第104話 彼女の傍観者 ―拓の窓― 第2話 カフェの0.5秒
あるいは、ずっと見られていた男の告白
0.5秒
純に裏アカウントのIDを見せたあの日。
俺はスマホをしまおうとして、彼女の目が一瞬、画面の隅に止まるのを見た。
0.5秒。いや、もっと短い。0でも、確かにそこに視線が落ちた。画面に映る小さな文字列。裏アカウントのID。誰にも知られるはずのない、あのID。彼女は無表情のまま、何事もなかったかのように顔を上げた。
その時、心臓が止まるかと思った。見られた?いや、そんな一瞬で覚えられるはずがない。画面はすぐにしまった。目の錯覚だ。気のせいだ。そう言い聞かせた。
でも、もし覚えていたら?その可能性が頭から離れなかった。
俺はその場を取り繕い、何事もなかったように振る舞った。笑った。適当に話をそらした。純も普通に応じた。それで終わった。何も起きなかった。あの日は、ただの何でもない一日として終わった。
でも、家に帰ってから、何度もあの0.5秒を反芻した。電車の中で。ベッドの中で。コーヒーを飲みながら。シャワーを浴びながら。目を閉じるたびに、彼女の視線が画面の隅に落ちる瞬間が蘇った。あの一瞬の、ほんのわずかな動き。気のせいだったのか、本当に見たのか。何度も映像を再生した。でも、どちらとも決められなかった。
今ならわかる。
あの0.5秒。彼女は確かにIDを見ていた。俺の裏アカウントを特定した。そしてその後、5年間も俺のアカウントを見続けた。ただ見ていた。観察していた。それが彼女のやり方だった。
俺は、あの瞬間から「見られる側」になったのだ。それまでは見られることが当たり前で、意識すらしていなかった。でも、あの日から、見られることを意識するようになった。自分の発信する全てに、誰かが見ているという想像がつきまとうようになった。それまでの無意識の行動が、急に意識的なものに変わった。
あの0.5秒。思い出すたび、今でも胸のどこかがざわつく。それは後悔でも、恐怖でもない。もっと別の、名前をつけられない感覚。見られることの重さを、初めて自分のものとして感じた瞬間だった。




