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01 真田幸村

 露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速なにわのことも 夢のまた夢

 ――豊臣秀吉




 轟。

 城が、燃えていた。

 この国の戦国史上、最大、最強の城が燃えていた。

 その城の名を、大坂城。

 築城者は――豊臣秀吉といった。

 


 慶長十九年。

 徳川家と豊臣家は決裂し、合戦に及ぶに至った。

 いわゆる大坂の陣である。

 徳川家が麾下の全国の大名に出陣を命じるに比して、豊臣家は牢人を多くつのって対抗した。

 その牢人の中に。

「われこそは真田左衛門佐信繁さなださえもんのすけのぶしげ! 徳川家康、いざ、いざ尋常に! 勝負!」

 後世に「真田幸村」として知られる四十九歳の武将がいた。

 彼は、豊臣秀吉から豊臣姓を賜り、秀吉の馬廻衆の一員として名を連ねていた。

 そして──その馬廻衆の同輩に、大野治長という男がいた。



「左衛門佐、手を貸して欲しい」

 治長は不思議な男だった。

 まずもって、出自が不明だ。

 何でも、母が茶々の乳母で大蔵卿といい、つまり治長は茶々の乳兄弟なのだが、それが理由かどうかは知らないが、気がついたら太閤秀吉の馬廻衆となっていた。

 それだけ有能かと言われれば、武士としては疑問符が生じるが、少なくとも吏僚としては優れていた。

 さらに政治家としての資質も持っていたらしく、秀吉亡きあと──特に関ヶ原の合戦以降の、衰えゆく豊臣家を支えたのは、間違いなくこの大野治長だった。

 なぜなら。

修理しゅり(大野治長のこと)、わしはもう疲れた」

 そう零した片桐且元かたぎりかつもと──かつての賤ヶ岳の七本槍──を支え、徳川家への交渉を差配し、かつ、大坂城という、この渾沌とした、ある意味「異界」を保ちつづけていたのだから。



「もはやこれまで。やんぬるかな」

 やがて且元は徳川家との交渉に神経を擦り減らし、大坂城内の過激派から命を狙われるようになると、彼は大坂から退いた。

 忍耐の限界と、何より心身の消耗が激しく、耐えられなかったのであろう。

 最後まで豊臣家を案じ、徳川家の鋭鋒を避けるために腐心していた且元だったが、しかし皮肉なことに、この且元の退去を契機に、徳川家は豊臣家への攻勢を開始する。

 それは──この国史上、空前の規模の、「大」攻勢であった。

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