第三十六話 見せてやろう僕の新必殺技(ニューブロー)
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「風なし、距離およそ八百メートル。マウス君、魔力充填開始」
「チッチュウ!!」
「な、ナツメ様……一体何を?」
双眼鏡で距離を測り、マウス君に魔力を充填。僕らが何を始めたのか解っていないグレコさんからは戸惑いの気配を感じるが、今は一時を争う緊急事態なので説明は省かせてもらう。マウス君に十分な魔力が蓄積された証明として、毛並みが金色に輝きを放ち始めた。
「エネルギー充填100%! マウス君、発射準備!」
「チュイッ!!」
僕が懐から取り出した紐を輪の形に持つと、マウス君は僕の体をよじ登り、丁度紐の真ん中にあたる撓む部分に掴まった。
「その手に持っているのは投石紐でございますか?」
「流石グレコ隊長、その通りです! しかもドラゴンの皮を鞣して作った特注品です! 頑丈靭やか壊れないのが売りの優れモノ!」
「は、はぁ……また無駄に高級品でございますね。しかし一体それで何を……「すいません説明はあとで!」あ、はい!」
「行くよ、マウス君! 女神よ慈悲の名のもとに、倒れ伏した勇士たちを癒やし給え……」
「……範囲回復術の詠唱?」
詠唱しつつ僕はステップも利用し体重を載せつつ全力で投石紐を振り回す。踏み込みの力と体の捻転の力は凄まじい遠心力を生みだし、マウスくんが超高速で振り回されていく。これが、マウス君との遊びで偶然発見した僕とマウス君の新合体技。
「女神の恩恵!! 行くよ! 必殺マウス君キャノン乙型!!」
「チュウウウウウゥゥゥゥゥゥ!!」
詠唱終了と共にマウス君の輝きが更に増し、直後投石紐から物凄い勢いで射出される。大空へ射出されたマウス君は凄まじい破裂音を発しながら大空に光の尾を描いていった……
……――――数分前 side 秀彦
――机上の空論という言葉がある。理論上正しくとも、現実には、実践では役に立たないって奴だ。今日ほどこの言葉を噛みしめる羽目になった事は過去にない。
戦場に駆り出されて感じた最初の印象は”話が違えだろ!”だった。
敵にひと当たりした後に姉貴は下がって獣王との決戦に備える。そんな作戦は最初のひと当たりの時点で崩れ去った。まず最初の誤算は獣騎団の切り込み隊長がその獣王本人であった事だ。そのせいで今俺と姉貴は獣王の対処で手一杯になってしまっている。
更に誤算は続く。獣騎団の規模が想定を大きく上回っていたのだ。結果は説明するまでもない。戦線は一瞬で崩壊。正面からぶつかり戦線を維持するどころか今や帝国軍は全方位から獣騎団にすり潰されているような状況だった。重症者を下がらせることも満足に出来ず、一人また一人と倒れていく。
なんとか手を貸してやりたいところではあるが、眼の前の男……獣王。この男がいる限り一瞬たりとも隙を晒すことが出来ない。
靭やかに鍛え上げられた肉体。獅子を彷彿とする鬣のような毛髪。人に近い顔立ちをしているが、口からは発達した犬歯がわずかに顔を見せている。そして何より恐ろしいのがやつの眼だ。やつの荒々しい性格を表すかのような真紅の瞳。そこから放たれる隠す気もない殺気は、もはや物理的な質量さえも感じさせる。
「……ッッ!!」
――気を抜いていたわけではない、よそ見をしていたわけでもない。しかし突然眼前に迫った獣王、咄嗟に構えた盾に獣王の爪が襲いかかった。直後盾越しに凄まじい衝撃が走り後方に飛ばされそうになるが、なんとか踏みとどまる。正直今の攻撃は眼では追えていない。獣王の打ち終わりの体勢から恐らく爪による斬撃だったのだろうと察することは出来るが、盾で防げているのはほとんど勘に近い。
「……ふん。のろまではあるが硬いな。まるで亀のようだ。そんな盾に籠もってばかりでお前に牙はないのか?」
「……」
「ふん。会話もできんのか。本当につまらんヤツだ……なっ!!」
「ふふ、弟は意外と口下手でね。すまないがお喋りはご遠慮願えるかな?」
俺の影から不意を突き、更には会話を始めた隙を狙った姉貴の一撃は、獣王の眉すらも動かすことは出来ずに容易く爪で弾かれた。岩をも砕く威力を誇る姉の斧。しかし獣王にとってはそれすら脅威にはならないらしい。
「ふむ、貴様が勇者か。成る程、ではそこの亀が聖騎士か。噂には聞いていたが、確かになかなかの強さだ。人間にしては、だが……」
「……!」
軽い会話をしつつ、獣王は鋭い連撃を姉貴に打ち込む。姉貴はそれを躱し、斧で逸らし直撃を避けるが、その表情にいつもの余裕はない。一撃でも貰えばただでは済まない、それは先程の俺とやつのやり取りで理解しているのだろう。
「これで詰みだ……」
凄まじい連撃を斧で受け流し続けていたが、あまりの速さと威力に遂に受け損ない姉貴の体勢が崩れる。苦痛に歪むその顔面に、獣王の爪が迫った。
「シールドバッシュ!!」
「ぬうっ!?」
