第13話 初めての家で過ごす夜
玄関の扉が静かに開いた。
主人公に続いて足を踏み入れた三人の少女は、揃って立ち止まった。
広々とした玄関には、木の温かな色合いと落ち着いた石の質感が調和していた。
壁には柔らかな明かりが灯り、正面には大きなガラス越しに中庭が広がっている。
その向こうには、温かな明かりに照らされたリビングが見えた。
左右には中庭を回り込むように廊下が延び、家の奥へと続いていた。
主人公は靴を脱ごうとして、ふと足元に目を留めた。
上がり框から続く木の床には、細かな凹凸が規則的に刻まれている。
名栗加工だった。手斧で丁寧に削り出したような独特の模様が、照明を受けて柔らかな陰影を作っている。
「……おっ!」
主人公は思わずしゃがみ込み、木の表面へ指を滑らせた。
『ああ、名栗加工にしてくれたんだ!』
『はい。主様がお好みでしたので』
『分かってるねーーー! 最高じゃん!』
主人公は嬉しそうに声を上げた。
『この凹凸がいいんだよねぇ。光の当たり方で表情が変わるし、木の感じもすごくいい』
『お気に召していただけて何よりです』
『いやー、いいねぇ。入ってすぐこれだもん。テンション上がるわ』
『ふふっ。ありがとうございます』
主人公は立ち上がり、改めて玄関を見渡した。
天井から床まで伸びる大きな扉は、閉じれば壁とほとんど一体に見えるフルハイドアだった。
枠や金物は目立たず、余計な線のない落ち着いた空間に仕上がっている。
廊下の先に見える室内の扉も、同じように天井から床まで伸びていた。
『扉も全部フルハイドアなんだ。いいねぇ』
『はい。建物全体で意匠を統一しています』
『うん。思ってた以上にいい感じ』
主人公は満足そうに頷くと、靴を脱いで室内へ上がった。
「あ、ここは靴を脱いで入る家なんだ。君たちもどうぞ」
「……はい」
三人は主人公の足元を見てから、慌てて靴を脱いだ。
案内された廊下の床は、磨き上げられた木材でできていた。
足を乗せると、硬すぎず、どこか温かみのある感触が伝わってくる。
ノエルは、そっと足元へ目を落とした。
隙間なく敷き詰められた木の板は、どこを見ても同じ高さに揃っている。
見上げると、天井は驚くほど高かった。
白く柔らかな質感の壁が上へと伸び、その先には木材を組み合わせた美しい天井が広がっている。
太い木の梁が見える場所もあれば、木の板が丁寧に張られた場所もあり、細い木材を等間隔に並べた部分では、その隙間に柔らかな影が落ちていた。
漆喰塗りの壁と木材の色合いが、心地よく調和している。
実際には重量鉄骨と鉄筋コンクリート、ALCなどを組み合わせた強固な建物で、防護性能も十分に確保されていたが、少女たちの目に映るのは、温かみのある木と美しい壁ばかりだった。
それだけではない。廊下を照らしている明かりには炎がなかった。
油の匂いも、煙も、火が揺れる気配さえない。
「どうしたの?」
主人公が振り返ると、少女は少し迷ってから答えた。
「あの……この明かりは、何で光っているのでしょうか?」
「ああ、電気だよ」
「……でんき?」
「うん。まあ、火を使わずに明かりをつけられる仕組みだと思ってくれたらいいよ。詳しいことは、そのうち教えるね」
「はい」
少女は頷いたものの、視線はまだ天井の明かりに向いていた。
主人公はそんな彼女を見て、楽しそうに笑った。
「じゃあ、まずは家の中を見て回ろっか」
廊下を進んだ先には、大きなリビングが広がっていた。
天井の高さは、およそ五メートル。
高い位置には木の梁が現しになっており、天井の一部には木の板が張られ、別の部分には木製のルーバーが整然と並んでいる。
白い漆喰壁と木材の組み合わせが、広い空間に落ち着いた雰囲気を与えていた。
庭に面した壁の大部分は、天井から床まで続く大きなガラスになっている。
高断熱の防弾合わせガラスと断熱層を組み合わせた特別な窓だったが、ガラスを支える枠は壁や天井、床の中へ巧みに隠されていた。
室内からは、まるで一枚の透明な壁越しに庭を眺めているように見える。
リビングには、ゆったりとしたソファと低いテーブルが置かれていた。
庭に面した大きなガラスのそばには、天井から伸びる黒い煙突に吊り下げられたような、独特な形の暖炉が設けられている。
リビングの奥にはダイニングとキッチンが広がり、左右へ伸びる廊下の先には、主人公の寝室や少女たちの部屋、浴室などが配置されていた。
室内の温度はどこも心地よく、空調設備の存在を感じさせる風や騒音はなかった。
家全体が一定の温度に保たれる、全館空調になっている。
「おお……広いなぁ」
主人公はリビングの中央まで歩くと、大きなガラス越しに庭を眺めた。
リビングから続く広いテラスの向こうには、岩や樹木に囲まれた水辺が広がっている。
庭園の柔らかな照明が木々や水面を照らし、静かな水面には室内の明かりが揺れていた。
さらにその先には、周囲に建つ高層建築の明かりが覗いている。
『いい眺めだね』
『はい。主様のお好みに合わせ、庭園の景観と周囲からの視線を考慮した配置にしています』
『この窓もいいねぇ。枠がほとんど見えないの、好きなんだよ』
『防弾性能と断熱性能を両立させた複層構造です。支持部材は壁や床の中に収め、できる限り視界を遮らないようにしています』
『いいね。しかも防弾か』
『はい。建物全体の防護性能と整合するよう設計しています』
『うん。最高じゃん』
主人公が満足そうに笑っている間、少女たちは入口の近くからほとんど動けずにいた。
目に入るものすべてが、これまで知っていたものとは違っていた。
かつて暮らしていた屋敷にも、美しい家具や装飾はあった。
けれど、目の前に広がる空間は、建物の造りも、明かりも、窓も、まるで違っている。
見慣れたはずの木材や石材さえ、驚くほど精巧に仕上げられていた。
主人公は振り返った。
「どう? なかなかいい家でしょ」
アリシアが、はっとしたように顔を上げた。
「……はい。とても……素敵です」
「そっか。よかった」
主人公は嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、こっちも見てみようか」
キッチンには大きな調理台があり、その背後には、扉のついた収納が壁一面に並んでいた。
主人公が扉をひとつ開くと、整然と並んだ食器が現れる。
「ここがキッチン。道具は見慣れないものばかりだと思うけどね」
「……こんなに綺麗な場所で、お料理を?」
「うん。僕も料理するの好きだからね」
少女たちは驚いたように顔を見合わせた。
主人公は調理台の前へ立ち、指先で操作部分に触れた。
「ここは電気で加熱するようになってるんだ。火を使わずに料理ができるんだよ」
「……火を、使わずに……?」
「うん。IHっていうんだけどね」
主人公はそう答えてから、少し不満そうに笑った。
『……本当はガスの方が好きなんだけどねぇ』
『存じています』
『やっぱり火を見ながら料理したいんだよね。鍋も振りたいし』
主人公は調理台を眺めた。
『でも、そのためだけにガスを採って、精製して、貯めて、配管して……っていうのもなぁ』
『都市全体で運用するのであれば、設備の保守や安全管理も必要になりますね』
『そうなんだよ。僕がいる間は何でもできるけど、そうじゃなくなっても回る街にしたいわけだし』
