苦闘する神殿長と決戦前の探りあい
「先に状況を確認する」
ライルさんは、手元のメモみたいなものを見て、容赦無く会議を進めていく。
「イズミットの攻勢は第二波までをしのぐことができたようだな。最初のゴーレム達が壊滅したのは確認したが、ハーピーの方は範囲が広いので、おれの方では確認しきれていない。撃ち漏らしがあるか、そちらで確認できたか?」
「いや、漏らす、わけには……漏らしてはいない……いっっ」
「けっこうだ。第三波は、状況を見て召喚する魔物を決めるつもりだっただろうから、ここから先はどう出てくるかは未知数だな」
「う……うむ。で、出て……くる……出る……むっ」
「だが、次の第三波でイズミット側もネタ切れだろう。召喚魔法の詳細は不明だが、あれだけの数を召喚した以上、あちらの魔力も限界の筈だ」
「た、たしかに……げ、限界……限界、うっ、いや、まだ、まだ……あぅう」
「確かに、まだ余力もあるかもしれないな。どちらにせよ、仕切り直すと言う選択はしない筈だ。これ以上の時間をかけるとソルタニアから支援で送られた聖剣騎士団が到着してしまう。イズミット側も情報は掴んでいるだろうが、思ったよりも早くなるようだな。定時連絡では、多分、あと十日で来る筈だ」
「あ、ああ。来る……ク……るう……うっ、くっ」
「つまり、次のやつらの攻撃が事実上の決戦に……って。あー、大丈夫か? つらそうだが」
さすがに、時々、小さく悲鳴のような声を立てるジョシュア神殿長に、不自然なものを感じたのだろう。
手元のメモを見ていたライルさんは、顔を上げて、通信の魔道具が映す褐色の美女の、赤らんだ顔を見やった。
「も、問題ない。こ、この外でのアレは少し苦手なのでな。うくっ。しゅ、修行が足りない身を、は、恥じ入るばかり……んん。い、いや、まったく……し、神殿の長ともあろう者が恥ずかしい話で……い、いや、は、恥ずかしい……いっっ、やっ」
恥じ入るとか、恥ずかしいとか言うレベルの話では無い筈だ。
顔色こそ赤くはなっているが、表情は普段通りに取り繕っており、さすがは神殿の長だけはあると、その超人的な気力には驚嘆するものの、一方で、声の方は、なんとか絞り出していると言う状況である。
そんなジョシュア神殿長に深く同情しつつ、ぼくは、展開されているSな光景に動悸が止まらない。
いや、事情を知らなければ、何がなにやらわからないだろう。
エレナやユアも首をかしげているだけだ。
事情を知っている薬師のおばさんは、見るに耐えないと言った風情で眼を閉じており、サーシャさんは――この人は、やっぱり、魔女な笑みを浮かべている。
「あー、とにかく、ここからだ。思ったよりも被害も無かったし、緊張感が緩む頃合だが、ここからが正念場だ。『勝利の後こそ、最も気を引き締め、耐えるべし』と、古来よりの兵法書にもある。アゾナ側も警戒をいっそう密にしてもらいたい」
「そ、そうだな。ゆ、緩めてはダメ……ダメだ。それはダメだ。うむ。ひ、引き締めて……た、耐えないと……ううっ」
「ん?? まぁ、よろしく頼む」
それ以降、噛み合っているような、いないような、微妙な会話が続き、ライルさんもやりにくそうだったが、ついに匙を投げたようだった。
「その儀式が終わるまで、少し休憩しよう。さすがに、このままでは効率が悪すぎる。まぁ、イズミット側も、ここまでの惨敗は予想していない筈だから第三波までは、いましばらく時間をかけるだろうしな。それに、こちらも体勢を整える必要がある」
「う、うむ、申し訳……ない」
「あと、どのくらいで終わりそうだ」
そのライルさんの問いに、ジョシュア神殿長の視線が、ちらりと後方に向けられ、その美貌に絶望的な表情が一瞬浮かんだように見えた。
「も、もう少し、待ってもらえるか。ま、まだ、残って……こんなに、こんなにぃ……う、くっ……」
「わかった、わかった。いや、じつは、よく、わからんのだが……とにかく頑張ってくれ」
そう言って通信の魔道具を切ると、ライルさんは大きく息をついた。
「まったく、儀式とか修行とか。食うには困らんようだが、神殿関係者も良いことばかりじゃなさそうだな」
「…………まぁ、色々とあるのさ。神殿長ともなると、それに見合った量を納めなきゃならないしね」
「ジョシュアちゃんも軟弱よね。あたしはアレだけは得意だったわよ」
薬師のおばさんは、なんとも言えない表情で言い、サーシャさんはドヤ顔で大きな胸を張っていた。
てか、アレが得意とか不得意とか、どういう基準なんだろう。
やはり、時間だろうか? それとも量?
