244 少女の決意
説明多めです。
アリアとカルラが王都でぶつかる数時間前、深夜の王女宮にとある少女が供を連れて現れた。
「クララ……こんな時間にどうしたの?」
「申し訳ありません、エレーナ様。どうしても伝えなくてはいけないことがあります」
情報を集めて、当然のように起きていたエレーナとセラが彼女たちを迎えると、現れたクララの顔色は夜のせいではないほどに蒼白く、歩くことでさえ侍女の介助が必要なほど具合が悪そうに見えた。
「……いま必要なこと?」
「はい。それに……あの子がいるときは、まだ顔を合わせづらいですから」
クララは数時間前にアリアがここに現れたことに気付いていた。以前の彼女はアリアを異常に恐れており、クララの侍女たちもアリアと過去に何かしらの遺恨があった人物だと調べが付いていた。
アリアのことは、おそらくクララの【加護】で分かったのだろうが、彼女の体調の悪さも、これから話したいことも【加護】で得た内容だろう。
クララの侍女たちもアリアに私怨があっても、それ以上にクララの身を案じているように感じられた。
エレーナが側で控えていたセラに視線を向けると、セラが静かに頷く。
「護衛の騎士は下がらせて。クララの話を聞きます」
「ありがとうございます」
クララをテーブルに着かせて正面に腰を下ろしたエレーナは、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめて、〝王女〟として口を開く。
「その顔は、どうするか決めたのね?」
「はい。わたくしは自分の望みを理解しました。たとえ王妃にはなれなくても、わたくしはあの方を諦めません」
「…………」
真っ直ぐに見つめ返すクララの瞳に何を見たのか、小さく息を吐いたエレーナはクララに向けて少しだけ微笑んだ。
「それでは、あなたの話を聞かせて……クララ」
***
「アリアっ! 良かった」
朝日が王城を照らしはじめる頃、王女宮のテラスに【拒絶世界】で舞い降りた私に気付いたエレーナが駆け寄ってきた。
エレーナのことだから起きているとは思っていたけど、やはりあの戦闘に気付いてここから見ていたのだろう。
メルローズやフェルドを残したダンドールのことも気になったが、私はまずエレーナに報告をするべきだと考えた。
「ごめん、エレーナ。厄介なことになった」
「ええ……あの聖女もどきはやってくれたわ」
聖女派の重要人物である王弟アモルの反乱。被害自体は標的が辺境伯二家に絞られていたことで小規模に収まったが、これが王家の失態だと気付く者は気付くだろう。
だが、そのことで貴族派が騒いでも、被害者であるダンドールとメルローズが王家の支持を続けるかぎり大きな問題にならず、逆に彼らが擁護する聖女派の攻撃材料にもなったはずだった。
問題はエレーナが言ったように聖女と呼ばれるあの少女のことだ。
「殿下、アリア、中にお入りください。只今、セラさんが他の状況を確認しておりますので」
エレーナの側近で護衛侍女で私とも顔なじみであるクロエが、テラスで立ち話をしていた私たちを室内に誘う。
私が正式な手順を踏まずに直接王女宮に乗り込んだのは、私がまだ公式には生死不明の状況だからだ。確かにこんな所にいて誰かに見られたら面倒なことになる。
「クロエ、セラが伺いに行ったということは、メルローズとダンドールのほうで進展があったのですか?」
「宰相閣下から遠話があったそうです。内容はまだ不明ですが、閣下が直に連絡してきたのでしたら最悪の事態は避けられたのでしょう」
メルローズが無事らしいと分かって私も胸を撫で下ろす。あとはダンドールのほうだが……。
バチッ……。
その時、不意に電気の火花が散り、ネロから映像信号が送られてくる。
フェルドやカルラの戦い。虹色の剣も間に合ったようで、彼らが無事に着いたのなら応援が来るまで持ち堪えることは出来るはずだ。
「……今のは、アリアが言っていた〝クァール〟ですか?」
今の映像信号はエレーナにも見せていたらしく、彼女は見えないネロを捜して辺りを見回した。
「遠くからで、もしやと思いましたが、ネロも来ているのですか?」
――是――
それに答えるようにネロが私たちへ信号を放つ。
ネロとエレーナが会ったのは一度きり。非常事態の中で会話をする暇もなかったはずだが、互いのことは私が信用できる仲間として話してあるので、ネロも人間というだけで忌避感はないようだ。
「どこに……きゃ!?」
突然、どこからともなく〝黒猫〟が現れた。あまり大きくはない、成猫になったばかりのような真っ黒な猫は、近くのテーブルに飛び乗るとその赤い瞳を私へ向けた。
「……ネロ?」
私の呟きを肯定するように黒猫が目を細める。その背に軽く触れるとさらさらとした毛並みが感じられた。気配もある……でも、その気配は私の〝影〟からも感じられた。
「これはネロが作った高等幻術だ」
ネロは私の〝影〟の中にいる。信号映像でも見えたが、ネロは戦いの中で闇魔法を習得して影に潜む【影渡り】のような魔法を使っていた。おそらくこの〝黒猫〟も【幻覚】の一種だと思うが、幻獣であるネロの闇魔法は人間よりも遙かに高精度な幻術を使えるらしい。
「これが幻術ですか? あ……」
私と同じようにエレーナが黒猫に触れようとして、するりとそれを避けたネロが私の肩に登る。ネロもまだ触らせるほど気を許してはないらしい。
