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闇の魔王子と皇女の復讐

 何故か、元の世界の日本語で書かれた書名。

 正確には、そのように見えたので、見えるとおりに声に出して読み上げた瞬間、不意に周囲の光景が変わった。

 文献保存の為に、窓も無く、元々明るくはなかった書庫ではあったけれども、これほどに完全な闇ではなかった筈だ。


「まさか、このキーワードを読める人間が、子孫以外に現れようとはね」


 声がするので、そちらを向くと、フィーナが苦笑してこちらを見やっている。

 闇の中で、彼女の姿だけが、くっきりと見える。

 いや、そうじゃない。

 ぼくは自分の手や身体を見下ろした。こんな闇の中でぼくの身体も同じように見えている。

 もっとも、身体の方は、見下ろしても巨乳がじゃまでよくわからなかったけど。

 普通の“見える”状態ではなくて、視覚的に存在を感じていると言うか……うまく説明できない。

 だが、それよりも重要な事があった。


「フィーナ……いや、いったいあなたは誰?」


 セーラ皇女の意識が前面に出て、目の前の金髪娘を指差しながら問い詰める。


「ふうん、人をそんなに指差ししてはいけないと言う躾がない――いや、これは……」


 フィーナと名乗っていた美しい少女は、訝しげにこちらを見ていたが、すぐに納得したようにうなずいた。


「なるほど、『重なって』いるのか。珍しいね、どれ」


 そう言って、しなやかな指をパチンと鳴らす。

 次の瞬間、ぼくは、セーラ皇女から引きずり出されるような感覚があった。

 いや、事実、ぼくの横にセーラ皇女が立っている。

 慌てて下を見下ろすと、巨乳は無く、見慣れたものが見える。

 大妙寺晶の身体だ。

 セーラ皇女も、ぼくの方を見て、驚く……前に、視線を下に向けてから、顔を赤らめた。

 ぼくも見ているからお互い様なんだけどさ。

 今更な気はしたが、両手で股間を覆う。

 皇女の方も手で覆うが、隠す対象が二箇所で、片方が巨乳だからか大変そうだ。


「いやいや、二人だけかと思ったら……」


 フィーナの呆れたような声で、不意に、もう一人(?)の事を思い出し、金髪の少女の視線を辿って、後ろを振り返る。


 こうして、近くで、ゆっくりと見るのは初めてだろう。

 そこに佇む漆黒の戦士をセーラ皇女も珍しそうに眺めている。

 頭部は、ぼくの世界で言うフルフェイスのヘルメットのようで、黒いメタリックなそれの奥には何も見えない。

 身体は甲冑と言うよりは、もう少しスマートなフォルムで、要所をプロテクターで覆ったレーシングスーツと言った風情だろうか。

 但し、質感が全体的に金属的なので、どちらかと言うと、ロボットとかアンドロイドに近いイメージだ。

 背負っている巨大なそれも、剣と言うよりは別の何かに見える。生じている大きなヒビは、以前に見たよりも広がっているようだ。

 漆黒のボディーが、この闇の中で“見えて”いる状態と言うのは、やはり普通の視覚ではないのだろう。

 ただ、ダークの存在感は、セーラ皇女やフィーナと比べて、かなり希薄な印象がある。

 と、言うか、意思とか自我の気配がまったく感じられない。


「へぇ、これは、また、なんとも」


 金髪の美しい少女も、また、珍しげにダークを眺め、あちらこちらを触っている。


「あー、あんまり触ると危ないかも」


 思わず、声をかける。

 敵性行動と解釈された場合、この漆黒の存在がどのような行動にでるかが、全く予想がつかない。


「大丈夫……かな。なんだか、ここに『存在する』だけで精一杯みたいだ。多分、この『空間』であっても世界ナウザーと極めて

相性が悪いと言う影響は免れないみたいだね」

 その言葉で、さっきの問いを思い出したのか、“分離”した事の驚きから我に返ったらしいセーラ皇女が鋭い目線で金髪の少女を睨む。


「もう一度聞くわ。あなたは誰? ここはどこ?」


 胸と股間を隠しながらでは、あまり様になっていないような気がするけど。


「わからない?」


 金髪の少女は腰に手を当てて、いたずらっぽい笑みを浮かべていた。


「いや……まさか、だって……」


 問い詰めている筈の、青い髪の少女の方がうろたえている感じだ。


「ありえない。あなたが《闇の魔王子》だなんて」

「正確には、その残留思念だけどね」


 そして、口調まで変わった金髪の少女は、この空間全体を示すように手を広げた。


「ここは、キーワードで展開する――心象空間とでも言うかな。世界ナウザーとは少しずれた位置に展開する、ぼくが構成した異界とでも言えばわかってもらえるかい」


 個人で亜空間を作っているとでも言えばよいのだろうか。とんでもなく桁外れの魔力だ。


「ぼくの意思がここでの法則になる。だから、“重なっている”状態の君たちを一時的に分けていられる。無論、元の世界ナウザーに戻れば、また……」


 金髪の少女は最後まで言わずに、肩をすくめて見せた。

 どうでもいいけど、皇女と違って、仮にも男であるぼくの前で、一向に隠す気配が無い。