怖くて聞けないけど。
「魔道弾、魔道爆弾は在庫ゼロ。アゾナ側の魔道士は魔力切れで全員ダウン。魔弾の方はもう少しあるが……。ふむ、使える戦力は魔道人形だけと。振り出しに戻ったというか、それよりも、若干、分が悪いかな」
ライルさんは、アゾナ側の状況を簡潔に整理して、苦笑した。
「旦那。イズミットは、次はどんな手でくると思う?」
薬師のおばさんが尋ねてくるのに、ライルさんは首を横に振った。
「いっただろ。ここから先は非常に不本意だが、出たとこ勝負だ。まぁ、いくつか策は立ててはいるが」
「じゃあさ」
と、口を挟んできたのはエレナだった。
「あいつらに、一番、取って欲しくない手ってなんだ?」
その質問を聞いて、ライルさんは面白そうに赤毛の少女を見た。
「ふむ。さすがは《魔の皇女》が団長補佐に選んだだけのことはあるな。いいぞ。その思考方法は参謀とか軍師向きだ」
「誉めても何も出ないぞ」
エレナは照れたように、そっぽを向いた。
だが、どことなく嬉しそうではあった。
「この局面で、と言う事になるが、一番厄介なのは原点に戻られることだな」
「へ?」
「一定の制御下にある低級から中級の、同一の魔物を大量に投入する。このイズミットの新しい召喚魔法戦術は、それはそれで、けっこう厄介なんだが……」
ライルさんは、エレナに答えながら、実際には自分の考えを確認しているようだった。
「制御された魔物集団の動きを読むには、そいつらを制御しているやつの考えを読むって事になる。つまり、どこかで、人間同士の読み合いとか探り合い勝負の次元になるわけだ」
「なるほどねぇ。その勝負なら、旦那の得意分野だもんねぇ」
薬師のおばさんが横で相槌をうつ。
「よせやい。まぁ、威力偵察まがいの事をやった事といい、その調査結果を元にゴーレムを投入した事といい、陸と空で挟撃を企んだ点なども考慮すると、今回の相手は、きちんと作戦を考えて行動する、合理的な思考の持ち主のようだな。だから、逆に、予想する事も可能だったわけだ」
「んじゃ、原点に戻るって?」
「ヤンボルでの戦い同様、ランダムに召喚してはぶつけてくる、作戦もへったくれも無い力押しさ。裏を読むどころか、裏も表も無い消耗戦は、今のアゾナには、ちょいと厳しいな。力押しへの対抗はなんとかなるかもしれんが、召喚される魔物の特性によっては、突破される事は充分に考えられる。まぁ、さっき言ったように、今回の相手はその手はとらないだろうさ」
「じゃ、じゃあさ」
エレナが、ゴクリと唾をのみこんで尋ねた。
「あの、紅い神呪騎甲兵が出てきたら……どうする」
「あれか、あれはどうにもならん」
ライルさんは無責任に言い放ち、エレナは唖然とした。
「な、何だって?」
「ドラゴンを召喚されるのと変わらん。と、言うか、それよりも始末に負えんやつだ。策の立てようも無い。あー、ひとつだけ手はあるか」
「そ、それって、どういう……」
「逃げるのさ。見逃がしてくれれば、だがな。とにかく、それ以外にあいつへの対処方法は無い」
ライルさんは、肩をすくめて見せただけだった。
その元傭兵に、エレナは納得できないように詰め寄った。
「じゃあ、最初から逃げる算段をしておけば良いじゃないか。オヤジだって、あいつが出てくることは想定しているんだろ」
「だから、オヤジはやめろ。おれは、これでも……いや、それはともかく、だ。あいつは次元が違いすぎる。あいつの相手は……」
ライルさんは、ここで、何かに気がついたように辺りを見回した。
「そういえば、ケインは見張り塔だったな。うむ。それで、紅いのが出てきたら、多分、黒い神呪騎甲兵も出てくるだろうさ」
「え?」
「考えても見ろ。ヤンボル、ソルタニアで目撃された黒い戦士がアゾナにも現れたんだぞ。ここの紅もそうだが、銀もベルニク以外では、つまりは特定の場所でしか目撃情報が無いにも関わらず、だ。ヤンボル、ソルタニア、そして、このアゾナの共通点は何だ?」
いきなり、そう問われて、赤毛の少女は(素直に)考え込んでしまったようだ。
「ええと……」
「おれたちさ」
「はい??」
あっさりと答えを言われて、エレナは目を白黒させた。
「我ながら、ちょいと荒唐無稽に過ぎると思うんだがな。あの黒い神呪騎甲兵は、ここにいる冒険者の誰かと関係があるような気がする。ヤンボルでの件も、そして先日もそうだ。黒いやつの出現はタイミングが良すぎる。ソルタニアでの目撃例はともかくとして、二回もあれば偶然とは言えないだろ?」
「そ、そうかも……」
「まず、あたしは無関係だねぇ。ヤンボルには行かなかったし」
赤毛の少女は頷いて考え込み、薬師のおばさんは関わりを否定した。
ぼくと、サーシャさんは、こっそりと視線を合わせた。
いや、ライルさん、鋭いかも。
セーラ皇女と、ぼくと、そして黒い神呪騎甲兵、こと、漆黒の戦士であるダーク。