『はい。電力系統に統一することで、維持管理の負担は小さくできます』
『うん。そこは仕方ないか』
主人公は軽く肩をすくめた。
『まあ、どうしてもガスで料理したくなったら、そのとき考えればいいしね』
『ふふっ。そうですね』
主人公は少女たちへ向き直った。
「まあ、使い方は明日から少しずつ覚えよう」
「はい!」
アリシアは嬉しそうに返事をした。
街のギルドで、三人は主人公に料理を作れるようになりたいと伝えていた。
そのとき主人公は、今度一緒に作ろうと言ってくれた。
あの約束を、もう明日から実現できるのかもしれない。
そう考えるだけで、胸が弾んだ。
その後も、主人公は家の中を簡単に案内していった。
洗面所では蛇口をひねるだけで温かな水が出ることに三人が驚き、浴室では、広々とした浴槽や見慣れない設備に目を丸くした。
主人公は楽しそうに使い方を説明しながら、必要になったときに改めて教えればいいか、と考えていた。一度に全部覚えさせる必要はない。
ここは、これから暮らしていく家なのだから。
やがて寝室のある廊下へ移ると、主人公は並んだ扉を指さした。
「ここから三つが君たちの部屋だよ。それぞれ好きに使ってね」
「……私たちの、お部屋ですか?」
「うん。一人ひとつずつ」
アリシアは思わず扉を見つめた。
ノエルも、隣の扉へ視線を向ける。
「……それぞれに、ですか?」
「そうだよ。中も見てみようか」
主人公が天井まで伸びる扉を開くと、そこには落ち着いた色合いの家具と、柔らかそうな寝具を備えた部屋があった。
窓の向こうには庭が見え、壁際には衣類を収納するための大きな家具も置かれている。
ほかの二部屋も基本的な造りは似ていたが、家具や室内の色合いが少しずつ違っていた。
「とりあえず用意してみたけど、気に入らないところがあったら変えていいからね。家具とかも、後から好きなのを選べるし」
主人公はそう言って笑った。
三人は、しばらく言葉を返せなかった。
これほど立派な部屋を、それぞれ一人で使ってよいという。
自分たちが眠る場所を確保するために、何人もの仲間と肩を寄せ合っていた頃とは、何もかもが違っていた。
「それと、こっちにも部屋があるんだ」
主人公は廊下の奥にある、もうひとつの扉を開いた。
そこには、先ほどの個室よりも広い寝室が用意されていた。
部屋の中央には、三人が一緒に眠っても十分に余裕のある、大きなベッドが置かれている。
「君たち、ずっと一緒に暮らしてたでしょ。だから、一緒に寝たいときはこっちを使うといいよ」
三人は、驚いたように主人公を見つめた。
「……一緒に、寝てもよろしいのですか?」
「もちろん。別々でも一緒でも、好きな方でいいよ」
アリシアはゆっくりと部屋を見渡した。
その隣で、ノエルがそっと彼女の手を握る。
フレアも、少し照れたように微笑んだ。
「……ありがとうございます、主様」
「うん。どういたしまして」
主人公は満足そうに頷いた。
「さて、ひととおり見たし、お風呂にしようか」
「……お風呂、ですか?」
「うん。もう遅いし、さっぱりしてから休もう」
そう言って、主人公は三人を浴室へ案内した。
シャワーの使い方、シャンプーや石鹸の場所、タオルの置いてある収納などを説明する。
「お湯、炭酸泉にしてあるから結構温まると思うよ。ただ、長く入りすぎるとのぼせるから気をつけてね」
「……たんさんせん?」
「お湯に二酸化炭素が溶けてるんだ。身体が温まるし、気持ちいいよ」
主人公は楽しそうに続けた。
「しかも、この家の水は全部軟水にしてあるからね。髪の毛もお肌もサラサラ、つやつやになるよ!」
どこか自慢げな口調だった。
少女たちは不思議そうに主人公を見つめていた。
「……なんすい、ですか?」
「うん。まあ、水に含まれてる成分を調整してあるんだよ。硬い水だと石鹸も泡立ちにくいし、髪がごわつくこともあるからね」
主人公は満足そうに頷いた。
「ふふっ。楽しみにしてて」
それから、収納から三着の寝間着を取り出した。
「着替えはここに置いておくね。脱いだ服は、その籠に入れておいてくれればいいから」
「……はい」
「じゃあ、君たち三人で先に入っておいで」
その言葉に、三人は揃って顔を上げた。
「……え?」
アリシアが戸惑ったように主人公を見つめる。
「あの……主様がお先にお入りになるのでは……?」
「ん? 僕は後でいいよ」
「ですが……」
ノエルも困ったように口を開いた。
「主様を差し置いて、私たちが先にお風呂をいただくわけには……」
フレアも静かに頷いた。
主人公はしばらく三人を眺めていたが、ふっと笑った。
「んー。じゃあ、命令」
三人が姿勢を正した。
「君たち三人で、先にお風呂に入ってきて」
「……!」
「ゆっくり温まっておいで。じゃあね」
主人公はひらひらと手を振ると、そのまま浴室を後にした。
残された三人は、しばらく顔を見合わせていた。
やがて、アリシアが小さく息をついた。
「……命令、されちゃったわね」
「……うん」
「それなら、仕方ないわね」
フレアがそう言うと、二人も頷いた。
それから、誰からともなく笑みがこぼれた。
*
三人は脱衣所で、用意された籠に服を入れた。
棚には、柔らかそうなタオルが三人分、きちんと並んでいる。
「……すごい」
ノエルが小さく呟いた。
三人は浴室へ入った。床は滑りにくく、足元までほどよく温かい。
壁に取りつけられた器具を操作すると、シャワーから温かな湯が流れ出した。
「きゃっ!」
アリシアが驚いて身を引いた。
「どうしたの?」
「い、いえ。急にお湯が出てきたので……」
ノエルは、その様子を見て思わず笑った。
「さっき主様が説明してくださったじゃない」
「分かってたわよ。でも、驚いたの」
「ふふっ」
フレアも笑った。
少しずつ湯の扱いに慣れると、今度はシャンプーを使って髪を洗い始めた。
泡立ちのよさに驚き、洗い流した後の髪の感触に目を丸くする。
「……これ、すごいわね」
「うん。髪が絡まない」
「いい匂いもするわ」
三人は互いの髪を手伝いながら、楽しそうに身体を洗った。
やがて、広い浴槽へ足を入れる。
「……あったかい」
アリシアが、思わず声を漏らした。
肩までゆっくり浸かると、全身を柔らかな温かさが包み込んだ。
「……気持ちいい……」
ノエルも、ほっと息をついた。フレアは湯の中でそっと手を動かした。
水面に細かな泡が現れては消えていく。
「これが、炭酸泉……なのかしら?」
「たぶん、そうなんでしょうね」
「主様は、こんなものまでご存じなのね」
三人はしばらく黙って湯に浸かっていた。
身体の芯まで温まっていく。清潔な浴室。柔らかな湯。
そして、すぐ隣にはいつもの二人がいる。
どれも、少し前までは当たり前に手に入るものではなかった。
アリシアは、そっと隣を見た。
ノエルが気持ちよさそうに目を細めている。
その向こうでは、フレアが水面に浮かぶ小さな泡を眺めていた。
「……何だか、夢みたいね」
ぽつりと漏れた言葉に、二人が顔を向ける。
「うん」
「……そうね」
それから、三人は自然と笑い合った。
今日は本当に、いろいろなことがあった。
仲間が助かり、三人でまた一緒になれた。
綺麗な服を着せてもらい、おいしい料理を食べた。
空を飛び、山の中に巨大な街が現れるところまで見た。