 非常に結構な事ではあるが、前かがみにならざるを得ないので、残念ながら視線を逸らす。時々、こちらを見るセーラ皇女の視線が、ちょっと怖いし。

 それに気がついたように、金髪の少女はぼくを見据えた。


「人が話している時は、ちゃんと相手を見るように。……とは言うものの、ぼくも、そんなものは見たくないし。ふむ」


 再度、少女が指を鳴らすと、次の瞬間、ぼくは衣服を身につけていた。

 今までに見たことの無い意匠デザインだ。

 貫頭衣を基本としたナウザー中部のものと異なり、ぼくの世界で言う柔道着に近いだろうか。但し、布地はもう少し薄くて柔らかい。


「ナウザー東方にあるウルネシアのものだよ。今様の服飾かどうかは知らないけどね」

「あの……私たちも、こんな格好でいるのは……」


 セーラ皇女が懇願するように言う。

 まぁ、男のぼくだけ服を着て、女性だけが何も着ていないと言う図も……これはこれで有りかな。


「却下。一応、ここはアゾナの神域内だからね。童子は裸でいる事を許されず、乙女は宝飾以外は身につけてはいけない」


 それを聞いて、ぼくは首を傾げた。聞いている話と少し違う。

 金髪の少女が気づいたように説明してくれる。


「ああ、昔……結界が完全だった頃は、男は赤子でも入れない神域だったけど、今は弱まっているから、赤子――乳飲み子は大丈夫だし、童子とかは条件付で、男である事を露わにしていない場合には入れるケースがあるよ」


 セーラ皇女が、ぼくに『位置』を譲れなかったのは、衣服無しの状態だったからだろか。


「ただ、これも制約が有って、君の場合はギリギリかな」


 例えがおかしいが、銭湯で女湯に入れる年齢制限が、かなり高い設定になっているような感じだろうか。


「あー、君の年齢でも、剥けていて、生えている場合は無理だけど、そうじゃないからなぁ」


 ぐさ、と、見えない矢が胸を貫いたような錯覚があった。

 確かに、一部、ご指摘の通りではある。しかし、生えていないのはセーラ皇女であって……

 背筋に冷たいものが走ったので、思考を緊急放棄した。

 横目で確認すると、青い髪の少女がにこやかにこちらを見ている。

 信じられないほど綺麗な笑顔だが、その眼が凄く怖い。




「さて、じつは、あまり時間が無い」


 金髪の少女は、脱線した会話を元に戻すように言った。


「署名を記した文書と、対応するキーワードの波動がセットになって、ぼくの残留思念が、心象世界を発動する。これは、本来、ぼくが子孫向けに幾つか残した、遺産継承のシステムのひとつだったわけだけど――」


 金髪の少女は、ぼくを見ながら、苦笑した。


「子孫たるフィーナは、キーワードを知らず、まさか、全くの部外者があの文字を読めるとはねぇ」

「なぜ、あなたはあの文字を……日本語を知っているのですか」


 ぼくに代わって、知識を共有するセーラ皇女が尋ねる。


「さてね。何故に、ああいう文字とかを知っているのか。そもそも、なんでアゾナにぼくの残留思念や、それこそ、あんな場違いな『遺産』があるかは、わからない」


 フィーナの姿をした存在は、ゆっくりと首を横に振った。

 どうも、目の前の少女は《闇の魔王子》の子孫にして、その残留思念の依代と言う事らしい。


「もしかしたら他にも居る筈の残留思念――ぼくの分身には、その記憶が残っているものもいるかもしれないけどね」


 だとしても、《闇の魔王子》が男子禁制たるアゾナの神域に居た事情や経緯がわからないが、その辺りは本当に記憶が無いか、教えるつもりはなさそうだ。


「なんにせよ、キーワードを唱えた君たちには『遺産』を継承する権利がある。まぁ、確かにこの地に残したものは、君たちにこそ必要なものだろう」


 その言葉の後に告げられた『遺産』の内容は……じつのところ、ぼくにはピンとこなかったが、多分、驚くべきものだったのだろう。セーラ皇女が息を呑んで絶句していた。

 告げるべき事を告げたらしく《闇の魔王子》の気配が薄れ始めた。


「役目も終わったし、そろそろ、消える頃合になったようだ」


 そこで、金髪の少女は、何かを探るように、少し首を傾げて、そして言葉を続けた。


「うん、もう少し時間があるから、願いとか問いがあったら、可能な限り応えよう。変な言い方だけど、ぼくも、あの『遺産』だけ渡して終わりでは、いささか物足りないしね」

「えーっと、元の世界に戻る方法とか」


 あんまり本気ではなかったが、一応、聞いてみた。


「君たちの“重なり”と言うか、結合を本格的に解くのは、今のところ無理だろうね。それさえ解ければ、帰れるだろうけど」


 あっさりと、可能性を否定された。


「ふう~ん、元の世界に帰りたいわけね。あんな事までしてくれて、ただで逃げられると思う?」


 そう言ったのは、セーラ皇女だ。


「あ、いや、その、お約束と言うか」


 そう応えながら、後ずさりしてしまった。

 目の前の、青い髪をした美しい少女が、ひどく立腹しているのがわかったからだ。


(あ、そういえば、こうやって直接に会話するのは初めてだなぁ)


