第三十八話 反省会
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――――……side秀彦
危なかった。
俺や姉貴は兎も角、今俺達は間違いなく窮地に陥っていた。眼の前に居る獣王に集中するあまり、全体を俯瞰することをおろそかにしてしまった結果だ。姉貴は早い段階で気がついて大声で指示を飛ばしていたが、戦場の怒号飛び交う喧騒の中ではその言葉が即座に伝播することはなかった。
俺自身も姉貴が何かを叫んでいるとは思いつつ、眼の前のこの男との交戦を優先してしまっていた。
気がついたときには空を埋め尽くすような巨大な火球がこちらに向かって落ちてきていた。俺や姉貴は耐えられるかもしれないが、それ以外の兵士たちがあの火球で焼かれればただで済むはずがない。それが解っているのだろう、眼の前の獣王はニヤけた顔でこちらを見つめている。まさか王を名乗る魔物が囮をこなすとは。
「巫山戯やがって……」
「クハッ! いいな、その顔が見たかった。足掻いてみせろ人間!」
腹立たしい顔で笑う獣王をぶん殴りたいが今はあの火球をなんとかしなくちゃならねえ。今更何ができるとも思えねえが、それでも何か打開策を……
「チッチュウウウウ!!」
その時、聞き慣れた間の抜けた例の鳴き声がこだまする。ヤバい、最悪のタイミングだ。いま来たらネズ公も巻き込まれちま……あぁっ!?
てっきり兵士の回復のために飛んできたと思ったネズ公が空中で光の壁のようなものを展開した。
「な、なんだぁ!?」
「チッチチチチチチ……!!」
着地して即帰還するネズ公。獣王はその姿を唖然とした表情で見つめていたが、その視線の先にいる奴に獣王の意識を向けるわけにはいかねえ。
「姉貴!!」
「……」
何も言うまでもなく目配せをしただけで俺達の意思疎通は成された。姉貴の投擲した斧が獣王の眼前を遮り直後投擲斧に追いつくほどの速度で姉貴が斬りかかる。先ほど的は明らかに異なる鋭さの斬撃に、さすがの獣王も姉貴に全神経を集中せざるを得ない。
「……ヒデ!」
「応っ!!」
姉貴の作ってくれた隙をついて盾撃で獣王を吹き飛ばし、体勢が崩れた獣王に姉貴が追撃の両手斧を叩き込む。
「これは驚いたね……」
一撃で大岩も砕く姉貴の一撃であるが、それを獣王は何も装備していない両腕で受けきった。流石にノーダメージってことはねえだろうが、これには打ち込んだ姉貴のほうが表情を歪ませた。
「……やめだ」
「は?」
「お前らの相手はなかなか楽しめたが……謎の鼠に作戦の失敗。力押しでゴリ押しするには不確定要素が多すぎだぁ……」
意外。この闘争本能だけで生きてそうな荒々しい風貌のこの男。意外に冷静で慎重なようだ。これはこの男の警戒度が更に上るような決して喜ばしい情報ではないが、今この瞬間だけは有り難い。おそらく深く考えずに非常識な活躍をしてドヤ顔をしてるであろうあの聖女が獣王に狙われるリスクを考えれば、仕切り直しは有り難い。
「ふぅん? 逃げるのかい」
「やすい挑発はやめておけや、お前らにも余裕があるわけではねえだろ。大人しくしておけや。どうしてもやりてえってなら、こっちも覚悟決めてやってもいいがな?」
「……」
「じゃあな。次やるときは……」
獣王は視線を遠くに向けて獰猛に笑う。おい……?
「あの銀髪女に好き放題はさせねえ」
弾けるように姉貴が獣王に向けて突貫する。しかし獣王はすでに逃走準備に入っており、更には先程の大魔術を行使した術師から雨のように低級魔法が姉貴に放たれた。俺も咄嗟に獣王を追おうとしたが、俺の速度では逃げに入った獣王には全く追いすがることができない。姉貴も被弾を気にせず追撃を行ったが、低級魔法とはいえ視界を埋め尽くすほどの弾幕を張られては獣王を追うことはできなかった。
「クソ!!」
土煙が晴れた頃には、魔王軍は素早く撤収を開始。今から追うことは不可能だった。引いていく魔王軍の姿をみた帝国兵からは勝利を祝う勝鬨が上がったが、俺と姉貴の顔に浮かんでいるのは焦りと獣王を仕留められなかった後悔。そして戦場を引っ掻き回して多くを救ったことによって、厄介なやつの前に躍り出てきた後方支援()の馬鹿の顔を思い浮かべていた。
――――……side 棗
”僕はヘイト管理を考えずハッピーヒーラーをかまして獣王に目をつけられました”
獣王襲撃の次の日、僕は今首から文字の書かれたパネルを下げて正座させられています。目の前には無言で佇む先輩と秀彦。そして、ヤンキーよろしくウンコ座りをして僕の顔を至近距離で覗き込む皇帝。雰囲気は最悪でございます。
「お前のお陰で今回の襲撃での重症者はまさかの零人だ。帝国の王としてお前には感謝してるぜ」
では、なぜ僕はこのような目にあっているのでしょう?