そのうえ今、自分たちはこんなにも立派な家で、温かな湯に浸かっている。
何から話していいのか分からないほど、たくさんの出来事があった。
「……明日も、いろいろ見せてくださるのよね」
「そうおっしゃってたわ」
「……楽しみね」
「うん」
ノエルが笑う。
「でも、まずはこのお風呂のこと、ちゃんと覚えないと」
「そうね。主様に何度も説明していただくわけにはいかないもの」
フレアはそう答えてから、ふと思いついたように笑った。
「……でも、分からないことがあったら呼んでいいって、おっしゃってたわよ」
「それはそうだけど……」
「ふふっ」
しばらくして、三人は名残惜しそうに浴槽を出た。
主人公に言われたとおり、あまり長湯はしないことにしたのだった。
*
三人は身体を拭くと、用意されていた寝間着に着替えた。
落ち着いた紺色の、シンプルなワンピースだった。
飾り気のないデザインだが、生地を手に取った瞬間、それが非常に上質なものだと分かった。
滑らかで、柔らかい。
肌に触れても引っかかるところがなく、身体の動きに合わせて自然に馴染む。
「……すごく、気持ちいい」
アリシアが、袖の生地を指で撫でた。
「うん。こんな肌触り、初めて……」
「……主様、こんなものまで用意してくださったのね」
三人は嬉しそうに顔を見合わせた。
濡れた髪をタオルで丁寧に拭き、三人はリビングへ戻った。
「おっ、お帰り」
主人公が振り返った。
「どうだった? お風呂」
「はい! とても気持ちよかったです」
アリシアが嬉しそうに答えた。
「よかった。炭酸泉も気に入った?」
「はい。身体がとても温まりました」
「そっか。じゃあ、よかった」
主人公は笑いながら立ち上がった。
「お、寝間着も似合ってるね」
「ありがとうございます」
三人は嬉しそうに頭を下げた。
主人公は三人を眺めていたが、ふと濡れた髪に目を留めた。
「あ、そうだ。髪、乾かさないとね」
「……はい」
「ドライヤーっていう、温かい風で髪を乾かす道具があるんだけど……」
主人公は少し考えてから笑った。
「まあ、魔法で乾かしちゃおうか」
「……魔法で、ですか?」
「うん。すぐ終わるよ」
主人公が三人へ目を向ける。
すると、濡れていた髪から、すっと水気が抜けていった。
温かな風に包まれたような感覚が、ほんの一瞬だけあった。
「……あっ」
少女たちが思わず声を漏らす。
髪に触れると、すっかり乾いていた。それなのに、ごわつくこともなく、指がするすると通っていく。
「……すごい……」
主人公は満足そうに頷いた。
「うん。サラサラだね」
『主様、随分と楽しそうですね』
『そりゃそうでしょ。髪が綺麗になるのっていいじゃん』
『ふふっ。そうですね』
主人公は笑いながら三人へ向き直った。
「何か飲む?」
三人は顔を見合わせた。
「そうだ。さっきキッチンを見せたけど、もうひとつ説明しておこうかな」
主人公は三人をキッチンへ案内し、大きな扉の前に立った。
「これ、冷蔵庫っていうんだ」
扉を開くと、内部には飲み物や食材が綺麗に並んでいた。
「中のものを冷やしておけるんだよ。食べ物も保存できるし、冷たい飲み物もいつでも飲める」
「……氷を入れているのですか?」
「ううん。電気を使って冷やしてるんだ」
「……あの明かりと、同じ?」
ノエルが尋ねた。
「そうそう。電気って、いろいろなことに使えるんだよね」
主人公は嬉しそうに頷いた。
「まあ、詳しい仕組みはまた今度ね」
それから、冷蔵庫の扉を開けたまま三人へ向き直った。
「それと、これは大事なことなんだけど」
三人は自然と姿勢を正した。
「この冷蔵庫の中のものも含めて、この家にあるものは好きに使っていいからね」
「……え?」
アリシアが小さく声を漏らした。
「食べ物も飲み物も、遠慮しなくていいよ。お腹が空いたら食べればいいし、喉が渇いたら好きなものを飲んでいい。家具でも何でも、普通に使ってくれて構わないから」
少女たちは黙って主人公を見つめた。
「……主様」
「ん?」
「その……私たちは、主様のものです。それなのに、こんな立派なお家のものを、自由に使ってしまってもよろしいのですか?」
主人公は少し不思議そうに首を傾げた。
「うん。だって、ここは君たちの家でもあるんだから」
あまりにも自然な答えだった。三人はしばらく言葉を返せなかった。
主人公はそんな様子を気にすることもなく、冷蔵庫の中を眺めた。
「さて。じゃあ、何を飲もうか。お水もあるし、果物のジュースとか、お茶とか、いろいろあるよ」
アリシアが少し考えてから答えた。
「……では、お茶をいただいてもよろしいでしょうか」
「もちろん。温かいのと冷たいの、どっちがいい?」
「温かいものを……」
「了解」
ノエルは、冷蔵庫に並ぶ瓶へ目を向けていた。
「……この、赤い飲み物は何でしょうか?」
「ああ、果物のジュースだよ。飲んでみる?」
「……はい!」
「いいねぇ。じゃあ、これにしよう」
フレアは少し迷った後、冷たい水を選んだ。
主人公はそれぞれの飲み物を用意し、リビングへ戻った。
ソファへ座るよう勧めると、三人は最初こそ遠慮がちだったが、やがて並んで腰を下ろした。
主人公は三人の手元に飲み物を置くと、ふと思い出したように言った。
「あ、じゃあ僕もお風呂入ってこようかな。ちょっと行ってくるよ。ゆっくりしててね」
「はい」
主人公が浴室へ向かうと、三人はそれぞれの飲み物を手に取り、初めて過ごす家のリビングを改めて見渡した。
しばらくして、主人公は入浴を終え、部屋着に着替えて戻ってきた。
「お待たせ」
「お帰りなさいませ、主様」
「うん。ただいま」
主人公はソファへ腰を下ろした。
やがて、アリシアが手にしたカップをテーブルへ置いた。
「……主様」
「ん?」
「私たち、主様のお役に立てることがあれば、何でもしたいと思っています」
隣の二人も、真剣な表情で頷いた。
「今はまだ、できることも少ないと思います。でも、教えていただければ、何でも覚えます」
「私たちにできることは、何でもお申しつけください」
主人公は三人を見渡した。その表情には、僅かな迷いもなかった。
「うん。ありがとう」
主人公は嬉しそうに笑った。
「実は、これから君たちにはいろいろ手伝ってもらいたいと思ってるんだよね」
三人の表情がぱっと明るくなった。
「本当ですか!」
「うん。覚えてもらいたいことも、結構たくさんあると思う」
主人公は頷いた。
「でも、今日はもう遅いしね。まずはゆっくり休もう」
「……はい」
「明日から、少しずつ始めようか」
「はい!」
三人は揃って返事をした。
主人公は満足そうに頷くと、空になったカップを片づけ始めた。
アリシアが慌てて立ち上がる。
「あ、主様。私たちが……」
「ん? じゃあ、一緒に片づけよっか」
「……はい!」
少女は嬉しそうに笑った。
四人で食器をキッチンへ運ぶと、主人公は調理台の下にある大きな引き出しを開いた。
中には、食器を立てて並べられるような仕切りが設けられていた。
主人公が使い終わったカップを次々と入れていくのを見て、アリシアが不思議そうに尋ねた。
「……主様。食器を捨てるのですか?」
「え? ああ、違う違う」
主人公は笑った。
「これ、食洗機っていうんだ。ここに入れておくと、勝手に洗ってくれるんだよ」
