第90話 彼女の読者 第1話 読者たち
1. 拓
拓は、スマホに届いたリンクを何気なく開いた。送り主は、昔の同僚だった。
そこには、自分の裏アカウントのID「stocking_night_0612」が、正確に書かれていた。しかも、初めて投稿した日付まで。
(これは……ありえない。俺のアカウントを知っているのは、純だけのはず。でも、純が書いたとしても、初回投稿日なんて知らないはず。あのアカウントは、純に知られるずっと前からあった)
さらに読み進めると、瞳との関係、ホテルで過ごした日のこと、そして――あのドタキャンされた日のことが書かれていた。
(「二階から見下ろす男の視線」……康介のことか? でも、こんな細かい描写、誰が? 康介本人しか知らないはずだ)
拓はスマホを握りしめた。指の関節が白くなっていた。
隣の部屋から、瞳の気配がする。今はまだ、このことを伝えるべきかどうか、わからなかった。
2. 瞳
瞳は、その投稿を読んでいた。自分の心の内が、赤裸々に綴られている。
・康介のLINEをチラ見した時の嫉妬
・拓の裏アカウントへの疑念
・純に対する嫉妬
・そして、そのすべてを誰にも言えずに抱えていたこと
(私の気持ちを、なぜこんなに正確に書けるの? 私しか知らないはずなのに)
思い当たる節はなかった。あの時つけていた日記は、もうとっくに処分した。クラウドにも上げていない。それなのに、この投稿は、まるで自分の心の奥底まで覗いているようだった。
それ以上に、彼女が恐れたのは――光莉のことだった。
(もし光莉がこれを読んだら……自分の母親が、こんなことをしていたと知ったら)
拓にどう思われるかも怖かった。でも、それ以上に、娘の目が怖かった。
3. 康介
康介は、その投稿を読んで、全身の血の気が引くのを感じた。
書店の二階から拓を見下ろしたあの日。瞳が弁護士事務所のビルに入っていくのを見たあの瞬間。そして、自分が心の中だけで抱えていた疑念――「瞳は離婚を考えているのかもしれない」――が、そのまま書かれていた。
(誰にも言っていない。あの時、瞳に見られたかもしれないという不安はあったが、ここまで詳細に書けるはずがない)
離婚してから何年も経つ。それなのに、この投稿は、あの頃の自分の心情を、まるで透視したように描いている。
(果たして、誰が?)
康介は、スマホを置いた。手が震えていた。
4. 純
純は、その投稿を読んで、呼吸ができなくなった。
自分が5年間、拓のアカウントを「観察」し続けていたこと。そして、その「観察」が、いつか物語になることを願っていたこと。
そこには、自分が見ていたこと、感じていたこと、考えていたことが、歪んだ形で書かれていた。事実ではある。でも、その事実が悪意を持って編集されていた。
(私のせいだ)
(私が『彼女の計画』を書かなければ、こんなことにはならなかったかもしれない)
でも、後悔はしていなかった。書かずにいられなかったから書いた。それだけだ。
(でも――)
(このまま、何も言わないでいるのは、違う気がする)
5. E
Eは、その投稿を読んで、固まった。
非常階段で、ぼんやりと見えたこと。抱き合う二人とそれを見る一人の観察者。そして、匿名のメモを置いたこと――その時の心理が、細かく描写されていた。
(あの時、私が何を考えてメモを置いたのか、誰も知らないはずなのに)
Eは、あの日以来、このことを話していない。同僚にも、友達にも、家族にも。数年後に転職し、今は別の場所で普通に暮らしている。それなのに、この投稿は、まるで彼女の心を透視しているかのようだった。
(もし、あの時、メモを置かなかったら……)
でも、もう戻れない。
6. 光莉
光莉は、その投稿を、自宅の端末で読んでいた。
(これは……私がAIレポートで調べた、あの出来事だ。でも、あのレポートとは違う。これは――誰かを傷つけるために書かれている)
彼女はすぐに、かつて使っていた分析AI(の簡易版)に問いかけた。
「この投稿の作者を解析できる?」
AIの答えは、冷たかった。
「解析開始。……該当アカウントは投稿後1時間で削除されています。IPアドレスは複数のプロキシを経由しており、特定不能。文体分析の結果、単一の作者によるものではなく、複数の情報を誰かがまとめた可能性があります。確度78.3%」
「複数……?」
光莉は、画面を閉じた。
次の瞬間、机の上の端末を強く押さえつけていた。
指先に力が入りすぎていることに、自分で気づけなかった。
「はい。ただし、この投稿は『作品』ではありません。特定の個人を攻撃する意図が明確です。確度91.4%」
光莉は、背筋が冷たくなるのを感じた。
(誰かが、私たちの内側を覗き込んでいる。そして――それを武器にしている)
彼女は、父・拓と母・瞳の顔を思い浮かべた。二人は今も、穏やかに暮らしている。この投稿が、その穏やかさを壊さなければいいが――




