9話 シエラとニーナの辛い特訓
ニーナを買っておよそ半年。
毎日一緒に寝て、耳や尻尾をモフモフしたり、なでなでしたり、逆になでなでされているうちに怯えることも少なくなった。なったのだが——
「シエラ」
私を呼びながら手を広げるニーナ。これは私に甘えてほしい時にする行動だ。
「ん~」
これをされると、私もニーナに甘えてしまう。
無事、ニーナはお姉さんになったのだ。そんなつもりはなかったが、大体私が悪い。
始めは飼っている猫を愛でるような感覚に近かったのだが、ニーナを抱いて寝る時に「頭撫でてほしい」なんて言ってしまったのだ。その日からよくニーナが頭を撫でてくれるようになって、今に至るというわけだ。
最初から家族の一員として扱っていたからまあ姉妹的な存在になるだろうとは思っていたけど、まさか姉とは……。しかも、甘えられたら甘やかすというか自分から甘やかしに来るタイプだ。これは矯正しないとまずいかもしれない。
それにはまず、私がニーナ離れすることからだ。
もう六歳、合計で二十三歳になる私が言うのもなかなか恥ずかしいが、正直ニーナ離れできる気がしない。ニーナをもふるのも、ニーナに甘やかされるのも嫌いじゃないどころか大好きだから我慢なんてできない。けど、さすがに妹離れしてもらわないと将来的に面倒なことになるだろうしね。例えば私に何かあったとき暴走しかねない。
しかし、どうやろうか。
できれば拒絶はしたくない。かといって、やんわり断るなんてスキルは持ち合わせていない。
子育てとは少し違うけど、私より断然経験豊富なママに頼ってみるか。
「ニーナ、ちょっとママのところに行ってくるね」
「私も——」
うっ、断り辛い。けど、心を鬼にするんだ私!
「大切な話なの」
「……わかった」
物わかりのいい子でよかった。けど、寂しそうな顔をされるとママのところに行きにくい。
「す、すぐ戻るから!」
今度は顔がぱぁっとなった。よかった。よかったけど、これじゃダメな気がする。
「それじゃあ、ほんとすぐ戻るからね!」
けど、ニーナの悲しむ顔は見たくないから仕方ない。始めるのはママに教えてもらってからにしよう。そう言うことで納得しよう。
「ママ、相談があるの」
「あら、シエラが相談なんて珍しいわね?」
確かにママに何か相談することってあまりなかったな。基本セナに頼っていたし。
「ニーナのことなんだけどね、どうにか私に依存しないようにしたいの」
「それはまた難しいわね……。最近の二人を見た感じ、まずは今ニーナがシエラを甘やかしすぎないようにするところからよね?」
しっかり私たちのことを見ているようだ。ママの言う通り、そこから始めなければいけない。
「そうねぇ、やっぱりまずはシエラがニーナに甘えないところからだと思うけど……まだ難しそうね。ニーナにもセナにもべったりだし」
おっしゃる通りです。
私は未だにニーナに甘やかされ、何かにつけてセナにくっついている。一人でいる時間がほとんどないくらいには。けど、それではダメだ。多分、私のためにもならない。
「……今のままじゃニーナのためにならないから……が、頑張る!」
ニーナを買ったのは私だ。そして、ニーナをエイオス家の一員にしようとしているのも私。それなら、多少の我慢をするのは当然だろう。しっかり責任を取らなければいけないから。
「それなら、私も協力するわ。パパとセナにも行っておくわね」
「うん、ありがとう!」
ママの協力を得ることが出来てよかった。
結局やることはまず私がニーナ離れをすることだが、みんなが協力してくれるのならなんとかうまくやれるだろう。そして、これを機にセナに甘えすぎるのもやめよう。
斯くして始まった脱ニーナ依存計画、まずは私がニーナと若干距離を置くところからだ。
ニーナをもふもふするのは別に辞めなくてもいいだろうが、夜ニーナを抱いて寝るのはやめてみよう。
ひとまず、ニーナのほうから甘やかしてこなくなるのが第一目標だな。
「お帰り、シエラ」
「ただいまー」
おっと危ない、いつものようにニーナの膝に飛び込むところだった。いつも通りにしたいが、今は我慢して横に座るだけにしよう。けどこれだけだと物足りないし頭くらい撫でておくか。
「んは~、ニーナもふもふ~」
やっぱりニーナの頭を撫でるのはいいな。ふわふわの髪だから撫でていて気持ちいいし、恥ずかしいのかくすぐったいのか、少し顔が赤くなるのもニーナのかわいいところだ。
……よし、満足。
これ以上二人でただゆっくりしているとすぐ甘やかされそうだし、軽く特訓でもするか。
「ニーナ、外で剣の特訓しようよ!」
「いいよ。けど、今日は負けないから!」
よし、これで気を紛らわせられる。
「それじゃあニーナ、始めようか!」
「今日は私から行くよ!」
早速庭に移動して剣を構え、試合を始めた。
今日はニーナから仕掛けてきた。
獣人のニーナは魔法が使えない分身体能力が高い。