「……勝手に、ですか?」
「うん。洗い終わったら、また綺麗になってるから」
三人は驚いたように食洗機の中を覗き込んだ。
「……そんなことまで、できるのですね……」
「便利でしょ?」
主人公は楽しそうに笑い、引き出しを閉めた。
「まあ、使い方はまた教えるね」
「はい!」
食器を片づけ終えると、主人公は三人を寝室へ案内した。
先ほど見せた、三人で眠れる大きなベッドのある部屋だった。
「今日はここで寝たらいいんじゃないかな。もちろん、別々の部屋がよかったらそっちでもいいけど」
アリシアは、隣の二人を見た。二人とも、少し照れたように笑っている。
「……あの、三人で一緒に寝てもよろしいでしょうか?」
「もちろん」
主人公は即答した。
「せっかく大きなベッドを用意したんだしね」
「ありがとうございます」
三人は嬉しそうに頭を下げた。
主人公は室内の照明の操作を簡単に教え、眠くなったら明かりを消せばいいと伝えた。
「それじゃあ、おやすみ」
「おやすみなさいませ、主様」
「うん。また明日ね」
主人公は笑って扉を閉めた。
その背後で、三人の楽しそうな声が小さく聞こえた。
主人公は満足そうに頷き、リビングへ戻っていった。
*
リビングへ戻った主人公は、しばらく室内を眺めていた。
天井から床まで続く大きなガラスの向こうには、夜の庭園が広がっている。
樹木の間からは周囲の建物の明かりが覗き、そのはるか上に、月明かりに照らされた外殻の上縁が見えていた。
それなのに、外には誰もいない。つい先ほど作ったばかりなのだから、当然ではあるのだが。
『……それにしても、静かだねぇ』
『そうですね。現在、地上を移動する人間はおりません』
『いや、いたら怖くて泣いちゃう』
主人公は小さく笑った。
『でも、悪くないなぁ。こういうのも』
『随分と贅沢な静けさですね』
『そうだね』
主人公は窓辺から離れ、リビングの一角に設けられた暖炉へ目を向けた。
天井から一本の黒い煙突が伸び、その先に丸みを帯びた炉が吊り下げられている。
床から浮いたような姿は、昔ながらの石造りの暖炉とは随分と違っていた。
『これ、いいねぇ。やっぱり吊り下げ式にして正解だったな』
『はい。室内の意匠に合わせ、炉の位置や燃焼効率も調整しています』
『実物見ると、またかっこいいね』
主人公は嬉しそうに笑った。
『これ、普通に薪を燃やせるんだよね?』
『はい。燃焼に必要な空気の供給から排気、安全管理まで設計済みです』
『そっか。じゃあ、使ってみようかな』
主人公は薪を一本取り、手元にナイフを出した。薪の端へ刃を当て、薄く削り始める。
木の表面から細長い削り屑が生まれ、くるりと丸まったまま残っていく。
フェザースティックだった。
主人公は刃の角度を少し変えながら、次々と薄い羽根のような削り屑を作っていった。
『……まあ、こんなことしなくても火はつけられるんだろうけどね』
『そうですね』
『でも、やりたくなるよねぇ』
『ふふっ。せっかくですし、切り揉み式の火起こし道具もご用意しましょうか?』
『そこまではやらねぇよ』
主人公は思わず笑った。
『ふふっ』
aiも楽しそうに笑った。
主人公はもう少しだけナイフを動かし、羽根のような削り屑が幾重にも重なったフェザースティックを仕上げた。
『よし。いい感じ』
主人公は満足そうに眺めると、ナイフを収納した。
吊り下げ式の暖炉の開口部からフェザースティックを置き、その上に細い薪を組んでいく。
燃え広がりやすいように少し隙間を空け、太めの薪も数本並べた。
主人公は右手の人差し指を伸ばした。その先に、小さな炎が灯る。
炎をフェザースティックへ近づけると、薄く削られた木の羽根がすぐに燃え始めた。
「おお……」
細かな炎が次々と広がり、やがて薪へと移っていく。
ぱちっ、と小さな音がした。
『いいねぇ』
主人公は嬉しそうに笑った。
薪の表面が少しずつ黒くなり、赤い熾火が生まれていく。
吊り下げられた炉の中で炎が揺れ、その光が床や天井に柔らかな陰影を作っていた。
『こういうの、好きなんだよね』
『存じています』
『ありがとう』
主人公はしばらく炎を眺めていたが、まだ火が大きくなるには少し時間がかかりそうだった。
『あ、そうだ。何か飲もうかな』
主人公は立ち上がり、キッチンへ向かった。
『サラトガクーラーでも作ろっか』
『ライムとジンジャーエールですね』
『うん。ちょっと酸っぱめがいいな』
主人公はライムを取り出して切り、果汁を絞った。
氷を入れた背の高いグラスにライムの果汁を注ぎ、少量の甘みを加える。
そこへ冷えたジンジャーエールを静かに注ぐと、細かな泡が立ち上がった。
軽く混ぜ、グラスの縁にライムを添える。
『よし、完成』
主人公は満足そうに笑った。
『いいねぇ。こういうの』
『ずいぶん楽しそうですね』
『そりゃ楽しいよ。せっかくいい家ができたんだし』
グラスを手にリビングへ戻ると、暖炉の火はちょうどよい大きさになっていた。
薪が静かに燃え、時折ぱちぱちと乾いた音を立てている。
『ああ、いい感じになってきた』
主人公はソファへ腰を下ろした。
『……あ、そうだ。ジャズでも流してくれる?』
『はい。どのような曲調がお好みですか?』
『今は静かなやつがいいな。ピアノとか、サックスとか。ゆっくりした感じの』
『承知しました』
ほどなくして、柔らかなピアノの音が部屋に流れ始めた。
静かな旋律に、落ち着いたベースの音が重なる。
しばらくすると、控えめなドラムの音も加わった。
主人公はグラスを傾け、サラトガクーラーを一口飲んだ。
『……うん。いいね』
爽やかなライムの香りが広がり、ジンジャーエールの泡が心地よく弾けた。
主人公はグラスをテーブルへ置くと、ソファに身体を預けた。
背もたれに深く寄りかかり、足を投げ出す。
すっかり力の抜けた姿勢で、だらんとくつろいだ。
暖炉の炎が、ゆっくりと揺れている。
静かな音楽。温かな部屋。お気に入りの飲み物。
そして、窓の外には、自分で作ったばかりの美しい庭園が広がっている。
主人公はしばらくその光景を眺めていた。
『……あぁ、最高……』
心の底から、そう思った。
『ふふっ。ずいぶんご満悦ですね』
『いやぁ……最高でしょ、これ……』
主人公はソファに沈み込んだまま、嬉しそうに笑った。
『こういう時間、好きだわぁ……』
ふと、ソファの脇に立てかけていたライフルへ目を向けた。
この世界に来てから、随分といろいろなことをしてきた。
草原に現れ、自分の能力を確かめ、aiを作った。銃を撃ち、剣を振り、魔法を試し、何年も訓練に熱中した。そして、初めて人間の暮らす街を訪れた。
山賊を倒し、商人の女性を助け、路地裏の子供たちと出会った。
あの三人を連れてくることになるとは、街へ入る前には考えてもいなかった。
主人公は満足そうに目を細め、もう一度グラスを傾けた。
そのときだった。
廊下の方から、小さな足音が聞こえてきた。一人ではない。
主人公が顔を上げると、リビングの入口から三人の少女がそっと顔を覗かせた。
「あれ?」
主人公は少し驚いたように笑った。
「おっ、寝れなかった?」
三人は顔を見合わせた。アリシアが、少し恥ずかしそうに頷く。
「……はい。申し訳ありません」
「どうしたの? ベッド、寝にくかった?」
