307 深い森へ
――Side Alia.
「……雷……」
遠くの空にあった暗雲から一筋の稲妻が迸った。
ただの自然現象……? でも晴れ間の中にある暗雲と雷の閃光は、まるでスノーの生き様のように思えた。
「どうした? アリア」
「ううん、少し天気が崩れるかもしれない」
「そりゃ大変だ」
御者の交代に来たジェーシャが馬車に戻って防水加工の外套を持ってくると、それを羽織ってポーズを決める。
「どうだっ」
「似合うよ、ジェーシャ」
そんな子どもみたいな真似をするジェーシャに、私も思わず苦笑する。
聖教会の追っ手を振り切り、聖都ファーンを脱出した私たちは、クレイデール王国ではなく北西へと向かった。
聖教会全体が敵だとは思わない。神殿騎士ヴィンセントのように、誠実に判断してくれる者もいる。でも勇者の世話役だった枢機卿クロフォードはそうじゃない。
おそらくクレイデール王国への経路は待ち伏せされているだろう。
ランク4とはいえあの粛清部隊を送りつけてきたクロフォードは、武人でも聖職者でもない貴族の政治屋だ。だから相手がどれだけ強くても、聖教会の威光と数で押し切れると信じているからこそ、追っ手を止めることはない。
戦って突破できないことはないが、私も仲間たちも、何も知らされていない神殿騎士や兵士を殺すつもりはなかった。
「アリア、問題はなかったか?」
「うん、大丈夫。追っ手の気配もなかった」
簡易テーブルに集まる仲間たちの中にいたフェルドにそう答えて、彼の隣に着く。テーブルには簡易的な大陸地図が広げられて、ドルトンと執事さんがミラの話を聞きながら話し合いをしていた。
「……いけそう?」
「う~ん、たぶん?」
私が誰ともなくそう訊ねると、ミラが難しい顔をしながら曖昧に頷く。
頼りない感じだけど、私はこれがミラの持ち味だと知っているので不安に思うことはない。特にドルトンとミラは百年以上の経験がある。出来ないなら出来ないで最初から別の方法を考えているはずだ。
「あの陰険な連中なら、絶対に自分たちだけが分かる〝道〟があるはずよ」
「陰険って……同族だろうが」
ミラの形容にドルトンが呆れた顔でツッコむと、ミラは地図から顔を上げてカッと目を見開いた。
「何を言っているのドルトンっ、うちの両親もあの高慢ちきな里の連中に嫌気が差してまだ幼い私を連れて森を出たのよ!」
「いや、お前も初めて会った頃はそうだったぞ?」
「私は普通よ! 私も数えるほどしか里に帰ってないけど、私たちは常識人なんだなぁって、サマンサと一緒に実感したわ」
「…………そうか」
「まぁ、アリア様も戻られましたし、お茶でも淹れましょう」
話が逸れたところで執事さんが温和な笑みを浮かべて、馬車の中で器用にお茶の用意を始めた。
私たちが話し合っているのは〝道〟についてだ。
私たちは整備された街道を使わず、直接そこへ向かおうとしている。
サース大陸には多くの人間種とその国家があるが、大部分は東側と南側の海岸線に集中している。大草原地帯である〝竜の狩り場〟も含めて人の住めない場所がある。人々は魔物が少なく農耕をしやすい場所を開拓して生活の場を築いてきた。
私たちが通ろうとしているのは、そんな人の住めない場所だ。
当然、地図に記載されるような街道など存在せず、現在馬車で移動できているのは、森に詳しい狩人のミラが案内してくれているからだ。
