奥院の日々
まずは、ヨガにおける猫のポーズ……つまり、四つん這いに近い格好になる。但し、足の幅はやや広めのスタンスだ。
次に、肩を入れ、背筋を反らすと共に、腰を上にあげ、お尻を突き出すような姿勢を取り、しばらく深呼吸を行う。
片方の足を垂直に上方に持ち上げる。膝からつま先まで伸ばした状態で、再度深呼吸を行いつつ、しばらく、その状態でいったん静止。結構きつい。
そして、上方に上げた足を、今度はゆっくりと水平方向に……
「はい、そのまま」
ここで、指導のアネッサ導師が声をかける。
伸ばした足が震えそうになるのを堪えて、その状態をキープする。
かなりきついポーズだが、セーラ皇女の躰は、それを可能にするスペックだった。
それらの一部始終について、一糸も纏わぬ状態で行っているわけであるが、それを後ろから見ているような光景を、目の前の、三面鏡のように設置された魔道具が映し出している。
青い髪の美少女が、どれほどとんでもない格好でいるのかが、じつによくわかる。
「みなさん、ここと、ここの筋肉の動きは非常に参考になったと思います」
アネッサ導師のしなやかな指が、伸ばした足の付け根と大腿部から膝の裏辺りまでにかけてをなぞる。
皇女からは直には見えないが、舞姫候補となる娘達が食い入るように見つめているのを感じる。
セーラ皇女の身体能力の高さゆえに、こうして模範演技のようなことをさせられる機会が多い。
非常にあられもない姿を大勢に晒している事になるのだが、アゾナ奥院への入門審査における“試練”に比べると、羞恥の度合いは低いと言える。
あるいは、あの“試練”は、その為にあんな物凄い内容なのかもしれない。
アゾナの舞姫。
楽神にして乙女の守護を司る女神たるアゾナに仕える巫女の総称で、アゾナ神に奉納する舞を修得している事から、この呼び名がある。
奉納の舞を含む舞踏の類が主な修行となるので、百八十度の開脚等は基礎中の基礎だ。
そういうことをアゾナの神事の約束事に従い、一糸纏わぬ姿で行うのだから、まともな羞恥心を持っていては、修行にならないのだ。
アゾナ神殿の総本山である城塞都市にして神殿都市アゾナの奥院に存在する、この修行場には大陸全土から舞姫を志す娘達がやってくる。
ナウザーにおける《アゾナの舞姫》は、現代日本の感覚では、芸能人とかアイドルに、なんとなく近いものがあるだろうか。
これに、例えば国会議員とか弁護士のような社会的地位が付属して、助産婦や医者の技能を持つ存在と言う感じである。
この異世界には創造神ナウザーを頂点とする多神教のような信仰体系があって、神官と言うべき立場の人々は総じて社会的地位が高い。
おおよそ、世襲だったり、神殿関係者がその役職につくことが多い……早い話が血縁やコネがものを言うのだが、その中にあっても軍神ゾーガと楽神アゾナのそれは特殊な位置にある。
雷神にして剣の神と言う側面を持つ軍神ゾーガについて若干説明すると、“雷戦士”と称される戦闘技能に優れている神官が存在する、いっぷう変わった神殿である。
ゾーガの戦闘神官――雷戦士は、盟約に従ってナウザー神殿から派遣された神官が受ける神託で選ばれる。
しかし、この数十年、ゾーガの神託が無く、その意味ではゾーガ神殿には正統な神官不在と言う状態が続いている。
なお、現在、ゾーガ神殿に派遣され、そこを束ねているのは、ソルタニア皇妃の兄、つまり、セーラ皇女の伯父に当たる人物で、皇位継承権の無いソルタニア皇家の男子は、概ねゾーガ神殿の運営に携わるケースが多いそうだ。
ゾーガ神殿は原則として女人禁制なので、だいぶ禁欲的な生活を強いられる事になるが、ソルタニア皇家の男子は代々淡泊な性格な人物が多いと言うのも理由のひとつらしい。
軍神ゾーガは秩序を守る戦いの神だが、人同士の争いではなく、世界の秩序を崩すような邪神や異界からの強力な魔物が現れた時、これを鎮める為に顕現するとされている。
イズミットの大侵攻については、異界の魔物を召喚する、その手法に対して、そろそろゾーガの神託があっても良いのではないかとも言われているが、本質は国家間の争い――人同士の争いである為に軍神は関与しないとも言う説もあり、ナウザー神殿の神官達の間でなされる神学上の議論のひとつになっているようである。
話が脱線したが、つまりは、軍神ゾーガの正統な神官は神託によってのみ選ばれる存在なのだ。
さて、一方のアゾナ神殿である。
こちらの神官に該当する舞姫の資格を得るに当たっては、神託のような超自然的な要因や神秘性は一切存在しない。
修行の場に入る時の“試練”は公開できない……厳密には、口にできないような性質のものだが、修行そのものは人為的な技術の修得になる。
つまるところ、楽神アゾナの神官は、人為的な技術の習得を基準として、常に供給されている存在といえる。
