プロローグ
これから始まるのは、一人の少年が「勇者」という役割を剥ぎ取られ、世界そのものからこぼれ落ちていく物語。
その終着点であり、すべての始まり。
吹き荒れる雪の中、魔王の娘・ルナリエは、人間界最強と目される男「フウガ」の暗殺に動きます。
しかし、そこで彼女が目撃したのは、魔法も技も通用しない、あまりに「異質」な存在でした。
吹雪。
視界は白に閉ざされ、輪郭すら曖昧になる。
音も、距離も、すべてが歪む世界。
だが、その中に一つだけ。
“異物”のように、はっきりとした存在があった。
一人の男。
薪を割っている。
武器ですらない、削りかけの木の枝で。
――おかしい。
振るうたびに、薪が断たれている。
力任せでも、技でもない。
もっと別の何か。
(……これが)
報告にあった特徴と一致する。
剣を持たず、それでも斬る男。
勇者、フウガ。
初めて見るはずなのに。
妙に納得してしまう。
(なるほどね)
これなら、魔王を殺せる。
だからこそ。
ここで消す。
「――勇者、フウガ」
声を投げる。
吹雪の向こうで、動きが止まる。
ゆっくりと、男が振り向く。
視線が合う。
それだけで分かる。
間違いない。これが――
「魔王の娘、か」
先に名を言われる。
少しだけ、意外だった。
(情報は向こうにも渡ってる)
当然といえば当然。
「ええ」
短く肯定する。
余計な言葉はいらない。
一歩、踏み出す。
雪が軋む。
「あなたは邪魔なの」
はっきりと告げる。
感情は乗せない。
「これから人間を滅ぼす私にとって、“例外”は要らない」
フウガは、しばらく何も言わない。
ただ、こちらを見ている。
その視線に、敵意はある。
だが、それ以上に――
(……迷いがない)
厄介だ。
「……そうか」
それだけ言って。
男は、枝を構えた。
(随分と、軽い決断ね)
だが、それでいい。
こちらも同じだ。
魔力を解放する。
空間を埋め尽くす魔弾。
回避不能の密度。
――足りない。
さらに増やす。
さらに。
さらに。
「……まだ」
圧縮され、膨れ上がる魔力。
空間そのものが軋む。
終わり。
そのはずだった。
だが――
フウガは動かない。
ただ、枝を振るう。
次の瞬間。
魔弾が、消える。
(……消えた?)
弾いたわけじゃない。
防いだわけでもない。
“結果だけがなかったことになった”みたいに。
理解が追いつかない。
(報告以上ね)
踏み込む。
距離を詰める。
考えるより先に、潰す。
それが正解。
そう判断した。
だが。
気づいた時には。
もう、目の前にいた。
(――速い!?)
違う。
移動じゃない。
“距離が消えた”。
そうとしか思えない。
枝が、喉元に届く。
死。
確定。
その瞬間。
止まる。
(……は?)
刃が、逸れる。
わずかに。
致命から外れる。
理解できない。
「……なんで」
思わず、声が出る。
「なんで殺さないのよ」
合理じゃない。
意味がない。
フウガは、静かに言う。
「……選ぶからだ」
意味が分からない。
「俺は、もう奪わない」
その言葉を理解する前に。
視界が裂けた。
斬撃。
遅れて、痛み。
胸が裂ける。
血が雪に落ちる。
(……やられた)
膝が揺れる。
だが、倒れない。
視線だけは、外さない。
その目の前で。
フウガの体が、崩れていく。
(……なに、それ)
壊れているわけじゃない。
消えている。
存在が、薄れていく。
フウガの視線が、一瞬だけ遠くを見る。
まるで――
“ここではない何か”を見ているように。
一歩、踏み出す。
手を伸ばす。
届く距離。
なのに。
触れる前に、消える。
「……逃げたの?」
違う。
直感が否定する。
あれは逃走じゃない。
“離脱”。
世界そのものから、外れたような。
⸻
フウガは消えた。
残ったのは。
赤く染まった雪だけ。
沈黙。
吹雪の音だけが残る。
「……意味、分からない」
呟く。
本当に、分からない。
だが。
胸の奥に、何かが引っかかる。
あの瞬間。
なぜ、刃は逸れたのか。
なぜ、殺さなかったのか。
(……選ぶ、って何)
理解できない。
したくもない。
それでも。
あの一瞬、確かに”何か”を見た。
力でも、理でもない。
――“意思”。
「……くだらない」
吐き捨てる。
そんなものに価値はない。
……ない、はずなのに。
「……だったら」
小さく、呟く。
「壊してみればいい」
それで消えるなら、それまで。
残るなら――
「……使える」
吹雪の中。
少女は静かに立ち尽くす。
白の世界に、ただ一つ。
黒い意志だけが、残っていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
あえて物語のクライマックスとも言えるシーンを「プロローグ」として描きました。
ルナリエの視点を通すことで、フウガがいかに「人間離れした存在」であったか、そして彼が最後に下した決断がいかに「ルナリエの理解を超えていたか」を感じていただければ幸いです。
なぜ、彼はこれほどの力を持ちながら、殺すことを拒んだのか。
なぜ、彼は世界から消え去らなければならなかったのか。
時計の針を少し戻し、彼がまだ一人の「臆病な少年」だった頃から、この物語を紐解いていこうと思います。
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