「いえ! そんなことはありません」
少女は慌てて首を振った。
「とても気持ちのよい寝床でした。ただ……」
言葉を探すように少し間を置く。
「……興奮して、寝付けなくって……」
隣の二人も頷いた。
「目を閉じても、今日のことが次々と思い浮かんでしまうんです」
「……三人で少し話していたのですが、どうしても眠れなくて」
主人公は思わず笑った。
「あはは。まあ、今日はすごかったもんねぇ」
そう言って、ソファの空いている場所を示した。
「よかったら、こっち座る?」
「……よろしいのですか?」
「もちろん」
三人は嬉しそうに頷き、暖炉の近くへやってきた。
ノエルが、天井から吊り下がる黒い炉を見上げた。
「……とても、かっこいい暖炉ですね」
主人公は嬉しそうに笑った。
「お、ありがとう。僕も気に入ってるんだよね」
三人は並んでソファに腰を下ろした。
目の前では薪が静かに燃え、時折ぱちぱちと乾いた音を立てている。
主人公は炎へ目を向けた。
「焚き火見てると落ち着くよ。好きなんだよね」
「……綺麗ですね」
「でしょ?」
主人公は嬉しそうに笑った。
やがて、フレアが周囲を見回した。
「……主様」
「ん?」
「先ほどから、綺麗な音が聞こえるのですが……」
「ああ、音楽だよ」
「……音楽?」
「うん。僕がいた世界の音楽なんだ」
主人公は少し考えてから続けた。
「こういうのをジャズっていうんだけどね。いろんな楽器を使って演奏するんだよ」
「……楽器が、あるのですか?」
少女は室内を見渡した。
「でも、演奏している方が……」
「ああ、今ここには誰もいないよ。音を記録して、後から再生してるんだ」
「……音を、記録……」
少女は不思議そうに首を傾げた。
主人公は楽しそうに笑った。
「そのうち、仕組みも教えるね」
「はい」
三人は再び音楽に耳を傾けた。初めて聞く音色だった。
それでも、不思議と心地よかった。
暖炉の炎と静かな音楽。柔らかなソファ。
これほど落ち着いた時間を過ごしたのは、いつ以来だろう。
そんなことを考えていると、主人公が立ち上がった。
「あ、そうだ。せっかくだし、温かいココアでも飲もうか」
「……ここあ?」
三人が揃って顔を上げた。
「うん。甘くておいしい飲み物だよ。ちょっと待っててね」
主人公はキッチンへ向かった。
三人分の牛乳をカップへ注ぎ、電子レンジへ入れる。
扉を閉じ、操作部分に触れた。
ブーーーーン。
小さな作動音が響き始めた。
主人公は思わず笑った。
『……異世界感、ねぇーーーーー』
『どうかなさいましたか?』
『いや、電子レンジがさ。すごくおしゃれな機械になってるけど、ブーーーンって音はそのままだなぁって』
『加熱方式の原理は、主様の世界の電子レンジと基本的に同じですので』
『ははっ。まあ、そうなんだけどね』
主人公は笑いながら、加熱の終わるのを待った。
ピッ。
電子レンジが短い音を鳴らした。
『……しかも、最後にピッて言うし』
『お嫌いでしたか?』
『いや、全然。むしろ好き』
主人公は嬉しそうに笑った。
『なんか、家って感じするじゃん』
『ふふっ。そうですね』
主人公は温まった牛乳を取り出すと、ココアを加えてゆっくりと混ぜた。
甘さを調整しながら味を確かめ、三人分のカップへ注ぐ。
やがて、甘い香りがリビングまで漂ってきた。
「お待たせ」
主人公はトレーに載せたカップをテーブルへ並べた。
「熱いから気をつけてね」
「ありがとうございます」
三人は両手でカップを受け取った。
アリシアが、そっと香りを確かめる。
「……いい匂い……」
「おいしいよ。飲んでみて」
少女は少し息を吹きかけてから、ゆっくりと口をつけた。
「……!」
その表情が、ぱっと明るくなった。
「……おいしい……!」
「でしょ?」
主人公は嬉しそうに笑った。
隣の二人も、さっそく口をつけた。
「……甘い……」
「こんな甘くて温かい飲み物、初めてです」
三人は顔を見合わせ、楽しそうに笑った。
主人公もサラトガクーラーのグラスを手に取り、暖炉の炎を眺めながら口をつけた。
しばらくの間、四人はそれぞれの飲み物を楽しんでいた。
やがて、アリシアがぽつりと呟いた。
「……昔、こんなふうに、三人で温かいものを飲んだことがありました」
主人公が顔を向ける。
「へえ、そうなの?」
「はい。こんなに甘いものではありませんでしたけど……」
少女はカップへ目を落とした。
「寒い日に、母が温かい飲み物を用意してくれたんです」
その言葉に、隣の二人も懐かしそうに微笑んだ。
主人公は、楽しそうにその話を聞いていた。
やがて、三人は少しずつ自分たちの昔話を始めた。
かつて、三人は大きな屋敷で暮らしていた。
母親と過ごした日々には、楽しい思い出も多かったという。
庭で遊んだことや、三人でいたずらをして叱られたこと。
時には喧嘩をしながらも、いつも一緒にいたこと。
屋敷には本もあり、大人たちの会話を聞く機会もあった。
三人は互いに教え合いながら、知らないことを少しずつ覚えていった。
けれど、そんな暮らしは長く続かなかった。
やがて両親を失い、家の事情によって、三人はそれまで暮らしていた屋敷を追われた。
そして、街で生活するようになったのだという。
最初は食べ物を手に入れることも、雨をしのぐ場所を探すことも難しかった。
それでも、三人は互いに役割を分担し、どうにか生き延びてきた。
やがて、自分たちよりも幼い子供たちと出会い、放っておくことができず、一緒に暮らすようになった。
食べ物が足りない日は、少しでも多く手に入れられる方法を考えた。
誰かが怪我をすれば、できるだけ手当てをした。
危険な相手に目をつけられないよう、周囲の人間をよく観察し、互いに注意し合っていた。
そんな生活の中で、病気になった子供が出た。
どうしても薬が必要だった。
三人のうちの一人が自分を売って薬代を作ろうとしたが、奴隷商会に騙され、囚われてしまった。
残された二人は彼女を取り戻すため、街を歩き回り、助けを求められる相手を探した。
そして、路地裏へやってきた主人公と出会った。
彼の行動を観察し、考え、危険を承知で後を追い、ギルドで声をかけたのだ。
三人は、その頃の出来事を互いに補いながら話した。
主人公は途中で無理に詳しい事情を尋ねることもなく、時折頷きながら耳を傾けていた。
やがて話が一段落すると、三人は暖炉の炎へ目を向けた。
しばらくして、フレアが小さく呟いた。
「……何だか、本当に夢みたいです」
主人公が顔を向ける。
「ん?」
少女はゆっくりとカップを置いた。
「今日一日で、あまりにもたくさんのことがあって……。今でも、信じられないんです」
隣の二人も静かに頷いた。
「……はい。こんなに嬉しいことが、一度に起きるなんて……」
アリシアが言葉を続けた。
「……もしかしたら、私たちはもう死んでしまったのではないかと、思ってしまうくらいです」
主人公は少女へ目を向けた。
少女は小さく微笑んでいた。
「夢の中なのか、死んだ後の世界なのか……。そう考えてしまうほど、現実とは思えないことばかりで……」
三人は再び暖炉へ目を向けた。
薪が静かに燃え、赤い炎がゆっくりと揺れている。
主人公はしばらくその横顔を眺めていたが、やがてソファの背にもたれた。
「……まあ、いいんじゃない?」
