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第20話 道化師

「ふふふっ」


 不気味な笑い声と共に暗闇から一人の男が姿を現す。暗紫色の燕尾服に襟元から覗く青と黄色のシャツ――頭にはハット帽を被り、顔には白い仮面をつけた長身痩型の男。その顔を覆う真っ白な仮面と派手な色のシャツは、暗闇の中に映え、不気味さを醸し出す。まるで道化のなり損ないのような姿形。


「あ、あんたは……!?」


 エレナは護身用の短剣に手をかける。本能的な恐怖が彼女を襲った。

 

「ふふふっ。私は『道化師ナル』。子供を愛し、子供を楽しませるために生きる演者エンターテイナーでございます!」


 道化師は片手を胸へと当て、深々と頭を垂れる。それは今まさにショーでも始めようとしているかのようだった。


「……あの子は、これをつけていた子供はどうしたの!!」


 エレナはぎゅっと握りしめていたペンダントを男に見せた。

 

「ふふふっ。あの小さくて清らかな少女は、最高のステージにご招待させていただきました」

「……連れ去ったの?」

「うーむ……」

「連れ去ったのかって聞いてんだよッ!!!」


 エレナは道化師の戯言に業を煮やし、短剣を執って、斬りかかる。


「はあ……これだから、成長した人間は苦手ですね」


 刹那、男の指先から三十センチにもなる鋭い爪が延び、エレナの攻撃を防いだ。質感からして、かなり高純度な合金だ。


「あの子はとてもいい子でしたよ。それなのに、貴方は……」


 道化師は爪を立てるようにして、エレナに襲いかかる。エレナの短剣はその爪ほどの長さしかない。相手のやいばは十本。圧倒的に不利だ。


「ッ!!」


 爪がエレナの肩を抉る。その白い肌に三本の赤い線が刻まれる。エレナは激痛に悶える。しかし、声を振り絞る。


「あの子を……どこへやった!」

「ふふふっ。穢らわしい大人にんげんのいない、崇高なる場所です」

「それは……どこだ!」

「それは言いかねます。貴方は穢らわしい……近づかれては困ります」


 エレナの目が丸くなる。ぷつっと何かが切れる音。


「ブルージュを返せ!!!!」


 喉が裂けんばかりの怒号と共に、短剣を握る手が擦り切れる。迷いのない一撃が、空気を切り裂き、その喉元へと放たれる。

 しかし、その切っ先が届くより早く、鋼の爪が短剣を弾き飛ばす。短剣は宙を舞い、地面へと突き刺さった。心からの叫びも、ただの空虚な遠吠えと化した。実力差は歴然だった。


「くッ……!」


 爪がエレナの腹を撫でる。服は紙のように裂け、爪は容赦なくエレナの身体を切り裂く。エレナはそのまま地に屈した。

 血と涙が滴り、地面で交じる。妹に怖い思いをさせながら、何もできない無力な自分への憤る。嗚咽おえつが喉の奥から漏れる。


 エレナは道化師を睨みつける。憤りと悲嘆で歪んだ双眸。


「穢れはショーには要りません。どうぞ、死んでくださいませ!!」


 鋭い爪が今度はエレナの額を目掛けて勢い良く振り下ろされた。

 その時――


 眼前に迫った血塗られた爪を何かが跳ね除けた。暗闇でも輝くほどに鋭く磨かれた深紅の剣身。


「間に合った……」


 男が一人立っていた。焦茶色の髪に、闘志に燃える赤い双眸。


「ブレイド……」


 手にはエレナが彼に与えた深紅の長剣が、しっかりと握られている。


「くっ……! また、穢れた人間が……!」

 

 道化師は突然の攻撃に動揺し、一歩後退する。


「お前が彼女の妹に何かしたのか?」

「ほほう。あの子は妹でしたか……やはり最高のステージに連れて行ったのは正解でした」

「おい、話を聞け!」

「ふむふむ。逃げるか、戦うか。しかし、逃げればこの者たちは付いてきてしまうでしょう。ならば残された選択肢は一つ」


 男の爪が、ブレイドへと襲い来る。しかし、ブレイドは動じる素振りも見せず、ただ静かに攻撃を受け、男を見つめる。


「中々しぶといですねっ!」


 痺れを切らした男は一旦引いてから、再び攻撃を繰り出す。先ほどよりも手を大きく振りかざす――会心の攻撃だ。しかし――

 

