第5話 パーティー参戦
私はドレスを汚さないよう、慎重に車を降りた。久しぶりのヒールに、一瞬よろめきそうになるのを堪えながら、俊さんとパーティー会場へ向かう。四月に入ってからの一か月半は、平日は家政婦の仕事、休日はパーティーのための準備で、あっという間に過ぎていき、とうとうこの日がやってきてしまった。
日が落ちて、より明るさが際立った会場に目を細めていると、前から若い男性が近づいてくるのが見えた。
「よお、俊。遅かったな。今日も来ないのかと思ったぜ」
二十代くらいで、長髪をハーフアップにしたその人は、俊さんに親しげに話しかけた。
「それ、わざと言ってるよね。俺だって、できれば来たくなかった」
俊さんはその人にジトっとした目を向ける。
俊さんが自分のことを俺って言うの、初めて聞いたな。こっちが素なのかな。
「ま、主役だからな。大企業の社長の息子も大変だな」
んん⁉ なんか突っ込みどころ満載のワードがいっぱい聞こえたんだけど⁉
「……洸こそ、何しに来たの。用がないならもう行くけど」
俊さんはその人を無言で睨みつけた後、怒りのこもった声で聞いた。
わわっ、よくわからないけど見たことない俊さんが現れたっ。地雷でも踏んだんじゃないのっ。
「そんなこと言うなよ。せっかく祝いに来たんだぜ。二十九歳になった感想は?」
私の心配をよそに、その人は果敢にも俊さんに話しかける。
もう止めといたほうがいいんじゃ。それともこの人、気にしてないのかな。
「特にない」
面倒臭そうに、半ば諦めたように俊さんは返事をした。そんな様子を物珍しい気持ちで見ていたはずなのに、ほんの少しだけ心に隙間風が通った気がした。その違和感に気を取られていると、不意に視線が私に向けられる。
「女子と一緒なんて珍しいな。どういう関係? まさか恋人か?」
「……ああ」
俊さんは観念したように呟く。
「へぇ。ま、せいぜい頑張れよ」
その人は私を見てそう言うと、ニヤリと不敵な笑みを浮かべ去っていった。
「待たせてごめんね。さっきのは気にしないで」
俊さんはすぐにこちらを向き、上品な微笑みを浮かべる。
あ、いつもの私が知ってる俊さんだ。今は恋人バージョンでフランクな口調になってるけど。
「お友達ですか?」
「いや、ただの腐れ縁だよ」
そう言うと俊さんは歩き出してしまった。これ以上は何も言ってくれそうにないので、さっきから気になっていたことを聞いてみる。
「あの、主役がどうのとか、大企業の社長の息子とか聞こえたんですけど、俊さんって、何者なんですか」
質問し終わる前から、俊さんはばつが悪そうに眉根を寄せていた。
「父が社長ってだけだよ。ちなみに祖父が会長なんだ」
えっ、私に会いたがってたおじいさんが、会長だったの⁉ それは忙しいわけだ。
「えと、あと主役って言ってましたけど、舞台で発表でもするんですか」
「ああ、それは」
そう言って俊さんは会場の入り口を指差した。
『澤村俊 生誕パーティー』
入口にデカデカと掲げられている文字が、目に入る。
えぇっ⁉ 俊さんの誕生日パーティー⁉ 主役ってそういうこと⁉
驚いて入口から俊さんに目を移すと、苦笑いを浮かべていた。
「黙っててごめんね。事前に言って変に緊張させるよりいいかと思って。それに、僕はただの飾りだから」
最後の言葉を言い終わるころには、俊さんの顔から表情が消えていた。私はその言葉の意味を理解しきれないまま、前もって言われていた場合を想像する。
確かにパーティーまでの期間中ずっと緊張してるより、今日だけ緊張するほうがいいかもしれない。でも、事前に教えてほしかった気がしないでもないでもない。ん? どっち? だけど来ちゃったものはしょうがない。あまり目立たずに、いや、主役の人が隣にいるのに、どうやったら目立たずに済むのっ。誰か教えてっ。
私は観念して、俊さんと一緒に受付を済ませ、パーティー会場に入った。
うわぁ、なんだこれ! 眩しっ! 広っ! 人多っ! 推理もので大体落ちてくるシャンデリア! 煌びやかなドレスを身に纏う人々!
