実験台もクソもない、と言ってやりたかったが。
確かに、商会の長となってからは良いものばかりを食べてきた。
カップケーキに関してなら、確かにフウタよりも舌は肥えている。それは間違いない。
彼女の拳大ほどもある大きなカップケーキに、小さな口が乱暴に噛みつく。
「……どうだ?」
もぐもぐと、咀嚼した彼女は煩わし気に嘆息した。
噛み痕が残った大きなカップケーキを見つめながら、首を振る。
「粉っぽくて不味いわ。よくこんなの人に出そうとしたわね」
「あれ? レシピ通りに作ったはずなんだけど」
「なら出来の悪いレシピなのね」
「お前、言うに事欠いて」
「あのねえ」
コローナのレシピを批判されたからだろう、分かりやすく反応するフウタ。
そんな彼に、鬱憤を晴らすようにパスタは嗤う。
「レシピってのはね。工程が書いてあるだけじゃ片手落ちなのよ」
「材料も書いてあった」
「馬鹿ね。当たり前でしょ。……そうじゃない。何故その工程が必要なのか。それが分かってなければ、表面だけ分かった気になって、劣化した乱造品が出来るに決まってるでしょうが。大方、混ぜる時に小麦粉の粉っぽさ消せなかったのよ」
「お、おお……」
心当たりがあるのかないのか、曖昧な返事をするフウタ。
料理と菓子作りは別物だというのに、おそらくそれすら知らないのだろう。
だからと言って、そこまで義理立てする理由もない。
説教じみた物言いと共に、1口、また1口と進めていって、結局全部食べ切って、パスタは呆れたように首を振った。
「実験台で良かったわね」
「パスタ」
「なによ」
口元をそっと指先で拭う彼女に、フウタは「なんだかんだ全部食べたじゃないか」と思いつつも。
言われっぱなしは癪だと思い、問いかけた。
「美味く作れたら、また食べるか?」
「あんたらと慣れ合うつもりは無いって言ってるでしょ。これきりよ」
ふん、と今度こそパスタは背を向ける。
「――後悔しないうちに、誰でも彼でも慣れ合おうとするのはやめておきなさい」
最後に彼女はそう告げて、フードを被り直して踵を返す。
去り際に指し示したのは彼女が持ってきた本。良いから仕事のことを考えろ、とでも言いたげなそれ。
分かったよ、とフウタが呟くのと殆ど同じくらいのタイミングで、彼女は部屋を出て行った。
残されたのは、フウタと、幾つものカップケーキ。
「レシピ通りに作ったのにボロクソだったな」
呟き、自分でもひと口齧る。彼女とは比べ物にならないほどの大口でかぶりついたお手製のカップケーキに――フウタは表情を歪めた。
「なんだこれまっず」
とてもではないが。
1つまるまる食べようとは思えないほど、その味は悪かった。
【次 回 予 告】
パスタよ。……なに? ベアトリクスですけど? どっちでもいいわ。名前なんて、記号でしかないし。
それにしても……始まるのね、あの女の計画が。時が経つのは早いものだわ。あたしがパスタって名前に慣れきってしまうくらいにね。
連続無差別殺人鬼? コロッセオの開催自粛? 馬鹿ね。あの女がそんなもので止まるわけがないでしょ。
あんたはただ、堂々と玉座に座る準備だけをしていなさい。
次回、たとえば俺が、チャンピオンから王女のヒモにジョブチェンジしたとして。第四章。
「たとえば俺が、王女のヒモからチャンピオンにジョブチェンジしたとして」
――物語の幕が開け、剣士来たりて頂に挑む。
最初から分かってたわ。あんたはちゃんと才能あるのよ。だって――。
NEXT→3/22 11:00 ――第四章開始。