 ブレイドは相手の下へと潜り、その大きく振りかざした道化師の手を見据えた。


「何とっ!?」


 すかさず、下から上へと勢い良く放たれた斬撃は見事に道化師の指先と刃の間を貫いた。そして、そのまま男の意識が右手に向いている間に、もう一方の手の刃も切り落とした。指先に取り付けられた刃が甲高い金属音を立てて地に落ちる。

 

 ブレイドは相手が動揺した隙をつき、その首元に剣先を突きつける。


「おい。連れていった、と言ったな? もう一度聞く、あの子の妹をどこへやった?」 

「ふっふっふっ。カッコいいですねえ。ヒーローごっこはさぞ、楽しいことでしょう。ですが、これで終わりだとでも? 私のショーはこれからですよ!!」

 

 道化師の手に何かの気配を感じた。何かが、来る。エレナはそう直感的に思い、咄嗟に叫んだ。


「ブレイド!! 離れて!」

「……ッ!!」


 エレナの言葉に反応して、ブレイドが地面を蹴り退いた刹那――

 道化師の手から無数の糸が突出し、ブレイド目掛けて襲い掛かった。

 ブレイドはさらに回避を図るが、糸の一本がその腕に絡まり、そのまま物凄い勢いで引っ張られ、倒される。


「ブレイド!!」

「くそッ、何だ!?」

「ふふっ! これこそが、これこそが私の力、無垢なる子供と繋がり、穢れを断ち切る、聖なる糸!」


 ブレイドはすかさず、足に絡まった糸を切断し、体勢を立て直す。

 切断された糸がエレナの前へと、ふわりと落ちる。

 エレナは血に塗れた手で糸に触れる。

 蜘蛛の糸のように細く、麻紐のように頑丈な糸――普通の糸じゃない。いや、それ以前に糸はまるで男の意思が宿っているかのように動いている。普通の糸であるはずがない。

 何かの魔法――しかし、道化師から魔力は一切感じ取れない。エレナは情報局研究部で魔力の伝導率を高める武器の研究・開発に携わる過程で、魔力に対する鋭い感知能力を養ってきた。だが、そんな彼女でも、道化師から一切の魔力を感じ取ることができない。

 気味の悪い手品か、あるいは――


「エーテル……」


 頭をかすめた仮説が、ふいに口から漏れた。

 しかし、そうしている間にも、ブレイドは道化師からの執拗な攻撃に襲われる。糸を斬り、回避し、何とか耐えているような状態だ。

 

 ブレイドは炎魔法を使っていない。おそらく、すぐ近くにエレナがいるから、巻き込むのを恐れて使わないのだ。この距離なら、巻き込まれることはないとは思うが、扱ったことのない"魔力伝導率が良い"武器を使っているから、加減が分からないのかもしれない。


「ふふふっ。いつまで乗り切れるかな!」

 

 だが、もし道化師の用いている技がエーテルだとしたら――

 ブレイドはエーテルを持つ者と戦ったことがあると言っていたが、それも一度だけ。今回の相手がその時よりも強い可能性は十分にある。炎魔法を使っても勝てるか分からない。それなのに、炎魔法すら使わないなど、絶望的だ。


「くそッ!」


 道化師の仮面に彫られた釣り上がった口の穴からも、糸が繰り出される。

 剣を握るブレイドの腕に糸が絡みつく。


「ブレイド……!!」


 ブレイドは腕から糸を解こうとするが、その隙に糸が全身に纏わりつき、身動きを封じられてしまった。


「くそッ……! 体が動かない……」

 

 道化師は不気味な笑い声を上げながら、ブレイドへと近づいていく。喜悦に満ちた表情が仮面の下にあることは容易に想像される。


「ふふふっ。ヒーローごっこはもう終わりですかな」


 エレナは立ち上がる。勿論、そんな余力はもう残っていない。動かすたびに体が痙攣するように震える。


◆◆◆


「くそッ!」


 男の糸にまんまと絡め取られてしまった。全身がギチギチに固定され、身体に力を入れることができず、魔法を発動することもできない。

 男の周りと体から伸びる糸には白いもや。魔力も感じない。そうなると、もう答えは一つしかない。


「やめろッ!」


 震える声が聞こえた。見ると、血を流し、伏せていたエレナが立ち上がろうとしていた。


「……エレナ! ダメだ、動くな!」

「このままじゃあ……あんたまでやられちゃう!」


 エレナはふらつきながら、そのまま地面に落ちていた短剣を拾い、男へと斬りかかろうとする。

 

「まったく……そういう諦めが悪いところですよ。穢らわしい」

「ぐッ!!」


 男の糸がエレナを打ち、エレナの体は抗うこともできず、そのまま数メートル先まで吹き飛ばされた。

 しかし、男の注意がエレナに向いたその一瞬、俺を縛り付けていた糸が微かに緩んだ。

 

 これなら……!