目に映るすべてが、再現度が高くて感動していた。
……はっ、危ない危ない。聖地巡礼してる気分になってたけど、私は当事者なんだった。そ、そう思うと、急に緊張してきたっ。服とか髪とか変じゃないよね、浮いてないよね。ああ、いっそさっきのテンションのままのほうがよかったんじゃ。
「しゅ、俊さん、私、ちょっと外の空気を吸いに」
「ああ、そろそろ始まるからここにいて?」
そう言われるのと、照明の明かりが落ちるのが同時だった。
「本日は澤村俊、生誕パーティーにお越しくださり、ありがとうございます」
ああ、とうとう始まってしまった。うう、さらに緊張が。
「始めに、株式会社オコメフーズ会長、澤村茂様よりご挨拶がございます」
え、オコメフーズって私がインターンしたとこだ。おじいさんが会長で、お父さんが社長なら、俊さんもそこで働いてるのかな。
なんとなく俊さんに視線を向けると、それに気づいたのか、一瞬、憂いを帯びた表情が向けられ、すぐに横顔だけが目に映った。
ん?
その表情の意味が解らず困惑しているうちに、俊さんが壇上に呼ばれる。大勢の人の注目を浴びながら難なく挨拶をこなす姿は、やけに眩しかった。
こんなすごい人の恋人役なんて、分不相応なんじゃないかな。……なんだか、遠いな。
「じゃあ、挨拶回りに行こうか」
「は、はい」
壇上での挨拶が一通り終わり、最大の関門がやってきた。
「まずは、祖父のところから行こう」
うえっ⁉ いきなりボス戦⁉ 初めはスライムくらいで肩慣らしするのかと思ってたのに。おじいさんきっかけで恋人の振りをすることになったんだし、怪しまれないように一番気を引き締めないとっ。
立食パーティーということもあり、各々が談笑したり食事したりしている横を抜け、恰幅のよい老人の前で俊さんは立ち止まる。気後れする間もなく、ボス戦が始まった。
「誕生日おめでとう」
「ありがとうございます。ご紹介いたします。こちら先日お話した、私の恋人の斎藤真優さんです」
俊さんの紹介を受けて、練習した文言を口にする。
「初めまして。斎藤真優と申します。よろしくお願いいたします」
「おお、仲良くやっておるようで、安心したわい」
おじいさんはそう言って、俊さんを見上げた。
「ありがとうございます。おかげさまで」
俊さんは上品な微笑を携え、慣れたように返事をする。不意に、俊さんを見ていたおじいさんの目が、私に向いた。
「ときに真優さん、俊のことは好きかね」
わわっ、もうこっちに来たっ。最初の攻撃にしては強いなっ。
「は、はい、もちろんです」
「では、どんなところを好きになったのかね」
うおっ、攻撃力高いのが来たよっ。まだ牽制し合う時間帯じゃないの。
笑顔のおじいさんの目の奥からは、こちらを探るような視線を感じた。
なんだか俊さんと似てる気がする……って、そんなこと考えてるより、何か答えないと怪しまれるっ。
私が急いで言葉を発する前に、俊さんの落ち着き払った声が聞こえてきた。
「おじいさま、申し訳ありませんが、その質問にはお答えできかねます。そういったことは私だけが知っておきたいので」
上品な微笑を浮かべつつも、俊さんの目はおじいさんを見据えていた。
「ふぁっふぁっふぁっ。良かろう。お主もだいぶ人間らしくなったようじゃ。来年を楽しみにしておるぞ」
「はい。では、失礼いたします」
よ、よかった。俊さんのおかげで何とかなったみたい。
「俊さん、ありがとうございました」
「ううん。次は父のところへ行こうと思うんだけど、大丈夫かな」
「は、はい」
私の返事を聞くと、少し離れたところにいた中年男性のところで立ち止まった。
「社長、こちら私の恋人の斎藤真優さんです」
「初めまして。斎藤真優と申します。よろしくお願いいたします」
「ああ」
