魔王子の子孫と隠蔽の魔法
復讐は新たな復讐を生むだけである、とは、何かで読んだ言葉であるが、けだし名言である。
《闇の魔王子》の亜空間から戻ったぼくがやったのは、まず、その場に気絶して倒れているフィーナを、奥院の医務に運ぶ事だった。
次にやったことが、私室に割り当てられた部屋に、姿見やら自分を映す魔道具をどっさりと運び込んだ上での仕返しの仕返し……いや、セーラ皇女の身体調査だ。
視覚を始めとする、色んな感覚を堪能……いやいや、その、つまり、再び“分離”するような事があった場合、セーラ皇女へ反撃する可能性を少しでも高める為に、言い換えると、大妙寺晶の生存率を向上させる為に、皇女の身体について、どこをどうすればどうなるかを知っておくべきではないか、と熟慮し、苦渋の決断の末に実行した次第であって、決して、あんな事をされた為に、現役男子高校生のリビドーに火がついて暴走したわけでは無い。
信憑性皆無かもしれないが、敢えて否定しておく。
それはそれとして、セーラ皇女の身体スペックの高さについて、今更ながらに驚異的であると実感した。
柔軟性などは特筆すべきで、アクロバティックなあれこれができてしまった。
自分でした時と、他者にされた時の相違はあるかもしれないが、皇女の身体感覚の分布に関しては、本人よりも詳しくなったような気がする。
ちなみに、セーラ皇女の意識は、最初のうちは抵抗を試みていたが、あまりの羞恥と感覚に、途中で失神したような感じだった。
そんな事情で、《闇の魔王子》の遺産に関してが後回しになったわけであるが、これはある意味、仕方が無いと言えるだろう。
いや、仕方の無い話である(きっぱり)
例えば。
ぼくの世界での比喩になるのだが。
街中を歩いている時に、知人から、道行く中の特定の人を示されて
「あ、あそこにいるのはフィールズ賞を受賞した○○さんだ」
と、言われたとする。
多分、ほとんどの人は「ふ~ん」で終わるのではないだろうか。
これがノーベル賞受賞者だった場合、よく知らなくても、もっと興味を示すだろうし、声優の女性だったら、ぼくなどはサインをもらいにダッシュした筈だ。
数学に関しては最高の権威を有するフィールズ賞はノーベル賞以上に獲得が困難な賞だという事だが、多分、それを説明されても、さほどリアクションは変わらないと思う。
知識として、凄い、と言う事は理解しても、次元が違いすぎて、いまひとつピンとこないのではないだろうか。
《闇の魔王子》の遺産も同じで、セーラ皇女の知識を通じて、なんとなくわかるのだが、それでお終いである。
それよりも、《闇の魔王子》からのアドバイスの方が興味深かった。
じつのところ、皇女が復讐を果たすまで所要時間は――極めて短かった。
(だって、若いんだから、あんなに密着してされたら、そんなに持たないのは仕方ないじゃないか)
そういうわけで、我に返ったセーラ皇女が、自己嫌悪モードになったらしく、ひざを抱えてうずくまってしまったのをよそに、所謂、賢者な時間になったぼくは、全裸な金髪美少女の姿をした《闇の魔王子》と色々と会話する機会を得た。
二百年前の異世界で、直接に会うことができていれば、親友になれたかもしれないと感じるほど、短い時間だったが意気投合した。
アゾナに居た理由や、アゾナの結界が損傷した経緯に関しては、本当に記憶が無いと言う事がわかった。これは、残留思念の分身とやらにめぐり合う機会でもなければ、永遠に謎のままだろう。
とにかく《闇の魔王子》と呼称されるフィール王子の人物像は、二百年の間に、だいぶ悪役に脚色されて伝わっているように見受けられた。
また、ぼくの世界の言葉――日本語の文字などを知っている理由も記憶が無いと言う話だったが、どうも、転生者と言うパターンな人物のような気がする。
ぼくのように召喚されたケースがある異世界なので、ぼくの世界から記憶を持って転生した人がいても不思議は無いと言うのは強引だろうか。
ともあれ、有意義な会話や、貴重なアイディアの提供を受けて《闇の魔王子》の時間は終わった。
ついでに、ぼくの賢者な時間も終わったので、先に述べた、今後のための色々な調査(?)に至った次第である。
