舞の神殿と武の神剣
宝玉と言われて思い浮かべるイメージと、目の前の現物はいささか異なるものだった。
最終的なファンタジーなゲームで出てくるような、浮遊するクリスタルが三つで一組になったものが、半径二メートルほどの淡い光球に包まれてる。
この光球が更に三つで一組となって、もっと大きな光球を形造り、それが結界の魔石――『宝玉』と呼ばれていたものだったようだ。
《闇の魔王子》から聞いた話では、この『宝玉』はアゾナ神殿都市に全部で七つある筈だったが、現在、完全に機能しているものはひとつしか無く、二個というか、二セットがある程度は機能しているものの、不完全な状態らしい。
この区画にある「これ」は、アゾナの結界を構成する機能は完全に無くしているもので、クリスタルのほとんどが砕け散らばっていた。
唯一形成されている淡い光球の中にあるクリスタルは二つが大きく砕けており、残り一つにはビッシリとヒビが入っている。
この光球はアゾナの結界には全く寄与せず、現在では、別の結界を造っている。
《闇の魔王子》に示されたこの場所に、一人の女官も居ないのは、その結界が果たす機能のひとつだ。
キーワードを唱えた『遺産継承者』及び『遺産継承者が認めた者』だけが結界に入る事ができる。
その『遺産継承者が認めた者』であるところのフィーナは目を見張って、『宝玉』だったものを見つめていた。
「こ、これ……は?」
ぼくも、少し驚いていた。
「ひとつじゃなかったのか」
淡い光球の中、三つの損傷したクリスタルに囲まれるようにして浮遊しているのは、二振りの剣だった。
剣の神とか雷神などとして知られているゾーガ。
軍神、武神として世界における秩序の守護を司るゾーガ神が、化身たる戦闘神官と認めた者に、その証として与えるとされるものが、《厳之霊の剣》――別名「雷戦士の剣」だ。
目の前にある損傷した『宝玉』の結界は、現在では、その剣を保持する役目を担っている、とは、《闇の魔王子》から伝えられた話である。
ちなみに、ソルタニア軍の主力部隊である聖剣騎士団は、ゾーガ神殿の《剣の騎士団》が原型で、これは戦闘神官である雷戦士を頂点とした、極めて強力な武力集団――だった(過去形)と聞いている。
永らく雷戦士の証を受けた者が不在だった為に、《剣の騎士団》も事実上不在となっている。
ただ、その中で、ナウザー神殿付きだった部隊が中核となって、ソルタニアの聖剣騎士団となったらしいが、そのあたりの経緯に関する記録や文献が、ソルタニアの蔵書において、散逸、もしくは破棄されている箇所の大半を占めているようだ。
十三の騎士団から構成されている聖剣騎士団は、ソルタニア軍の主力だが、あの金髪隻眼なイケメン団長イグニート卿が率いる弟七騎士団以外の、他の騎士団については、セーラ皇女も興味がなかったようで、全くわからない。
厳密には《武の皇女》のカテゴリーなので、関わらないようにしていたと言うところである。
などと、大妙寺晶が、全くとりとめの無い事を考えているうちに、セーラ皇女は淡い光球の中に足を踏み入れた。
確かに、アゾナの結界における制約がいくつか及んでいない事が感じられる。
アゾナの結界内では、結界の外とのやり取りは遮断されているのだが、ここならば……
セーラ皇女が魔力を開放する。
技巧を駆使して、アゾナの結界外に通じる微かな亜空間の隙間とも言うべき部分を検索し、そこへ、魔力を触手のように伸ばす。
さほど、時間をおかずに、その触手が結界の外へと辿りつくのを感じ、そこから、アクティブソナーのように、魔力の波動を放つ。
近くに、皇女が作成した魔石の反応を二つ感じた。
魔道騎士団に授与した、支援魔力を肩代わりする魔石だ。
各員の個性に合わせてチューニングしているので、持ち主がわかる。サーシャさんとエレナだ。
