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02 徳川家康

「必ずやあの秀吉サルめの小倅を始末せよ」

 徳川家康は、その辛抱強さで、織田家の小者出身の豊臣秀吉の膝下しっかることに耐えた──耐えて耐えて、耐えつづけた。

 そしてその忍耐の果てに、ついに秀吉の寿命が尽き、豊臣家の勢力も関ヶ原で大半をぎ、長い年月をけみし、とうとうこの大坂の陣という場を迎えた。

 徳川家康、この時、七十三歳。

 彼はこのあと、その忍耐の成果をようやく手にしたものの、それから二年しか生きられなかったが、逆にいうと、家康という戦国武将は、困難に耐えることをかてとして生きる男であり、それが無いと死んでしまう──そういう男だったのであろう。

「死ね。この家康の天下を、否、家康を邪魔する輩は、死ね。死ね。死ね」

 すでに高齢である。

 家康の精神は、ともすれば妄執に支配され、周囲は怖気おぞけを震った。特に息子の秀忠などは、「そうだ、秀吉の血を引き継ぐ者など、皆殺しにしてしまえ」と、父親に阿諛あゆした。

 閑話休題。

 真田信繁は、その徳川家の苛烈な攻めを、狡猾な奸計を、受け、流し、しのぎ、ついに家康を追い詰めた。

「こんなところで死ねるか。死ぬのは、あの秀吉サルめの小倅じゃ!」

 そこでこの妄執である。

 信繁としては、もう少し、この終わりなき戦国を終わらせる覇王としての誇りやら、意地やらが見られると思ったが、当てが外れた気分だった。

「必ずや、秀吉サルめの血を絶ってみせる!」

 げつつも、この捨て台詞である。

 信繁は、これでは駄目だ、このままでは「当初の策」は成り立たない──そう感じた。

「……修理のいう、『あの策』しかないのかもしれぬ」

 信繁は当初、豊臣家の力戦敢闘により、「豊臣家、侮るべからず」という認識を植えつけ、覇王・家康に和睦あるいは条件付きの降伏を目論んでいた。

 ところがこの妄執はどうだ。

 これでは和睦なり、ゆるやかな条件での降伏などありえない。

 それは対手あいてたる家康が、覇王としての矜持きょうじを持って行動してくれるという前提があってのことだ。

「かように……妄執に囚われた『鬼』と化しているのならば、仕方あるまい……」

 信繁はまだ壮年期の家康に会ったことがある。話したことがある。

 実に謹直だが、それでも覇気と才気は尋常ならず、これなら海道一の弓取りとささやかれるのもむべなるかな──それだけの、器量人だった。

 それが。

「殺す。殺す。秀吉は……その子は、殺さねばならぬ」

「……堕したか。否、老いたか」

 これでは確かに大野修理治長の言うとおり、『あの策』を用いるべきだ。

 この大坂の陣の直前、慶長十四年六月──家康の口利きにより石高が加増された治長は、その御礼にと駿府に赴き、そこで「狂ってしまった」家康に会った。

 会った結果が、この大坂の陣であり、『あの策』だ。

「左衛門佐、これはおぬしにしかできぬ」

 『あの策』を開陳した時、治長はそう言った。

 信繁に期待をかけて、そう言った。

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