な、なんか、カチッとしてて、こっちまで緊張するっ。雰囲気といい、顔立ちといい、俊さんとは全然似てないな。俊さんはお母さん似なのかな。
「では、失礼します」
俊さんはお父さんをちらっと見ると、すぐに私に向き直った。
「真優、行こうか」
「え、はい。あの、もういいんですか」
「うん、いつもこんな感じだから」
そうなの⁉ 父と息子の関係ってこんなにドライなものだっけ⁉ ま、まあ、いろんな家庭があるから、ね。そうは言っても気になって俊さんを見たものの、何を考えているのかわからなかった。
その後は、親族やお偉いさんらしき人のところを回って、挨拶回りは終了した。
ふう。何事もなく終わってよかった。私に来た質問にも俊さんが上手に対応してくれて、恋人というより金魚の糞になってたけど。……このパーティーに私は必要だったのかな。
食事を終え、私は壁際で一人佇んでいた。焦点が合わず、照明の光がぼやけて見える。
俊さん、まだかな。
会場を眺めていると、自分がこの空間にいることが不思議に思えてくる。たしかにそこに存在しているのに、私だけ色が塗られてないような――。俊さんも本来はあっち側の世界の人で――。
たそがれていたら、体に衝撃が伝わる。
んっ、なんだ?
「あら、ごめんあそばせ。地味なドレスだから、壁と同化していて気づきませんでしたわ」
どうやら人とぶつかったようで、煌びやかなドレスを身に纏った二十代くらいの女性が、こちらに挑発的な視線を向けていた。
わわっ、全然気づかなかったっ。なんだか嫌味を言われた気がするけど、えーっと、こういうときは落ち着いてっ。俊さんの顔に泥を塗らないようにしないと。
速くなる鼓動を感じながら、申し訳なさそうな顔を作る。
「大変失礼いたしました。お怪我はありませんか」
そう言うと、目の前の人の眉がピクッと動き、ヒールで少し高くなった場所から目線を私に向けた。
「あら、反論なさらないということは、自覚がおありなのかしら。どうやって取り入ったのかは知りませんけれど、あなたみたいな方、俊様の隣に相応しくないと思いませんこと?」
その言葉で、できたばかりの傷口がえぐられる。
「本当にそう、ですね。はは」
気づけば、私はへらっとした笑顔を作ってしまっていた。そんな私の反応が気に食わなかったのか、その人はフンッと擬音が出るくらいの勢いで体を翻して、その場から離れていった。
なんだったんだ。悪役令嬢を再現しましたって感じだけど、そのオプションはなくてよかったなぁ。……でも、俊さんの隣にも、この場所にも相応しくないのは、自分が一番わかってる。
「遅くなってごめん。一人で大丈夫だった?」
わわっ、俊さんが帰ってきちゃったっ。
「はいっ。大丈夫ですっ」
精一杯の笑顔で、何もなかったことをアピール、アピールっ。
それが逆に怪しかったのか、俊さんは怪訝そうに私の顔を覗き込んだ。
「本当?」
「そ、それより、おじいさんに呼び出された用事って何だったんですか。私何かやらかしましたかね」
話を逸らし、逸らし。
「ああ、それは大したことじゃなかったから、気にしなくて大丈夫だよ」
俊さんの気を逸らしていると、こちらに一直線に向かってくる人が見えた。
あれはたしか、会場に入る前に俊さんと親しげに話してた人だ。
その人は目を爛々と輝かせながら、私に話しかけてきた。
「あんた、さっきすごかったなっ。あの女を追っ払うなんてさ。あいつ俊のこと狙ってたから、恋人だって聞いて癇に障ったんだろ」
げっ、今その話題はいらんっ。嘘がバレるっ。それに、本人がいる前でそういうこと言わなくていいからっ。
心配になって俊さんをちらっと見ると、明らかに不服そうな顔をしていた。
「ねえ、それ、どういうこと」
ほら見たことかっ。
「え、お前見てなかったのか。勿体ないことしたな。俺が教えてやろうか」