セーラ皇女は少し考え、サーシャさんの魔石を目印に思念の波動を送る。
(サーシャ、聞こえるか)
(あら、アキラちゃん……じゃなくって、皇女殿下ですわね。ん~、申し訳ありませんけど、今、取り込み中で)
おそらくは、キマイラの大群を相手に激戦の只中なのだろうが、相変わらずの、ぽわぽわな波動が返ってくる。
セーラ皇女は、なかば苦笑に似た波動で応える。
(そちらの状況は、おおよそ把握している。もう少し持ちこたえてくれ。だが、決して、紅いやつには手を出すな。向かってくるようなら、魔道人形を矢面に立たせろ)
(了解しましたわ。でも、命令されても、あんなドラゴン級の相手にどうこうしようと言うのは無理っぽいかと)
さすがに、魔道騎士団最強の魔女だけに、敵の力量を正しく観察しているようだ。
皇女は、これ以上の指示は不要と判断し、連絡を打切ると、次に魔力の触手を、更に遠くに伸ばした。
あらゆるものに魔力の要素、つまり、魔素が存在するナウザーにあっては、多かれ少なかれ、全ての存在が、その魔素による影響や制約を回避する事はできない。
しかし、異世界の亜人こと大妙寺晶は違う。
魔力的な要素を全く持たないぼくは、例えば魔力の布が見えないし、触れもしない。
最強の鎧である筈の魔法衣は、ぼくには全く無効となる。
つまりは、ぼくはナウザーにおける魔法の制約といったものとは無縁……とまでは言わないが、少しずれた位置にあるのではないか、と言うのが《闇の魔王子》の見解だった。
この異世界と極めて相性が悪く、本来であれば、とっくに弾き出されている――という感触を、漆黒の戦士ダークに交代している時には常に覚えているわけではあるが、それが未だに、この異世界に留まっているのは、ぼくと言う触媒を介して、セーラ皇女と結びついているからだろう、とも、《闇の魔王子》は言っていた。
そして、ぼくと同様に、ナウザーにおける魔法の制約に影響されないと思われるものが存在する。
すなわち、ぼく、大妙寺晶が召喚された時に持ち込んだ二つの品物。
この異世界には存在し得ない、魔法や魔力とは無縁の、ぼくの世界の物質で構成されたものだ。
まずは、腰に巻いていたタオルだが、これはぼくの世界を知る貴重な資料として、現在ではソルタニアのナウザー神殿に保管されているそうだ。
糸や織り方、染料などが研究の対象となっているようで、封印区域に厳重に保管されており、《魔の皇女》と言えども手が出せない。
もうひとつ、ぼくが捕らえられた時に紛失してしまった牛乳瓶。
おそらくは、戦場となったヤンボル高原のどこかに転がっているはずだ。
大陸の中西部にあるヤンボル高原からソルタニア皇都まで一月旅程、ソルタニア皇都から南下した位置にあるこのアゾナ城塞都市も、ほぼ一月旅程の距離がある。
従って、このアゾナからヤンボル高原までは、大雑把に二月旅程の距離がある筈だが、《魔の皇女》はその距離をものともせずに、魔力の触手をヤンボル高原まで届かせた。
もっとも、これは、ヤンボル高原と言う場所が、セーラ皇女にとっても記念碑的な場所である事が影響している。
――ぼくたちが初めて出会った(?)場所なのだから。
そして、目的のものはすぐに見つかった。
ナウザーにとっての異世界のモノなので、セーラ皇女にとっては、比較的探索しやすかったようだ。
戦場と言う、大きな混沌の渦中にあったにも関わらず、その牛乳瓶は割れもせずに、草むらの中で転がっていた。
魔力の触手を通じて、牛乳瓶の周りを囲むように転移魔法の魔石を生成する。
さほどの時間をおかずに、牛乳瓶はセーラ皇女の手中に転移されてきた。
この世界でただひとつの、しかし、なんの変哲も無いガラス瓶。
硝子と言う素材自体は、このナウザーにも存在し、窓や器具に使われている。
だが、これから行う作業に使えるガラスは、この牛乳瓶だけしか存在しないのだ。