 剣を握る手に力を込め、意識を集中させる。

 〈帯炎イグナイト〉――頭の中で魔法名を唱え、魔力を腕から剣先へと送り込む。


「〈爆火の斬撃(ディナ グランバー)〉!!」

「何ッ……!?」


 

 刹那、剣先から強烈な爆風が放たれる。剣や腕に纏わりついていた糸が一瞬の内に塵と化した。

 そのまま剣を払い、全身に絡み付いていた糸を全て焼き切る。


「くそっ……何が! どういうことです!?」


 男は焦って藪から棒に糸を放ってくるが、烈火を帯びた剣を振りかざすだけで、糸は高温に耐えきれず、べトリと地に落ちていく。


「そ、そんな……魔法は効かないって……」

「好き放題やりやがって。ここからは全力でいくからな」

「……ッ!!」


 男は焦るように手から糸を出すが、意味をなさない。真っ白な仮面に開けられた穴から見える、男の双眸が激しく揺れる。


「連れ去った女の子の居場所を教えるなら、命は助けてやる」

「そ、そんなッ!! ふざ、ふざけるなあああ!!」


 男は咆哮にも似た叫び声を上げ、両手の指先を合わせる。湧き立つように出る糸が撚られ、太い綱のようになる。


「ふふふっ、ははははッ……! 正義ごっこはここまでです! いつもそうだ! お前たちは私を悪者にして、自分がヒーローになって、子供たちをたぶらかす!! ふはっ、でも、これで終わりだ!!」


 男は生成した太糸を手に持ち、長鞭のように振り回す。凄まじい風切り音と共に、白い大蛇の如き糸の塊が鼻先をかすめる。

 地面を転がって間一髪で回避。直後、壁に激突し、粉塵が舞う。壁が裂けた――当たったら、一溜まりもない。

 リーチはおそらく六メートルほど。だが、これ以上好き放題させてたまるものか。再び剣先に魔力を送る。

 

「〈火竜の吐息ディオラ グラジア〉!!」


 魔法名とともに一気に魔力を解放。

 灼熱の炎の奔流が空気を巻き込みながら、男へ向け、一直線に放たれる。赤と橙が混ざり合い、光が視界を灼く。

 

 ――爆ぜた。


「ぐはっ!!」


 爆風で男は袋小路の最奥まで飛ばされ、壁に激突し沈黙した。熱波に焼かれ、服はボロボロに焼け焦げ、体からは煙が上がる。


「あ……っ、が……ぁ……!」


 まだ息はあるようだ。本当にしぶとい。だが、もう再起はできないだろう。


「エレナ!!」


 踵を返してエレナの方へと駆け寄る。肩と腹に切り傷。全身に打撲痕。


「……ブレイド」

「ああ。あんまり動くな。傷は深い」

 

「ブレイド!!」


 澄んだ声が俺の名を叫んだ。見ると、ヴェルが路地の入口の方に立っていた。


「ああ……ヴェルか」

「ああ、じゃないでしょ! 危なくなったら、逃げてって言ったのに……」


 厳しい口調とは裏腹に、その瞳は揺れ動き、ぎゅっと引き結ばれた口元は微かに震えている。心配をかけてしまった。 


「ああ。ごめん」

「……でも、エレナを助けてくれてありがとう」


 ヴェルはしゃがんで、傷ついた友の手をそっと握る。

 

「……相手はエーテルを持ってる」

「……また白いもやが?」

「そうだ。それに奴からは魔力を感じなかった……もう確実だ」

「……分かった。ブレイドはエレナをみてあげて」

 

 俺が倒れている男の方に目を遣ると、ヴェルは静かに男の元へと歩みを進めた。

 意識朦朧としたエレナが、俺の頬へとそっと手を伸ばす。白く美しい肌は血塗られ、傷だらけだ。


「……ありがと」

「ああ。……でも、今は喋らない方がいい」


 エレナはこくっと頷いて、そっと目を閉じた。

  

 エーテル――得体のしれない力の脅威を再び身近に感じ、戦いが終わってもなお、胸のざわつきが静まらなかった。

エレナを間一髪で守ったブレイド。しかし、道化は謎の力を使い、ブレイドを追い詰めていく。


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