そもそもこの世界の人間は前世の人間と比べても身体能力は高いのだが、獣人はさらにその上を行く。力だけで言うなら、ニーナとそこらの成人男性を戦わせたら余裕でニーナが勝つ。いったいどんな原理であの華奢な身体からそんなトンデモパワーを出しているのか。
今私がニーナと剣で打ち合って勝てているのは騎士団で習得した技と魔法があるからで、ニーナも本格的に剣を学び始めたら私に勝ち目はないだろう。前回戦った時は魔法を使っても辛うじて勝てたくらいだったし。
今回はもうすでに危ない。魔法を使ってやっと攻撃を躱せる程度だ。
ずっとニーナと一緒にいたはずなのに、いつの間にか成長している。
「ニーナ、強くなったね?」
「こっそり特訓してたからね」
「えー、ずっと私と一緒にいたじゃん!」
「朝シエラが寝てるときだよ」
あー、確かに私、普段は起きる時間がちょっと遅いからな。いつも朝起こしてくれるけど、その前にしっかり特訓していたとは。さすがにそろそろ負けるかもしれない。
最悪魔法で……は卑怯すぎるか。
ニーナの猛攻を風魔法で何とか回避しつつ、攻撃の隙を伺う。
回避ばかりでは隙を作ることも出来そうにないが、かといって防御もカウンターもなかなか狙えない。せめて魔法が通用すればいいのだが、発動した瞬間に感知されるのでこれも通用しない。こうなったらいっそごり押しで攻撃してみるか。
ニーナの剣をぎりぎりで回避してなんとか懐まで潜り込み、鳩尾を狙う。が、さすがにこれくらいは避けられるか。なら今度は魔法でフェイントを——
「んにゃ⁉」
成功するか不安だったが、何とか成功だ。
ちょうど私一人隠れられるくらいのサイズの炎魔法を放ち、その魔法の後ろに隠れて奇襲をかけた。そしてニーナが炎魔法を避けた先に剣を投げつつ距離を詰める。シンプルだが、初見の相手にはやはり使えるようだ。
「降参、やっぱりシエラは強いね」
「魔法を使わないともう勝てないけどね」
一応セナに剣を教えてもらってはいるが、最近はいまいち成長を実感できていない。魔法も使い方は少し実つ増えてはいるが、威力や精度は全く変わらない。行き詰っているのだ。
明日からはもっと早く起きてニーナと一緒に練習しようかな。
「あの、シエラ……」
ニーナをまじまじと見つめて考えていると、シエラが怯えながら後ろを指差した。
「あ……」
炎魔法が見事に庭を焼いていた。
セナが育てている花は……大丈夫か。見つかる前に消火しておこう。
水魔法で消化して焼けた草の証拠隠滅は……無理だ。ママに怒られそうだ。とりあえず見つかる前に逃げよう。
「ニーナ、逃げるよ!」
「わっ、ちょっとまって」
屋敷の反対側に向かって全力疾走する。とりあえず家の敷地内から出たら安全かな?
見張りの騎士には適当なことを言ってごまかそう。
「シエラお嬢様、どこへ行くのですか?」
「街に遊びに行ってくるね」
「あっ、お待ちください、護衛を——」
ごめんね騎士さん、今は悪党よりママが怖いから。
いやまあ素直に謝ればよかったんだろうけど、一度逃げてしまうと戻りにくい。昔いたずらして友達と隠れて、そのあと見つかって怒られたのが懐かしい。
さて、初めて護衛なしで敷地から出たけど、まずはどこに行ってみようか。
どうせ街まで逃げるならニーナと二人で探検してみたい。なんだかんだでいまだに街に出たことはなかったしね。
「おー、いろいろあるね!」
まだ昼前という事もあって、王都ほどではないが、十分賑わっている。
「シエラ、これ」
ニーナが指差したのは、魔法の歴史の本だ。値段は銀貨三枚か、次来たときに残っていたら買うとしよう。
他にも、『名もなき勇者』という人族を救った伝説の勇者の話や『神と魔神』という神話の時代の話など、面白そうな本がたくさんある。特に『名もなき勇者』はぜひ読んでみたいものだ。
「欲しいのがあるなら一冊なら買えるよ?」
どうやらニーナがお金をある程度持ってきていたらしい。確かにニーナのほうがお姉ちゃんポジションだけど、奴隷に本を買ってもらうってのはなんだかなぁ。
それに、今はニーナには甘えられない。欲しいけど我慢だ。
「大丈夫、次来たときに自分で買うから」
「そう?」
やめて、悲しそうな顔をしないで。というかニーナはどれだけ私を甘やかしたいんだ。正直うれしいけどいろいろ困っちゃうね。私が男の子だったらそれはもう我慢できなかっただろう。数年後にはきっと女の私でも我慢できなくなっていると思う。
我慢だ我慢、ニーナがちょっと悲しそうでも見て見ぬふりだ。
「つ、次あっち行こ!」
店はダメそうだし、とりあえず噴水の縁にでも座ってまったりしよう。
ああ、いいな。こうしてゆっくりしていると心が落ち着く。このままニーナの膝で……寝たらだめだ。どうしよう、近くにニーナがいるというだけで甘えたくなる。
いや、むしろこの状況で我慢するの、私の修行にもなるし続けてみるか。
※ ※ ※
どうも街が騒がしい。事件でもあったのだろうか?
