茜色の筋雲
9月の初頭にしては、過ごしやすい朝だった。先日の台風の風が爽やかなそよ風を残し、気持ちが良かった。夏休みの間も咲いていたホオズキも、すっかり飛ばされていた。始業式が終わる頃には、地面の湿り気もなくなっていた。
食堂では、4人組が昼食を取っていた。あちらこちらの話し声が、反響し合っているかのような中、この4人もまた、楽しげに話す。
「―――んでよ、結局、あのメガネ、今週中に提出しろってよ。せめて来週までくらいにしろって。」
「いやいや、そもそも宿題忘れてる自分が悪いやん。」
「そうそう、むしろ桐山先生は優しい方だよ。1組なんて、この後残されるらしいし。」
根津と一色は淡々としゃべって、唐揚げとカレーを口に運ぶ。
「はあ~・・・なんか、冷たくないか?久しぶりにあった友人に対して。」
迫間は眉をひそめながら、同意を求めて修司の顔を見る。
「まあ、がんばろうな。俺も覚えてる分を教えるし。」
「あ、ダメだよ、修司!そうやって紅仁を甘やかしちゃ。」
「うるさい、一色。友達思いの治世君にやいやい言うな!」
「でもなあ、休み中も散々宿題の答え聞いてきたクセに、忘れてるってどういうこっちゃねん。」
「だから~、たまたま日本史のだけ机に仕舞ったままだっただけだろ~。」
迫間は熱が入ったのか、少し腰を浮かす。
「それがアカンねん!宿題机に仕舞うなや!」
「そんなの俺の勝手だろ。」
「でも、その勝手で僕たちに助けっていってるんでしょ?」
「そ、それは、その、まあそうだけど・・・。」
迫間は静かに腰を下ろした。まだモゴモゴと何かを言っている。その時、久しぶりに聞く声がした。
「ふふ、相変わらず楽しそうね!」
「おー!真夏ちゃん!」
いきなり身を乗り出す迫間に、笑顔の南野も驚きを隠しきれず、一瞬目が大きく開いた。
「ねえねえ、南野さんからも言ってあげてよ、自分で宿題やれって。」
「え?宿題忘れちゃったの?」
「あ、いや、その、これには深いわけがありまして・・・決してやらなかったという・・・。」
迫間はまた大人しくなった。
「で、どうした?」
「あ、そうそう。修司にお願いがあってきたの。」
「何?」
「10月に、闘技大会ってのがあるでしょ?」
一瞬にして、周りの意識が南野に集中した。その空気を察してか、少し言いよどむ南野。修司が続きを促す。
「あるけど、それが?」
「・・・それに出場する1年生のことをできるだけ教えてほしいの、新聞部で記事書くからさ。」
南野がそう言い終わると、先ほどまでの空気が緩んだ気がした。南野は身を屈め、小さな声で修司聞く。
「私、変なこと言った?」
「いや、何も。ただ―――」
「ただ、参加者の中には、ピリピリしてる奴もおるから、聞き耳立ててたのがいたんや。」
根津が、割って入る。
「まあ、1年生は合宿の借りを返したいなんて思っている人もいるだろうしね。」
「当然、あの時目立ってた鬼道や柊に対してだけど、俺らも少なからず、誰かのリベンジ対象になっているだろうしな。」
迫間が眉間にしわを寄せて辺りを見る。南野は気付くとメモを取っていた。
「じゃあ、みんなも闘技大会には出るの?」
「ああ、もちろん。」
「そうだな。」
「おー!じゃあじゃあ、ぜひ何かネタになるようなことあったら、私に教えて!」
「おう、そりゃもちろん!」
「わー!ありがと!さすが修司の友達!」
南野は目をキラキラさせる。
「いいってことよ、とりあえず、俺と連絡先を―――」
南野の携帯からメッセージの通知音が鳴る。携帯の画面を見ると、南野は目を丸くした。
「っじゃあ、修司、話をまとめといてね!あとで連絡して!私、すぐ行かなきゃ!新聞部の会議あったみたい!」
「っちょ!俺はまだ―――」
南野は修司の話を聞かずに走って行ってしまった。迫間はポケットから取り出しかけた携帯をそっとしまった。
午後には、4人は学園内の施設のカラオケに行った。たまには高校生らしく遊ぼうと迫間が言い出したからだ。一色は、迫間に先に宿題を終わらせるように言ったが、迫間が強引にカラオケに行くことを決めた。修司は、初めて学園のカラオケに来たが、思ったよりも普通のカラオケで少し驚いた。ドリンクバーから各々がに飲み物を運んでくるとカラオケが始まった。
迫間は、Jポップだったり、若手のロックバンドだったりと、最近流行したような歌をよく歌っていた。大体どの歌にワンコーラス分くらいは英語の歌詞が入っていて、その部分はなあなあに歌っていた。根津は、少し前の有名な歌を歌うと後は、聞いたことあるような、ないような洋楽を歌った。高音もしっかり歌えているといった感じだ。俺は、まあ、普通に好きなバンドの歌を何曲か歌ったが・・・。問題はこの次だ。
「―――い~~~~~るぅ~~。」
個室には、わずかな間、静寂が生まれ、すぐにカラオケの画面に若手アーティストの新アルバムのCMが流れ始める。一色は、ニコニコしながら、リモコンの画面を操作している。一色は、ふと顔を上げ、固まった3人を見て、赤面して言う。