「くぅん……」
「そんな捨てられた犬見てえな声と顔しても無駄だ。王としては感謝してるが、お前のことを心配してる連中の気持ちを無碍にしたんだ。俺にはお前を救うことはできん」
駄目か。同情心に訴えかければ一応兵士の回復の功績を認めてここから出してくれるかと期待したけど、このおっちゃんは思った以上に役に立たなかったらしい。
「そもそも、勇者と聖騎士がこの場にいるのに俺にナニかが出来ると思うのか?」
「思わない、おっちゃんは無能故に……」
「てめぇ……」
うう、無言でおっちゃんの後ろから僕を見つめる二人の視線が痛い。ここは最前線なのでコルテーゼさんが居ないのは救いだろうか? いや、あまり変わらないかもしれない。唯一僕の味方をしてくれそうなグレコ隊長はこの部屋の警備があると告げて早々僕を見捨てて部屋から出ていってしまった。
「棗きゅぅん? 君はMMORPGで……いや、君ゲームはしないからわかんないか。君はこのファンタジーな戦場で最初に狙われるのはどんな職業の人だと思う?」
「うーん? 一番強いから勇者?」
「脳筋な棗きゅんらしい返答だねえ。ハズレだよ。答えはね、君の様なヒーラーだよ」
そう言いながら僕を指差す葵先輩。 ……おい、なんで僕を指差す指がそのまま僕のおっぱいに突き刺さったんだ?
「敵にとって一番嫌なのはせっかく削った相手戦力が復活してくる事だからね。本来ならこの世界では最前線には治癒術師は帯同してないからこんな事は滅多に無いと思うけれど、RPGなんかでヒーラーがバカスカ回復魔法飛ばすなんてのはご法度なんだよ。頭お花畑のヒーラーが楽しく治癒術乱発するとか正直パーティプレイでは一番のご法度なんだよねえ」
「うぅ……べ、別に楽しくバカスカ撃ってなんか……」
「本当かい? 私達が棗きゅんの元に駆けつけたとき、髪の毛がほぼ黒髪になるほど消耗してたのに棗きゅん元気に笑ってたよねえ?」
「うぐぅ……」
「アオイ様、ナツメ様はそれはもう楽しそうにマウス君様を投擲されて居られました」
「グレコさん!?」
部屋の外に立っていた筈のグレコ隊長が顔だけをドアから覗かせながら告げ口をする。サミー・グレコお前もか!? 突然の裏切り、信じていた人に背後から刺殺された! もはや誰も信じられ……そうだ、秀彦さん! 君ならわかってくれるよね? 僕達親友だもんね? あ、駄目だ、これは味方の顔じゃない。何なら一番怒ってるまである。そういえばこのお説教始まってからコイツ一言も喋ってないね!? ガチオコプンプンヒデヒコムカチャッカゴリラだ!
「……棗」
「ひゃ、ひゃいっ!?」
く、来るのか!? しかし、身構える僕の頭に降り掛かったのはげんこつではなく意外にも優しい手のひらだった。
「……あんまり無理するな。俺も姉貴もお前が心配なんだ」
「……はい」
うう、真面目な顔してストレートに心配されてしまった。ちょっと不意打ちで、怒られてるのに顔が熱くなってしまう。
「ちょいちょいちょーい、秀彦!? 人が心を鬼にして鞭を振るっているのに飴の部分総取りはズルすぎないかい!?」
「うるせえ。今回は確かにコイツも調子に乗りすぎだったが、やっていたことは基本的に人命救助だ。それ自体は責められることじゃねえ」
「そ、それはそうだけどぉ。これじゃあ、お姉ちゃんだけ悪者みたいになるじゃないかあ。今回は棗きゅんも頑張っていたから正座もベッドの上だしぃ、おねえちゃんだってずっと叱るつもりじゃなかったんだよ? このあと秀彦みたいにナデナデして慰めてあげる準備もしてたのに。おっぱいを!!」
この人何言ってるんだ?
「馬鹿なこと言ってねえでこれから先どうするのか、その話をするぞ。正直時間的余裕もそれほどあるとは思えねえ」
「これからの話し?」
「皇帝、今回のことで痛いほどよく判った。この馬鹿を戦線から遠ざけるのは逆効果だ。次からは俺と姉貴と一緒に来てもらうぞ」
「お、おいおい。お前さんはこの馬鹿娘を守りたいから今回の反省会をやってんじゃねえのか? それなのに最前線に連れ出すのか?」
「今回この馬鹿が暴れたせいで獣王が完全にコイツに目をつけちまった。こうなったからにはもう野戦病院まで馬鹿を下げたとしても安全とは思えねえ。かといって半端に離れた場所に置いていけば今回みたいにナニを仕出かすかすら判らねえ」
「じゃあこの馬鹿どうすりゃ良いんだ? 正直能力以外は本当にどうしようもねえぞ、この馬鹿」
「お前ら人のこと馬鹿馬鹿言いすぎじゃない!?」
「大体棗を無理に縛り付けるから変なことするんだ。コイツは縛るんじゃなくて近くで守ったほうが変な事しない分安全だと思うぜ」
「また馬鹿って言った! ……え、言ったよね!?」
「……確かに一理あるか。王国に聖女借りに行ったときにはまさかここまでのじゃじゃ馬だとは想像もしてなかったぜ」
「まあそれは想像できねえだろうなあ」
「ねえ、また馬鹿っていったよね??? アレ? 言ったよね!?」
「ってわけだ。おい馬鹿。次からは俺と姉貴と一緒にいくぞ、俺達のそばから動くんじゃねえぞ?」
「言った!! やっぱり馬鹿って言った! 今回は絶対言った!!!」
「ちょっと棗きゅん? 真面目なお話なんだからちゃんと聞こうね?」
「え、え? なんで僕が悪い感じになってるの??」
「いや、お前が悪いのは間違ってねえだろ」
「納得行かないよ!?」
なんだかよくわからないけど、僕の前線送りが正式に決まったらしい。それ自体は嬉しいのだけど、なんだかすごく納得行かないな!!
でも秀彦があたまナデナデしてくれたのはちょっと嬉しかったね!!!