「クリスティア様だー」
え、うそ、ママが来てる……。
そう言えばあれから結構な時間ニーナと談笑していたし、騎士がママに報告しててもおかしくないか。
どう見ても怒っている。ただでさえ逃げてここまで来たというのに、これ以上逃げたらどんなきついお仕置きが待っていることやら。素直に投降しよう。
「シエラ」
「はい……」
ひえっ、怖い。
ニーナも耳が垂れている。
明らかに怒られる雰囲気に加え、街中で注目されてしまっている。
「帰るわよ」
いつになく怒ってらっしゃる。ママってこんな声も出せたんですね。いつものように明るく喋ってくれないと私怖すぎて漏らしちゃいそうですよほんと。
そうして、私たちは騎士に肩をポンポンされながら家に帰った。もちろん帰ったら説教が始まった。
魔法を使うならもっと周りに気を付けろとか逃げずにちゃんとママに言いなさいとか。何も言い返せず、ただ俯いて泣くのを我慢するしかなかった。怒ったママ怖い……。
一方ニーナは「ちゃんと魔法を使う剣士とも戦えるようにならないといけないわね」というママの言葉によって今はパパと剣の特訓をしている。私も早くそっちに行きたい。
「さて、それじゃあ説教はおしまい。それで、ニーナはどう?」
ようやく説教が終わった。次は近況報告か。といっても、今日始めたことだから大した進展はないけど。
「ニーナがすぐ寂しそうな顔するから私が辛い」
「シエラはまだ甘えん坊だものね」
説教していた時とは別人になったように、温かい手と大きな胸でぎゅーっとするママ。あぁ、蕩けちゃう。ニーナやセナもいいけど、やっぱりママが一番安心できるな。
じゃなくて。
「あ、あとね、私がニーナに甘えるのを我慢するのも……ね?」
「大丈夫、その分ママが甘やかしてあげるわよ」
「うれしいけどそうじゃないのー!」
そもそも私が脱甘えん坊しないといけないのだ。せめて学院に通う年になるまでにはしっかりと自立したい。
けど、私の周りにはどうも甘やかしたがる人が多すぎる。
今ではニーナを筆頭にママやセレネお姉ちゃん、セナもなんやかんやで私に甘い。そして私もそれに甘えてしまう。前世の記憶で甘やかされた記憶が全くないからなのか、なかなかやめられない。
ニーナに甘えてしまうのは多分前世でお姉ちゃんに甘えたいと思っていたからだろう。
「シエラ、今ニーナが恋しくなったわね?」
「え、わかるの?」
「もちろんわかるわ。だってママだもの」
ママだもんねー、わかるよねー。さすがママだ。いつも私の考えていることを表情や仕草から読み取ってくれる。
「でもそうねぇ、シエラは甘えん坊をやめたいんでしょう?」
「うん」
ママは少し考えると、突然手紙を書き始めた。
「九日後から一月の間、エレノアのところで面倒を見てもらうのよ。きっと、いい経験になるわ」
エレノアといえば確か剣の天才で、何度か大会でも優勝していた人だったな。
ジャーヴィス家の現当主で、さらにパパが剣術を教えていたとか何とかで家とも仲がいいらしい。エレノア、どんな人だろう。優しい人だといいな。
「あら、もう返信が来たわね。待ってるって」
「はやっ!」
「この紙は魔法で文字を書くと対となるなる紙にその文字が浮かび上がる魔法紙なのよ。さて、それじゃあ早速準備するわよ。出発は明日の朝だからちゃんと荷物をまとめておくのよ?」
「はーい」
明日出発か。もちろんニーナもセナもついてこない。一応護衛として騎士数人が送り迎えだけはしてくれるそうだ。
一ヶ月ニーナたちに会えないと思うと寂しいな。ニーナのぬいぐるみでも作って寂しさを紛らわせよう。前世で多少裁縫スキルを身に着けておいてよかった。向こうに着いたら道具と材料を買って作るとしよう。
……いや、さすがに引かれそうだし自重したほうがいいな。
「シエラ、どこか行くの?」
荷造りをしていると、部屋に来たニーナに不安げに袖を引っ張られた。
「うん、でも一ヶ月で戻ってくるから!」
「一人で行くの?」
「うん、修行してくる。だからその間ニーナも訓練頑張ってね」
「…………わかった、頑張ってね」
頭を撫でられた。お姉ちゃんかよ。
一ヶ月皆に会えなくなるのは寂しいけど、このニーナのなでなでを糧に頑張ろう。そして帰ったらご褒美に撫でてもらうんだ。
花を燃やしてたら死んでた