 と、頭の片隅で思ったが、それ以上に意識を占めるのは警報のような予感だった。

 セーラ皇女が、何かしら、《闇の魔王子》に耳打ちした。

 それを聞いた金髪の少女が、その美しい顔に、なんとも言えない表情を浮かべる。


「まぁ、気持ちはわかるし、できなくはないけど――いいの、その願いで?」

「本当は、もっと違うものを望みたいのですが、この機会は、今しかありません」

「ふむ。まぁ、本人がそういうなら」


 三度みたび、金髪の少女の指が鳴らされる。



 実際に、ぼくが逃げ出したのは、彼女が指を鳴らす動作を開始した時点だっただろうか。

 根拠不明な、しかし、非常に大きな危機感にかられて、《闇の魔王子》の心象空間、つまり、あたり一面の闇の中を、セーラ皇女から少しでも離れるべく、走り出したのだ。

 三度目に、指が鳴らされた音と共に、ぼくの衣服が弾けとんだ。

 その、次の瞬間、後ろから襲い掛かられた。

 まぁ、ぼくが全力疾走で逃げても、魔物や炎狼の追撃を凌ぐ身体能力の持ち主に適うわけがない。

 それは、わかっていたけど、仮にも一国のお姫様が


「キシャアアアアッ」


 とか言う奇声を挙げて襲ってくるのはどうかとも思う。

 あるいは、ソルタニア軍の組討術だか格闘術だかは、そういうものなのだろうか。

 などと、頭の片隅で呑気な事を考えていたのは、現実逃避だったのかもしれない。

 結果として、身の危険を察知したぼくは、逃げようとしたけれども、あっさりとセーラ皇女に捕まったと言う事になる。

 白い、しなやかな左腕が、万力のような強靭さで、ぼくの顎を後ろからホールドする。

 後ろから伸びるセーラ皇女の、形の良い長い足が、ぼくの両足に絡みつくように固定され、ピクリとも動かせない。

 ぼくの両腕は後ろに回され、ぼくの背中とセーラ皇女の身体の間に挟まれた状態で、これも、完全に動きを封じられた。

 かぐわしい息が、後ろから耳をくすぐる。


「ふ、ふ、ふ」


 不気味な笑い声と共に。



「逃げようとしたわね。ただで逃げられると思ったの? あんな事や、あんな行為や、あんな××までしたくせに」


 口調は妙に冷静だったが、その奥にある怨念めいたものを感じさせる声だった。

 顎をがっちりと押さえられているので、こちらはうめき声しか出せない。

 この体勢なので、セーラ皇女の顔を直接見る事ができないのは、あるいは、幸運だったのかもしれない。


「ふうん、『眼には眼を、歯には歯を』か。あなたの世界にも素晴しい格言があるわね」


 ぼくの知識を共有したセーラ皇女は、ぼくの世界で『ハンムラビ法典』の復讐法として知られる有名な一節を、ぼくの耳に囁いた。

 

 完全に四肢の動きを封じられているぼくと異なり、セーラ皇女は右手が自由に動かせる。

 ぼくとセーラ皇女では、『位置』の制御はセーラ皇女が優位で、交代後の身体の制御はぼくが主導権を持つような関係性になっている。

 セーラ皇女の身体は、基本的にぼくが任意に操れるけれども、ぼくの身体をセーラ皇女が操作する事はできないようだ。

 稀に、右手だけが、時々操作できるようだが、それ以外の部分は、ぼくの制御下にあるので、たいした事はできない。

 そんなわけで、今のこの状態は、大妙寺晶ぼくの身体に対して、セーラ皇女が初めて優先権を得た……と、言えなくも無い状態である。

 そして、セーラ皇女の、その右手が、ゆっくりと伸ばされた。


「あなたも、偶には同じ思いをしてみるといいわ」




 こうして《闇の魔王子》の残留思念が展開する亜空間の、最後の時間。

 自我を無くして突っ立ったままの漆黒の戦士と、微妙な表情をした金髪の少女が見守る(?)中。

 ソルタニア聖皇国の《魔の皇女》は、異世界から来た亜人に、あの最初の夜に受けた仕打ちへの『復讐』を遂げた。


 もちろん、ぼくにとっては密着でプレイな『ご褒美』だったわけだが、その認識が「共有」される事は決して無いだろう。

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