闘神・井伊安政
修司は、バスの外の風景をぼんやりと眺めていた。隣で一色と迫間は話をしていた。窓の外には、闘技場が見えている。今日の本戦からは高等部の1,2年生もこの闘技場で戦うことになる。周囲は出店とのぼり、観客が目立っていた。
「修司、いよいよだね。」
「ああ。」
気のない返事に眉をひそめる一色。
「まーたボーっとして。そんなんじゃ井伊さんにやられちゃうよ?前回3位のシード枠と当たるんだよ?」
修司はこの1週間ぼんやりと過ごしていた。今日の対戦相手は、【三武天・闘神の井伊安政】。因縁の相手だった日下部久志の所属する闘技部【武人】の主将であり、一色の尊敬する人物である。本来であれば、寝る間を削ってでも研究をし、対策を練らねばならない相手であるが、先週の日下部との一戦以来、修司には、闘気がなくなってしまっていた。それに輪をかけて、勝利の報告をしようと全の所に行ったが、この1週間、何の連絡もなしに姿を現さなくなってしまった。仕方なく訓練を一人で行うが、どうにも身が入らず、今に至る。
「仕方ねーって、今週は英雄扱いが激しくなって、休み時間どころか便所でさえも声かけられまくりだったからな。浮かれてんだよ。」
迫間は、フォローのような皮肉のようなこと言う。先週の敗戦により、周囲からの扱いの違いに少しずつジェラシーを感じていたようだ。
「なんにせよ、今日勝てばベスト16には入るんだから、どんな手を使ってでも勝とうね!」
「・・・おう。」
「もう~~~!!!」
闘技場は、ギリシャのコロッセオをモチーフにしたような造りで、観客席が中央の闘技場をぐるりと囲んでいる。先週までの闘技練習場との何よりの違いは、選手に控室があることだ。受付を済ませると修司は運営委員会の大学生に案内をされた。ここからは選手しか入れず、一色と迫間は席取りに行った。
控室は学年別に分けられており、中にはすでの柊、橋爪。根津がいた。
「おお、来たか。」
「お疲れっす!」
根津と橋爪は明るく挨拶をしてくるが、柊はスマホをいじっていて、何の反応もない。
「ここは好きなように使っていいらしいで。トイレは出て右の角のとこで、ウォーミングアップ上は左やねんて。」
「ありがと。」
修司は、近くの椅子に荷物を置いた。部屋の中には、会場と中継が繋がっているテレビが置いてあった。橋爪は近づいてくる。
「治世っちは、井伊さんと試合なんすよね~。意気込みは?」
「ん~。まあ、やれるだけやってみるけど。どうなるか。」
「そこは『絶対勝つ!』とかじゃないんすか~?」
「あほか、治世がそんな熱血なわけないやろ。それに・・・」
この前の試合でもう、十分満足してしまって、どうにも覇気がなくなってもうてるやん。
言葉の止まる根津を不思議そうに見つめる橋爪。
「それに、なんすか?」
「なんでもない。」
「そんな~。教えてくれてもいいじゃないいすか~。」
橋爪は情けない声を出す。
「ま、でも、ウチの主将はかなり化け物なんで、厳しいとは思うんすけどね。」
橋爪は軽い口調で言う。
「てか、自分、なんでそないにいつもフレンドリーやねん。治世となんて、ほとんどしゃべったことないやろ。」
「ははは~。別に愛想悪いよりずっといいじゃないっすか。」
「コミュ力のバケモンやなホンマ。」
「関西の人って面白いっすね~。」
橋爪は呑気に言う。
その後、根津と、流れでついて来た橋爪とともにアップを行った。召集の時間の10分前には、親切にも招集のアナウンスがスピーカーから流れてきた。控室に戻ると、鬼道がいた。柊は相変わらずスマホをいじっていた。鬼道は部屋に入って来た修司たちを鋭い目で見ている。橋爪だけが、鬼道に気軽に話かける。