三人が顔を向ける。
主人公は穏やかに笑った。
「夢だったとしても、死んだ後だったとしても、今が幸せならそれでいいんじゃない?」
「……主様……」
「少なくとも、今の君たちにとっては天国みたいなところなんでしょ?」
少女たちは少し驚いたように主人公を見つめた。
やがて、アリシアが小さく頷く。
「……はい」
「なら、いいじゃん」
主人公は笑った。
それから、暖炉の炎へ目を向けた。
「生と死だって、そんなに遠く離れたものじゃないしね。いいことも悪いことも、案外すぐ隣にある」
主人公はグラスを手に取り、ゆっくりと続けた。
「今日どれだけ幸せでも、明日どうなるかなんて分からない。逆に、今日がどれだけひどい一日でも、明日はすごくいい日になるかもしれない」
少し笑う。
「人生なんて、そんなもんじゃない?」
三人は黙って聞いていた。
「で、もしこれが現実だったとしたら……」
主人公は三人へ顔を向けた。
「今ここにいるのは、君たち自身が紡いできた縁の結果だと思うよ」
「……私たちが……?」
「うん」
主人公は頷いた。
「君たちが路上生活をしていなかったら、僕はあの路地で君たちに会わなかったと思う」
三人は静かに主人公を見つめた。
「それに、君たちがあの子たちを見捨てていたら、僕に助けを求めることもなかったでしょ」
主人公は少し考えた。
「あの子たちを助けようとして、僕を観察して、考えて、覚悟を決めて話しかけてきた」
そう言って、嬉しそうに笑った。
「僕は、そんな君たちが面白いと思ったんだよね」
アリシアの瞳が、僅かに揺れた。
「もちろん、つらい思いをした方がいいって話じゃないよ。そんなことないに越したことはないし」
炎がぱちりと音を立てた。
「ただ、今まで君たちが何を考えて、何を選んできたか。その積み重ねの先に、今があるんじゃないかな」
主人公は柔らかく笑った。
「だから、これが現実なら、君たちが自分でつないできた縁の結果だね」
三人は、何も言わなかった。
暖炉の炎を見つめたまま、じっと座っていた。
やがて、アリシアの頬を、一筋の涙が伝った。
それに気づいたノエルも、静かに目を伏せた。
フレアは小さく唇を結び、揺れる炎を見つめていた。
誰も声を上げなかった。
涙を拭うことも忘れたように、三人はただ、暖炉を眺めていた。
主人公も、何も言わなかった。
静かなジャズが流れ、薪の燃える音が時折聞こえてくる。
誰かが泣き止むのを待つ必要も、慰めの言葉を探す必要もなかった。
四人はしばらく、同じ炎を眺めていた。
やがて、三人の表情が少しずつ落ち着いていった。
アリシアはそっと頬を拭い、隣の二人と顔を見合わせた。そして、小さく笑った。
「……ありがとうございます、主様」
主人公も微笑んだ。
「うん」
そのまま、また少し時間が流れた。
暖炉の炎は穏やかに燃え続け、室内には柔らかな音楽が流れている。
やがて、アリシアが小さくあくびをした。
「あっ……」
慌てて口元を押さえる。
主人公は思わず笑った。
「ははっ。眠くなってきた?」
「……はい。申し訳ありません」
「謝らなくていいよ」
主人公は笑いながら立ち上がった。
「そろそろ寝ようか。明日からいっぱい覚えてもらうことがあるからね」
三人は、はっとしたように顔を上げた。
「……はい!」
「うん。じゃあ、続きはまた明日ね」
主人公は空になったカップをまとめ、三人を寝室まで見送った。
「おやすみなさいませ、主様」
「おやすみ」
三人が部屋へ入ると、主人公は静かに扉を閉めた。
そのままリビングへ戻り、暖炉の前へ腰を下ろす。
『……いい子たちだねぇ』
『そうですね』
『うん。これからが楽しみだなぁ』
『ふふっ。随分とお気に入りですね』
『そりゃそうでしょ。頭もいいし、面白いし』
主人公は小さく笑った。
『それに、三人とも嬉しそうだったしね』
『はい』
主人公はしばらく炎を眺めた。
『……さて、明日は何から始めようかな』
『ご予定でしたら、いくつか整理しています』
『ああ、そうだね。まずは首輪かな』
『承知しました』
主人公は満足そうに頷いた。
窓の外には、静かな夜の庭園が広がっていた。
主人公はその夜、暖炉の火を楽しみながら、これからのことをaiと話して過ごした。
*
翌朝。
アリシアが目を覚ましたとき、部屋の中には柔らかな朝の光が差し込んでいた。
しばらくの間、彼女は天井を見つめていた。
見覚えのない、美しい天井。身体を包む、柔らかな寝具。
そして、すぐ隣には、まだ眠っている二人の姿があった。
「……あ」
昨夜のことを思い出す。
主様と一緒に入った家。広いお風呂。甘いココア。暖炉の前で話した、昔の思い出。
――……夢じゃなかった。
少女はそっと身体を起こした。
寝具は驚くほど柔らかく、身体のどこにも痛みがなかった。
これほど気持ちよく眠れたのは、いつ以来だろう。
窓の向こうには、明るい庭園が見えている。
昨夜は暗くてよく分からなかったが、朝の光に照らされた庭は、思っていた以上に広かった。
石畳の小道が木々の間を通り、手入れされた芝生の向こうには小さな水辺がある。
天井から床まで一面に広がるガラスには、窓枠らしいものがほとんど見当たらなかった。
まるで部屋と庭の間に、何もないかのようだった。
その先には、昨日まで見たこともなかった高い建物が並んでいる。
少女はゆっくりとベッドを抜け、窓辺へ歩いた。
「……すごい……」
思わず声が漏れる。
美しく整えられた庭園の向こうに、巨大な建物が立ち並んでいた。
建物の隙間には広い道路や街路樹が見え、はるか遠くには、街を取り囲む巨大な外殻の上縁が、朝の光を受けていた。
昨夜、空から見た街だった。もちろん、ここから都市のすべてが見えるわけではない。
それでも、この庭の外に、あれほど大きな街が広がっているのだと思うと、不思議な気持ちになった。
「……どうしたの?」
背後から声がした。振り返ると、ノエルが目を覚ましていた。
「こっちに来てみて」
少女が窓の外を指さすと、二人目もベッドから降りて近づいてきた。
「……わぁ……」
しばらくして、フレアも目を覚ました。
三人は窓辺に並び、朝の庭園を眺めていた。
街は驚くほど静かだった。
庭には人の姿がなく、見える範囲の道路にも誰も歩いていない。
建物はすべて新しく、庭も公園も綺麗に整えられている。
「……本当に、主様がお作りになったのね」
ノエルが、ぽつりと呟いた。
「うん」
アリシアが頷いた。
「……私たちの、住む場所……」
フレアはそう言って、少しだけ微笑んだ。
三人はしばらく窓の外を眺めていたが、やがて着替えを済ませ、部屋を出ることにした。
廊下へ出ると、どこからかいい匂いが漂ってきた。
「……何の匂いかしら?」
「お料理……?」
三人は顔を見合わせ、匂いのする方へ歩いていった。
やがて、キッチンの近くまで来たところで、主人公の姿が見えた。
「あ、おはよう」
主人公が振り返った。
「よく眠れた?」
「おはようございます、主様!」
三人は揃って頭を下げた。
「はい。とてもよく眠れました」
「そっか。よかった」
主人公は嬉しそうに笑った。
「ちょうど朝ごはん作ってるところなんだ」
三人はキッチンへ目を向けた。
調理台の上には、いくつかの小鉢や皿が並んでいる。
鍋からは温かな湯気が立ち、別の調理器具では魚が焼かれていた。