但し、その技術の習得は生半可なものでは無く、途中で脱落する娘たちも多い。
修行の内容も舞踏というよりもヨガに近いものがあるような感じだ。
処女神であるアゾナの神官としての資格は、婚姻、もしくは、三〇歳未満と言う年齢の制約によって失われる事となるので、元舞姫と言う女性は多いかもしれないが、現役のアゾナ神官たる舞姫は、決して多いとは言えない。
それでも、アゾナの舞姫を目指す少なくない数の乙女達が、この城塞都市の門を叩くのである。
いや、これは過去形で語られるべきだろう。
イズミットの大侵攻に始まる戦乱、及び、それに伴う治安の悪化により、若い女性が国々を往来する事のリスクが飛躍的に高まった為、アゾナを訪れる舞姫志願者は、この数年で数えるほどにまで減ってしまっていると聞いた。
皇女を含めて、ここ数ヶ月の間で、アゾナの奥院への入場は一〇人に満たない状況だそうだ。
アゾナ奥院の中では身分の上下や出自、国家間の揉め事は一切無関係と言う事になっている。
従って、先日に入場した青い髪の少女の身分については、特に話題にもなっていない。
そもそも《魔の皇女》は《武の皇女》や正統後継者たる第三皇女と異なり、あまり表に姿を現さなかったということもある。
魔道に関わる者は、原則として政治的な権限から遠ざけられるので、対外的に名前は知られていても、公の場には姿を現すことは稀だし、その肖像画も一般に公開される事は無い。
特に秘密にしているとか言うわけでもないのだが、なんとなく、そうなっていると言う雰囲気である。
青い髪のおかげで、ソルタニア聖皇家に関わりがあると言うことは、薄々感づいている人もいるかもしれないが、舞姫志願の娘達は、平民出身者が多い事もあって、ソルタニア聖皇国の第一皇女その人であると言う事は、聖皇国から一月旅程も離れたアゾナではわからないかもしれない。
アゾナ神殿の決まりで、この奥院では衣服を纏う、つまりは、体を覆ったり、隠したりする事が禁じられているので、修行中はあられもない姿を晒すことになるわけなのではあるが、これは神事と言うよりも、プロポーションの維持や、舞踏における筋肉の動きを露にすると言う理由が大きいようだ。
教官にあたる導師と呼ばれる女官――これも全裸なので、唯一身につける事が許されるアクセサリー等で見分けることになるのだが、彼女たちは、舞姫志願者の何一つ隠す事の無い体を観察し、その健康状態や、体質に合わせて個別に指導をしていると聞かされた。
アネッサ導師は、皇女に模範演技をさせて、筋肉の動きを観察したり、他の舞姫志願者に見せたりしているわけだが、ぼくの方からは、導師や他の志願者の演舞を見ても、今のところはよくわからないと言うのが実情だ。
そして、もうひとつ、アゾナ奥院は、微かに神気が感じられる結界となっており、この神気を全身に満遍なく浴びると言う事も重要な理由となっている。
つまりは、奥院での修行中は、アゾナの神気によって禊を続けている状態といってもいい。
だが、パーティーの薬師のおばさんが教えてくれた通り、二百年前に《闇の魔王子》が結界の魔石の九割を壊してしまった為に、この禊だけでは神気が足りない状態とされている。
この為、不足する神気を結晶化した、秘石と呼ばれる一種の魔石を体内に取り込む事も重要な修行となっているのだが、これが大変と言うか、なんと言うか。
「それでは、秘石納めの儀を、引き続き、セーラ女官補にやって頂きます」
再び四つん這いに近い格好になったぼくに、アネッサ導師が秘石と香油の入った小さな壺を渡してくる。
巷間に言われる《アゾナの舞姫》という呼称はアゾナの施設内では使用されず、単に「女官」と言う名称が使われる。
ぼくたちのような修行中の娘は「女官補」、その指導に当たる女官を「導師」と呼ぶ。
さて、アゾナの神気を結晶化した秘石だが、結晶化にあたって、大きさに下限がある。
つまり、ある一定のサイズを下回ることができない性質らしい。
受け取った秘石の大きさは、何度見ても慣れると言う事がない。
これを少しでも削ると、結晶化が解けてしまうと聞いたが、魔石造りのエキスパートであるセーラ皇女の眼から見ても、そのような結晶構造になっているようだ。
この秘石を体内に納める儀式とは、単純に言うと、超メガ盛りサイズの座薬を挿入すると言うのが一番近い。
秘石は、基本的に棒のような形状なのだが、結晶化するときに生じるムラのようなもののせいで、微妙に曲りくねっており、あちらこちらに筋やら節くれだったところがある。
いつぞやの安産祈願のお守りを半透明にしたら、こんな感じになるだろう。
但し、太さは、あれよりも少し大きい感じで、長さはさらに長い。
こんなものをいきなり入れたりしたら、それこそ大怪我をしてしまう。
なので、香油を塗りこめたり、撫でてほぐしたりと言う手順やコツがあるのだが、それを「秘石納めの儀」と称しているのだ。