さて、《闇の魔王子》の子孫であるフィーナだが、彼女の目が覚めた時、お約束と言うか、当然と言うか、ご先祖に憑依されていた時の事は全く憶えていなかったようだ。
それどころか、ご先祖の影響が全く消えたせいか、あのサーシャさんに比肩しそうな印象はどこへやら、再び眼にしたのは、容姿は全く同じながら、別人のように気弱そうな金髪娘だった。
しかも、とんでもない事実が医務の女官から導師に告げられていた。
「隠蔽の魔法……ですか?」
翌日の稽古の後、アネッサ導師の部屋に呼ばれたぼくは、そこに正座させられているフィーナを見て驚いたが、アネッサ導師から告げられた事実を聞いて、もっと驚いた。
舞姫の資格の一つに、一定水準の魔力保持者である事が挙げられる。
神官としての側面がある為ではあるが、身体的技能が優先される事もあって、さほど高い水準は求められていない。
ぼくには理解しづらいが、魔法衣の布がそこそこに濃い色に見えるレベルで有ればよいとされている。
逆に、魔力がどれほどのものであっても、あまり重要視はされない。
この奥院においては、魔法の行使自体、結界によって阻まれているところがあるので、魔道具以外で魔法を発動することは、通常は難しいとされている。
《闇の魔王子》の魔力が、どれほど桁外れなものか、これひとつとっても分かろうというものだが、その子孫には、それが却ってアダになったのかもしれない。
図書室以外で、フィーナを見た記憶が無いのも当然で、彼女は隠蔽の魔法を行使していたのである。
ひとくちに隠蔽の魔法といっても、完全に姿を消すタイプから、別の人物像を浮かび上がらせる――どちらかと言うと変装に近いタイプまで、いくつかのバリエーションがあるが、フィーナが行使していたのは、自分の存在感を無くすタイプだ。
つまり、他者から姿は見えているのだが、道端に落ちている石ころと同じように、気にならないようになる魔法と言うことで、たしか、ぼくの世界で、数十年に渡って人気があるアニメの猫型ロボットが、そういう効果のある帽子を持っていたはずだ。
《闇の魔王子》の子孫が、何故に、そんな事をしていたのかと言うと……
「だって、恥ずかしかったんですぅ~」
正座したフィーナが消え入りそうな声で言う。もう、キャラが完全に変わっている。
と、言うか、こちらが本来の性格で、図書室ではキーワードを記されたあの巻物か何かのせいで《闇の魔王子》の影響下にあったと見るべきだろう。
それはともかくとして――
「………………」
「………………」
アネッサ導師はこめかみを押さえ、ぼくも頭を抱えたくなった。
確かに気持ちはわかるのだが、それを言ってはおしまいである。
こんなんで、よく“試練の館”をパスしたものだ。
いや、ひょっとして――
「えっとぉ、あそこも魔法で……なんとなくぅ」
つまり、《闇の魔王子》譲りの桁外れな魔力で、隠蔽の魔法を行使しまくって、“試練の館”を潜り抜けて奥院へ入り込み、更には隠蔽したまんまで、今まで奥院に居たと言う事らしい。
ご先祖に憑依され、それが消失したショックか何かで気絶して、隠蔽の魔法が解けた状態で医務の女官に調べられて、ようやく事実が明るみになった、と、こういうことのようだ。
あるいは、《闇の魔王子》も、こうやってアゾナに入ったのかもしれないと思ったが、当時のアゾナの結界は完璧だったわけで、弱体化した現在も、条件を満たさなければ、亜空間経由でも男子は入る事ができない状況を見るに、それは無いと考え直した。
人物像こそ伝承とは違うようだが、会話した印象では、あのパーソナリティは男のものに間違いない。
あるいは、転生者だとして、精神は男のままで身体は女性だった、と、言うパターンの可能性もあるが、一応、王子と伝えられている点を考慮すると、それも考えにくい。
由来は不明だが、この異世界の王族において、性別を偽る事は一種の禁忌とされているからだ。
なんにせよ、伝承通りに厄介な人のようだが、その子孫も負けず劣らずである。
既に事情を聞いているらしいアネッサ導師は苦虫を大量に噛み潰したような表情である。
余談ではあるが、異世界で薬とされる苦虫の粉は効能効果は折り紙付だが、一週間ほどは、何を食べてもエグい苦味しか感じられなくなると言う欠点がある。