「……主様が、お作りになっているのですか?」
アリシアが驚いたように尋ねた。
「うん。せっかくだしね」
主人公は楽しそうに答えた。
「僕、朝は和食が好きなんだよね」
「……わしょく、ですか?」
「うん。僕がいた国の料理だよ」
主人公は味噌汁の味を確かめると、満足そうに頷いた。
「今日はそんなに難しいものじゃないけどね」
三人は興味深そうに調理台を眺めていた。
「昨日、一緒に料理しようって話したでしょ。今日は僕が作るけど、そのうち君たちにも覚えてもらおうと思ってるよ」
「……はい!」
三人の顔が明るくなった。
主人公は焼き加減を確認しながら、少し考えた。
「じゃあ、早速だけど、お皿並べるの手伝ってくれる?」
「はい!」
三人は嬉しそうに返事をした。
主人公は食器棚から皿を取り出し、テーブルへ並べる場所を教えた。
アリシアが皿を運び、二人目はカトラリーを並べる。
三人目は人数と食器の数を確かめながら、配置を整えていった。
主人公はその様子を見て、満足そうに笑った。
「おお、いいねぇ。ありがとう」
「いえ。こちらこそ、ありがとうございます」
三人は嬉しそうに答えた。
やがて、朝食の準備が整った。
炊きたてのご飯。焼き魚とだし巻き卵。野菜のおひたしと漬物。豆腐とわかめの味噌汁。
小さな器に盛りつけられた料理が、四人分、綺麗に並んでいた。
主人公は食卓を眺め、満足そうに頷いた。
『うん。やっぱり朝は和食だねぇ』
『主様のお好みに合う献立ですね』
『でしょ? 毎日でもいいくらい』
『ふふっ。存じています』
主人公は笑いながら三人へ向き直った。
「じゃあ、食べようか」
「はい!」
四人はテーブルを囲んだ。
少女たちは、並べられた料理を興味深そうに眺めていた。
主人公はいつものように箸を手に取り、食事を始めた。
その様子を、三人はじっと見つめていた。
二本の細い棒を器用に動かして、料理を口へ運んでいる。
アリシアはしばらく主人公の手元を観察していたが、自分の前にも同じものが置かれていることに気づき、そっと手に取った。
見よう見まねで二本の箸を動かそうとする。
しかし、思うように動かない。
一本を動かそうとすると、もう一本まで動いてしまう。
隣の二人も箸を手に取り、主人公の持ち方を真似していた。
主人公はそんな三人に気づき、楽しそうに笑った。
「結構難しいでしょ?」
「……はい。なかなか、思うように動かなくて……」
「ははっ。慣れると、こんな米粒も挟めるようになるんだけどね」
主人公は茶碗の中から米粒をひとつ、箸の先で器用につまみ上げてみせた。
三人は思わず目を見開いた。
「……そんな小さなものまで……」
「うん。結構便利なんだよ」
主人公は米粒を口へ運び、笑った。
「まあ、今は無理に使わなくていいよ。フォークとスプーンも置いてるから。そのうち覚えてもらうけどね」
「はい!」
そう返事をしたものの、三人はすぐには箸を置かなかった。
主人公の持ち方を何度も確かめながら、どうにか料理をつまもうとする。
ようやく挟めたと思っても、持ち上げた途端に落としてしまう。
ノエルは箸を持ち直して何度も挑戦し、フレアは指の位置を少しずつ変えながら、うまく動かせる方法を探していた。
主人公はその様子を楽しそうに眺めながら、自分の食事を続けた。
結局、三人はしばらく頑張った後、少し残念そうに箸を置き、フォークを手に取った。
主人公は思わず笑った。
「ははっ。まあ、ゆっくり覚えよう」
「……はい!」
見慣れない料理ばかりだったが、食卓には自然と会話が生まれた。
主人公は料理の名前や簡単な食べ方を教え、少女たちは分からないことを尋ねた。
やがて、アリシアが主人公へ目を向けた。
「……主様」
「ん?」
「私たちも、こういうお料理を作れるようになりたいです」
「うん。包丁研ぎから教えるから、ぜひ覚えてよ」
主人公は嬉しそうに頷いた。
「僕もいろいろ食べてみたいしね」
三人は顔を見合わせ、笑みを浮かべた。
その後も四人は朝食を楽しんだ。
やがて、全員が食べ終わると、主人公は満足そうに息をついた。
「ごちそうさま」
三人も主人公にならって、手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
主人公は嬉しそうに笑った。
「うん。おいしかった?」
「はい!」
「それはよかった」
四人は食器をキッチンへ運んだ。
三人は昨夜教わった食洗機の引き出しを開き、主人公に並べ方を教えてもらいながら、使い終わった食器を丁寧に収めていった。
主人公が引き出しを閉じると、テーブルはすっかり綺麗になっていた。
「あ、そうだ」
三人が顔を上げた。
「君たちに、渡しておきたいものがあるんだよね」
「……私たちに、ですか?」
「うん」
主人公は頷いた。
「昨日、これからいろいろ覚えてもらうって話したでしょ。その前に、ひとつ済ませておきたいことがあってね」
主人公がテーブルへ目を向けると、そこにはいつの間にか、小さな箱が三つ並んでいた。
上質な素材で作られた、宝飾品を納めるための箱のようだった。
主人公はそれぞれの箱を手に取り、三人へひとつずつ渡した。
「はい、どうぞ」
「……ありがとうございます」
三人は両手で箱を受け取った。
何が入っているのだろう。
互いに顔を見合わせてから、アリシアがそっと蓋を開いた。
中には、柔らかな内張りの上に、細身の輪が収められていた。
隣の二人も箱を開く。それぞれの箱には、同じものがひとつずつ入っている。
飾り気のない、驚くほどシンプルな造りだった。
それでも、素材の質感や丁寧な仕上がりから、決してありふれた品ではないことが伝わってくる。
三人はしばらく中身を見つめていたが、何のためのものなのか分からず、アリシアが主人公へ顔を上げた。
「……主様」
「ん?」
「これは……?」
「首輪だよ」
主人公は穏やかに答えた。
三人の視線が、手元の箱へ戻る。
首輪。その意味を理解した三人は、改めて主人公を見つめた。
主人公は三人を見渡した。
「君たちは、僕のものになるんだよね?」
アリシアが、静かに頷いた。
「……はい」
隣の二人も、真剣な表情で頷く。
「これが、僕のものになるっていう証」
主人公は三人の手元へ目を向けた。
「それを着けた瞬間、君たちはもう、君たちではなくなる」
三人の表情が、僅かに引き締まった。
「そういう契り」
主人公は改めて三人を見つめた。
「これを着けて、僕の傍にいてほしい」
いつもの気さくな口調だった。
しかし、その言葉が持つ意味は、これまでのどんな約束よりも重かった。
三人は互いに顔を見合わせた。
アリシアが、静かに向き直る。箱を胸元に抱き、まっすぐ主人公を見つめた。
「……主様」
「ん?」
「あの日、あの瞬間から、この身、この命、すべて主様のものです」
その声は静かだったが、迷いはなかった。
「打ち捨てられるまで、お傍にいて尽くします」
隣の二人も続く。
「……私も、同じ思いです」
「どうか、私たちをお傍に置いてください」
主人公は三人を見つめた。
そして、嬉しそうに微笑んだ。
「うん。ありがとう」
アリシアは、もう一度、手元の箱へ目を落とした。
中に収められた首輪を、そっと取り上げる。