「オニっち、アップはしたんすか?」
「ああ、してから来た。」
鬼道は無愛想の返事をする。
「それよりも、賭けをしようぜ。」
「おお、面白そうっすね。するっス!」
橋爪はテンションが上がる。鬼道は、修司を指さす。
「コイツが、井伊さんとの試合でどのくらいもつか、当ててみろ。近い方が学食プリンだ。」
「あ?」
根津が反応する。修司は黙って様子を見ている。
「う~ん。」
橋爪は、上を見て考える。
「50秒。ッスかね。」
「50秒?おい舐めてんのか。橋爪。さっきまで仲ようしとってやってたやろ。」
根津が噛みつく。
「いやいや、悪気はないんス。でも・・・うちの主将はやっぱり強いんで・・・。」
申し訳なさそうに弁明をする橋爪。鬼道はニヤニヤしている。
「おいおい、外野がうるせーんだよ。俺らの遊びに口出すじゃねー。」
「おたくの先輩やられたからって、つっかかって来てんのはそっちやろ。」
根津は退かない。その言葉を聞いて鬼道は笑いだす。
「はははっ。負けたヤツのことなんかで俺が絡んでると思ってんのか、お前は?」
「・・・。」
鬼道の予想外の反応に困惑する根津。
「勘違いすんなって。俺はな、そいつがケガしないように優しく忠告してやろうと思ってるだけなんだ。」
鬼道は修司にズンと近づく。腰を曲げ、修司の目の高さに視線を合わせる。
「俺の予想は、10秒だ。ぶぁははは!」
鬼道の笑い声が控え室に響く。根津は、殴りかかる動きに入っている。
「うざ。」
ぽつりと柊がつぶやいだ。鬼道は振り返る。根津の動きも止まる。
「なんだ?お友達がいじめられてるのが見てられなくなったか?」
「ばっかじゃないの。そういうザ・小物みたいな寒い茶番見せられて引いてるだけ。うざいから余所でやってくんない?」
「ああ?」
「気に食わないなら、口でどうこう言ってないで、試合でどうにかしなさいよ。くだらな。」
そう吐き捨てるように言って、柊は控室を出て行った。柊と入れ違いに、召集の声掛けに係の大学生が入って来た。1組目の修司が出ていくときに、根津が声をかける。
「見したれ!」
根津は力強く拳を突きだした。修司は強く頷いた。鬼道が鋭くにらむ横で橋爪の口は「頑張って」と音を出さずに動いていた。
廊下をしばらく歩くと、大きな扉の前に審判と190cmは超えている大きな男が立っていた。男はがたいがよく、長髪を1つに結び、目を閉じて瞑想をしている。修司はこの男の姿を何度か見たことがある。【武人】の主将、闘神、三武天、様々な呼ばれ方があるこの井伊という男に修司は良い印象はなかった。
「しばらくお待ちください。」
修司が来たことに気付いた審判は、そう言って、前を向きなおす。沈黙の時間。修司は気まずさがあった。
きっとこの人も俺のことよく思ってないんだろうな。日下部から散々な言われ方で聞いているかもしれないし・・・。
初対面の人間に嫌われているであろうと考えると、どうにも気が重かった。
「日下部から、お前の話は聞いた。」
突然に低い声が修司の頭上から聞こえた。井伊は真っ直ぐ前を向きながら話している。緊張が走る。
「入部希望に来たお前まえと友人を門前払いにしたと。」
「・・・俺は、入部希望ではなかったけど、そんなとこです。」
罵倒されるのか、怒鳴られるのか、はたまた死刑でも宣告されるのか、修司は井伊の言葉を様々なパターンで想像していた。どれにしても、いい未来ではなかったが。
「日下部のことだ、無礼なことを言ったのだろう。」
「・・・そう言ってたのですか?」
「いいや、昨日の試合の様子を見れば、お前とアイツとの並々ならない関係が分かる。」
