魔導書を焼いた夜。――少年ゼノスが捨てた魔法と、握りしめた一振りの鉄
魔王城の廊下で、世界は静まり返っていました。
最強と信じた父の背中が崩れ落ち、魔族たちの誇りである魔法が、ただの「鉄」によって否定された瞬間。
少年ゼノスは、誰に呼び止められることもなく自室へと戻ります。
そこに積まれているのは、これまで彼が人生をかけて学び、積み上げてきた魔導書の山。
しかし、彼の瞳に映るのは、もはや術式の輝きではありませんでした。
すべてを灰に変え、彼が選んだのは、皮肉にも父を殺した「あれ」と同じ、無骨な剣の感触でした。
――音が、消えていた。
さっきまで確かにあったはずの怒号も、炎の唸りも。
何も、聞こえない。
ただ。
崩れた背中だけが、そこにあった。
⸻
誰かが、何かを叫んでいる。
「隊長が……!」
「魔法が破られた……!?」
「ありえない……そんなこと……!」
言葉は聞こえる。
だが、意味として届かない。
視線は、ただ一点に固定されていた。
地に伏した父の背中。
動かない。
もう、動かない。
(違う)
頭の奥で、何かが静かに否定する。
(あれは……)
周囲の魔族たちは混乱している。
理解しようとしている。
魔法の理屈で。
結界がどうとか、相性がどうとか。
そんなもので説明しようとしている。
(違う)
あれは、そういう次元じゃない。
魔法が破られたんじゃない。
――通用しなかった。
視線を上げる。
そこに、あの人間がいる。
剣を持った、ただの男。
何も変わらない。
何も背負っていないみたいに、そこに立っている。
血を浴びているはずなのに。
何も感じていないみたいに。
その目には。
何もなかった。
ゼノスは、ゆっくりと背を向けた。
誰も、止めなかった。
止める意味が、分からなかったのかもしれない。
歩く。
廊下を。
崩れた壁の横を通り過ぎ、焦げた床を踏みしめながら。
どこへ向かっているのかも、分からない。
ただ、足が動いていた。
気づけば、自分の部屋だった。
扉を閉める。
静寂。
外の喧騒が、遠くなる。
部屋の中央。
机の上に、魔導書が積まれている。
分厚い革表紙。
精緻な術式。
積み重ねてきた証。
それを、しばらく見つめる。
これがあれば。
父と同じ場所に――
(……違う)
その思考を、切り捨てる。
あれは。
届かなかった。
どれだけ積み重ねても。
どれだけ極めても。
あの男には。
届かない。
魔導書を掴む。
ためらいはなかった。
床に投げる。
次々と。
積み上げてきたものを、すべて。
火をつける。
炎が、広がる。
紙が歪み、文字が崩れ、術式が意味を失っていく。
知識が焼ける。
時間が焼ける。
価値が、焼ける。
見ていた。
ただ、静かに。
燃え落ちていくそれを。
熱が、頬に触れる。
その時になって。
初めて、自分の顔が濡れていることに気づいた。
涙だった。
だが。
拭おうとは思わなかった。
理由が、分からなかった。
視線を落とす。
床に、一本の剣が転がっている。
訓練用のものだ。
装飾もない、ただの鉄。
手を伸ばす。
握る。
重い。
冷たい。
無骨な感触。
だが。
それでよかった。
(……これだ)
理由はない。
理屈もない。
ただ。
確信だけがあった。
あの男は。
これで、すべてを壊した。
魔法も。
誇りも。
父も。
ならば。
これで、いい。
燃え落ちる魔導書。
灰が、風に舞う。
涙は、そのままにした。
拭う理由が、分からなかった。
剣を握る手に、力が入る。
「待っていろ、フウガ」
その声には、何も乗っていない。
怒りも。
悲しみも。
ただ――
刃のように、冷たかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
積み上げてきたものを自ら燃やし、涙を流しながらも「理由が分からない」と言うゼノス。
彼の中で「魔法という世界の理」が死に、代わりにフウガという名の「呪い」が、新たな生きる目的となった瞬間でした。
第1部で「理外の力」を見せつけたフウガが、間接的に次の怪物を生み出していた……という展開、書いていて背筋が凍る思いです。
こうしてフウガに「壊された」者たちが、ルナリエの下でどう繋がっていくのか。
次回、物語はさらに加速します。
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