直接に魔力を注いで加工するわけにはいかないので、各作業工程に応じた魔石を別途に生成……しようとして、ポカンとして、こちらを見ているフィーナに気がついた。
その背後に設えられた姿見に、未だに納めきっていない秘石が艶やかなお尻から垂れ下がっているのが映っている。
「それをさっさと納めてしまいなさい」
セーラ皇女の指示が飛ぶと、フィーナは慌てて四つん這いになり、残りの秘石を入れる行為を始めた。
そんな金髪の美少女の悩ましい姿を横に、セーラ皇女は魔石を生成し、牛乳瓶を加工すべく作業を始めた。
もっとも、それほどたいした加工ではない。
魔力の触手で持ち上げた牛乳瓶のガラスを炎の魔石で溶かし、それをそのまま、水の魔石で生成した冷水に、いくつかに分けて落とすだけである。
溶けて液体になったガラスは表面張力で球形となって、そのまま冷えて固まる。
つまり、大きめのビー玉のようなものを造ったことになる。
水の魔石によって生成された冷水によって急激に冷やされた事で、一種の強化ガラスなビー玉になった筈だ。
熱処理によって表面層と内部の密度差をつけることによって応力場を形成する、この強化ガラスの製法は、ぼくの世界にもあるが、ナウザーでも比較的知られた製法のようだ。
八個のガラス玉を生成したところで、作業を止める。
素材である牛乳瓶のガラスはまだあるが、目的のものを作るには、この数が限界のはずだった。
《闇の魔王子》の助言を元に、セーラ皇女が考えた魔法陣を水で床に描く。
指を少し切って血を垂らすと、魔力の根源である血液が、魔法陣を構成する水に瞬く間に広がっていく。
そう、水に魔力を込める時の本来の手法はこれである。
いつぞやの手紙は、弄繰り回した結果、潤沢となった別の体液で代替……いや、その、えーと。
魔法陣の要所に八個のガラス玉を配置したところで、フィーナが、ひときわ大きな、喘ぎとも悲鳴ともつかぬ声を上げた。
そちらを見ると、ようやく秘石を納めきったようで、色々と大変な事になっている部分を広げた格好のまま、腰を痙攣させていた。
どうも失神したようだ。
これからの作業を目撃されるのは具合が悪いので、ちょうど良かったというべきか。
浮遊する二振りの剣のうち、どちらを選択するか、若干逡巡する。
鞘におさまったそれらの剣は、どちらもダークの主要兵装に匹敵する大剣だが、全く同じもののように見えて、何かが異なるように思えた。
なんとなく引かれるものを感じて、その一方を選ぶことにする。
ここからが問題である。
アゾナの制約が無効化された淡い光球の中で、大妙寺晶の姿になる。
《闇の魔王子》の心象空間を除けば、久方ぶりの自分の身体だ。
交代するに伴い、身体の制御権は再び、ぼくの主導下におかれる。
つまり、ここからの作業は、ぼく自身で行わねばならない。
選んだ一振りの鞘を左手で、柄を右手で掴む。
この異世界における森羅万象に含まれる魔素。人々に魔法と言う恩恵を与える一方で、いくつかの制約をもたらすことにもなる。
雷戦士の証であり、雷神ゾーガが認めた戦闘神官でなければ、抜くことはできないとされる《厳之霊の剣》。
魔戦器と呼んでいる、魔石を組み込んだ紛い物では無く、このナウザーにおける本物の魔法剣。
雷神ゾーガの神剣とも言うべき、この剣の使い手がゾーガの信託によって選ばれるのも、先に述べた制約の一部ではないか、と、言うのが《闇の魔王子》の見解だった。
では、魔力を全く持たない、魔素に無縁の、異世界の亜人に、その制約が及ぶのか。
いや、そもそも、制約をいくつか無効化したとは言え、アゾナ神の神殿の中で、ゾーガ神の発動とも言える神剣を抜くと言う行為が可能なのか。
――などと言う、葛藤を台無しにするように、ぼくは、あっさりと、その剣を抜いた。