「あ、このグループ知らない?CMとかでも結構聞くような人たちだけど・・・あ、それとも女の人たちの歌を歌うの変だった?」
一色には誰に聞いてるでもなく、言い訳をしているような雰囲気だったが、迫間が慌てて答えた。
「あ、いや知ってた知ってた!・・・あ~、あれだ、ほら、女の声って男が歌うとほら、よく分かんだろ。」
迫間、お前の言っていることがよく分からなくなっているぞ。・・・でも、お前の気持ちは分かる。うん。
「やっぱり、一曲歌うと盛り上がってくるね!僕飲み物持ってくる!」
一色は、空いたグラスを持って、部屋を出た。そのまた静寂に満ちたが、迫間が口を開く。
「おい、根津、治世。」
迫間の声は神妙な空気を醸し出す。
「アイツ・・・やばいよな。」
「・・・ああ、バケモンや。」
根津も重々しい口調で言う。修司も口を開く。
「だけど、きっと一色本人は―――」
「みなまで言うな、治世!」
迫間は語気を強める。落ち着かせるように、迫間の肩に手を置く根津。
「落ち着け・・・でもこれは、事実なんや・・・。」
「だけど、だけどアイツ・・・アイツ・・・きっと自分じゃ気付いてないんだぞ!」
なんか茶番じみてきたぞ。
「そうや・・・そんな事実とは裏腹な一色君の笑顔を見てみ。なんも言えんやろ。」
「くっそ!俺らはなんて無力なんだ!」
扉が開いて、コーラのなみなみと入ったグラスを持った一色が入ってくる。
「あれ?誰も入れてなかったの?じゃあ・・・。」
一色は、グラスを置いて、手早くリモコンを打つ。迫間が目配せしてくる。口元が「始まるぞ。」と言っていた。そして、イントロが流れ出す、軽快なリズムに合わせて、一色が揺れる。息を飲んで固まる3人。
一色の歌声は、女性ボーカルの声を無理に出そうとしているせいか、正確なメロディを一切歌えず、音は外し、テンポは速く、とても聞けたものではなかった。それに頑張って歌うものだから、声だけ無駄に大きくて、3人の耳はキンキンしていた。最初に画面に曲名と歌手の名前が出てくるから、有名な歌だと分かるものの、歌だけを聞くと、全くの別物なっていた。そんな絶望的な状況に輪をかけて、一色は生き生きと、ノリノリで・・・誰も彼を止めることはできなかった。その後、一色の歌の番になると、誰かしらはトイレに行ったり、急いで飲み物を飲み干してドリンクバーに向かったりしていた。幸か不幸か、一色はそのような3人の変化には気付かず、絶好調で歌い続けていた。
そして、長いカラオケが終わり、4人は自販機で買ったジュースを飲みながら、寮への帰路にいた。空は茜色に染められた筋雲が西から東に伸びていた。急に修司が立ち止まる。それにいち早く気付いたのは一色だった。
「どうしたの?修司。」
迫間と根津は不安そうな顔で修司を見る。
「今日みたいな日って、これから何回あるんだろうな。」
「ん?どうした?」
迫間は慌てるが、修司は落ち着いている。
「今日みたいに、4人とも部活も訓練も補習もなくて、一緒に騒げるのって、あと何回あるんだろうなって。」
「あ~、そんなの、やろうと思えばいつでもできるだろ?」
「いや、でも実際1学期の終わり頃なんて、俺と根津は放課後も予定あるのがほとんどだったし、これからは、闘技大会もあるし・・・なんか、今日みたいにお前らといられるのって・・・すごく貴重な時間だと思うんだ。」
「なんだ~、治世。夏休みに会えなくて寂しかったのか?」
「茶化すなや。」
根津は、迫間の肩をパシリと叩く。根津と迫間はうれしそうな顔をしている。
「うん、僕も今日すごく楽しかった!闘技体大会が終わったら、無理やりにでも予定空けてみんなで遊ぼうよ!」
「ああ、そうだな。」
「まあ、でも次はカラオケはなしやろな。」
「え?なんで~?カラオケも楽しかったじゃん?」
「ほ、ほら、まだ、ボウリングとかもあるし、な?」
迫間は急いで修司に振る。
「そうだな、またその時に考えようか。」
「まあ、いいけどさ~。」
ワイワイと話しながら迫間は突然大きな声を出す。
「よっし!」
「なんや、今度は迫間君。」
「夏休み前の約束は覚えてるよな?」
「うん。」
「もちろんや。」
「4人の中で誰が一番強いか、だよな。」
「ああ、一番いいのは四人で総当たりだが、さっきも修司が言ってたように、そんなに時間は取れるかわかんねー。だから、闘技大会でのどこまで進めるかで、決めるってのはどうだ?」
「まあ、普通にアリやな。」
「闘技大会までもっと鍛えられるしね。」
「ああ。もちろん、闘技大会までに直接戦ってもけど、それは、正式な結果じゃないってことで。」
「いいと思う。でも、闘技大会では、同率もあるよな。予選敗退みたいな。」
「可能性はあるけど、全員が同じとこで負けることはないだろ。」
「そうなったら、そうなったで、改めて、戦えばええしな。」
「そうか、じゃあ。決まりだな。」
「おう、負けたヤツは、1位におごりも忘れんなよ!」
「そんなこと言ってたような。」
「ま、とりあえず、あと1か月。それが楽しみだな。」
4人は力強い眼差しで見つめ合う。互いの高揚が伝わり合っているような感覚があった。