第100話 彼女の継承者 ―光莉の選択― 第7話 光莉の選択 ― 感謝を形に ―
すべての人に会い終えて、光莉は自分の部屋に戻った。
十年の旅の末に、もう一度、彼らに会いに行った。
父の穏やかな背中、母の優しくなった視線、康介さんの静かな庭、純さんの鋭くも温かい目、沙織さんの線を引く手、Eさんの孫と遊ぶ笑顔……。
十年の旅の中で初めて会ったときとは、心の置きどころが違っていた。あの頃は「知りたい」という気持ちが強かった。今はただ、感謝を伝えたかった。
光莉は机の上に、これまで書いてきたノートと、彼らに宛てて書いた手紙やメールの控えを広げた。
父への手紙。
母へのメモ。
康介さんへのメール。
純さんへの短いエッセイ。
沙織さんへの手紙。
Eさんへの素朴な感謝の言葉。
どれも、特別なものではなかった。
ただ、感じたままを、素直に書いたものばかりだった。
十年の旅で得た想いを、ようやく言葉にできた気がした。
(みんなに、会えてよかった)
(前とは違う気持ちで、ちゃんと感謝を伝えられてよかった)
光莉はゆっくりと息を吐いた。
ただ、自分が感じたことを、見たままの違和感を、そのまま残しておきたいと思った。
誰かに読んでもらうためではなく、出会った人たちへの、ほんの小さな感謝の気持ちを形にしてみたかった。
彼女は古いノートパソコンを開き、これまで書いてきた原稿をもう一度読み返した。
そして、ゆっくりと新しいファイルを作った。
タイトルは、シンプルに。
『彼女の継承者 ―私が見た家族の物語―』
光莉はキーボードを打ち始めた。
指先が、わずかに熱を持っているような気がした。
一文字一文字、丁寧に打ち込んでいく。
特別な本にするつもりはなかった。
印刷屋に頼まず、自分でプリントして、ホチキスで留めただけの、とても素朴な冊子でいいと思った。
それが、ようやくできた。
光莉は完成した冊子を手に取り、そっと表紙を撫でた。
沙織さんに描いてもらった似顔絵をコピーして貼った表紙は、少し歪んでいたけど、それがちょうどよかった。
(これを、みんなに手渡せたらいいな……)
窓の外では、夜の光が静かに揺れていた。
父がいる。母がいる。康介さんがいる。純さんがいる。沙織さんがいる。Eさんがいる。
そして、この冊子をいつか手に取るかもしれない誰かがいる。
光莉は小さく微笑んだ。
指先の熱は、まだ少し残っていた。
それは、十年の旅の終わりと、新しい何かの始まりを、静かに告げているようだった。