だがそれも限界に近づいてきている。
「普通はセルレース王国からドレール共和国経由で、〝不帰の森〟を通るのだけど、ファンドーラ法国へも道があるって、以前、ママが言っていたわ。私も一度通ったことがあるんだけど……」
「……何年前の話だ?」
「五十年前くらい?」
「…………」
ミラの答えにドルトンが無言で執事さんの淹れたお茶を啜り、気分を入れ替えたように私とフェルドに向き直る。
「とりあえず、道はある。すでに埋もれているかもしれんが、そのときは力尽くで突破する。その先が〝エルフの森〟だ」
エルフの森。聖山キュリオスの西方にあるエルフだけの国。そこを経由して、私たちは〝竜の巣〟へ向かう。
あの子が待つ、その場所へ。
***
スノーが勇者パーティーと空で戦い、アリアたちが森の中の道を探していた頃、聖都ファーンにいる枢機卿クロフォードは追い詰められつつあった。
「……くそっ」
アリアの推測通り、聖教会も利己的な者ばかりではない。貴族でも政治的に優れていながらも敬虔な信徒もいて、神殿騎士ヴィンセントが密かに他の枢機卿へと接触し、彼の主観による事実を伝えていた。
そのせいか分からないが、クロフォードは徐々に身動きが取りづらい状況へと陥っている。
「……早く手を打たねば」
子飼いの粛清部隊は戻っておらず、なんとかゴードル公国までの街道を封鎖することはできたが、いまだに件の冒険者は見つからず、クロフォードの権力でも、いつまでも封鎖しておくことはできない。ならばどうするか? その救いの手は意外なところからもたらされた。
「――クロフォード様、神聖騎士の方々がおいでになっております」
「おお、来てくれたかっ」
侍従からの連絡にクロフォードが喜色を浮かべて立ち上がる。
勇者にエルド大陸から随行してきた神聖騎士たち。全員がランク4を超える百余名の騎士団で、勇者の戦力として十名が選ばれている。
そして今回、剣聖ナイトハルトは〝邪悪〟討伐のため、特に信心深い五名の神聖騎士を連れて行った。
「……おお、お待ちしておりましたぞ、エドアルド殿っ」
「お待たせしました、クロフォード閣下」
エドアルドと呼ばれた男は、端正な顔に穏やかな笑みを浮かべる。
ランク4以上である神聖騎士団の中で、このエドアルドは勇者に随伴している神聖騎士たちを取り纏めるランク5だ。
クロフォードは秘密裏に彼らに接触を試みていた。これまでは潔癖な勇者信仰者であるナイトハルトがいたので機会は限られていたが、彼が出立したことでようやく接触が可能になった。
「あなたの苦難はお察しいたします」
「おお……エドアルド殿」
聖者のような笑みを浮かべるエドアルドの言葉に、クロフォードは毒が抜けていくように不安が消えていくのを感じた。
だが、しかし……。
残された五名の神聖騎士は、勇者への信心深さが足りないからと、ナイトハルトに選ばれなかった者たちだ。
特にナイトハルトが不信感を抱いていたエドアルドは、すでにクロフォードから便宜を図るための多額の寄付金を受け取っていた。
「どうか、すべてこの私めにお任せください」
同じ時……。火竜の被害を受けなかった聖教会の治療所にて、一人の男が長い眠りから目覚めて、静かに掠れた声を漏らした。
「……ここは?」
***
――Side Alia.