だが、そんなものを見過ごすほど俺も怠惰じゃねえ。戦場の戦いは多対一。正々堂々一騎打ちなんてものに拘りは無い。一人では勝てない相手でも戦い方はいくらでもある。シールドバッシュで弾かれた獣王の体を姉貴のバルディッシュが打ち返し、獣王の体が無防備に俺の眼前に吹き飛ばされた。
「空中なら避けられねえだろ! 食いしばれ根の盾!!」
両足を浮かせた状態の獣王であれば、根の盾の杭を避けるすべはない。俺はヤツの無防備な脇腹に向けて杭を射出した。しかし、必殺のタイミング、これ以上無いほど完璧に決まったはずの手応えは、肉を撃ち抜くそれではなく、想像とは異なる硬質なものだった。
「ぐあっ!?」
直後胸を焼けるような熱が走った。一瞬遅れて吹き出した赤が、俺の胸が切り裂かれたことを理解させる。まずい、このままでは追撃を受ける。慌てて距離を取ろうとするが、左手が盾を突き出した格好のまま微動だにしないことに気がついた。
「なっ!?」
一瞬眼の前の光景が信じられなかった。俺の放った杭はヤツの肘と膝に挟まれその勢いを完全に殺されていた。それどころか、挟まれているだけなのに俺の盾は寸毫も動かすことが出来ず、獣王の次の攻撃に備えることが出来ない。すべての動作を攻防一体に行う、恐ろしいほどの強敵だ。
「この威力の杭を体術と筋力で受け止めるとか、どうなってやがる……」
「ハッ! まあまあの威力だがその盾のギミックは死神から聞いてるからな。知ってさえいればそうそう食らうかよ!」
本来ならこれで勝敗は決まってしまったかもしれない、それほどの窮地と言える。しかし、逆にこの状況はチャンスだ。この根の盾は女神の神器、ただの武具じゃない。俺は空間収納に盾を収納し、腕を開放。即座に再召喚を行い今度こそ獣王の脇腹に杭を打ち込んだ。
巨大な盾が突然消えたのは流石の獣王であっても想定の範囲外であったらしく、回避も防御も間に合わない。今度こそいつもの肉を潰し骨を砕く手応えを感じた。
「グォェッ……てめえ、なんだぁその盾。反則だろ、そのデカさで消えたり出たりするのはよぉ」
確かに、正々堂々とした使い方ではないと思うが……
「悪いが手段選べるほど強くはねえもんでな」
今の一撃で距離を取れたので、軽口をたたきつつ負傷の確認をする。派手に出血してはいるが、今の俺なら致命的な傷ではない。動きに支障をきたすほどのものではない。が……正直この獣王、俺と姉貴の二人がかりでも少々荷が重いな。せめてもう一人……
一瞬平和そうな微笑みを浮かべたヤツが頭をよぎったが、即座に否定した。あいつが獣王の攻撃を食らったりしたらと思うとゾッとする。やっぱり居残りしてもらったのは正解だった。
しかし、俺と姉貴がコイツにかかりっきりなこの状況は非常に拙い。すでに怪我人の数は数え切れないほどになっており、完全に戦闘不可能な負傷兵を下げつつ防衛しているが、防衛してる兵たちもすでに満身創痍だ。というか俺も姉貴も無傷ではない。
「ふふ、俺に一撃を入れた割に顔色が悪いな聖騎士。胸の傷が痛むのか? それとも周りの有象無象が気になるのか? 案外落ち着きのないやつだ。勇者の方は顔色を変えていないようだが、まあ貴様は一癖ありそうなので見た目で内心は測りかねるな」
「釣れないことを言わないでおくれよ。私ほど裏表の無いいい女は他に居ないと思うがね?」
「言ってろ!」
肋を数本へし折ってやったっていうのに、相変わらず獣王には俺と姉貴の攻撃が通らない。圧倒的フィジカルと荒々しくても洗練された体術、さらには獣特有の爪や牙。先程の杭は確かなダメージを与えているようだが、ヤツの動きを鈍らせるほどのものではないらしい。
焦りだけが募り好転しない状況、兎に角がむしゃらに獣王へ攻撃を加え続ける。しかしこれが現状の打開に寄与しているようには思えない。何か切っ掛けが欲しい。大きな変化でなくて良い。少しの風向きを変えてくれるようなそんな何かが。
――そんな時、戦いの喧騒とは異なるどよめきが上がった。とうとう前線が瓦解したのかとも思ったが、今そちらに目を向けることが死に繋がる為、気にはなるがそちらに目を向けることは余裕がない。しかし……
「あ? なんだぁ、ありゃぁ?」
罠か? 突然獣王が手を止め呆けたように先程声が上がった方角を見ている。
いや、こいつはこういう絡め手で隙をつくような戦い方をするタイプではない。俺は警戒しつつも、獣王と同じ方角に目を向けた。
「――――チッチチチチチチ――――チッチュウウウウ!!」
「……棗の鼠公?」
振り向いた俺の眼に飛び込んできたのは、凄まじい速度でこちらへと飛来する発光物体だった。だがそれが発する鳴き声には聞き覚えがあった。しかし、状況が解らない。鼠のやつは凄まじい光を発しながらまっすぐ負傷兵たちの方へと飛んでいく。まて、まさかお前棗の投擲武器として魔力爆弾と化してたりしねえよな!?
「おい、負傷兵を逃がせ……!!」
慌てて指示を飛ばすが、鼠が早すぎる。俺の指示も虚しく、鼠は負傷兵達のど真ん中に着弾し、凄まじい光と爆音を炸裂させた。
……おい、洒落になってねえぞ。




