第102話 彼女の傍観者 ―拓の窓― プロローグ
あるいは、ずっと見られていた男の告白
プロローグ:窓際の席
あのカフェの窓際に、俺は座っていた。
窓の外は、いつもより少しだけ曇っていた。店内のジャズが低く流れ、コーヒー豆の香りが空気に溶けている。向かいに純がいる。彼女はコーヒーカップを両手で包み、こちらを見ている。
いや、見ているというより、観察している。
その目は、いつもそうだった。まるで、見えないものが見えているかのように。俺の奥にある何かを、じっと探るように。彼女の視線は優しいのに、どこか距離があった。その距離が、ずっと気になっていた。
「拓さんって、面白いですよね」
彼女はよくそう言った。面白い――その言葉の意味を、俺は長い間考えなかった。ただの後輩の、ただの言葉だと思っていた。
でも、何度も繰り返されるその言葉の端々に、いつからか引っかかるものを覚えた。面白い、と彼女は言う。でも、それは「楽しい」ではない。「好き」でもない。もっと別の、説明の難しい何かだった。彼女はいつも、その「何か」を探すように、俺を見ていた。
でも、今ならわかる。
あの時からずっと、彼女は俺を見ていた。俺の中の何かを見ていた。そして俺は、見られていることにも気づかずに、ただそこに座っていた。コーヒーを飲み、適当に相槌を打ち、適当に笑っていた。
あの日、純に言われた「面白いですよね」という言葉が、ずっと胸の奥で燻っていた。なぜ彼女がそう言ったのか、なぜあの目で俺を見ていたのか。ようやく、自分の言葉で見返す時が来た。
これが、その記録だ。
誰にも言わなかったこと。誰にも書けなかったこと。そして、ようやく書くことにしたこと――見られる側にしかいなかった男が、初めて「見る」側に立つための、小さな覚悟の記録を。