この三者が融合した特異な関係を秘密にしているのは、主にセーラ皇女の意思に基づくものだ。
ぼくは、魔力が皆無のせいか、異世界の亜人と言う外見にも関わらず、妙に目立たないのである。
どこに居ても違和感が無いと言うか、警戒感をもたれないと言うか、あるいは、影が薄いと言う表現もできるかもしれない。
反対に、セーラ皇女は聖皇家に特有の青い髪や、その美しさもあって、非常に目立つ。
ダークに至っては目立つなんてレベルのものではない。
従って、イズミットの内情を調べると言う、この旅の目的からすると、大妙寺晶の姿が、もっとも、隠密行動には向いているわけで、必要に応じて、セーラ皇女やダークに「交代」するのが望ましい。
そんな目的もあって、サーシャさん以外には内密にしている次第だ。
例えば、感情が行動に直結しているエレナには、とてもではないが打ち明けるわけにはいかない。
そんなことをすれば、少なくとも、ぼくとセーラ皇女の関係は、秘密を保つのが難しくなるだろう。
先祖代々、聖皇家に仕える近衛騎士を輩出する家系のエレナは、女に生まれた為に、兄たちのように近衛騎士になれなかった事を口惜しがっていたそうだ。
セーラ皇女に魔道士の素質を見出され、魔道騎士団に籍を置く事になったわけだが、それを非常に恩義に感じたらしく、皇女個人に絶対的な忠誠を誓っている人間の一人だ。
あるいは、この赤毛の少女は、セーラ皇女が異世界の亜人に憑依されていると解釈して、予想もつかない行動に出る可能性もある。
他にも理由はあるが、そういうわけで、今しばらくは、ぼく達三者の関係は内密にしておきたいところである。
なので、今の話の流れは、非常に有り難く無い方向に進んでいる。
「えーと、ケインも除外だな。言い出しっぺのおれも除外してもらおうか。そうすると……」
「軍師殿、そんな詮索は無意味ではないか。おぬしらしくもないのう」
それまでのやりとりを、黙って眺めていた《守護の人形遣い》が口を開いた。
ライルさんは、ぴしゃりと自分の額を叩く。
「違いない。余計な詮索をして、黒い神呪騎甲兵の関係者――誰かは知らないが、そいつの行動に制約をかけちまう可能性もあるな。おおっぴらにできるものなら、とっくにそうしているだろうし、なにか事情があって内密にしているんだろう」
「わたしとて、いろいろと詮索される事は好まぬからな。それよりも、軍師殿」
「ん?」
「動いたようだぞ。神殿同士の連絡網とは異なる外への通信があったようだ。魔力の波動が、全く違うから間違いあるまい」
「場所は?」
「魔道弾やら何やらを置いた……あー、武器庫として使っている場所と、魔道士の詰め所に使っている広間だな」
「人形の工房は?」
「ゴーレムが来る前に、短いのがあったようだな。まぁ、あんなものを警戒する筈も無いから捨て置いたが」
「よしよし。仕上げは始められるか?」
「とっくに始めている。そろそろ終わるようだ」
途中から、何の話をしているのかが、さっぱりわからない会話である。
エレナも同じように感じたらしく、ライルさんに尋ねている。
「よぉ、いったい何だよ。動きって」
「アゾナに入っているイズミットの密偵が、外の召喚魔道士か誰かに、すっからかんになった武器庫の状況や、魔力切れでひっくり返っている魔道士たちの様子を連絡したってことさ」
「なんだってぇ!?」
「広い範囲の魔力感知は、人形遣い殿の得意分野だから、神殿同士以外の通信を監視してもらったのさ。現在、戒厳令下にあるアゾナで、神殿網以外で、外と連絡を取るやつはイズミットの間諜以外に無い筈だからな」
「ちょ、ちょっと、待てよ」
「まぁ、ついでに破壊工作をやるような三流の手合いを使っていないようで助かったよ。さすがはイズミットと言うべきだろうな」
「い、いや、だからさ」
ひたすら慌てふためく赤毛の少女と、飄々とした軍師のやり取りは、見ようによっては面白いものではあったが、しかし、笑い事では無い筈だった。
こちらの消耗の度合いが敵に筒抜けになったと、ライルさんやユアは言っているのだから。
しかし、この場であたふたとしているのは、赤毛の少女だけだった。
サーシャさんはぽわ~っとしたままだし、ユアは工房の人形師相手に、なにやら指示を出している。
薬師のおばさんは、むしろ、のんびりとした口調で元傭兵に尋ねてきた。
「それで、旦那。相手の出方は読めたかい?」
「あー、たぶん、原点に戻る……かな」
「はあ?」
ライルさんの回答に、エレナは素っ頓狂な声をあげた。
ぼくは、話についていくことを、とっくに放棄していたので、とりあえず傍観することにした。
城塞都市アゾナの東、ゴーレムの残骸が転がっている場所に、イズミットの召喚魔道士らしい人影が現れた、と、ケインからの連絡があったのは、それから数刻の後だった。
第三波の攻防が始まろうとしていた。