最初の1、2回は導師にやってもらうのだが、すぐに自分でさせられる。
模範演技の延長で、新人の女官補たちの前で、ぼくは「秘石納めの儀」を始めた。
まずは、香油を塗りこめて滑りを良くする。この香油には麻痺薬の類が含まれており、括約筋を一時的に緩める作用がある。
そして、指を出し入れして、入念にほぐす。
十分にほぐれたところで、秘石をあてがって……先端部を入れる。
秘石は体内に入ると、しばらくして柔らかくなり、吸収されていくようだが、それまでは非常に硬い状態なので、その長さから、一気に全てを入れるわけには行かない。
入れたり出したりを繰り返して、徐々に押し込んでいく。
初めて、この儀式の説明を受けた後、導師が自分でするところを見せてもらったが、慣れているせいか、いま、渡されたコレ以上のサイズの秘石をスムーズに呑み込んでいくところは驚愕の光景だった。
皇女は、そこまで慣れていないので、非常にゆっくりと、時間をかけて納めていくことになる。
思わず、腰が諤々したり痙攣したりするのを抑える事はできないし、悲鳴とも、呻きとも喘ぎともつかない声が口をついて出るのを止める事もできない。
自分の姿、つまり、四つん這いになった青い髪の美少女が、悶えながらも長大なそれを後ろの部分に入れていく光景が、目の前の三面鏡に映しだされている。
無論、眼を閉じないで、しっかりと見る。これはれっきとした修行なのだ。
セーラ皇女の意識が比較的従順なのは、これらの行為がどんなに羞恥なプレイに見えても、アゾナ神殿における神事に基づくものだと認識しているからだ。
だけど、皇女の意識がぼくに向かって「憶えていなさいよ~」と涙ながらに脅迫まがいの念を送ってくるような気がするのは、これは、筋違いとか、八つ当たりになるのではないかと思う。
何とか「納めの儀」を終えて、色々と大変な状態になった部分を、高々と掲げた姿のままぐったりとなる。
他の娘たちも「納めの儀」を始めたらしく、悲鳴や喘ぎ声が聞こえてくるが、そちらを見やる元気もない。
ぼくの目の前に設置された魔道具に限らず、奥院には、いたるところに姿見や、自分の姿を客観的に映じる魔道具が置いてある。
とにかく「見られる」と言う事を意識させる構造になっており、導師が観察している事を自身でも気がつくように配慮されている。
そんな事情で、ぼくは、セーラ皇女の姿を、客観的に見る事が多くなった。
思い起こしてみると、この異世界に来た夜に水鏡で見て以来、そのような機会があまり無かったような気がする。
アゾナ奥院には多種多様な娘がいるが、セーラ皇女の美しさは抜きん出ている。
しかも、プロポーションも抜群だ。
胸の大きさではサライさんやサーシャさんに一歩譲るかもしれないが、十分以上に巨乳であり、しかも美乳でもある。
腰はきゅっと括れ、お尻は大きく形よく張り出した安産型。
開脚時に見えるところは綺麗なピンク色……あ、いや、それはともかく。
アゾナ奥院に来るまでは、諸所の事情で、基本的に大妙寺晶の姿でいたわけだが、これほど長時間にセーラ皇女の姿で過ごすのは初めてである。
見られたり、弄られたりするのを忌避するセーラ皇女の意識が、何度か、大妙寺晶に位置を譲ろうとしたのだが、アゾナ奥院の結界がそれを阻んでいるようだった。
男子禁制の結界でもあると言う話だったが、亜空間だか別次元だかを経由しても、男子はこの結界には入れないと言う事になる。
アゾナでの日常は「納めの儀」のような部分もあるが、基本的に健康的で開放的な、ヌーディスト兼スポーツクラブと言うべき内容であった。
例えば、食事はナウザー聖皇家のような禁欲的なものでは無く、肉類がメインの、なんとなく、アスリート向けのメニューで、しかもかなり多彩だった。
ひとつには、城砦都市アゾナには、ナウザーの色々な地方から舞姫を志願する娘たちが集まってくる為、食事や料理を初めとする多種多様な知識や文化が集積されていると言う事もあっただろう。
アゾナでの決まりに従って、そのような詮索を自分から行うのはやめておいたが、あるいは、イズミットやその周辺諸国から来た娘も居たかもしれない。
集積された知識の集大成として、アゾナ奥院にはナウザーでも屈指の蔵書を誇る図書館がある。
舞姫志願の娘達は、あまり、利用する事がないのだが、《魔の皇女》にとっては非常に興味深い対象だったようだ。
大妙寺晶としての意識圧を弱めて、身体の主導権をセーラ皇女の意識にまかせるようにすると、皇女は膨大な蔵書の奥に篭って、巻物や碑文を読みふけっていた。
アゾナにおいて、導師の元で行う舞踏の修行が二日、そして、一日は休みと言うか、自主的な修行時間と言うサイクルになっているのだが、その自主的な修行時間のほとんどをセーラ皇女は、知識の習得に当てるようになった。
その中で、その“書物”に出会ったのだ。