君はもういいからっ。ちょっと黙っててっ。
「俊さん、それよりあっちのご飯食べに行きませんか。美味しそうですよ」
この人から早急に離れなければっ。
俊さんの腕を取ろうとしたものの、逆に俊さんに腕を取られてしまい、人気のないテラスへ連れていかれた。
わぁ、テラスまであったんだ! 月明かりに照らされて綺麗! じゃなくてっ。ど、どうしようっ。
フェンスの傍で立ち止まり、こちらを向いた俊さんは心配そうな表情を浮かべていた。
「真優さん、何かされたのなら教えてくれませんか? 僕が至らなかったのなら、謝りたい」
「俊さんのせいでは全然ないですっ。……ちょっと嫌味を言われただけなので。本当になんともないですから。はは」
ああ、またやっちゃった。この癖、なかなか直らないな。
私のへらっとした笑顔が気に障ったのか、俊さんの顔がスッと真顔になった。
「そんなわけ、ないですよね」
およっ、なんか怒ってます? 語尾が強い気が。
会場から聞こえてくる音がやけに大きく感じる。何を言えばいいのか戸惑っていると、俊さんは少し苦しそうに目を細めた。先ほどとは裏腹に、穏やかな声が耳に届く。
「作り笑顔なんて、僕の前でまで、しなくていいです。真優さんは、真優さんのままでいてください」
どうして、わかってくれるんだろう。
誰にも気づかれることなく身に付いていったそれを、見抜いてくれたことへの驚き。それと同時に、心の奥がじんわり温かくなっていくのを感じた。
ああ、駄目だ。私、俊さんに会ってから、涙腺、馬鹿になったのかな。昔はもっと、我慢できてたのに。
目の前の俊さんを、はっきりとは捉えられなくなっていく。顔を逸らすと、俊さんが私の顔を覗き込もうとしてきた。
うう、やめてほしい。
抵抗の意を示すために、俊さんに背を向ける。
「僕の前では泣けませんか?」
優しいけど、少しいたずらっぽい声がした。
「な、泣いてないです!」
「じゃあ、顔を必死に隠す必要はないですよね?」
うっ……。いじわる。鬼。
「ドS」
あっ、しまった。つい口に出ちゃった。
聞こえていないことを祈りながら、返す言葉を探していたら、少し低めの声が耳に届く。
「泣くのを我慢するのは、ドSに対しては逆効果だと思いますよ?」
う、聞こえてたみたい。
「も、もう戻りましょう!」
ここにいても悪化するだけだからっ。
逃げるように歩き出そうとすると、左手を掴まれた。
「もう少しここにいませんか」
思ってもみない言葉に、私は俊さんに向き直る。
「でも、主役がこんなところにいたらまずいんじゃ」
「問題ないですよ。僕の誕生日は社交の場を提供するための、ただの名目に過ぎませんから」
そう言うと、俊さんはフェンスに腕を置き、寄り掛かった。空を見上げるその後ろ姿は、柔らかな月明かりに照らされ、一枚絵のように美しかった。
しばらく見入ってしまっていたけど、そういえば、来たときからパーティーには乗り気じゃなさそうだったな。何でもそつなくこなしてた俊さんにも、嫌なことがあるってちょっとだけ親近感かも。
私は俊さんの隣にそっと並び、横顔を見上げる。
「あの、遅くなりましたけど、お誕生日おめでとうございます」
俊さんはゆっくりとこちらに顔を向け、最後の言葉を聞くと目を見開いた。
「ありがとう、ございます」
ふふっ、そんなにびっくりしなくても。
私はその驚きようがなぜか可笑しくて、吹き出してしまった。それを見た俊さんが困惑していたのも、また可笑しかった。
はあ。今日こんなに笑うとは思ってなかったな。今度恋人役するときは、もうちょっと役に立てるように頑張ろっ。
読んでくださってありがとうございましたんじょうびケーキを一人でホールごと食べるの、人生で一度はやってみたいけど、もう一人の自分が必ず止めて去っていきます