聖都を脱出して二週間余り、私たちは他種族を寄せ付けないと言われる〝エルフの森〟近くにまで辿り着いていた。
深い森だ。馬車の通れる道など無いように見えたが、ミラの案内で雑草の生い茂る道を見つけるができた。もちろん、長い年月を放置された道なので樹木などに埋もれている場所もあったけど……。
「『精霊よ、我らに道を空けて』」
ミラの精霊魔法によって、道を塞ぐように迫り出していた木々や枝葉が、道を空けるように避けていく様子は、まるでお伽噺みたいに思えた。
「「おおおお~~~」」
そんな光景に、見学していたフェルドとジェーシャが感嘆の声をあげて、パチパチと手を叩く。
「……で?」
「あれはどうするんだ、ミラっ」
どこか訝しむような表情のフェルドが前方を見据え、ジェーシャが期待する子どものような目でミラを見ると、彼女は若干顔を引き攣らせる。
「ど、どうしよう?」
視界を塞いでいた森が開くと、真正面に巨大な岩が道を塞いでいた。
最初からそこにあったのではなく、右側の崖になっている所から転がり落ちてきたのだろう。苔の生え具合から数年は経っているみたいだが、運が良かったのか埋まってはいない。
「できないのか?」
「これだけ大きいと無理よ!」
ジェーシャの何気ない質問に、ミラが両手で大きくバッテンを作る。
岩の大きさが二階建ての家ほどもある。ミラの話では、ここまで大きいと大地の精霊や植物の精霊では動かせないらしい。
「大地の精霊的には、砕くのは良いけど、砕く手伝いはしたくないというか……」
「砕くのは良いんだね」
馬車から出てきた私がミラの呟きに訊ねる。
私でもこの大岩を割ることはできないが、【鉄の薔薇】と【拒絶世界】ならギリギリ砕くこともできると思う。
「いや待てよ、アリア。岩を砕くならドワーフのオレに任せろっ」
前に出ようとした私にそんなことを言ってきたのは、斧を担いだジェーシャだった。
「キツくない?」
「一撃で砕くのは無理だけど、ああいうのは徐々に砕いていけばいいんだよ。お前は強くても斥候なんだから、力仕事は任せろっ!」
「それなら俺もやるかぁ」
ジェーシャの言葉にフェルドも馬車へ武器を取りに行く。
確かに私がやるより時間は掛かるけど効率はいいだろう。本来ならこのような場合は〝魔術師〟の出番なのだが、あの子は今居ない。
でも私たちは仲間だ。足りない部分は仲間が埋めてくれる。
「――【狂怒】――ッ!」
「――【地裂斬】――っ!」
ジェーシャとフェルドが同時に渾身の戦技を放つ。
どちらもレベル4の戦技。でも戦技はレベルが高ければ優れているわけじゃない。レベル4戦技の特徴は一撃必殺の急所攻撃だ。
二人の放った戦技は大岩の中心に叩き込まれ、その瞬間、大岩に一本の〝線〟が浮かび上がる。
――ビギンッ!
……ドゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!
その線から噴き出すように衝撃が溢れ、罅が奔ると轟音を立てて大岩が二つに割れて左右へ転がっていった。
「……お~~~」
私の隣ですっかり見物気分になったミラが、お菓子を食べながら観客のように声を漏らす。
確かに凄い。私だと通常状態で戦技を使っても同じことは無理だ。それを二人がかりとはいえ生身でやってしまえるのだから、これが戦士なのかとあらためて思う。
でも……。
「もう一働きだな、ジェーシャ」
「しゃーねぇな」
大岩は割れたが、衝撃が強かったせいか一抱えもありそうな岩の破片が、道を塞ぐように幾つも転がっていた。
二人はそれを退かすつもりらしく、私も手伝おうかと動こうとしたところでミラに止められる。
「二人に任せておきなさい、アリア。身体を動かしたいのよ。戦士だからね」
ミラがそんなことを言う。私もどちらかと言えば戦士系だけど、鍛錬と戦闘以外で身体を動かしたいと思ったことはあまりなかったので、そんなものなのかと嬉々として岩を動かす二人に任せることにした。
そのとき、不意に何かの〝気配〟を感じた。
「危ない!」
同時に察したらしいミラが声をあげると、飛び下がったフェルドとジェーシャの足下に数本の矢が突き刺さる。
咄嗟に武器を構えて二人が警戒する。私も周囲を警戒すると、開けた道の向こう……その周辺にある大木の枝から、数名の人影が弓でこちらを狙っていた。
彼らは……。
「この先は〝エルフの森〟! 他種族が簡単に立ち入れる場所ではないと知れっ!」
白い肌に長い耳……。エルフの森の住民である森エルフたちだった。
排他的なエルフとの遭遇。
アリアたちの行動は?





