召喚される側の事情
一人暮らしを始める事になった事情は、それほど大した話ではない。
商社に勤める父が海外赴任となり、本来は、一家揃って、と言うところなのだが、大学受験の都合で、ぼく一人が残ることになっただけの話だ。
伯母夫婦が近所に居ることもあって、そのあたりの話はスムーズに進んだわけだが、ぼくが残ることに最後まで反対したのが妹であり、毎日電話する事で納得してもらった。
昔は国際電話なんかは高額だったそうだが、ネット時代の現在、安価な連絡手段はいくらでもある。
また、伯母や年上の従姉が二日に一度は顔を出すと言う事で、まったく無制限な一人暮らしと言うわけでもない。
そんなこんなで、始まった一人暮らしではあるが、年頃の高校生がそのような状況になった時に、やってみたい事は……まぁ、いくつかあったが、早速、それらのうちのひとつを実行した。
エロゲとか、そっち方面では無い、わけでもないが、従姉の嗅覚は非常に鋭いので、現在、断念している。
と、いうわけで、従姉や伯母が顔を出した翌日の晩に、念願の風呂上りのフルーツ牛乳一気飲みである。
風呂上りに、タオルを首にひっかけたままの素っ裸で、台所に赴き、冷蔵庫からガラス瓶のフルーツ牛乳を出す。
蓋を外して、仁王立ちとなって、ゴキュッ、ゴキュッと飲む。
熱い体に染み渡る冷たく甘い感覚、そして、開放感。
家族と暮らしていては、特に妹が居る間は、まずもってできない傍若無人な振る舞い。
品が無いと言えなくも無いが、罰を受けるほどの悪行では無い筈だった。
だが、神様だか運命だかの価値観は違ったのだろう。
その次の瞬間、光に包まれて、気がついたら戦場にいた。
ぼくが召喚された時の、ナウザー側の状況は、無論、後から聞いた話をまとめたもので、召喚された瞬間は何がなにやらわからなかった。
と、言うか、こういう異世界へは勇者として召喚されるのが普通じゃないのだろうか。
いや、使い魔として召喚されるケースもあるようだが、某ファンタジーゲームみたいに戦闘の真っ最中に、召喚獣と同等に扱われるのは珍しい部類ではないだろうか。
大体、召喚する側にも事情はあるだろうが、召喚される側の事情とか、状況をもう少し考慮して欲しい、と、主張したい。
いわゆる魔物が異界とやらでどのような日常を送っているかは知らないが、例えば、トイレで用を足している最中に召喚されたら、召喚した方だって困るだろう、と、思う。
さて、ぼくの場合、身に着けているのが、首に引っ掛けたタオルと手にもった空の牛乳瓶だけと言う状況である。
困るなんてものではない。
目がくらむ程の光が消えた途端に屋外に放り出されたと言う認識だけがあった。
そのままでは、色々と問題があると言う意識があったので、慌てて首にひっかけたタオルを腰に巻いた。
その次に、周囲の馬(?)に乗った女の人達がこちらを見て、怖がっている状況なのを理解した。
まぁ、女の集団に、フルチンの男がいきなり出現すれば、怖がるよなぁ、と、ひとごとのように考える。
後から状況を把握した時に、ぼくは召喚された場所が魔道騎士団の中で良かったとわかった。
これが、聖剣騎士団なら、あっという間に槍だか剣だかで殺されていただろう。
攻性魔法は至近距離で使えるものでは無いというのが、ぼくが出現と同時に殺されなかった理由だった。
そして――いきなりの状況の変化にぼくがパニックに陥ったのは、それからだった。
「な、なんだ?どうした?」
自宅に居たはずの自分が、突然に見知らぬ野外に居ること。
周囲には角のある馬(?)や、それに騎乗した、もしくは落馬したのか、地面に倒れたり、座り込んでいたりする周囲の若い女性、そしてその格好。
何より、戦場に固有の凄惨な気配。そして血の匂い。
激変した状況におかれた、普通の高校生としては、ここまで意識が持ったのは上等かもしれない。
もしくは、フルーツ牛乳を少しでもおいしく飲もうしたので、結果として風呂にのぼせていたのだろうか。
かくして、ぼくは、素っ裸にタオルを腰にまいたままの格好で。
戦場と言う凄惨な状況の中で。
あっさりと気絶した。