指先に伝わる感触は滑らかで、見た目から想像していたよりもずっと軽かった。
少女は首輪を両手で持ち上げ、自らの首へ回した。
カチリ。
小さな音とともに、留め具が閉じた。
その瞬間、少女の目が大きく見開かれた。
「……っ!」
何かに驚いたように、少女は自分の手を見つめ、それから周囲を見渡した。
「……これは……!」
その表情には、戸惑いとともに、隠しきれない驚きが浮かんでいた。
隣で見ていた二人も、思わず顔を見合わせる。
「……何があったの?」
アリシアは答えようとしたが、うまく言葉にならないらしい。
ただ、驚いた顔で二人を見つめ、何かを伝えようとしている。
その様子を見た二人は、互いに頷き合うと、急いで箱から首輪を取り出した。
一人が髪を持ち上げ、首輪を回す。
カチリ。
続いて、もう一人も自らの首へ首輪を着けた。
カチリ。
「……っ!」
「……え……?」
二人の表情も、たちまち変わった。
三人はしばらく、互いの顔を見つめたまま動かなかった。
目の前の景色は、何も変わっていない。
リビングも、窓も、主人公の姿も、先ほどまでと同じだった。
それなのに、何かが明らかに違っていた。
今まで感じたことのない感覚が、自分たちの中に生まれていた。
周囲の状況や、自分自身の身体。
目には見えないはずの情報が、意識を向けるだけで自然と理解できる。
知りたいと思えば、必要な情報へ手を伸ばせる。
何かを調べようと考えると、それに関係する情報が整理され、まるで以前から知っていたことのように認識できた。
しかし、それらが無理やり頭の中へ流れ込んでくるわけではなかった。
必要なものを、自分で選べる。
今まで存在すら知らなかった感覚が、突然、自分自身の一部になったかのようだった。
アリシアは、自分の手を見つめたまま呟いた。
「……すごい……」
ノエルも、周囲を見渡していた。
意識を向けるだけで、家具の配置や建物の構造まで把握できる。
フレアは、ふと思いついて、自分たちが今いる場所について知ろうとした。
すると、巨大な一枚岩の外殻に囲まれた都市の姿が、意識の中に浮かび上がった。
街の構造。建物の配置。道路や施設の位置。
そして、自分たちが今、どこにいるのか。
昨夜、空から見たあの街が、どれほど広大なものだったのか。
その全体を初めて理解した少女は、思わず息を呑んだ。
「……主様……」
三人は揃って主人公へ顔を向けた。
主人公は、そんな三人を楽しそうに眺めていた。
「どう? 何か分かる?」
アリシアが、ゆっくりと頷いた。
「……はい。でも……」
言葉を探すように、しばらく間を置く。
「……何が起きているのか、うまく説明できません……」
隣の二人も、何度も頷いた。
主人公は嬉しそうに笑った。
「ははっ。まあ、最初はびっくりするよね」
三人は改めて自分の首元へ手を伸ばした。
そこには、今しがた自らの意思で着けた首輪がある。
主人公はその様子を見て、満足そうに頷いた。
「うん。よく似合ってるよ」
少女たちは嬉しそうに微笑んだ。
そのときだった。
『皆さん、初めまして』
三人は揃って身体を強張らせた。
「……っ!?」
どこからか、女性の声が聞こえた。
けれど、周囲には主人公しかいない。三人は思わず顔を見合わせた。
『驚かせてしまいましたね』
声は、もう一度聞こえた。落ち着いた、柔らかな声だった。
フレアが、はっとしたように主人公へ目を向けた。
「……主様。今の声は……」
「ああ、聞こえた?」
主人公は楽しそうに笑った。
「この子、僕のことをいろいろ手伝ってくれてるんだよ」
『改めまして。これから皆さんの支援も担当することになりました。どうぞよろしくお願いいたします』
三人は驚いたまま、しばらく言葉を返せなかった。
やがて、アリシアがゆっくりと口を開いた。
「……あの……どちらに、いらっしゃるのでしょうか?」
『私は、皆さんの前に身体を持って存在しているわけではありません。今は首輪を通じて、お話ししています』
「……首輪を、通じて……?」
『はい』
三人は思わず首元へ手を伸ばした。
主人公はその様子を見て笑った。
「昨日、僕が時々誰かと話してるみたいだったでしょ?」
「……はい」
「この子と話してたんだよね」
フレアが、ゆっくりと頷いた。
昨日、主人公の行動を観察していたときのことを思い出す。
誰もいない方へ話しかけるような仕草。
突然、何かを思い出したように頷く様子。その理由が、ようやく分かった。
「……主様は、ずっとこの方とお話しされていたのですね」
「そうそう」
主人公は嬉しそうに頷いた。
『もっとも、主様が独り言をおっしゃることもありますけれど』
『いや、そんなに言ってないでしょ』
『ふふっ。どうでしょう』
主人公は思わず笑った。
三人はそんな主人公を見つめていたが、やがてアリシアが小さく微笑んだ。
「……よろしくお願いいたします」
隣の二人も頭を下げた。
「よろしくお願いします」
『こちらこそ。皆さんとお話しできるようになって、嬉しく思います』
その声に、三人も自然と笑みを浮かべた。
主人公は三人の首元にある首輪を眺め、満足そうに頷いた。
「さて、じゃあ、これからのことを少し話そうか」
三人は姿勢を正した。
「その首輪、見た目だけじゃなくて、いろんな機能があるんだよね。情報を調べたり、離れた相手と話したり、魔法や装備を使ったりもできるんだ」
「……そんなことまで……」
「うん。まあ、いきなり全部使いこなせるわけじゃないけどね」
主人公は笑った。
『皆さんが必要な機能を安全に使用できるよう、私が支援いたします』
「はい。よろしくお願いいたします」
三人は揃って頷いた。
主人公は改めて三人を見渡した。
「まあ、できることは山ほどあるからね。今日から少しずつ覚えていこうか」
「はい!」
三人は揃って返事をした。
「それとね。いろんなことができるようになると思うけど、君たち自身で考えることは、これからも大事にしてほしいんだ」
三人は黙って耳を傾けた。
「僕が君たちを気に入ったのって、何でも言うことを聞くからじゃないんだよね。自分で考えて、どうすればいいか判断できるところが好きなんだ」
主人公は穏やかに笑った。
「だから、これからもそうしてくれると嬉しいな」
アリシアが、ゆっくりと頭を下げた。
「……はい。主様のご期待にお応えできるよう、精一杯努めます」
隣の二人も頷いた。主人公は嬉しそうに笑った。
「うん。期待してるよ」
窓の外には、朝の庭園が広がっていた。
昨日まで、そこには森と山しかなかった。
今は美しい街があり、広い道路があり、数え切れないほどの建物がある。
けれど、その街には、まだ誰も暮らしていない。
ただ、その中心にある一軒の家には、四人がいた。
三人の少女は、自らの首に着けた首輪へそっと手を伸ばした。
これから何ができるようになるのか。
どんな場所へ行き、何を学ぶことになるのか。まだ、何も分からない。
それでも、三人の表情に不安はなかった。
主人公はそんな三人を見渡し、楽しそうに笑った。
「じゃあ、今日からよろしくね」
三人は顔を見合わせ、嬉しそうに微笑んだ。
「はい! よろしくお願いいたします、主様!」
まだ、国民のいない巨大な都市。
その中心にある小さな家で、四人の新しい生活が始まった。
少女たちの世界は、無限に広がった。