「見てたんですか!?」
「部員が撮ったビデオでな。だからアイツに聞いた。」
「勝者が正義で、俺らは負け犬だと言われました。」
「道理でお前に負けたことを異様に悔しがっていたわけだ。」
井伊の言葉は感情が読みづらい。静かに話しを続ける。
「アイツの歪んだ勝利への執念は、劣等感から生み出されている。そしてその劣等感は、俺が与えているようなものだ。」
「・・・。」
井伊は、体を修司へ向けた。咄嗟に修司も顔を向ける。
「部員の非礼、申し訳なかった。」
井伊は、頭を下げた。修司は、状況が呑み込めていない。
「い、いいんです。もう決着は着きました。」
「そうか、よかった。」
井伊は、体を前に向き直し。また瞑想を始めた。修司は依然として混乱している。憎き日下部の部活の主将、悪魔のような性格だと思っていた。それがこうも律儀で誠実な男だとは。
「それでは、入場します。」
審判の言葉で、修司ははっとする。ドアが開くと、突風が吹いたのかと思うほどの歓声が肌にぶつかる。審判と井伊が歩き出す。修司は少し遅れた。会場に入ると1万人が収容できる闘技会場の席に空席を見つけられないほどの観客がいた。横断幕や旗、電光掲示板には、対戦カードが大きく映されている。修司はこの一週間の夢見心地から覚め、ようやく自分がこれから戦うのだという実感が湧いてきた。相手は、強い。やっと今になってそれを感じる。どれほど先ほどまでの自分が気が抜けていたかよく分かる。井伊は、修司を格下などと侮らず、全力で来るに違いない。それは、「修司だから」、「後輩を破った男だから」ではなく、全ての相手にそうするのであろうと分かる。小春日和。晴天の中、会場には実況の声が響く。よく分からないが、井伊のこれまでの戦績を言っているようだ。それに自分のことも何か言っている。
「―――対する、1年生【玄刀】の治世修司選手。黒色のユニークエナをもち、様々な武器種を扱う器用な選手です。彼はこれまで―――」
玄刀。闘技大会で本戦に勝ち進んだ選手には、新聞部が二つ名をつける。井伊の【闘神】もそれだ。修司は自分に【玄刀】という二つ名を与えられたことを今思い出した。 未だそう呼ばれてもしっくりは来ていない。
「それでは、コンバートしてください。」
実況を聞いているうちに審判のルール説明が終わっていた。
「[ハイパーシーン]。」
修司は、ハンマーをコンバートした。相手は大剣を使うということは覚えていたので、まずは、守りに徹して様子を見る作戦だ。前回の日下部との対戦で、刀での戦闘は手の内がばれていると思ったからだ。瞬時にそこまでは、判断できた。修司は自分のできる限界までエナを圧縮し、最高硬度のハンマーに仕上げた。
「[大獄]。」
井伊の手には2m30cmの大剣が表れる。まるで鉄の塊をただ叩いただけのような無骨な風貌だ。井伊のコンバートが終わると一気に会場は盛り上がる。電光掲示板には、コンバートの終了時間がカウントダウンされる。それはつまり、試合開始のカウントダウンでもある。3、2、1・・・。
「始め!」
井伊は、早歩き程度の速度で近づいてくる。その圧力で修司は押しつぶされそうだった。
な、なんていう気迫なんだよ・・・落ち着け、まずは、確実に守る、そして、隙を見つけて反撃。それで大丈夫だ。
井伊の間合いに入った瞬間に、鉄の塊が振られる。修司はハンマーで身を守った。はずだった。
修司の足元には、ハンマーの上部が落ちている。それに目をやった瞬間。頭上から何かが迫っていることに気付いたが、手が動かない。見上げた快晴の空の青が美しかった。修司の意識はそこで消えた。