エレーナはそれを残念そうに見ながらクロエが用意してくれたテーブルに着き、私をその対面になる位置へ薦めた。
「では、どこから話しましょうか……」
聖女派とは言うが元は王太子派閥で、エルヴァンを王太子として王位を継がせることを推す貴族家の派閥だ。それがなぜ『聖女派』と呼ばれるようになったのかといえば、エルヴァンが王太子として成長がなく、エレーナを女王と推す貴族家が多くなったことを危ぶんだ貴族派が、聖女を王妃とすることで世論を取り込もうとした結果だ。
貴族派にしてみればエルヴァンの未熟さは欠点ではなく、王家の力を削ぎ外交的利益を得ようとする彼らの目的と合致している。
短期的に見れば隣国の安い物資を得て飢える民が減り、その余力を他に回せるのだから良いことなのだが、長期的に見れば民の生命線を他国に委ねることになり、資金も他国へ流れて国力を減じることになる。
どちらが正しいのではなくバランスが重要だった。だからこそ王家は国内と隣国から交互に王妃を娶ってきた。
ただ現状では、内需に力を入れなければいけないと国王陛下や宰相閣下が判断した。そしてエルヴァンが王となることで、国力が想定以上に低下することを理解する頭のある貴族家がエレーナを支持している。
そのバランスを崩したのが今の陛下なのだが、子爵令嬢を正妃とした当時は、王太子だった陛下が今のエルヴァンのように心の平静を欠いていた状況で、彼が一人の王となるために必要なことだったと聞く。
そのしわ寄せがすべてこの世代に来ているのだから許容はできないが、そうでなければエレーナが女王になろうとはしなかっただろう。
エレーナは女王となるために動き始め、今のエルヴァンを見て国王陛下も消極的ながらそれを認めた。
クララを正妃とするために動いていたダンドールも、聖女が正妃となるくらいなら同じダンドールの血を引くエレーナが女王となることを認めたらしく、エレーナは辺境伯二家を後ろ盾にすることができた。
エレーナとミハイルが調べた限りでは、聖女には怪しい点があり、それを公表することで世論を誘導し、聖女が正妃をなることを阻むことで、エルヴァンを王太子の座から追い落とす手筈だった。
今回のアモルの反乱は、王太子派と聖女派としてみれば汚点になるが、成功していれば辺境伯二家を潰して貴族派が実権を握れたはずだが……。
「その考察についてはクララが教えてくれました」
「あの人が?」
「ええ……彼女もクララも、本当に自分の命を軽く扱うわ……」
エレーナは顔を顰めながらそう言って、クララの考察を教えてくれた。
クララの【加護】――『予見』は未来を演算して、可能性の高い未来を引き寄せる。見えるものは〝未来〟だけでなく、現状で起こったことなら高確率で真実を突き止めることも出来るそうだ。
ただ、予見の演算は脳に負担が掛かるらしく、今回の演算で彼女はいま伏せているらしい。
クララの予見では、この計画を企てたのはアモルではなく聖女であり、アモルに自分の派閥の汚点となる反乱をさせたのは、メルローズとダンドールの排除が目的ではないという。
「あれの目的は、〝恐怖〟を与えることだそうよ」
二つの辺境伯家を狙えば、現状エレーナに傾きかけていた中立派は、自分たちも狙われるかもしれないと及び腰になる。
再度エレーナやメルローズが説得すれば留まる者もいるかもしれないが、それも確実ではない。政治的な圧力ではなく、直接家人を狙われる恐怖は簡単に払拭できないからだ。
それでもアモルの反乱は聖女派にとって大きな汚点となるはずだ。中立派が寝返ったとしてもそれ以上に反感を覚える者もいるはずだった。
「クララが言うには、あなたやカルラが介入することも計算に入れていたそうよ。アモルは最初から捨て駒で、あなたたちに負けて王都に逃げ戻ると確信していた」
聖女としては成功しても失敗してもどちらでもよかった。それでも恐怖を与える目的のためにアモルを二つに分けて、勝利よりもダンドールとメルローズが同時に襲われることを優先した。
その分けたアモルが王都で一つになることも予想していた? その理由も王都の民に恐怖を与えてそれを自分が〝聖女〟として癒やして名声を上げるためだという。
「碌な教育を受けていないあの子爵令嬢が、どうやってそこまでの策を思いついたのか……。クララの予見では悪魔が手を貸していると言っていたけど、悪魔でもそこまで人間のことを理解しているとは思えないわ」
アモルの異様な能力や、あのときの不自然な民の行動には、悪魔が関わっているとクララは予見した。
「悪夢の悪魔……」
悪夢の力を使ったのか人々は聖女の行動を讃え、彼女のあの行動で、アモルは聖女派の人間ではなく聖女を裏切った人物として完全に切り捨てられた。
この状況では余程の証拠を出さないかぎり、聖女が王妃となることを止められない。クララの予見ではわずかにエレーナ側が不利となると見えたらしい。
一つか二つ……わずかだが決め手が足りない。そのわずかな差で世論を味方にした聖女が王妃となり、エルヴァンが王となる。
あと一つか……。
私は今はあの人に預けてきたお守り袋があった胸元に軽く触れて、静かにそれを決めた。
「エレーナ。私を利用して」
覚悟を決めた少女たち。
次回、最終戦の準備が始まります。