副作用が無いので、軽い刑罰等にも使われるそうだ。
ぼくの世界で言えば、ひたすら青汁を飲ませ続けられるような感覚かもしれない。
余談はさておき、大変な事になったものである。
厳格な神事でもあるアゾナの奥院への入場審査において、言わばカンニングが成功してしまったわけで、これが表沙汰になればアゾナ神の信仰体系を揺るがすレベルのスキャンダルと言う事になる。
神殿の中でも、対応が揉めたらしく、一番強硬な意見としては、不埒な侵入者を始末して、この件を治める旨もあったそうだ。
「ひっ」
そう聞かされてフィーナは震え上がり、涙ぐんでしまっていた。
それを見ながらアネッサ導師は深い溜息をついた。
「いくらなんでも乙女の守護を司るアゾナ神のお膝元で、あなたのような娘をどうこうするわけにもいきません。まぁ、奥院にいるのは事実ですので、奥院にいる女官補としてふさわしいレベルまで、あなたを引き上げる事になりました」
アネッサ導師の、その言葉にフィーナはほっと息をついたようだったが、ぼくは、首を傾げてしまった。
女官補としてふさわしいレベルまで引き上げるとは、どういうことだろう。
「いささか未熟なところはありますが、舞姫と呼ばれるまでの資質はあると思います。かなり頑張る必要がありますが、鍛えようによっては何とかなるでしょう」
アネッサ導師は、そう言って、ぼくの方を見た。
「セーラ女官補。あなたに、この娘の底上げをお願いします」
「え?」
ぼくは、思わず間抜けな声を上げたかもしれない。
それに構わず、アネッサ導師は話を続けた。
「この件に関わる人間は、なるべく少なくする必要があります。詳細は敢えて訊きませんが、あなたは、この娘の知り合いのようですし、うってつけだと思います」
ここで、楚々として上品な風情の黒髪の女官は、その美しい顔に微笑みを浮かべた。
「それに、実際のところ、あなたのレベルですと私から教えられる事は、それほどたくさんはありません。さすがは、ソルタニア聖皇国の《魔の皇女》、と言うところでしょうね」
やっぱり、アゾナ神殿側にはバレバレだったようだ。
ソルタニア聖皇家は、ナウザー創造神本殿における神官の頂点に連なる一族でもあるので、他の神殿も、そこの皇女を知らないわけは無いと言うことだろう。
「え? 《魔の皇女》? ソルタニア聖皇家の第一皇女の? な、なんで?」
フィーナが疑問符だらけの声を出して、びっくりした様子でぼくを見つめている。
アゾナの舞姫は、主に平民の娘が出世する手段として志望するケースが多いので、ナウザーで知らぬものが居ないソルタニア聖皇国の皇家、しかも、第一皇女が、舞姫の修行場にいるのが意外なのだろう。
《闇の魔王子》の子孫である彼女も、一応、王族に連なる筈だが、悪評高い人物の子孫では、おそらくは、断絶させられたか何かであろう事は容易に想像できる。
(ああ、それで……か)
《闇の魔王子》が子孫に幾つかの『遺産』を残している理由が、なんとなくわかったような気がした。
「セーラ女官補、私の導師としての権限で、あなたが宝物庫を期限付きで使用する事を承認します」
アネッサ導師が言う「宝物庫」とは、導師以上の資格が無ければ立ち入りできない区域のことで、言わば、スタッフオンリーな場所の総称だ。
この神域内では、唯一身につける事が許される装身具の材質で、その人物がどういう立場にいるかを示すわけだが、貴金属や宝石の装身具を身につける事が、即ち、導師以上の資格を示す事となるので、このような俗称がついたようである。
アネッサ導師の申し出は、臨時の導師として、他の女官補の目に付かないところでフィーナを特訓しろ、と、言う事になる。
「特に、この娘は神気の取り込みや、そもそもの“試練”による意識改革が不足していますので、苦労をかけると思いますが……」
アネッサ導師は懇願するように言い、フィーナは不安そうに、子犬を思わせる上目遣いで、ぼくを見ている。
つまり、秘石を入れたり、“試練の館”での、あんなことやこんなことを、保護欲をかきたてるキャラとなった金髪の美少女に施せと、この黒髪の女官はお願いしているのだ。
何このご褒美!
もちろん、ぼくが、一も二も無く快諾したことは言うまでもない。